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前に美術手帖でも言ってたけど自分にとってすごく刺激的ですよ。とてもわかりやすくて興味深い内容です。独自の見方があったからこそ19世紀にジャポニズムが起こったのかもしれない。西洋にはない見方や考え方が当時はあったんだろうな。
この視点は言われれば理解できるけど、猪子さんは誰に言われたわけでもないのに気づけただろうからスゴイと思う。
衝撃的。しびれるおもしろさ。思考の深さがすごい。
すごい 文化の連続性についてこんな納得できた時もない
たしかにゲーム史を振り返ってみると、横スクロールやベルトスクロールのメガヒットタイトルは日本が生み出していて、それが古くからの日本人の空間認識が影響している、ということはあるかもしれない。それはそれとして、現代的な新しい空間表現を可能にする300人もの組織を作り上げたことがすごいし、実際作品も素晴らしいと思う。
You prolly dont give a damn but does someone know of a method to log back into an Instagram account?I stupidly forgot my password. I appreciate any assistance you can give me
こんなに衝撃を受けたのは久しぶり。とても感動した。
わかりやすくて、天才的。
全字幕にしましょう!是非!絶対いい事言ってるし!
僕らに馴染みのあるゲームにも様々な空間認識のタイプがあるんだとハッとさせられた。西洋と東洋の空間認識の差異を対比させながらその結果が生んだ現象、その先に見えるものを類推する思考はとても面白い。
全く、その通りだと思います!文化こそ究極的な競争優位性であるといえます。
すげぇわくっそ面白い!もっと聴きたい
メッセージというSF映画の一解釈として、過去現在未来を俯瞰できる様になる言語体系がある。歴史や物語を連続させながら同一画面に展開出来る大和絵。なにか繋がりを想像して愉しい。
とても良くわかりました。ありがとうございます。
やまと絵のような図法は、西洋にも昔からあるんよ。アクソメトリックとかアイソメトリックとかいう図法が。ほかに二軸図法diametryとか三軸図法trimetryとか...軸測図法といって古くから機械設計、土木計画、地図製作等で使われている。建築設計の世界で普及するのは18世紀になってからだが、似たような図法はダヴィンチの時代にも見られるし、16世紀半ばのPirro Ligorio(イタリアの建築家)の絵など、古くから西欧にも多く見られる。この程度の基礎知識は、大学で建築とか機械設計を学んだ人なら知ってるはず。借景とかレイヤーの概念、境界概念についても、建築界隈なら理論系の書籍や論文上で何十年も前から議論されつくしていること。なので猪子氏の話に、新しいところは何一つ感じない。むしろ、メディアデザインやIT界隈では、いまさら、それらを後追いして新しがっていたのかよ? というくらいの感想。ゲーム画面との比較は、それなりに(当時の)「いまどき」視点で面白いとは言え...それから、ベルサイユ宮の庭のような軸性の強い都市構造の最も顕著な特徴は、幾何学的な「対称性」にあるのであって、あれは消失点(透視図のvanishing point)が一つしかないパース(遠近図法)的な空間認識に基づいて考えられているというよりは、むしろ俯瞰図的な(2次元地図的)視点で描かれたものであることは、定説となっている。ルイ14世のころのパリのアーバンプランニングの歴史を調べたらわかることである。なので、日本 (やまと絵のような軸測図的視点やレイヤー的描出)vs 西欧(遠近法的視点)という設定は、我田引水的なこじつけにしか聞こえない。実際、東欧やイタリアのバロック都市の都市構造などにあっては、パース的な単一焦点の視点や、ベンサムが概念化したパノプティコン的な視覚構造から最も遠い、多焦点構造やレイヤー構造、不規則な群配置の手法が顕著である。有名なピラネージ版画でもレイヤー的な重層視覚のコンセプトは見られるし、もっと古くは影絵や幻灯機のデザインなどにも見られる。逆に本邦については、北斎の版画にもパースで描かれたものはあるし、竜安寺の石庭のように俯瞰的視点から逆算して設計された空間もあるし、桂離宮や伊勢神宮のアプローチ空間のように遠近法的視点から逆算して設計されたものもある。東大寺みたいに複数の建築が分散配置された寺社の境内を歩くときには、複数のパース的視覚構造が組み合わされ、それらが織りなすレイヤーの級数や焦点深度が、人の移動に合わせて変化するようなバロック都市的な空間体験もできる。つまり、一概に日本/西洋 で切り分けられないのである。
