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今でも片開きで第一線を担ってる南海6000系は凄いんだな
大都市圏を走る4ドア通勤形ではこれが最後ですね8300系の増備で少なくなりましたね
懐かしいですね~小学生だったころに大阪から長崎へ帰省するに急行「雲仙」や寝台特急「あかつき」をよく利用していました。中学校のころには寝台はほとんどが2段式で、窮屈観は感じませんでした。そういえばベッドには「浴衣」が置いてあったような記憶があります。
懐かしいなあ。お盆の帰省時には夕方になると次々に入線してくる寝台特急を見てワクワクしたものです。駅弁、お茶、冷凍ミカンの3点セットは欠かせませんでした。三段寝台は、上段は冷房が効きすぎで寒く、下段はちょっとだけ幅が広いのよね。
子供の頃は電車区に入れてもらって写真を撮りまくったなぁ(もちろんフィルムはモノクロ(笑))。職員さんの粋な計らいで「坊主、運転席に乗ってみるか?」って言われて485系(切妻タイプ)の運転席に入らせてもらって大興奮したのを今でも鮮明に覚えています。
良い体験しましたね。自分も友人と仙台駅のホームで上野から来たひばり(485系ボンネット)の写真を撮っていたら、運転士さんから手招きされました。てっきり怒られるのかと不安になってたら、入れてやるからそっちから入れ、と運転室のドアから入らせてもらった事あります。写真撮りまくりましたよ。
@@okada07223 様ですよね~。当時の「子鉄っちゃん(?)」なら緩かった国鉄の電車区や駅のホームでカメラを両手で握りしめてバシバシシャッターを切っていると、職員さんが声をかけてくれて、憧れの電車に「乗せてもらえる」最強イベントを開催してくれるのは最高でした。それに「L特急・ひばり」は小学生時代に博多から仙台までの計画書(時刻表参照)を子供ながらに考えて切符の手配を親に手伝ってもらい乗りましたね。確か、あさかぜ→京浜東北線→ひばりで親戚の家まで行きました。いろんな人に出会えてとても楽しかったです。(⌒∇⌒)それに比べて現在の「クズ鉄」の馬鹿さ加減たるや...あきれ果てる限りです。(# ゚Д゚)
モハ90形(→101系)以降の所謂「新性能電車」が明るい塗色を採用するようになったのは制輪子(ブレーキパッド)が鋳鉄からレジン(樹脂)に変わったという側面もありますそれまでの旧形国電では制輪子が鋳鉄だったので制動時に鉄粉が飛散して車体に付着し、それが風雨に晒されて赤茶色のサビ汚れになるのでそれを極力目立たなくする為にぶどう色2号等の暗めの色を採用していました80系の湘南色や70系のスカ色では窓周り等に明るめの色が採用されましたが、ブレーキダストが付着しやすい車体下部には暗めの色が採用されています
冷静に考えてホリプロマネージャーがこんだけ表に出てくるのおもろすぎるでしょ
485系の駅停車中に、新人が点検だのなんだのと騙されて先輩にボンネット内部に入れられ、警笛を目一杯鳴らされたそうです。びっくりした新人は頭を上げて狭いボンネットの天井に頭をぶつけて痛がり、先輩たちはそれを見てゲラゲラ笑う。ある種の新人歓迎の儀式だったらしいです(笑)元国鉄上野駅勤務だった叔父から聞きました。
完全にイジメじゃん。それを笑いながらコメントに書くとか人間としておかしいよ
昭和あるあるよな良くも悪くも、男塾なのが昭和の社会辛抱した分、年功とともにそれをする側になる
@@夢待翔太 鉄拳制裁とかあった時代だから
@@夢待翔太 時が経てば良い思い出よ
583系は東北本線の昼行特急「はつかり」、夜行寝台「はくつる」、常磐線の夜行寝台「ゆうづる」等として大活躍しました。JR東日本の歴史の中でも外せない車両だと思います。
7:29 ここから
電動発電機は素人にはパワーワード
さらっと流したけど「ん?」ってなる言葉ですよね。
MG?
@-分身 まさにそれ( ゚∀゚)
鉄ヲタ向けの内容ではないのですから、一般視聴者向けに、簡単な説明が必要でしょうね。😂
ひばりのあのボンネットの中は空っぽか 非電化区間を走るためのエンジンが入っているんだと思ってた...
