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トリアージに関しては、前提が「どちらの選択をしても必ず犠牲が出る。全員を同時に救えない以上順番にやるしかない」という前提で優先順位をつけることになるので、「見捨てた、切り捨てた」ではなく「間に合わなかった」と捉えるようにしたほうがいいとは思います。
なるほど、そういう考え方もいいかもしれないですね。本当に緊急時の場合明らかに間に合わないとわかっていての選択も出てくるのでしょうが、私たちはそう思っておいた方が医療従事者の方への見方が緩和されるような気がします。緊急時って気持ち荒みやすいですしね・・・
お医者さんは完全な正義ではなく、患者さん自身の治す力を助ける仕事と聞いたことがあるので僕はその考え方に賛同します。
間に合わなかったも適切じゃないかも。戦場などの危機的な状況で物資も十分にないってことはやはり物理的に全員を救える状態にない時だったりするわけだし。まあ気を回した言い方にはなると思うけど、遺族に「間に合いませんでした」と言ったところで治療を優先しなかった事実があるから結局「見捨てた、切り捨てた」ってなると思う。
ラジオで元旧海軍の軍医って人が言ってた。「戦闘中は治療の順番は重症者からではなく艦の戦闘力を維持するのに必要な人間から治療する。なぜなら、艦が撃沈されれば全員死んでしまうから」
トリアージ、「表向きはやっていないという体で、実はやっている」っていうのが私は幸せかな…大切な人が亡くなった時に「大勢を助けるために見捨てました」って言われるより嘘でも「手は尽くしましたが救えませんでした」って言われた方が納得できるかも。
難しい問題ですね・・・。隠して行う場合、それが露呈したときに必ず騒ぐ人が出てくる、という問題もあります。個人的には「こうなった場合はトリアージを行います」と事前に言ってほしいなと思います。もちろん大激論は巻き起こるでしょうが、国民に考える機会を与えることは必要だと私は思っています。実際は無理でしょうが苦笑
トリアージの考えのもとでは、手は尽くしたと言える…と思うもしそうなった場合、私はトリアージはすると事前に言って欲しいですね。知った時に騙された、隠されていた、と思ってしまいそうなので
あと帽子無し魔理沙かわいい
話を聞いてるとfate/zeroの切嗣のことが頭に浮かびました。「誰かを救うことは誰かを救わないこと」この考えは極端だとしても救える人が多くするためにもトリアージは仕方ないかな。ただ救わないのが身近な人だった場合、自分は仕方ないと割り切れないのかなと思いました。
私もこの動画作りながら「これの究極系は切嗣だよなあ」って思ってました。制度や医療関係者としてはそれしかないのだと思いますが、仕事とか関係ない個人としてそういう選択を迫られたときどうするか、っていうのは考えておかないといけないと感じます。
いろいろ流されて医療職やってますが、この世界に足突っ込んだときに考えた問題ではありますね。主氏の仰るとおりなんですよ。実際そういう現場に突っ込まれたら覆るかもしれませんが、私的結論は「助かる見込みのある人から優先」それがこの世界に足を踏み入れた者に背負わされた業かなと考えてます。
まるで戦場だね
お返事遅くなりすみません。そして医療職の方に見ていただき光栄です。仕事として考えた場合、ルールや制度に従うことは当然の帰結ではあるんですよね。それがルールであり、仕事に就いた時点でそこに了承しているはず、で話は終わってしまう。終わっちゃうのですが、でもやはり理屈と感情は別なわけで、多くの葛藤や悩み、そして決断があるんだろうなあと、多くの命に関わってくださっている医療関係者の方には頭が上がりませぬ。
現場の方の心理的なご負担を減らすためにも、なるべくシステマティックな体制にしたほうがいいのだろうけど、抵抗は必至ですね。
@@user-HUTOMAKIMAKI 実際、戦場で生まれたシステムだからねぇ……
@@青い消火栓 そうだったのか…
申し訳ない、ちょっと忙しすぎてコメ返しが全然できておりません。土日には落ち着くと思うので、またゆっくり拝読させていただきます。仕事してくるー!
いろんなご意見ありがとうございました。自分なりにもいろいろ思うところあり、考えてみたいと思います。コメント返しはここで打ち切らせていただきますが、コメントは全部拝見していますので、またいろいろご意見聞かせていただけると嬉しいです!
