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彼との出会いは1964年西宮の今津中学吹奏楽部からの接点があり僕も他校の吹奏楽部に所属していて今津中学吹奏楽部のコンサートを観に行った時に彼はホルンを吹いてました 彼と歳は二つ違いで彼の方が下でした 名指揮者朝比奈隆さんが今津によく来られ吹奏楽部に色々アドバイスをされていた頃です 又朝比奈さんのアドバイスでポンタ君がパーカッションに移行したそのきっかけで世界に誇る名ドラマーと歩んで行ったんです 正しくここで唯一無二のドラマーの誕生ですねパーカッションになったきっかけは本人から聞けなかったですが・・・ 当時今津中学吹奏楽部はコンクールでいつも金賞をとっていた吹奏楽の中学の部では日本一の名門校で名物指揮者の得津武史さんにポンタ君が練習の時に何度も何度も間違えるので罰としてニンニクを食べさせられたって本人は言ってました 食べた数は48個で次の日唇が腫れあがって大変だったと苦笑いしてました 又お母さんが次の日得津さんにクレームを言いに行ったのは爆笑ものです「うちの大切な息子に何するんですか」って・・・なかなかいいお母さんですね~ 彼が東京で活動し始めた頃あるきっかけで色々話をした事がありその中で今津中学吹奏楽部出身と判明しました 当時の吹奏楽部の先輩が東京でドラマーとして大活躍している事も語ってましたその先輩にドラマーとしてのライバルむき出しの感じでした それが原因かは分かりませんがグングンドラマーとして第一線で活躍がはじまり世界の三指に入るくらいのドラマーとなって行ったんです 彼が叩くリズムからは他のドラマーでは感じない摩訶不思議な感覚が伝わって来ます 皆さんも僕と同じ考えの方々が多いと思いますポンタ君が70年代からドラマーとして築き上げた色々な事は今後のドラマーは誰も彼の様に世界に誇る演奏家は出て来ないでしょうね それだけ想像を絶する凄い事をやったドラマーです日本が誇る唯一無二の名ドラマーに心から感謝して拍手したいと思います ポンタ君のドラムからどれだけの多くの人が勇気づけられた事か・・数知れないですね ありがとう 最高でした。
この手の話になるといつも思うのは・・・細野組、ポンタ組、サディスティック組などでてく来るんだけど・・・岡沢章+渡嘉敷組は?
その曲たらしめているのが歌っている人だけでなくミュージシャンにもあるという当たり前の事をあえて言わなければならないほど日本の音楽業界とリスナーの認識が乏しいことが恥ずかしいですが、生演奏のバンド主体でニューミュージックとフュージョンが全盛の素晴らしい時代があったことを誇りに思います。ポン太さんおつかれさまでした
なにこの良番組!ポンタさんが出会わせてくれた縁に感謝。合掌。
達郎さんの一流スタジオミュージシャンを集めてのレコーディング、スティーリー・ダンを思い起こさせる。
本当によかったです。ポンタさんのライヴを至近距離ライヴで堪能したことが2回。うれしかったです。
ポンタさんを知ってるつもりでしたが更に凄みを知ることが出来ました。感動しました👍
あの世で大村さんと楽しく話しながらゆっくり過ごしてください(;_;)
臼井さんて沼澤尚さんと演ってた人ですね!やはりドラマーの事を良く理解されていますね♫
ポンタさん、天国で松岡さんと又演奏を楽しんでください…合掌
九百億九百八十年忌ですよ。
ポンタさんから来たら、kinokoさんがいる!
レギュラー出演者です〜
この方素晴らしい解説だとおもいます。
この時期に配信、ありがとうございます。
限られた時間の中でたくさんの情報と目一杯の愛が詰まった論評で素晴らしい。よく「はっぴいえんど史観」なんて言うけど、細野さんやポンタさん達はそんな安っぽいものではなく、話中にあるように「スタジオワークにセッション感覚を持ち込んで、よりフレッシュなサウンドを創った」ところが革命的に価値があった。だからこそ、ミュージシャンとしての指向性の違いで高中さんとポンタさんは上手く行かなかった。(作品は素晴らしいけれども)
高中正義は自ら 「アドリブは出来ない」 と公言してますから即興自在のポンタさんと合うわけがありません。
@@力哉-l5t アドリブ云々というのも多少はあるかもしれませんが、高中さんは自分の楽曲のイメージが明確になるようなアレンジに強く拘る方なので、NYで流行ったヘッドアレンジでの録音スタイルに当時影響を強く受けていたポンタさんと合わなかったんですね。ですから後年ナラダバンドを迎えてアルバムを作った際にもノークリック一発録りを好んだナラダと少々ぶつかったようですし、その後打ち込みだけで作品を作ったのもすべて自分でコントロールしたかったからだと語っています。ちょっとポンタさんの話題とズレちゃいましたね、ごめんなさい!!