コロナで本当に人と人との出会いまでまた、施設で働く中タッチケアも遠のく中、人と人との出会いがやはり大事でそれを感じました。三加茂の大楠にチームラボの作品が現れたらと思う私です。
建築の平面計画において今まで感じていたズレと違和感の要因なのかもと感じた。ありがとうございます。一つ越えられるかも、頑張ろう。
個人的な主観と全体を見渡す視点の違いは、そのまま文化の違いや思考パターンそのものに影響しているということかー。宗教観もそう。とても面白い。
猪子さん、大丈夫です。とてもわかりやすいです。
ものすごい面白いプレゼンなのに観客がついてこれてないような気がする。
確かに!歌舞伎とか見てると正にレイヤー。
猪子氏ガンバレ! 興味深い話。脳による合成ってあると思う。ルネッサンス初期に遠近法が発明されたというこ自体、凄い不思議なこと。西洋パースペクティブが唯一真理ではないこと、そう思う。日本発のIITとアートの融合、期待してます。
主観と俯瞰、個人中心と環境中心の違いかなー。
"edge"のある世界観の話。
すごい面白い。でも、もっと話が上手かったらなぁ…
これ浮世絵の遠景近景というレイヤー分けと日本人の空間認識という話しをベースに、そう見えるような映像作品を作って行ったように感じる、、、江戸の人々がレイヤーで空間を認識していたのではないか云々というのはどちらかというと木版画の描画手法の発展と絡めてスマートに考察するべきテーマな気がしてあんまり面白いと思えない、、、あまりにも科学的に考え過ぎで泥臭さが足りないというか、、、。
猪子さんTED向いてねぇーww。ニコ動とかラフに話してる時の方がいいな。この人は感覚の人だからな。
ピカチュウのあの事件がなかったら…もっと早くに日本人に受け入れられたのでは…
温故知新。
くちゃくちゃ口の音入れないでほしい
日本語を毋語としない人の日本語のプレゼンみたいだなw
全くもって腑に落ちない。モナリザと、同じような人物画を比較するならまだしも大和絵と比べてはいけない。ドラクエの例は日本人の空間認識(仮)とは関係ない、多くの人はあれを単なる俯瞰のイメージとして受け入れているのでは?
日米のゲームの歴史を調べれば?
よく気づくな。
前に美術手帖でも言ってたけど自分にとってすごく刺激的ですよ。
とてもわかりやすくて興味深い内容です。
独自の見方があったからこそ19世紀にジャポニズムが起こったのかもしれない。西洋にはない見方や考え方が当時はあったんだろうな。
この視点は言われれば理解できるけど、猪子さんは誰に言われたわけでもないのに気づけただろうからスゴイと思う。
衝撃的。しびれるおもしろさ。思考の深さがすごい。
すごい 文化の連続性についてこんな納得できた時もない
たしかにゲーム史を振り返ってみると、横スクロールやベルトスクロールのメガヒットタイトルは日本が生み出していて、それが古くからの日本人の空間認識が影響している、ということはあるかもしれない。それはそれとして、現代的な新しい空間表現を可能にする300人もの組織を作り上げたことがすごいし、実際作品も素晴らしいと思う。
You prolly dont give a damn but does someone know of a method to log back into an Instagram account?
I stupidly forgot my password. I appreciate any assistance you can give me
こんなに衝撃を受けたのは久しぶり。とても感動した。
わかりやすくて、天才的。
全字幕にしましょう!是非!
絶対いい事言ってるし!
僕らに馴染みのあるゲームにも様々な空間認識のタイプがあるんだとハッとさせられた。西洋と東洋の空間認識の差異を対比させながらその結果が生んだ現象、その先に見えるものを類推する思考はとても面白い。
全く、その通りだと思います!文化こそ究極的な競争優位性であるといえます。
すげぇわ
くっそ面白い!
もっと聴きたい
メッセージというSF映画の一解釈として、過去現在未来を俯瞰できる様になる言語体系がある。歴史や物語を連続させながら同一画面に展開出来る大和絵。なにか繋がりを想像して愉しい。
とても良くわかりました。
ありがとうございます。
やまと絵のような図法は、西洋にも昔からあるんよ。
アクソメトリックとかアイソメトリックとかいう図法が。
ほかに二軸図法diametryとか三軸図法trimetryとか...