6:00 四国「解せぬ
JR発足も35周年なんだよな~
481系のボンネットの中身は知ってたけど、普段見れないから新線なんだよなぁ。ちなみになんだけど、クハ481-100番台からは電動発電機が床下になったんだよね?
ナハネフってロマノフみたいなやつだな。
キハ80も忘れずに。エンジンアイドリング音→カラカラカラカラ〜
8:00
先駆け101系、でも実際は失敗作で103が速攻で出てきた迷列車の一つ
個人的に101系は名車であり迷車な存在だと思う
オールM車という101系本来の性能を問題なく発揮出来たのは結局のところ南武支線だけだった、、
ボンネットの意味を初めて知りました。リニアはS県がねぇ・・・
K知事が居なくなったらあるいは
寝返り出来ないみたいですね
新幹線開業当時はひかりは4時間、こだまは5時間。今は、のぞみで2時間半、こだまは4時間。今のこだまは、開業当時のひかりと同じ所要時間。
581系583系の紹介がなかったですね。世界初とも言われ、昼は座席車、夜は寝台車として短命ながらも高いパフォーマンスでフル稼働した「交直両用特急形寝台電車」の存在が忘れ去られています。是非紹介すべき車両です。
全てを紹介するのは尺的に無理なんだから。好きな車両が紹介されないのはしょうがないでしょうよ。
@@ザミラのザミザミ しかも583の展示車両は大宮じゃなくて京都にありますしねぇ。
16:22 boo🐷
撮影の都合だろうけど、寝台の寝る向き逆だよな。通路側に寝台の照明があって、窓に足向けて寝るはず。
581系とかは名列車だよね
考えてみるとさ、経済的に停滞してる国って鉄道インフラが貧弱で、今さら新規、延長や高速化の話題があるな日本の高度成長は鉄道ありきでの考えでいいのかもな
透明マスク草
手術室でのマスク
這是中華民國唯一與日本的觀點來分享,服務觀眾,請鎖定收看哦
座席でタバコ吸えたのは良かったなぁ。キオスクでビール飲みながらタバコふかして車窓を眺めるのはのんびりした雰囲気だったな。
今でも片開きで第一線を担ってる南海6000系は凄いんだな
大都市圏を走る4ドア通勤形ではこれが最後ですね
8300系の増備で少なくなりましたね
懐かしいですね~
小学生だったころに大阪から長崎へ帰省するに急行「雲仙」や寝台特急「あかつき」をよく利用していました。
中学校のころには寝台はほとんどが2段式で、窮屈観は感じませんでした。
そういえばベッドには「浴衣」が置いてあったような記憶があります。
懐かしいなあ。お盆の帰省時には夕方になると次々に入線してくる寝台特急を見てワクワクしたものです。駅弁、お茶、冷凍ミカンの3点セットは欠かせませんでした。
三段寝台は、上段は冷房が効きすぎで寒く、下段はちょっとだけ幅が広いのよね。
子供の頃は電車区に入れてもらって写真を撮りまくったなぁ(もちろんフィルムはモノクロ(笑))。職員さんの粋な計らいで「坊主、運転席に乗ってみるか?」って言われて485系(切妻タイプ)の運転席に入らせてもらって大興奮したのを今でも鮮明に覚えています。
良い体験しましたね。自分も友人と仙台駅のホームで上野から来たひばり(485系ボンネット)の写真を撮っていたら、運転士さんから手招きされました。てっきり怒られるのかと不安になってたら、入れてやるからそっちから入れ、と運転室のドアから入らせてもらった事あります。写真撮りまくりましたよ。
@@okada07223 様
ですよね~。当時の「子鉄っちゃん(?)」なら緩かった国鉄の電車区や駅のホームでカメラを両手で握りしめてバシバシシャッターを切っていると、職員さんが声をかけてくれて、憧れの電車に「乗せてもらえる」最強イベントを開催してくれるのは最高でした。
それに「L特急・ひばり」は小学生時代に博多から仙台までの計画書(時刻表参照)を子供ながらに考えて切符の手配を親に手伝ってもらい乗りましたね。確か、あさかぜ→京浜東北線→ひばりで親戚の家まで行きました。いろんな人に出会えてとても楽しかったです。(⌒∇⌒)
