【江戸の文化】女子旅には危険がいっぱい?【ゆっくり解説】
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- Опубліковано 9 лис 2024
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/ @偉人はつらいよ文化歴史紹
今回は江戸の文化ということで女性の旅行事情をご紹介します。
楽しんでいただければ幸いです。
前回 お江戸の旅行事情の動画
• 【江戸時代】当時、旅行が流行りすぎてヤバいこ...
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#偉人はつらいよ #ゆっくり解説 ゆっくり 女子旅 江戸の旅行事情
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ご視聴いただき有難うございます。
今年は中々旅行に行きにくくて残念ですね。
早く元に戻ってほしいものです。
毎回、楽しく、面白いので、見入ってしまいます。勉強になりました。😆💞
地元住民は一々迂回して関所を通っていられなかったので、役人の目の前でなければ黙認されていましたよ。見つかっても道に迷ったんだろうと戻されるだけ。そこで地元の住民に金を払えば関所破りの手伝いをして貰えた。同じ金森敦子氏の「きよのさんと歩く江戸六百里」に詳しいですよ。
『0120破ろう関所』
『0120 826』までは良かったけど、『関所』がどうしてもハマらなかった😅
関所破りは重罪、ですが・・・役人も人間。
関所破りをした人間だからといって無暗に命を奪いたくはないし、あと手続きが非常に面倒。
というわけで『藪入り』といって、「いやあ、関所を通ろうと思ったんだけど、うっかり薮に迷い込んでしまいました、てへ♡」
と言い訳すれば、「迷ったなら仕方ないね、次から気を付けてね」と言って、たいていは見逃してくれたようです。
ですから、関所破りで磔になった人数は実はそれほど多くなく、死罪になった者も、明らかに指名手配されている犯罪者や、ど
こからどう見ても不審者といった類の者が殆どだとか。
ちなみに女性が関所を嫌がった最大の理由は、身体検査。
身体検査は当然、女性の係員が行うのですが、これが非常にセクハラじみていたようで、わりと性に対しておおらかだった当時の
価値観でもやりすぎだと大不評だったようです。
宿場町が関所破りを売りにしていたことですが、実は彼らは関所の役人とも繋がっていて、金を払わずにやり口を真似て関所を抜
けようとする旅人を、役人に通報して捕まえさせるという嫌がらせも行っていました。
もちろんですが、旅人から受け取った報酬の何割かは、役人の袖の下に・・・。
こんなに入念に嫌がらせの様に厳重にしてたのに、結局フラストレーション溜まった薩長にぶっ潰されてワロタ
勝小吉!最近『夢酔独言』を読んだばかりだったので、なんだか嬉しくなりました。
武士の人質制度は江戸時代だけじゃなくほぼ伝統でしょ?
女性の旅行は実は鎌倉時代にもよくあったりする、もちろん治安の悪い場所があるのでどこでも彼処でも歩くわけではない。これは男も一緒。
江戸の女子旅といえば、小田宅子(高倉健のご先祖様)の「東路日記」を基にした田辺聖子さんの「姥ざかり花の旅笠」が面白かったです。
江戸も後期とはいえ、アラフィフのおかみさん達が福岡から長野まで大旅行。今と変わらぬ女性のバイタリティに感心です。
0120破ろう関所に 吹いたw~😆
有難うございますΣd(≧ω≦*) グッ
箱根の関所で、おたまって少女が関所迂回して突破したらつかまって斬首だったっけ?