マイケル・サンデル教授の本が大変面白かったですね。正義については。功利主義に基づく、「全体の効用を最大にすべきである」→できるだけ沢山の人を助けられるようにすべきだ、という考え方。カント的な考え方の「助けるにしろ助けないにしろ、それは動機によって正しいかどうかが決まる」という考え方ロールズ的な「格差や差別はそれが最も恵まれない人々にとって利益になる機構から生み出されねばならない」という考え方脳汁ドバドバぁ〜(ラストにバカになる男)
私も読みましたー!読みやすいですし考えるキッカケになりますよね。いずれ扱いたいテーマだなーって思ってます(うっ、頭が・・・)ちな私はロールズの考えが好きです。格差を受け入れてるところも良き。
スターリン「一人の人間の死は悲劇だが、百万人の死は最早統計である」
トリアージによって自分が死ぬ苦しみとトリアージによって亡くなる人を見る苦しみとどっちが苦しいだろう
それはきっと当事者にしかわからないんでしょうね・・・
元自衛官で衛生科でしたトリアージの訓練したことあります正しいか間違ってるかで言うと間違ってると思いますが、そもそも戦争が間違ってるので戦時中の行為で正しい行為なんてないですその中で多少はマシな物を選択するだけです
コメントありがとうございます。少しでもマシなものを、そうですね。まず間違った状況にならないように備えておく、そちらの方が遥かに大切ですね。
中国に住んでいた人、イタリアに住んでいる人に、SNS上で繋がりがあり、定期(毎日)~不定期(2回/月)程のお付き合いがあります。イタリアの方は、はっきりと、「ご高齢の方の呼吸器を若者に回す」と言ってみえました。昨年の3~4月の頃の話です。
それが現実になってる社会の人々の言葉は重いですね・・・。それに比べると私たちはやはりどこか現実感のないところで話をしているように感じます。
27年前の日本で、トリアージが実施されたそうです。阪神淡路大震災が起きた直後の病院で。当時の日本では、トリアージという言葉が一般人のみならず、ほとんどの医師にも知られていなかったそうです。次々と運び込まれてくる重症患者に対し、現場の指揮をとられた医師が、選別の指示をする動画を見ました。「この人はもう蘇生はムリや。諦めてもらわんと」「次の人のところにいこう」という言葉が、とても重かったです。まず、搬送受け入れの段階で「もうダメな人はあかんで。大丈夫な人を連れてくるように」と指示を出していて、衝撃的でした。関わった医療関係者の方たちの心の傷も深そうでした。これが現実なのだなと思うのと同時に、ゆっくりさんのこの動画を思い出しました。きれいごとでは生き抜けない局面をどう乗りきるか、日頃から考えるべきと思いました。
海堂尊先生の『ジェネラルルージュの凱旋』で初めてトリアージの事を知りました。作中ではデパート火災によって文字通り患者が溢れるほど運び込まれ、一刻を争う事態で使われていました。なのでメディアが安易にトリアージという言葉を使うことに疑問を持っていましたが、今回の解説を見て疑問通り越して「やっぱり煽りたいだけなんだな」と確信に変わりましたね。
メディアの使用の仕方には違和感を感じますが、まあ煽る必要があることも間違ってはないんですよね。ただ正しく煽ってほしいです苦笑 正しく恐れましょう(ゆゴシ並感)
トリアージは現実的な物理的限界時の取捨選択。動画中で語られている通り、感情論的余裕が最早無い又は考慮できない場合に用いる。その様な状況下で「あなたの身内でも受け入れますか?」と問うのは「感情でも納得できますか」と問うているのと同義。感情論で現実が動かなくなってなっている状況下で感情論を問うのはナンセンスだ。(それが後日妥当であったかどうか疑義するのは判断者の知識技量と信用の問題だろう。)それに緊急時の集団の中で自己の感情での優先を容認する人は他人の感情からの行動も肯定するという事でいいのかな?まぁ、それこそ緊急時の感情優先は現場の混乱と救助の放棄でしかないと思うけどね。(まさか自身の感情だけを優先しろとか言う自己中を肯定とは言わないよね?)「感情でどうだこうだ」は生を当たり前に思いすぎ死を極度に忌避し目を背け命を背う事を認識できなくなった現代人特有の病気。死が身近になくなったからこそ、死に対する経験も学びも生に対する感謝も重みも理解できなくなったのだろうね。
重いけど平時に想定しておかないといけない大事なテーマだと思う。特に混乱しているときは正常な判断をするのが難しいからね。それに人はルールがあると行動しやすくなる。
お返事遅くなりすみません。こういうことをぜひ学校とかでも話してみてほしいなあって思います。理論と現実、理性と感情、両方のバランスを取る訓練、そして相容れない場面等における思考など、そういう話は学校でこそ必要だと思うですよねぇ・・・。
私が国家試験を受ける前の年に福知山線脱線事故が起きました。学校でトリアージの研修を受けました。先生から貴方は黒を切れますか?と言う言葉をいただきました。私は黒を切る勇気はありません。
医療職の方の葛藤の最たる例ですよね・・・。そこを押し殺して職務を全うされている方には尊敬の念を禁じえません。私も無理です。
「タグを付ける人の精神が一番心配です」”シ刑執行のボタンは複数あって複数人が同じに押す”と聞きました。これは執行人の精神的負担を減らすためです。
ちなみにトリアージタッグをつけるのはそれ専門の役目を与えられた人とのことです。1人どころではなく、何十何百と貼ることになるんでしょうね・・・。
うーん、トリアージ自体は善悪云々っていうより必要なものだと思います。全員は救えないっていう前提がある訳で。逆にトリアージしない状況っていうのは最初の分類で黒の人から救うってことになるんですかね。それはそれで結果的にさらに多くの優先順位の低い人を見捨てる事になりますよね…ただ見捨てる・見捨てないのボーダーラインを決めるのは本当に難しい事だと思います。
いざという時にならないとわからないけど、考えておかなければいけないことかもしれませんね
そう思います。私は動画作っててよくわかんなくなりました笑