それに比べて現在の「クズ鉄」の馬鹿さ加減たるや...あきれ果てる限りです。(# ゚Д゚)
モハ90形(→101系)以降の所謂「新性能電車」が明るい塗色を採用するようになったのは制輪子(ブレーキパッド)が鋳鉄からレジン(樹脂)に変わったという側面もあります
それまでの旧形国電では制輪子が鋳鉄だったので制動時に鉄粉が飛散して車体に付着し、それが風雨に晒されて赤茶色のサビ汚れになるのでそれを極力目立たなくする為にぶどう色2号等の暗めの色を採用していました
80系の湘南色や70系のスカ色では窓周り等に明るめの色が採用されましたが、ブレーキダストが付着しやすい車体下部には暗めの色が採用されています
冷静に考えてホリプロマネージャーがこんだけ表に出てくるのおもろすぎるでしょ
485系の駅停車中に、新人が点検だのなんだのと騙されて先輩にボンネット内部に入れられ、警笛を目一杯鳴らされたそうです。
びっくりした新人は頭を上げて狭いボンネットの天井に頭をぶつけて痛がり、先輩たちはそれを見てゲラゲラ笑う。
ある種の新人歓迎の儀式だったらしいです(笑)
元国鉄上野駅勤務だった叔父から聞きました。
完全にイジメじゃん。それを笑いながらコメントに書くとか人間としておかしいよ
昭和あるあるよな
良くも悪くも、男塾なのが昭和の社会
辛抱した分、年功とともにそれをする側になる
@@夢待翔太 鉄拳制裁とかあった時代だから
@@夢待翔太 時が経てば良い思い出よ
583系は東北本線の昼行特急「はつかり」、夜行寝台「はくつる」、常磐線の夜行寝台「ゆうづる」等として大活躍しました。
JR東日本の歴史の中でも外せない車両だと思います。
7:29 ここから
電動発電機は素人にはパワーワード
さらっと流したけど「ん?」ってなる言葉ですよね。
MG?
@-分身 まさにそれ( ゚∀゚)
鉄ヲタ向けの内容ではないのですから、一般視聴者向けに、簡単な説明が必要でしょうね。😂
ひばりのあのボンネットの中は空っぽか 非電化区間を走るためのエンジンが入っているんだと思ってた...
6:00 四国「解せぬ
JR発足も35周年なんだよな~
481系のボンネットの中身は知ってたけど、普段見れないから新線なんだよなぁ。ちなみになんだけど、クハ481-100番台からは電動発電機が床下になったんだよね?
ナハネフってロマノフみたいなやつだな。
キハ80も忘れずに。
エンジンアイドリング音
→カラカラカラカラ〜
8:00
先駆け101系、でも実際は失敗作で103が速攻で出てきた迷列車の一つ
個人的に101系は名車であり迷車な存在だと思う
オールM車という101系本来の性能を問題なく発揮出来たのは結局のところ南武支線だけだった、、
ボンネットの意味を初めて知りました。
リニアはS県がねぇ・・・
K知事が居なくなったらあるいは
寝返り出来ないみたいですね
新幹線開業当時はひかりは4時間、こだまは5時間。今は、のぞみで2時間半、こだまは4時間。今のこだまは、開業当時のひかりと同じ所要時間。
581系583系の紹介がなかったですね。
世界初とも言われ、昼は座席車、夜は寝台車として短命ながらも高いパフォーマンスでフル稼働した「交直両用特急形寝台電車」の存在が忘れ去られています。
是非紹介すべき車両です。
全てを紹介するのは尺的に無理なんだから。
好きな車両が紹介されないのはしょうがないでしょうよ。
@@ザミラのザミザミ しかも583の展示車両は大宮じゃなくて京都にありますしねぇ。
16:22 boo🐷
撮影の都合だろうけど、寝台の寝る向き逆だよな。通路側に寝台の照明があって、窓に足向けて寝るはず。
581系とかは名列車だよね
考えてみるとさ、経済的に停滞してる国って鉄道インフラが貧弱で、今さら新規、延長や高速化の話題があるな
日本の高度成長は鉄道ありきでの考えでいいのかもな
透明マスク草
手術室でのマスク
這是中華民國唯一與日本的觀點來分享,服務觀眾,請鎖定收看哦
座席でタバコ吸えたのは良かったなぁ。
キオスクでビール飲みながらタバコふかして車窓を眺めるのはのんびりした雰囲気だったな。