その首を洗ったのがお玉が淵とかいう・・・
入り鉄砲の出女ってのは聞いたけれど、抜け穴ってのは自然と出来た様だね。甘い審査ですね。何時の世でも、違法なのは有るんですね。強かでは確かに有るんだが、地球規模でも女性は安全に旅が出来たってのは、明治に成って訪れたヨーロッパの何処かの女性の伝聞は聞いたんだけどね。
とても勉強になりました。関所破りをしても旅をしたかった。関所を通らないでも安全な道を案内する専門家がいた。場所によっては宿場ごと。とても面白かったです。
紹介されていた本も図書館で探そうと思います。次は渋沢栄一さんとのこと、尊敬する偉人の一人です、楽しみです。と言うか、テーマがいつもの興味深いので、アップが楽しみです。
いつもご感想いただき有難うございます。
伝えたいことを伝えれたようで嬉しいです。
potu potuさんのご感想はいつも動画作成の励みにさせていただいております。
関所前の宿に女が集まってて通過しなくても怪しまれなかった問題は
ちゃんと宿の人たちは関所の人たちに心づけを渡してたそうです。
お互いにwin-winな関係だったようです。
ご感想いただき有難うございます。
なるほど、流石にどう考えてもおかしいですものね(笑)
関所の関守もわかっていて見逃していたのですか。
そりゃあ案内があればフリーパスなわけですね(笑)
@@偉人はつらいよ文化歴史紹 形式的には案内役の使用人という形で通ってたようです。ただこれもかじった知識だから事実かどうかはわかりません。
ただ普通に考えて関所の役人なども世襲なのですからお互い利益になるように
するのは当然の成り行きな気はします。そもそも厳しい関所も実は別な関所に抜けさせるために
わざと厳しくしていたのかも知れません。想像ですけどね。
ローマ人が法は大事だけど法律をあまりに厳格に適用するのは返って弊害があるというような格言を
残してましたがまさしくそんな感じですね。
@@KOME1990 様
なるほど、確かに厳しくしすぎるとかえって問題が起こるとはよく聞く話です。
興味深いお話を有難うございます
@@KOME1990 臨時の下働き。という体で通ったのは本当です。当時は、庶民でも農民でも中流の人は荷物持ちの下男か下女を連れて歩くのが普通でした。医者は薬箱持ちの見習いを、産婆も迎えか案内人を立てました。なので「臨時の雇い人」という言い訳も通用しました。
勿論、その人物が実は・・・という話になれば、雇い人(案内役)は関所破りの片棒として本人も家族も処罰を受けました
大江戸泉光院旅日記とゆう本があります。1度読んで、1812年に宮崎県の佐土原とゆう地から、山伏が約2年かけて、日本中を旅した日記です。その中で80過ぎたおばあさんが、2年かけて佐土原から四国八十八箇所を巡って無事帰ってます。泉光院の話では、関所は、ほとんどチェックなしで通過出来たみたいです。一番厳しいかったのは薩摩藩で薩摩藩に入ると役人が1人ついて自由な行動が取れなかったそうです。長崎では知り合いのつてで出島に行って中国人と漢字を使ってコミニケーションをとったと書いてありました。関所の話かなり盛っていうます。伊勢神宮の式年遷宮には、当時の人口の6人に1人が伊勢神宮に行ったそうです。日蓮宗は閉鎖的なので、平賀源内がタコを使って、御札撒いたのは有名な話しです。
ご感想をいただき有難うございます。
やはり場所により全然違うようですよね。
しかし薩摩が厳しいとは興味深いですね。
11:03おそらくですが、役人もグルになって宿場から袖の下を受け取って見逃していたのかと。役人としてもよほどヤバい旅人とかで無い限り、一々女性を徹底的に調べるのはめんどくさかったと思いますし、、、
ご感想をいただき有難うございます。
そうですね。いかにも江戸っぽいです(笑)
十分にあり得るでしょうね。
俺もちょっと迂回したら関所抜けられるのと思ってましたが。ブラタモリを見て長年の謎が解けました。箱根の関所は北は甲州街道の関、南は太平洋の海岸まできっちり柵と警備のもので巡回されていたようです。それでも強行突破・・・という考えに至らないのは、実はそこまで厳しくゲートチャックをしていないかったから。女性の手形も発給者の信用で左右されていました。チェックされていたのは武家の女性だけですから、入り女に関しては関所も素通りできます。そもそも規制対象は「大名の妻子」ですから。人数なんて限られているんです。
出女への審査が厳しいのは人質もあるけど、現実的には誘拐や人身売買への警戒があったようですね。ちなみにいざ身分の高い女性が関所を通る時は、改女はおろか奉行も顔すら見ることは許されず、平伏する奉行の前で輿の御簾を少しだけ開けることで形式上改めたことにしていたそうです。
お伊勢さんが1番の難所だったかも知れないね。橋を渡る女を見て、1人旅だと目を付けたら大抵は攫われて女郎にされたらしいからね。