私は、トリアージはあってしかるべきシステムだと思います。(私はまだ、親しくしている身内が亡くなった経験が無いので、こういった死生観についてあまちゃんな側面があるかもしれません。「お前がそんなことを言えるのは、親しい者を亡くした経験がないからだろ!」と言われればそれまでですが、逆に言えば私みたいに身の回りの人を亡くした経験のない人は、多かれ少なかれ私に似たようなあまちゃんな死生観しか持ち合わせていない、ということでしょう…。また、私は医学系に進みたいと思っていますので、そちらよりの意見になってしまうと思います。)先ず述べておきたいのは、トリアージを支持するからといって、「医療の意味をはき違えてる(命に優先度をつけるのはおかしい)」みたいな批判には結びつかないと思う、ということです。歴史的な背景云々の話で、かつてのトリアージは「貴族とか一部の特権階級に集中的に医療を施していた」というくだりがあり、現代のトリアージはどうかといえば、「医療的リソースをあまり割かなくて済む人に集中的に医療を施す」ものである、と述べられていました。つまり、現代と昔とでは切り捨て方の本質は違うのです。(※少し補足しておきますと、そもそも医療というのは人間の生死を狂わせるものだと思っています。遺伝子の転写がバグって体の中がぐちゃぐちゃになってしまう構造/機能的欠陥(癌)に罹った動物は、本来ならば死ぬ定めにあるはずでしょう。それがひょんなことから、体を切り裂いて組織を取り出す(手術)ことで自然淘汰の定めから抜け出しています。つまり、医療というのは本来ならばそこで死ぬ定めにあった人を勝手に助ける行為にほかならず、極めて恣意的なものです。ですから、既にゆがめられてしまった”命”に対する冒頭のような批判は、私にはそのいびつさを意識していない極めて楽観的な人に映ります。まぁ、これが人間らしさなのですが…)医療的リソースを多分に割かなくてはならない人は、先ずは高齢者、他の疾患持ちなどの医療的弱者。次点に、それらにあてはまらない重篤患者さん、といった感じになることは動画で説明されていました(もっとも、これも病気によって変わってくるものであることは言うまでもありませんが…COVID-19を例に挙げれば、まさにそうですよね)。ロールズの言う正義を考えるならば、そもそも”医療的弱者”だなんだというのは原初状態をぶち壊したとんでもない状態ですから、是正されなくてはなりません。いうなれば医療従事者はみな目隠しをされて、誰か患者さんをてきとーに指さしてください、みたいな状況が正義の理念に適っているわけです(オリジナルのニュアンスとは少しズレるかもしれませんが)。ところで極限状態になくても、お医者さんは”責任逃れ”をする場合があります。例えば、すい臓がんは発見するのが難しいので、必然的に手術をするにしてはステージが進みすぎていることが多い。すると、お医者さんは消極的な治療法を提示して、余命を全うすることを提案なさることが多いようです。要は、手術したのちの合併症などを鑑みて、リスクを減らしたわけです(参考:外科医の腕は何で決まるのか がん手術のすべてがわかる (幻冬舎新書))。自分の判断(決断を下すのは患者さんであっても、それらを提示するのはお医者さん自身ですので)で、後々訴追されることは避けたい。これが、お医者さんも人間だ、ということの意味です。Wikiによれば(エビデンスは薄いですが…)トリアージの選別は、治療に直接関与しない医療従事者が行うようです。つまり、トリアージがある限りにおいては、”責任”の所在は非常にうやむやにされるということで、この意味において、お医者さんにされた目隠しはトリアージの隠喩だったことになります。ですから、お医者さんが指さす患者さんはみな重篤ではないですし、その人を選んだお医者さんも”正義”が実現されていると錯覚できるわけです。そうでもしない限り、現場で治療にあたられるお医者さんは責任感に縛られて、決断をできなくなってしまいますので、歪な”命”を扱う医療現場には、これくらいの歪さのあるシステムを導入してやることも、ときには必要だと思っています。特に、極限状態などのテンパりやすい状況においては、その歪さが増すわけですから。途中、何を言いたいのか迷走しましたが言いたいことをまとめておきますと、医療はそもそも命の在り方をゆがめてしまっているのだから、そこに倫理観のような崇高なものを持ち込むのは無意味。必要なのは、その歪さを感じずに仕事のできるシステムであって、そのひとつがトリアージであるということです。まぁ案の定、お医者さん側の目線になってしまいましたが…
お返事遅くなりすみません。そしてコメントありがとうございます。やはり医学に関わる方の意見には実感が伴いますよね。。。ちなみに単純な興味からお伺いしてみたいのですが、医療は命の在り方を歪めるもの、となると原初的な「手当て」や「傷を舐める」等の行為、草を使った化膿止めや親知らずや虫歯等の抜歯などはどのような扱いになるのでしょうか?これらも広義には内科や外科治療の1つに入るのかなと思いますし、手当てには脳科学等の進展により脳のバランスの変化等を引き起こすことがわかってるみたいなので、これも原始的な医療の1つに入るのかな?とも思ってしまったりもしていまして・・・。
自分のときは、他者の為の名誉ある死であると思えるけど、大切な人がそうなったとき、自分が犠牲になると言ったときに、それを誇りに思って前に進めるか。
私はしばらくは思えない自信がありますね苦笑。エゴですが。
14:57 魔理沙「影でやるとかもっとタチ悪いんじゃ・・・」なんか結構堂々とやっていたような気がするのは気のせいでしょうか・・・(戦時中、野戦病院で歩けない負傷者に軍医が「ゆっくりして逝ってね!」とばかりに手りゅう弾や青酸カリを渡してセルフあぼーんを半ば強制的にやらせようとしたり・・)
地雷の威力は命を奪うほどにはワザとしていないそうです。医療に関わる負担を増やすことが目的です。そのために助けられる人も減るでしょうし、周りに負傷者が多くいれば士気も落ちます。「”やる”とかもっとタチ悪いんじゃ・・・」
自死の手段を渡すのは慈悲であるとも思いますよ。戦時の背景を鑑みれば致し方ないことでもあり、苦しまないような配慮でもある。もちろん誰もが生きて帰りたかったでしょうが。現代に生きる私たちの感覚だけで考えてはいけないと思うのです。
戦争が進めばなりふり構ってられないですしね・・・。戦争がそこまで泥沼化してない初期の頃は暗号とか使えたんでしょうが、その暗号が通じる時間はそんなに長くない(命に関わるならなおさら)でしょうし。助からない患者に手りゅう弾を渡すのは慈悲か、というところは難しい問題ですが、手りゅう弾を渡す余裕があるだけまだマシ、という見方もできなくはないのかなあって思わなくもないです。