知らんかったわ🙇
So what!As you like it jazz?Miles?
🥀😀🌱💙
ポンタさんのエピソードは色々見聞きするが初めて聞く話題に興味深いやっぱり曲はカットか何かで聞いたか見たかだが山下達郎は演奏性の違い(ビート感グルーブ感とか云々)でポンタさんを更迭し青山純を迎え入れたんでしたっけ?確か達郎の肉声で聞いたような、ソースを探してみます
その辺の細かい当事者間の事情は分からないですね〜。
かつてラジオで達郎さんは単純にギャラの問題だと言ってましたよ。ツアーで長期間ポンタさんを拘束することが難しいとのことでした。その番組をUA-camにアップしている方がいました。ua-cam.com/video/LVDqwf41UV8/v-deo.html2時間20分辺りから聴いて下さい。
単純に 「多忙の極み」 だったのですよ。YMOにしても、「忙しかったんでユキヒロ (高橋幸宏) に振った」 と言ってましたし。松任谷由実のドラムは林さんメインでした。が、ユーミン、達郎において林さんやポンタさんの代わりに高橋幸宏が叩いてる曲などもあります。他、番組内でヘッドミュージックとして細野晴臣を挙げるなら、ミカバンドの加藤和彦にも触れないといけませんな。
@烏賊明太子実際、「更迭」ではないし、その表現、あまりに失礼ではないですか?達郎さんは当時はまだ、そんな立場ではないでしょ?ギャラの問題、自分の固定のバンドが欲しい思いからでは?
更迭という表現が相応しくなかったのは反省しますけど音楽性の違いでバンドメンバーを替えるのは一般的なことですね
孤独のグルメ書いてる人かと思った。
彼との出会いは1964年西宮の今津中学吹奏楽部からの接点があり僕も他校の吹奏楽部に所属していて今津中学吹奏楽部のコンサートを観に行った時に彼はホルンを吹いてました 彼と歳は二つ違いで彼の方が下でした
名指揮者朝比奈隆さんが今津によく来られ吹奏楽部に色々アドバイスをされていた頃です
又朝比奈さんのアドバイスでポンタ君がパーカッションに移行したそのきっかけで世界に誇る名ドラマーと歩んで行ったんです 正しくここで唯一無二のドラマーの誕生ですね
パーカッションになったきっかけは本人から聞けなかったですが・・・
当時今津中学吹奏楽部はコンクールでいつも金賞をとっていた吹奏楽の中学の部では日本一の名門校で名物指揮者の得津武史さんにポンタ君が練習の時に何度も何度も間違えるので罰としてニンニクを食べさせられたって本人は言ってました 食べた数は48個で次の日唇が腫れあがって大変だったと苦笑いしてました 又お母さんが次の日得津さんにクレームを言いに行ったのは爆笑ものです「うちの大切な息子に何するんですか」って・・・なかなかいいお母さんですね~
彼が東京で活動し始めた頃あるきっかけで色々話をした事がありその中で今津中学吹奏楽部出身と判明しました
当時の吹奏楽部の先輩が東京でドラマーとして大活躍している事も語ってました
その先輩にドラマーとしてのライバルむき出しの感じでした それが原因かは分かりませんがグングンドラマーとして第一線で活躍がはじまり世界の三指に入るくらいのドラマーとなって行ったんです
彼が叩くリズムからは他のドラマーでは感じない摩訶不思議な感覚が伝わって来ます 皆さんも僕と同じ考えの方々が多いと思います
ポンタ君が70年代からドラマーとして築き上げた色々な事は今後のドラマーは誰も彼の様に世界に誇る演奏家は出て来ないでしょうね それだけ想像を絶する凄い事をやったドラマーです
日本が誇る唯一無二の名ドラマーに心から感謝して拍手したいと思います ポンタ君のドラムからどれだけの多くの人が勇気づけられた事か・・数知れないですね
ありがとう 最高でした。
この手の話になるといつも思うのは・・・細野組、ポンタ組、サディスティック組などでてく来るんだけど・・・岡沢章+渡嘉敷組は?