補足ですが、実際の女性のみの旅はかなり少なかった様です。
関所だけでなく、野盗問題や化粧品等荷物の増大、生理等体調管理を含め、荷物運搬兼警備として男性が随行する事が多かった様です。
入り鉄砲と出女ってヤツだっけ?大名の奥方が逃げないようにするやつ
関所やぶりって普通だったんですね。
女性に対して、どんな取り調べだったか気になりました
庶民は殆ど素通り。武家の場合は、浪人でも一寸厳しい。特に女子供。大概は手形の発行者を見られて、信用度で左右。あと、江戸に向う旅より出る旅の方が厳しかったそうです。
当時は庶民の話言葉と武家の話言葉が違う。侍でも、上級と下級、江戸藩邸詰めと国侍も話し言葉も訛りも違う。
なので受け答えをすると大体の身分がしれました。
コレが怪しい(受け答えと身なりが合っていない)となると、別室で詮議。詮議は老婆がしましたが、髪を解かれ、丸裸に鳴るように言われて前後の穴の中まで詮議したとか。
当然言い争いになる。興奮して地の言葉が出てくるわけです。
@@colocalo100 ありがとうございます
昔観たテレビで関所を通るのが女性だったら女性が調べるけど袖の下(賄賂)を渡さないと手形を持っていても中々通してくれないと言うのを観ました。
動画を観ると、それも関所によるんでしょうね
ご感想いただき有難うございます。
おっしゃる通りで、江戸時代には主要な道だけでなく少しそれた道にさえ関所がありました。
関所を管理している責任者もそれぞれ違いますので、厳しく調べるようにとはされていましたが、実際の女性への対応はかなりばらつきがあったようです。
@ひろあん 言われてみれば関所の役割する所は今でも世界中にありますね
幕府公認以外でも、反抗忍の関所などもありました。江戸の町中の木戸も、一種の関所ですしね。
通行許可は「コイツは悪さをしないだろうと保証する」と言う意味がありますから、藩や関所によって対応にばらつきがありました。
余り厳しくすると「○○関所(藩)は何か企んでるのでは?」と目を付けられます。
万一関所を通した相手が悪さをした場合、「△△関所の役人は何をやってたんだ」と責任問題になります。
そのせめぎ合いで時代や事情によって対応が変わりました。
代替わりの時には幕府から密偵が入るのが通例ですから、代替り前後や藩主が危篤となると関所のチェックが厳しくなりました
他にも幕府から流罪人を受け入れた場合、重要人物の滞在時も厳しくなったそうです。(奪還や暗殺が領内で行なわれると面目丸潰れで責任問題になりますしね)
現代でも、京都御所や那須御用邸等に皇族方が来られた場合。駐禁取り締まりが厳しくなったり、夜間通行者への職務質問が増えたり。という事例があります。
オウム真理教の幹部が拘置所に分散移送されたときも、各拘置所周辺の取り締まりが厳しくなりました
関所事情なんてのも調べてみようかな
次回は渋沢栄一か。すごいけど地味な人だよな
あとお札も中国札の偽物っぽくてなんかな
参考までに言わせて貰えば、江戸の人口が100万でして女性の敵と言えば、、、いつの時代も権力者でしょうね
お教えいただき有難うございます。
女性の敵ですか。
パッと痴漢が思いついてしまいました。
色々なことに気を配らなければならない女性、それでも旅をした彼女たちはたくましいですね。
関所が女性に厳しいって言っても、いちいち全ての女性に時間を掛けて調べることは少なかったのでは? 人通りの多い関所だと大変な作業になりそうですし。
容姿や髪型、振る舞いなどで武家の子女かどうかは誰にでも判るでしょうから、足止めを食うのは武士階級の女性や奉公に出るなどしてきちんと教育を受けて武家女性と変わらないくらいキチンとした人くらいなイメージがあります
女性のひとり旅ができたのは、宗教的な意味で中世は欧州も中東も夢のまた夢で、近世は治安的な意味で全てを捨てる覚悟が必要。
女性のひとり旅が可能だったのは、江戸の日本か、古代ローマくらいだったようですね。古代ローマでにはブリタニア(イギリス)からシリアまで旅した女性の記録があるそうです。
そして、江戸とローマの共通点、それは…… 魚(&醤油)好きで温泉好きということ。ローマ人は平たい顔族と感性が似てたんでしょうかね
ご感想をいただき有難うございます。
なるほど、ローマも治安が良かったのですか。興味深い共通点ですね。
しかし平たい顔族(笑)
久しぶりにテルマエ・ロマエを思い出しました。
良く知らないんだけど、通行手形って、誰が発行してたんだろう? 現代みたいに、役所印の押してあるって感じでは無くて、ホボ手書きじゃん? 云わば、書き物が出来る人間なら、誰でも作れるんじゃって思った。
確か、関所でも、手形が無くても通れる人たちがいたって聞いた事が有る。
相撲取りと旅芸人、これらの人たちは、退屈してる関所役人に、相撲と芸技を見せる事で、関所と通してもらえたって、どこぞで聞いた様な。
実際、どーーーだったんだろう?
