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船長は北畠さんですね。息子さんとは高校1年の時同級生でした。
船長の息子さんと同級生ですか! 連絡船がより身近に感じられそうですね。(てか、フルネームはマズイかと思って名字だけ聞こえるかたちでミュートしたのだけど、わかる方にはわかるんですね…汗)
現代のフェリー出港時に流れる蛍の光よりも、この時代の演奏が感極まる
「蛍の光」ではなく「別れのワルツ」ではないでしょうか…
「別れのワルツ」という曲名は知りませんでした。指摘を受けて「蛍の光」と何がどう違うのか調べてみました。UA-cam内で検索かけたら、ここで使用されてたとみられる古関裕而版もヒットしました。なるほどこれが…。Content ID 条件付き使用可(広告収益が権利者に行く)になってるようだから削除/部分削除はしなくてよさそうですね。この動画(というか音声)のタイトルを変えるかどうかはまた考えてみます。検索でヒットした動画も、カッコ書きまたは併記が目立ちますし。
連絡船と青森駅、懐かしいな。
それと、この船特急おおとりと、急行宗谷に接続してたんだよね。とう
上野からのはくつる接続でしたね。
私が北海道の鉄道に関心を持ったのは1981年10月の石勝線開業がきっかけでしたが、ちょうどその時の改正で函館-稚内直通だった急行宗谷が札幌で系統分割&函館-札幌が特急格上げされて北海3号になったんですね。※1979年の時刻表を見ると「おおぞら」もまだ3往復全て函館発着、青函23便と接続するのが1140発「おおぞら5号」釧路行き・1145発「おおとり」網走行き・1150発「宗谷」稚内行きとなっていて圧巻ですね。
そうです、この日は私も「はくつる1号」から23便へ乗り継ぎました。え? 前日のあおば211号~やまびこ53号で北へ向かった者がどうやってはくつるに乗った?実は当初青森で泊まる計画だったのが、何か大きな学会かイベントでもあるのか青森市内のホテルがことごとく満室で予約が取れず、それなら…ということで宿泊地を八戸(本八戸)に変更、早朝の「はくつる1号」に乗って青森へ、という日程に変更したのです。いわゆる“ヒルネ”対象区間ではないけど583系だからグリーン車を連結していたし(八戸-青森の場合、はつかりの自由席相当額+1300円)乗船名簿もはくつるの車掌さんからもらいました。※はくつるは1往復(号数なし)だった期間が長いけど、この頃は季節列車が加わって2往復体制だったので号数つき
銅鑼の音が好きでした‼️
煙突のJNRがなつかしい。
再生ありがとうございます。船体が大きいからかなり目立ってましたね、JNRマーク。※「はつかり15号」の音声にも青函航路への接続案内放送が入ってます。ua-cam.com/video/jRUJ7gReI5Y/v-deo.html
羊蹄丸だ!!
次の出航まで確か55分
シン「紅白のエンディングだ!!」アブト「やっぱり出港の際はこれだな!!」
ミクの登場回で青函連絡船に関心持った若手・子供たちもいるでしょうね。私は3回乗船の機会があり、2回が羊蹄丸、1回が大雪丸。摩周丸は結局乗れなかった。
@@nishizono520xi アブト(>_
返しのコメントでアブトに触れなかったのはマズかったかな??いや、アブトと青函連絡船の接点が、、でもz世代で鉄道や乗り物のことにいちばん詳しいのはアブトでしょうね。シンが連想するのはそっち、というのはわかる。
船長は北畠さんですね。息子さんとは高校1年の時同級生でした。
船長の息子さんと同級生ですか! 連絡船がより身近に感じられそうですね。
(てか、フルネームはマズイかと思って名字だけ聞こえるかたちでミュート
したのだけど、わかる方にはわかるんですね…汗)
現代のフェリー出港時に流れる蛍の光よりも、この時代の演奏が感極まる
「蛍の光」ではなく「別れのワルツ」ではないでしょうか…
「別れのワルツ」という曲名は知りませんでした。指摘を受けて「蛍の光」と
何がどう違うのか調べてみました。
UA-cam内で検索かけたら、ここで使用されてたとみられる古関裕而版も
ヒットしました。なるほどこれが…。
Content ID 条件付き使用可(広告収益が権利者に行く)になってるようだから
削除/部分削除はしなくてよさそうですね。
この動画(というか音声)のタイトルを変えるかどうかはまた考えてみます。
検索でヒットした動画も、カッコ書きまたは併記が目立ちますし。
連絡船と青森駅、懐かしいな。
それと、この船特急おおとりと、急行宗谷に接続してたんだよね。とう
上野からのはくつる接続でしたね。
私が北海道の鉄道に関心を持ったのは1981年10月の石勝線開業がきっかけでしたが、
ちょうどその時の改正で函館-稚内直通だった急行宗谷が札幌で系統分割&函館-札幌が
特急格上げされて北海3号になったんですね。
※1979年の時刻表を見ると「おおぞら」もまだ3往復全て函館発着、青函23便と接続するのが
1140発「おおぞら5号」釧路行き・1145発「おおとり」網走行き・1150発「宗谷」稚内行きと
なっていて圧巻ですね。
そうです、この日は私も「はくつる1号」から23便へ乗り継ぎました。
え? 前日のあおば211号~やまびこ53号で北へ向かった者がどうやってはくつるに乗った?
実は当初青森で泊まる計画だったのが、何か大きな学会かイベントでもあるのか青森市内の
ホテルがことごとく満室で予約が取れず、それなら…ということで宿泊地を八戸(本八戸)に
変更、早朝の「はくつる1号」に乗って青森へ、という日程に変更したのです。
いわゆる“ヒルネ”対象区間ではないけど583系だからグリーン車を連結していたし
(八戸-青森の場合、はつかりの自由席相当額+1300円)
乗船名簿もはくつるの車掌さんからもらいました。
※はくつるは1往復(号数なし)だった期間が長いけど、この頃は季節列車が加わって2往復
体制だったので号数つき
銅鑼の音が好きでした‼️
煙突のJNRがなつかしい。
再生ありがとうございます。船体が大きいからかなり目立ってましたね、JNRマーク。
※「はつかり15号」の音声にも青函航路への接続案内放送が入ってます。
ua-cam.com/video/jRUJ7gReI5Y/v-deo.html
羊蹄丸だ!!
次の出航まで確か55分
シン「紅白のエンディングだ!!」
アブト「やっぱり出港の際はこれだな!!」
ミクの登場回で青函連絡船に関心持った若手・子供たちも
いるでしょうね。
私は3回乗船の機会があり、2回が羊蹄丸、1回が大雪丸。
摩周丸は結局乗れなかった。
@@nishizono520xi アブト(>_
返しのコメントでアブトに触れなかったのはマズかったかな??
いや、アブトと青函連絡船の接点が、、
でもz世代で鉄道や乗り物のことにいちばん詳しいのはアブト
でしょうね。シンが連想するのはそっち、というのはわかる。