とあるメキシコな動画を見て心底から確信したこと:即銃殺や即薬殺というものは本当に慈悲が深いものである。足や腕をマチェーテで折って尚いたぶったり、即死しないことをいいことに肺を開けて拷問を続ける、などと同様な事が戦争では起きた筈だから。
今この時期に俺たちに出来ることは、優先度の低い人でも助けられるように俺たちが気をつけることだな
ほんそれです。日本ではトリアージが必要な状況にはならないとは思ってはいますが、それでもやはり死者は出てるわけで、できるだけ時間稼ぎを意識してほしいなって思います。
少数派は切り捨てるべき。誰とは言わないけど、税金の無駄になる存在や価値のない人間も同様。でも自分や自分の大事な人はちゃんと助かるべき。なんか残念だけど人類のほぼ全員がこう思ってるのは間違いないと思う。綺麗事抜きに。
お返事遅くなりすみません。その通りではあるのですが、それを国家が大々的にやるのは国の定義に反してしまう、というのが難しいところではありますよね(もちろん国の定義によりますが)。日本は特に自己責任論が強い傾向にあると私は思ってるので、なおさらな感じがします。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 返信もらえたの感動(*´ω`*)
正直、実際に自分がその立場になった事が無いから言えるのかもしれないけど、『この世界は、全ての人に死があり、そして老衰で逝ける事は当たり前ではない。』『犠牲は必ず出てしまうから、一部を犠牲にするか、全てを犠牲にするかの二者択一しかない。』と、今は考えています。
コメントありがとうございます。それを自分にも当てはめて今をしっかり生きられるか、が個人的な課題ですね。どうしても今日は死なない、明日も死なないって思ってしまっていますし苦笑
私は私を救うために複数人の命を奪うのは嫌です。家族のために他のたくさんの家族を不幸にするのも辛いです。なのでトリアージに賛成します。
私はどっちも嫌、が正直な感想です(最低)でもまあ、どちらかを選ぶってなったら、自分なら仕方ないってなるでしょうが、家族なら本気であがくでしょうね・・・。その際はできる限り邪魔にならない範囲にとどめたいと思います。
私は日本の例しか知りませんが、日清戦争時に陸軍ではトリアージを普通に採用、導入しておりました。満州事変時が最初の導入という話は初めて知りました。私の知っている日清戦争時には、野戦病院にカラータグごとの旗を立てておいて、その色ごとに患者を収容していたのですが、この方法だと文字が読めなくても色合わせをすれば指定の患者を後方機関へ移送出来たので、現地採用の人夫を活用出来たわけです。んでもって、決戦下医療方針の変更をおこなった昭和19年まで陸軍軍医団では重症者優先救護を一貫して採用して居たはずですが、違うのでしょうか?
自分のこと家族のこととして考えてみましたが、戦争や災害が原因で選別されない側に回ってしまうのは、仕方ないと考えるしかないという結論に至りました。理由は、選別から外れて命を失うのも戦死や災害死に含まれる、と解釈したからです。つまり、うやむやのうちに選別から外されてしまうのではなく、選別が制度化(?)された状況であり、残された者に対して社会保障や支援、たとえば遺族年金のような制度とセットなら受容しましょう、という考え方です。トロッコ問題のような単純モデル化したケースだと、こういう結論にはどりつけないだろうと思いまして書かせてもらいました。
阪神淡路大震災の際のトリアージの映像がyoutubeにありました。(検索すれば見れると思います)重軽傷関係なく次々に患者が運び込まれてきて、15分間心臓マッサージを続けてた患者を「やめなさい」「次の人にかかろう」って制して、これがまさにトリアージ…ご家族の方に聞こえていたら、すごく苦しかったでしょうね現場の緊迫具合を見てみるのも判断の助けになると思います。ヤツのせいでってことはもうないと思いますが(そう願いたい)日本は災害大国なので、戦争じゃなくても近い未来にあるかもしれません。南海トラフ地震とか。私はトリアージで死ぬ人よりトリアージで生かされる人のほうが多いならそれでいいと思ってます。自分や身近な人が死ぬ確率も下がるので…しかし、切り捨てられる側になってこの姿勢を保てる自信はありませんね
恐らく、自分のことならある種踏ん切りをつけられると思うけど、大切な家族のことだと死ぬほど泣いて、恨みするだろうけど、それでも仕方ないと首を縦に振ると思う。ただ、代わりに生き残った人には忘れないで欲しい
トリアージしないともっと人がなくなって悲しむ人が増えると思ったから必要だと思う。それとトリアージには治療の優先度だけじゃなくてこの人のどこがどのくらい怪我をしているのかをパッと見てわかるようになっているから効率の面でもあったほうが便利なのではないかなと思った。でも僕らのような医療には直接関係ない話だから医療に携わっている人の意見のほうが重要なのかなとも思ったりする。結局批判する人は批判するし難しいね。
戦時はともかく、災害時のトリアージは本当に多くの人を救いますからね。骨折程度なら後回しでもいいですし。軽症者ほど騒ぐ元気があるので、そういうのを冷静かつ冷酷に見極めていく指標はどうしても必要になるよなあって思います。今回のコロナ騒動に関しては医療従事者の負担えげつないですしね・・・。私の知り合いの看護師は、まだヴォルデモート患者が少ないこともあって「今年はボーナス多かったわ」って嬉しそうにしてましたが、いずれ増えてくることが予想されますしその覚悟はしてるようでした。その後に言ってた「やめるなよって意味だろうな」ってつぶやきが印象に残ってます。
コロナを名前を読んではいけないあの人の名前にするのは草リスペクト元の半時間以上ゆっくり解説のゴシップチャンネル面白いですよね
年を取ると、アッチもコッチも立たなくなる。
下ネタ警察だ。そこまでだ逮捕する。
うぽつ動画面白かったです
ありがとうございますー!頑張った甲斐がありました。
問題は細分化せよこの思考法に従うとトリアージ自体には善も悪もないと思う正しい目標を設定して、それに現状で最も有効な手段を採用するのが善であり、状況によりトリアージは善にも悪にもなりうるのでは
まさにその通りだと思います。その上で考えたいことが「何をもって”最も有効”とみなすか」なんですよね。そこで功利主義を取るのか、弱者の救済を取るのか、短期的な視点で見るのか、長期的な視点で見るのかetc...