人質って洋の東西を問わずに領主間の信用担保として行われてたし戦国時代なんて同盟や主従関係においてすごい重要だった
それに人質を預かる方も責任をもって預かるわけで(なんかあったら外交問題だし)江戸時代なんて江戸にある自国の大使館に住んでるようなもん
今の感覚とは全然違うものじゃね?
子供の頃、遠足で関所跡にいったら、近所の人など、毎日往来する人は例外として顔パスとなる。の記述に該当者の例が記述されていた看板が立っていたのですが幼すぎて何処の関所だか思い出せませんwその他に吟味する役人が「さがれ」(もう行って良い)という言葉を「通過しちゃダメ!来た道を引き返せ」と勘違いして引き返した一行が張り付けになった絵も展示されていたのですが帰宅後父親に看板で読んだ「さがれ」事件の話をしても信じてもらえませんでした。どこの関所だったのか・・・(関東であることは確かです)
ご感想いただき有難うございます。
私もどこの場所なのかはわかりませんが、そのような関所跡があるのですね。
観光地化されているのでしょうかね。
浜松の気賀関所ですかね?
昔国営放送で、地元の人は専用の手形で通行可能。とやってたのが、そこだったかと
皆様、混乱するような発言をして申し訳ありません。子供の時の勘違いの可能性も含め、当時の知人と話し合ってみる等を含め長い目で調べてみようと思います。ネットで調べても出てこないので、子供の時に学校行事等で行った関所群やあるいは歴史資料館的な施設を時間をかけて巡って調べてみます。甲信越を含まない関東地方なんですが・・・
@@nekota5967 混乱より、皆さん興味津々なんだと思います。私の親の郷里にも昔の番所跡がある場所がありました。今は区画整理でありませんが、地元民は顔パスだったそうです。何しろ、門の外に田畑があるので。ただ、藩の一大事(藩主や子息の不幸時)や朝廷の使いの通行時などは外出禁止→出入りが厳重になったそうです。
藩全体が喪に服すときは、番所も扉を閉じて地元民も基本的に通行禁止。
農民が農作業に出るなどの場合は、病人のために医者を呼ぶ、等は許されたそうです。
幕府は隠密を忍ばせていて、その出入りを制限する。という意図もあったのでしょうね
サラッと言ってるけど勝小吉とは勝海舟の親父。
ご感想いただき有難うございます。
今回の本には勝海舟の父親だという記載がなかったので、名前は同じですが同一人物なのかはちょっと不明です。同一人物だったら凄いことなのですが。
@@偉人はつらいよ文化歴史紹
評伝では小吉はかなり破天荒な人物だったようだから可能性は高そう。
ほほう!そうなのですか!
もし本人だとわかっていればもう少しじっくりと取り上げていました(´;Д;`)
確か12~13歳頃のエピソードですね
勝海舟の父親で合っていると思います。
@@食器洗い 確か、14(数え)。本年齢だと12-13。本人が後年書いた回想録にも載っているエピです
最近、見つけました。楽しく拝見させてもらっています(^^)
嬉しいご感想いただき有難うございます。
私の方こそ、これからもよろしくお願いいたします。
いつも楽しく拝聴しております
勝小吉は勝海舟の親父の?