軸測図法といって古くから機械設計、土木計画、地図製作等で使われている。
建築設計の世界で普及するのは18世紀になってからだが、似たような図法はダヴィンチの時代にも見られるし、16世紀半ばのPirro Ligorio(イタリアの建築家)の絵など、古くから西欧にも多く見られる。
この程度の基礎知識は、大学で建築とか機械設計を学んだ人なら知ってるはず。
借景とかレイヤーの概念、境界概念についても、建築界隈なら理論系の書籍や論文上で何十年も前から議論されつくしていること。
なので猪子氏の話に、新しいところは何一つ感じない。むしろ、メディアデザインやIT界隈では、いまさら、それらを後追いして新しがっていたのかよ? というくらいの感想。
ゲーム画面との比較は、それなりに(当時の)「いまどき」視点で面白いとは言え...
それから、ベルサイユ宮の庭のような軸性の強い都市構造の最も顕著な特徴は、幾何学的な「対称性」にあるのであって、あれは消失点(透視図のvanishing point)が一つしかないパース(遠近図法)的な空間認識に基づいて考えられているというよりは、むしろ俯瞰図的な(2次元地図的)視点で描かれたものであることは、定説となっている。ルイ14世のころのパリのアーバンプランニングの歴史を調べたらわかることである。
なので、日本 (やまと絵のような軸測図的視点やレイヤー的描出)vs 西欧(遠近法的視点)という設定は、我田引水的なこじつけにしか聞こえない。
実際、東欧やイタリアのバロック都市の都市構造などにあっては、パース的な単一焦点の視点や、ベンサムが概念化したパノプティコン的な視覚構造から最も遠い、多焦点構造やレイヤー構造、不規則な群配置の手法が顕著である。
有名なピラネージ版画でもレイヤー的な重層視覚のコンセプトは見られるし、もっと古くは影絵や幻灯機のデザインなどにも見られる。
逆に本邦については、北斎の版画にもパースで描かれたものはあるし、竜安寺の石庭のように俯瞰的視点から逆算して設計された空間もあるし、桂離宮や伊勢神宮のアプローチ空間のように遠近法的視点から逆算して設計されたものもある。
東大寺みたいに複数の建築が分散配置された寺社の境内を歩くときには、複数のパース的視覚構造が組み合わされ、それらが織りなすレイヤーの級数や焦点深度が、人の移動に合わせて変化するようなバロック都市的な空間体験もできる。
つまり、一概に日本/西洋 で切り分けられないのである。
コロナで本当に人と人との出会いまでまた、施設で働く中タッチケアも遠のく中、人と人との出会いがやはり大事でそれを感じました。三加茂の大楠にチームラボの作品が現れたらと思う私です。
建築の平面計画において今まで感じていたズレと違和感の要因なのかもと感じた。
ありがとうございます。一つ越えられるかも、頑張ろう。
個人的な主観と全体を見渡す視点の違いは、そのまま文化の違いや思考パターンそのものに影響しているということかー。
宗教観もそう。
とても面白い。
猪子さん、大丈夫です。とてもわかりやすいです。
ものすごい面白いプレゼンなのに観客がついてこれてないような気がする。
確かに!
歌舞伎とか見てると正にレイヤー。
猪子氏ガンバレ! 興味深い話。脳による合成ってあると思う。ルネッサンス初期に遠近法が発明されたというこ自体、凄い不思議なこと。西洋パースペクティブが唯一真理ではないこと、そう思う。日本発のIITとアートの融合、期待してます。
主観と俯瞰、個人中心と環境中心の違いかなー。
"edge"のある世界観の話。
すごい面白い。
でも、もっと話が上手かったらなぁ…
これ浮世絵の遠景近景というレイヤー分けと日本人の空間認識という話しをベースに、そう見えるような映像作品を作って行ったように感じる、、、江戸の人々がレイヤーで空間を認識していたのではないか云々というのはどちらかというと木版画の描画手法の発展と絡めてスマートに考察するべきテーマな気がしてあんまり面白いと思えない、、、あまりにも科学的に考え過ぎで泥臭さが足りないというか、、、。
猪子さんTED向いてねぇーww。ニコ動とかラフに話してる時の方がいいな。この人は感覚の人だからな。
ピカチュウのあの事件がなかったら…
もっと早くに日本人に受け入れられたのでは…
温故知新。
くちゃくちゃ口の音入れないでほしい
日本語を毋語としない人の日本語のプレゼンみたいだなw
全くもって腑に落ちない。モナリザと、同じような人物画を比較するならまだしも大和絵と比べてはいけない。
ドラクエの例は日本人の空間認識(仮)とは関係ない、多くの人はあれを単なる俯瞰のイメージとして受け入れているのでは?
日米のゲームの歴史を調べれば?
よく気づくな。