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 返信ありがとうございます論理的に答えを出すのは難しいですねしかし現場ではできる事は限られるので、最善を尽くしたならどんな選択も正しいと言えますそれに正しく運用されていれば、トリアージが100%生死を決定してる訳ではないですし、見えない所で人の命を助けているのでしょう
事故った子供が病院に運ばれたけど567患者でいっぱいで死んでしまったと言う情報を聞いてやはり選択をすべきと思ったわ。残酷だけど綺麗事より利益と優先度を考えた現実的な話で世の中動いてほしいな。
コメントありがとうございます。問題なのは事故の患者と感染症患者の場合、感染拡大のリスクを鑑みると感染症の方が重要度が高い場合があります。まあそれも時と場合に依るわけですが、少しでも多くの人が助かってほしいなあと思います。
英語には’triage’’alternative’’priority’など直訳しにくい「選択」系の単語が多いような気がする。たとえば英語には牛を意味する単語が”cattle”cow”bull”bullock”ox””calf”などたくさんあることを考えると、西洋人には優劣をつけるという発想が生まれやすいのかも?
お返事遅くなりすみません。そうなんですねー。私は英語はさっぱりなのですが、職業を表す単語でianとistがありますが(サイエンティスト、ミュージシャンなど)、ianの方が位が高い表現だとされているって話を聞いたことがあります。
トリアージはむしろ人権を尊重してると思うんですよね。階級や出身、貧富は本人にはどうする事も出来ない場合が多い、対して病気や怪我の度合いは皆等しく有り得る。勿論戦時中等では最前線に送られる兵士と安全な基地内に居る上層部では怪我の度合いは大きく変わってくるから、間接的には階級が怪我の度合いに影響してるんですが、それでも、まず前提が階級等無視して同じ人間で、そこから怪我の度合いによって優劣が付けられる、最初の優劣が同じ位置であるトリアージは人権を尊重していると思います。もし自分が後回しにされた場合でも仕方無いと思います。(といっても、いざその状況にならないと分からないですが)ただこれが自分の愛する人なら…仕方無いけど納得出来ないかもしれませんね。もしそれで愛する人がタヒんでしまったら、トリアージした人を恨みますね、逆恨みであると理解していても。
トリアージは治療の最終手段に使うべきだと思います。助けられる命があるにも関わらず、重大な人を優先するのは、結果的に救える人を減らす可能性があるからです。最初はトリアージ以外の治療法を使ったうえで、手を尽くした時に限り、トリアージを採用するのが、医者や負傷者にとって最善だと考えますね。
軍隊だと戦闘時には民間と真逆で軽傷から助けるんだよね。戦線復帰させるために。
実際レッド切り取ってブラック付けた人には、自分が殺したような感覚に陥った。
これ難しいのがその時になってみないと分からないよね。トリアージにおける重視するものはその場その時で変わってくるし。
トリアージが行われなかった場合に自分もしくは身内が救われなかった場合も考えるべきでしょうね、
私個人の話であれば私自身がトリアージで見捨てられても納得できます。「人は必ず死ぬ」という絶対的事実からは誰も逃れることも出来ないので、いつしか「自殺は絶対にしないけどいつ死んでもいい」みたいな価値観になってしまいました。。0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_ちなみに一般論として考えた場合でもトリアージは賛成派です。ただ助けないという判断をするのであれば対象者に対してそれ以上苦しまずにすむ何らかの措置があっても良いかと思います。それもある意味では「人を殺す」ことになり医療従事者の負担が増えるばかりですが。。。
おっしゃる通り‼️
納得できますかー・・・。私はできなさそうです苦笑もちろん理屈ではそうだ、というのはその通りなんですが、感情的な納得が厳しい気がするんですよね。感情的な納得って語義矛盾なんですが、いい言葉が思いつかない。自分だけよければいいのか、理屈的に正しいなら仕方ないのか、他の人が救われるのであればいいのか、功利主義を受け入れるのか否か、トリアージはぶっちゃけ自分とは関係ない事柄ですし、される側になったとき自分も死にかけだと思うので構わないのですが、いざ自分が近い決断する側になった時どうなのか、その辺をもう少ししっかり考えないとなー、というのが私個人の動画作ってての感想でした。
秋葉原のあの事件でも、実施された記憶が…
はじめまして。トリアージの是非はともかく、安全で高度な医療を、普段当たり前に受診出来ることが、どれほどありがたいことなのか、気付くきっかけになりました。ありがとうございます。飲んでもお腹を壊さない水で、洗濯や洗い物に使える事や、寒い季節に蛇口一つでお湯が出ることなど、数えだしたら私は幸せだと思います。どうかどうか、一生トリアージが必要な状況に合わないことを祈ります。政治学で、どんな決断を下しても、必ず誰かしらの犠牲の上に成り立つ理論を習った気がします(間違っていたらごめんなさい)。経済学や組織学でも似たような結論だったと記憶してます。 ということは、怪盗キッドさんのおっしゃる通り、普段から何かしらの振り分け(切り捨て)はあるのかもしれないですね。わかりずらいように工夫しているのでしょうか。それとももうみんな諦めているのでしょうか。