だとしたら、あんな剣の達人がゴマの灰にあうなんてすごいね
大変うれしいご感想いただき有難うございます。
勝小吉と書いてありましたが、その本にはそれ以上の言及がありませんでしたのでたぶん違う人物だと思います。同じ人物だとしたらとってもドラマチックで素敵ですけれど、どうでしょうね。
その勝小吉さんであってます。『夢酔独言』に本人が書いています。
14歳で家出。上方を目指します。箱根の関所を通るときに、旅人から教えられてお金で手形を手に入れる。
浜松で宿に泊まったときに、その旅人に身ぐるみ取られてトンズラされる。
宿の主人が気の毒がって、柄杓をくれました。それで<おかげ参り>になった。
乞食の親分に助けられたり、伊勢の御師の宿に泊まったり。賭場で擦ったり。乞食に戻ったり。道々色々な人に助けられて上方に行きます。面白いですよ
関所によっては、夜間交通できるような裏口(?)を設けているところもあったそうです。
『犬のための道』で低い位置に穴を開けてむしろで覆っていたとか。
通るときは、筵をくぐり、四つん這いで這って通る。役人も見て見ぬ振りをしていたとか。
潜るときは、目的地に尻を向けて通る(後ろ向きに這って通る)のが習わしで、万一何かで(外部の役人に)見つかって詮議されたときも、入ろうとしたのではなく、出ていこうとしたのだ。と言いわけして、放逐される(目的地に放り出される)寸法。
地元民に案内された旅人もそっと通っていたそうですが、身分の高い人は、這って通るのを嫌がり、時間が掛かっても昼に撮ったそうです。
関所は夜に通れない決まりにはなっていましたが、『夜間でも通れる正統な用事』と言うのが認めれていて、役人に頼んで通ることができた。・・・役人はそんなのに付き合ってられませんから、次第にそうなった。という話もあります
※出産による産婆の迎え、坊主や医者とその従者の通行。火事(火消し)の応援や、親族への危篤の知らせ。自然災害の通報等
危険性と旅行を天秤にかけて旅行を取れるくらいには安全だったわけか?
主要な場所から観光地に行くだけとはいえ当時からすればかなり治安が良かったのかな?
ご感想いただき有難うございます。
江戸時代に入ってから、かなり治安は良くなったみたいです。
江戸以前はとても女性だけでの旅行など考えられなかったとありました。
ただ、以前より安全になったと言ってもやはり危険はあり、男性に同行してもらう女性も多かったようです。
偉人はつらいよ!エピソード紹介チャンネル
それはそうですよね
基本的に男性連れか女性だけでも複数で行きますよね
女性一人で安全に旅行できるのは最近ぐらいなもんですよね
1人旅はさすがに少なかったようですが、それでも中には1人で旅にでる猛者の女性もいたとありました。時には自分の体を売り旅費を稼ぐこともあったそうです。
スゴイですよね(笑)
丁寧な動画作成、ほこってどうぞ。
大変嬉しいご感想いただき有難うございます。
そう言っていただけて作ったかいがあったというものです。
重ねてお礼申し上げます。
どのような社会体制にも、抜け道はあるものです。
ご感想いただき有難うございます。
そうですね。人間が作って運用する以上何かしらの抜け道はあるものですよね。
江戸時代の人たちは強引にというだけでなく、上手にお上とバランスを取りながら抜け道を探している感じがしてとても面白いです。
茶番多めの今回みたいなの、ゆっくり動画として好きです。でも内容はシッカリさん。
ほら、肉だけドーン!のステーキもイィですが、そこに添え物あっても肉は損なわないし、お野菜も嬉しいし…みたいな?
饅頭に茶は合うものです。日本の時代物なら尚更。
ご感想をいただき有難うございます。
饅頭にはお茶が合う!?Σ(・□・;)
始めてききましたが素晴らしい名言ですъ(゚Д゚)グッジョブ!!