その曲たらしめているのが歌っている人だけでなくミュージシャンにもあるという当たり前の事をあえて言わなければならないほど日本の音楽業界とリスナーの認識が乏しいことが恥ずかしいですが、生演奏のバンド主体でニューミュージックとフュージョンが全盛の素晴らしい時代があったことを誇りに思います。ポン太さんおつかれさまでした
なにこの良番組!ポンタさんが出会わせてくれた縁に感謝。合掌。
達郎さんの一流スタジオミュージシャンを集めてのレコーディング、スティーリー・ダンを思い起こさせる。
本当によかったです。ポンタさんのライヴを至近距離ライヴで堪能したことが2回。うれしかったです。
ポンタさんを知ってるつもりでしたが
更に凄みを知ることが出来ました。
感動しました👍
あの世で大村さんと楽しく話しながらゆっくり過ごしてください(;_;)
臼井さんて沼澤尚さんと演ってた人ですね!やはりドラマーの事を良く理解されていますね♫
ポンタさん、天国で松岡さんと又演奏を楽しんでください…合掌
九百億九百八十年忌ですよ。
ポンタさんから来たら、kinokoさんがいる!
レギュラー出演者です〜
この方素晴らしい解説だとおもいます。
この時期に配信、ありがとうございます。
限られた時間の中でたくさんの情報と目一杯の愛が詰まった論評で素晴らしい。
よく「はっぴいえんど史観」なんて言うけど、細野さんやポンタさん達はそんな安っぽいものではなく、話中にあるように「スタジオワークにセッション感覚を持ち込んで、よりフレッシュなサウンドを創った」ところが革命的に価値があった。
だからこそ、ミュージシャンとしての指向性の違いで高中さんとポンタさんは上手く行かなかった。(作品は素晴らしいけれども)
高中正義は自ら 「アドリブは出来ない」 と公言してますから即興自在のポンタさんと合うわけがありません。
@@力哉-l5t アドリブ云々というのも多少はあるかもしれませんが、高中さんは自分の楽曲のイメージが明確になるようなアレンジに強く拘る方なので、NYで流行ったヘッドアレンジでの録音スタイルに当時影響を強く受けていたポンタさんと合わなかったんですね。
ですから後年ナラダバンドを迎えてアルバムを作った際にもノークリック一発録りを好んだナラダと少々ぶつかったようですし、その後打ち込みだけで作品を作ったのもすべて自分でコントロールしたかったからだと語っています。
ちょっとポンタさんの話題とズレちゃいましたね、ごめんなさい!!
知らんかったわ🙇
So what!
As you like it
jazz?
Miles?
🥀😀🌱💙
ポンタさんのエピソードは色々見聞きするが
初めて聞く話題に興味深い
やっぱり曲はカットか
何かで聞いたか見たかだが
山下達郎は演奏性の違い(ビート感グルーブ感とか云々)でポンタさんを更迭し
青山純を迎え入れたんでしたっけ?
確か達郎の肉声で聞いたような、ソースを探してみます
その辺の細かい当事者間の事情は分からないですね〜。
かつてラジオで達郎さんは単純にギャラの問題だと言ってましたよ。
ツアーで長期間ポンタさんを拘束することが難しいとのことでした。
その番組をUA-camにアップしている方がいました。
ua-cam.com/video/LVDqwf41UV8/v-deo.html
2時間20分辺りから聴いて下さい。
単純に 「多忙の極み」 だったのですよ。YMOにしても、「忙しかったんでユキヒロ (高橋幸宏) に振った」 と言ってましたし。松任谷由実のドラムは林さんメインでした。が、ユーミン、達郎において林さんやポンタさんの代わりに高橋幸宏が叩いてる曲などもあります。
他、番組内でヘッドミュージックとして細野晴臣を挙げるなら、ミカバンドの加藤和彦にも触れないといけませんな。
@烏賊明太子
実際、「更迭」ではないし、その表現、あまりに失礼ではないですか?
達郎さんは当時はまだ、そんな立場ではないでしょ?
ギャラの問題、自分の固定のバンドが欲しい思いからでは?
更迭という表現が相応しくなかったのは反省します
けど音楽性の違いでバンドメンバーを替えるのは一般的なことですね
孤独のグルメ書いてる人かと思った。