はじめまして。コメントありがとうございます。本当にそうですね。海外が軒並み酷いことになる中、日本はまだ踏みとどまっていますし日本の制度を維持してくださってる方には感謝しかないです。何かしらの犠牲が出るのはその通りだと思います。そしてその振り分けを考えるのが正義論なわけで、功利主義をはじめとしたいろんな考えがありますね。いずれ動画にしてみたいと思ってます。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる すっごく楽しみです。先生のペースで素敵な動画を作成なさってください。私もそれまでに、私なりの考えをまとめとこうと思います。宿題みたいで楽しいです。返信ありがとうございました。
フジドラマの救命病棟24時で災害時トリアージをテーマに1クールやっていましたね。あくまで平時の医療を続けようとする病院スタッフと、トリアージを淡々と行い罵声を浴びるフリーの医師が描かれていました。フィクションではありますが、緊急時にトリアージしないのは目の届かないところでブラックカードを増やしているようなもの、と感じました。自分や自分の大切な人がブラックやグリーンを切られたら、トリアージの大切さを分かったつもりでも取り乱すでしょうね。その時は号泣しながら従おうと思います。
アベプラニュースでみた「譲カード」を思い出した
調べて初めて知りました。うーむ、難しい問題ですね。特に日本は空気の問題がありますから、同調圧力的なものもありそうで苦笑
正義論はトロッコ問題とか道徳かなにかでやったし調べたことあるから多少理解あるけどトリアージは初耳で気になることだなって思った。21:20は自分が対象だったらどうぞ見捨ててくださいっていうし家族だったらどうぞ見捨ててくださいって言います。正しいか間違いかなんて人によるというかそれこそ絶対的な区別のしようが究極的には感情になるしどうでもいいかなー。必要性も正直使う人によるし私はそれを受ける側で受けた時の反応がこれだし全員救えるとしてもそれを温存するべきではと考えてしまい一旦収拾をしたいなということで期末試験の勉強頑張ります。
トリアージを正義論と関係させて考える人はあんまりいない、というかトリアージ自体コロナが出てこなかったら触れる機会すらなかったでしょうからね(少なくとも私はそうでした)。おー、そこまで断言できるのはすごいですね。私には無理ですw個人的には感情ってかなり厄介なんですけど同時にすごく大事なものだと思っていて、犠牲を最小限に抑えるにしろ、最大多数の最大幸福を目指すにしろ、その人個人の最大幸福を目指すにしろ、感情を切り離して考えるべきではないと思っています。そもそも幸福自体が感情ですし。試験勉強ファイトです!
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 私の言っている感情は切り離して考えているということではなくただ究極的には感情になるという考えで切り離すか否かはあんまり考えてないですね。感情が絡んでくるから考えるの面倒であるという……目の前の試験の方が重要ですしほっとこうと。
安全な所で考えているだけの自分って何なんだろうな
災害医療に力を入れている病院の就職面接時に「災害時あなたがトリアージスタッフに選ばれたとして、救命が困難な傷病者に対し家族の前で黒タグを切れるか」と質問された事を思い出した。災害時っていう物的にも人的にも医療資源が不足して需要過多の状況下では非情だと思われても黒タグを切らなきゃいけない。地震大国の日本だから医療職者だけじゃなく全ての人がこういう動画を通してトリアージについて一度考え理解を深めて欲しい。
他者に判断を依存する最低の考えだと承知の上で言うと「国や医療従事者に従う」が個人的な意見ですね。自分は医療従事者じゃないから文句を言おうと実際何も出来ないわけで...決断に対して足を引っ張って余計な犠牲者が出れば、それが一番良くないことだと思います。ただ事態が収束してからなら、文句は言っていいでしょうね。あくまで批判の上での選択肢、最終手段として存在しているのが健全な気がします。トリアージを全肯定する社会は恐怖でしかない。
自分以外の他者に救ってもらうのであるから、その他者の判断に従うのは当たり前だと思います。感情論で他社の判断・能力に同意できないor疑問があるのであれば自助すればよいのです。手を伸ばしてくれる他者を拒否するのも自由。そしてそれは手を伸ばした他者も理解し受け入れてくれるでしょう。救われて当たり前。生きてて当たり前。こんな考えがどこかにこびり付いてるから、いろんな疑問が出るのだと思います。
国や従事者に従う、これに関しては「それしかない」と言える領域かもしれませんね。マンガとかだと医者や関係者などを治療しろと脅すケースも見られますが、これに関しても「うーん」ですし。しかしながら「救われるのが当たり前」という意見に対して個人的にはそうあるべき、というのが個人的な思いではあります。その思いが成り立たない社会は不安や恐怖が蔓延する、他者や身内以外の人を警戒せざえるをえない世界になってしまうのではないか、と思わなくもないからです。もちろん救ってもらえる範囲と救ってもらえない範囲を理解しておくことは必要ですが、こと命の危機に関しては無条件で救ってもらえる、と人々が思えない社会はまずいのでは、というのが私の意見です。