でも実は茶番の方が作るのが大変というのは内緒です(笑)
今なら半額…🤭おもしろい✨
全シリーズ 😃イッキ見しちゃいそう
勝 海舟のお父さんでしょうか?💫
伊勢まで行かなくとも箱根をエンジョイして帰ってくるのではダメなのだろうか(笑)
二人のキャラが可愛い。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
あんまみーやってARIAかな?もっと別に元ネタあるんかな。懐かしくて笑った
ご感想をいただき有難うございます。
ARIAですね(笑)
ネタを分かっていただける方がいらっしゃって嬉しいですΣd=(・ω-`○)グッ♪
犬に、お伊勢参りを託したという事もあったと聞きましたが・・・
どうなのでしょうか?
ご感想をいただき有難うございます。
そんなお話もあるようです。
だた私もまだ見つけることが出来ていませんので、見つけれたら動画にしたいですね。
うちの地元にも残ってますよ。当時は各宿場の出入り口近くに伊勢の御師の御師宿(町)というのがありました。
伊勢参りの宣伝を行ない、伊勢へのお参りの便宜を図る宿で、伊勢講の人は安く泊まれます。
犬の伊勢参りはその御師宿で保護して食事を与え、手紙と銭(御札代金)を回収。御札を包んで放酢のが習わしだったとか。
御師は伊勢の神宮と手紙や行き来のやり取りをしますから、願文はその時に伊勢に送り納めたそうです
所がである、本街道の関所よりも厳しい番所は存在していたのだw
勝小吉の場合、そもそも借金踏み倒しの観光旅じゃねぇかw
ご感想いただき有難うございます。
本街道よりも厳しいって、そこの関守さん気合入れすぎですね(笑)
勝小吉はその後、大物になっていそうです(笑)
関所の役人は、当時の武士としてはかなりハードな仕事で、休みも城勤めの武士に比べて少ない。それどころか領内の農業、治水などを
管理する郡奉行の部下よりも仕事がきついって記録を見たことがある。郡奉行の部下が忙しくなるのはとコメの収穫時期、ちょうど台風
のシーズンと重なるから、この時期はブラック企業並みに働くが、後はイージーなホワイト企業。それに対して関所は女旅行者の検査が
めんどくさかったらしい。西洋みたいに男が女をひん剥いて身体検査するのは駄目。関所婆って女専門の検査官がいて検査したから女の
裸身てムフフなんて役得も一切なし。検査が終わるまで外で立ちっぱなしで警戒って誰得モードの連続だから女性の旅行者は迷惑ってこと
で場所によっては半ば公認の女専門の関所破り業者(宿屋や付近の農民)がいて、手数料を関所役人に支払っていたそうだ。
ご感想をいただき有難うございます。
なるほど、女性旅行者もいやだけれど、関守も嫌がっていたとは興味深いお話です。
女性には女性の検査員がつくあたり、当時の日本には現代に通じる常識があるな。
ちょうど今日空港の手荷物検査を通るのですが、奴隷か貼り付けになると考えるとバッグの中をもう一度確認しようと思いました。
次回は渋沢栄一をやってくれるんですね!
ありがとうございます😊
いつもご感想有難うございます。
ゴマちゃん大好きさんが奴隷になってしまっては私も困ってしまいますので、空港破りなどはなさらないようにしてくださいね。
渋沢栄一はやらせていただきます。
調べれば調べるほどスゴイ偉人で私の方こそ教えていただき感謝しております。
吉田松陰の処刑も
この関所破りの延長らしいし多少はね?
なお勝小吉
「箱根でキン○マを片方潰したけど倅こさえたぞ」
勝海舟「野良犬に噛まれて片方のキ○タマを親子二代で潰したぞ」
入鉄砲に出女
女子旅・・・女子会・・・いったい、いくつまでが女子なのか・・・?
いつもご感想いただき有難うございます。
その議論は大変な危険を伴います。
私には荷が重いですので、他の偉い人にお任せします。
50歳なかばから自ら「ばば会してくる」という輩がいます
女子という語は女の人、という意味。これを女の子、と思わせたのは明治以降。男子だって「男子たるもの…」と言う時は男(大人メイン)でしょ?女子会にかみつきたがる人はどうなの。女子トイレは子ども専用か?
確か、孫も居る大店のご婦人が思い立って女子会旅行した記録が・・・。金沢の方だったかな?
因みに、明治以前の女子とは、産まれてから死ぬまでです。男子も生まれてから死ぬまででした。
昔から女はしたたか【図々しい】という事だね