映画の『タイタニック』で、ローズの元婚約者が嘘をついて救命ボートに乗せてもらっていましたが、あれはずるいなと思います。
その通りではありますが、自分が救われるためのウソはぶっちゃけ自分がやってしまいそうで怖い。というかやってきた気がする苦笑
トリアージは、最も公正だと思います。救える人を救えるだけ救う。死んでしまった人を生き返らせることはできない。軽症の人に高度な医療リソースを割いてる暇なんかない。悲しくても、トリアージが行われる状況はそんな状況だと思います。ただ、どんな怪我人にも家族、友達等、その人が大事な人がいて、何にも変えられない人がいます。だからこそ、お医者さんには救えるだけ救って欲しい。苦しむ人は病人だけじゃなく、その人の周りの人もだから、本当に苦しいけれどトリアージの方法で救ってほしい。個人的にはそう思いました。
最も公正か、に関しては意見が分かれるところだとは思いますが、トリアージが行われる状況に関しては本当にその通りだと思います。平時ではなく、刻一刻と犠牲が出ている状況なんですよね。
戦時のトリアージにおいて『助けるべき人を助ける』というのは至極真っ当な判断に思えます。将校が安全な場所にいることを感情的に批判する人がいますが、単純に指揮官を失えば兵士を束ねることはできず最悪部隊は全滅するでしょう。絶対に助からない命にリソースを割くのは賢明とは思えず、恐らくほとんどの人はそれを理不尽だとは思わないのでは?(感情は抜きで)すべてを助けられない以上、どうあっても選択は必要です。結局ネックになるのは感情で、であればヴォルデモート卿の到来によって必ずしも他人事とは思えないいま、そういう事態に対して覚悟をしておくことしかできないのではないかなぁ…。大切な人と話して、いざとなったら自分はこうしたいと伝えておくなど。この問題に対する批判て恐らく感情論だけだと思うんですが、もしほかに批判する部分があるならどういったことで、どう対処するのがいいのか知りたいです。粗末な脳みそなもんでパッと思いつきません…
お返事遅くなりすみません。んー、感情以外で、という話なのであれば、人の命は平等ではないのか?という平等を前提とする考えがあるかなと思います。これは特に宗教を基本とする場合に多い反論ですね。あとそもそも医療を否定する人、運命論者、選別ではなく先着を基本とするなど、そういう私たちからすると納得しづらいもの(納得はしづらいけどその前提に立てばそうなるよなあ、ってなるもの)などちまちまあるような気がします。
その時思い出せなかったのが悔やまれます。アニメ”ブラック・ジャック”の1話目が「オペの順番」でした。
なるほどな…Twitterで命に関わるデリケートな内容って仰られてたのはこう言う内容だったからか…
皆もみーのゆっくり先生ちゃんねるのTwitterをチェックしよう!(ダイマ)べそかいてる可愛い魔理沙のアイコンが目印だゾ!
そういうことなんですよー。ちょっと仲間内で話題になりまして、作ってみようと軽い気持ちで作り始めたらこんなことに・・・
二兎を追うもの一兎をも得ず。全員助けようとして誰も助けられないほうが余程バカだと思います。
お返事遅くなりすみません。その通りなのです。で、大事なのはどっちの兎を追うかなわけで、トリアージはまだわかりやすい方、ってことなんですよね・・・苦笑
絶対的な正義はありません。大勢のために少数を犠牲にすることも然り。でも、もし命が平等だと仮定するなら多くを救える方がいい。つまり、少数のために大勢を犠牲にすることは間違っている。しかし、実際には命は平等ではありません。医療従事者の命は重く、そうでない人はやはりそれよりは軽い。そうなった時には、トリアージは重要です。全てを救うのができないなら選別が入ります。決して綺麗事では片付けられない世界があるのです。もし選別が行われるときに、家族の価値をを考えるならば、やはり親族や親しい人の命は他大勢の命より重いです。これはエゴであり、感情的で、非合理的です。しかしそうであったにしろ、やはり私たちは選びたがる、親族を、友を。もしトリアージを否定する時に死んでいった彼らのことを惜しむのなら考えてください。トリアージにより生きたものにも親しい人や親族がいることを。彼らもまた、決して蔑まれるべきではない存在であることを。
正義論も楽しみです。
命は平等ではない、これすごく重い言葉ですよね・・・。実際はその通りなんですが、それを肯定してしまうといろんな弊害があるわけで、それを踏まえた上でどう現実を再定義するかが重要になってくると私は思います。そこまではまだいけないので、今は平等を建前としている。でも、こういう事態になったときに、その建前が崩壊し、命の価値が前面に出てくるんですよね。
トリアージ?知ってます!佐藤ショウジ先生の漫画・・・ごめんなさい🙇去年とある特撮作品でこれに似たテーマでとある人物が「手の届く範囲の人達を守り抜く。守り切れず犠牲になった人達の事は決して忘れない」聞いてて涙が出た。
常に少数を殺し、多数を救い続けたキリトゥグって人がいましてですね・・・
医療においては「生かすこと」が絶対目標だからこそ、その選別が深刻なのかも切腹が美徳ですらあった「生命の軽い時代」だと、また違う印象になりそうですね
何事も捨てる時は、あっさりと捨てる。そういう人間が生き残る。
少し考え方がずれているかもしれませんが、戦後の日本においてはトリアージが使われたことがないという事ですので、今生きている私たちはトリアージによって選択されなければならない事態を少しでも回避する事が必要だと思いました。例えば自然災害にしても無防備であれば災害に巻き込まれ救助を必要としますが、災害に対しての備えを普段から行えば、その時に求められる究極の選択を行わなくてもいいし他人に行わせなくてもいいと。当然ながら全てを回避する事は不可能に近いですが、少なくとも日常外出する時に歩きスマホやイヤホンなど、しなくてもいい事を止めれば人生の上での災害に遭遇するリスクを少しでも軽減できるでしょうね。その時どうするか?も大切ですが、その時にならない様に予防する事は大切です。
良くも悪くも命は平等だった
どう考えたものか一向に浮かびませんでした。ましてや緊急時は人々の心が荒んで冷静な判断が出来なくなる可能性も増しますから、なおさら難しい問題になってしまいますね・・・
お返事遅くなりすみません。軽症者ほど騒ぐ元気がある、というのも戦場などにおいてはよく言われることですよね。そういう極限状態でどう考えるか、事前に考えておくことは本当に大事だと思います。考えるだけで済むのが1番ですけど苦笑
567の騒動で医療の専門家が「トリアージのようなことが現場で起こるかも」とメディアで発言していましたね軽々しく言うなよ、と思いましたが…
トリアージの考え方は知っておく必要があると思います。しかし、今のメディアは、その前の”優先順位付け”すら出来ていなくて、情報も”玉石混交”どころか、”石々混合”くらいです。
わざわざメディアで発言する事では無いと私も思いますが、今のコロ助関連でホテルに閉じ込められている方々は、タグさえ付けられないものの実質的にはトリアージ的な選別が行われているのも事実と思います。もっと言えばコロ助の入院拒否の罰則化だって、広義では非感染者を救うための強制隔離措置な訳で。現実的には「トリアージのようなことは既に現場で起きている」と私は考えています。考え方は人それぞれですが、そういう選別の対象にならぬよう、常に危機感をもって対処すべきでしょう。コロ助のおかげで飛沫感染云々に焦点が当てられすぎて、明確に空気感染すると判明しているインフルエンザ対応が疎かになっているのも悲しい事実。役に立たない布マスクやウレタンマスクでも良しとされる風潮が残念です。空気感染はPFE99のサージカルマスクでさえ気休めに近いというのに。こんな状況下ですから、コロ助の収束は遥か先でしょう。そして終息は無い。トリアージの話と随分離れてしまった長文、申し訳ありません。
個人的にはトリアージって言葉を使うのは構わないのですが、その意味を正確に伝える努力をしてほしいと思っています。トリアージタッグを使うトリアージと、入院患者を選別する入院トリアージはまったくの別物だと私は思っています。入院トリアージのような選別であればコロナ関係なく普通に行われてますしね(ベットを開けたり、さっさと退院させたり、日帰りで帰らせたり、集中的に看護する場所から一般病棟へ移したり等)。また、ホテル等への入院トリアージはまだ入院するほどではない患者を入院させないことで病床を確保、かつ感染を拡大させないために隔離するためのものであり、見捨てられているわけでもなければ治療が後回しにされているわけでもないと私は解釈しています。実際悪化すれば入院できるわけですし、コロナ自体そこまで病原性が強い病気ではないので特に若者は入院させる必要はない(でも感染を広げられるのは困る)ものですしね。そして意外と大事かつ見落とされがちなのは「そもそもウイルス系の病気には治療法がない」ってことです。自己免疫による快復のみで、それは重傷者も軽症者も変わらない。重傷者はそれ以外(呼吸不全や栄養失調、脱水、ショック等)で死なせないために入院させてるだけで、治療法がないことには変わりないんですよね。後回しもクソも治療法ないのに後回しにされてるって喚いてる人なんなの、ってところです。自力で呼吸できるのに呼吸器使ってくれってことなんでしょうか・・・とまあいろんな立場があるとは思いますが、そういう立場がある、ということすらメディアは報道してくれない、あるいはこそっと話す程度なので厄介だなあって思っています。やっばめっちゃ長くなった。ごめんなさい。
日本で一番最初にトリアージが話題になったのは、秋葉原通り魔事件の時だったような記憶が
話題になったのはその辺りかもしれないですねー。あれは衝撃的な事件でした。
これって緊急時の問題のようで、実は平時の問題なんだよね。備蓄とか、リソースの余裕とかにどれだけ割けるかで緊急時の選別がどの程度必要かが変わる。今回の事だって野党から保健所の機能不全の話が出てないでしょ?でも実は役所のその他部署の保健師が応援に行かなきゃ行けないほど逼迫してる。それによって要請者の追跡調査を行えなくなり、クラスター発生が止められなくなっている。野党がつつかないのは民主党時代に保健所減らしてるからつつけないんだよね。みんな選挙は慎重にね
平時の問題、ホントにそうなんですよね。まあ緊急時の不足のリソース配分と、平時の過剰のリソース配分では少し意味合いは違いますけど、やってることは同じ。保健所に関してはお恥ずかしながらあんまり知らなかったので、少しばかり調べてみようと思います。
私は基本的に多数を尊重する意見(トリアージ必要)を言い続け、もし自分の番が回ってくることが分かれば可能な限り異議を唱える。行動原理としては自分が一番大事なので、助かる可能性が最も高い所にbetし続ける。あと、本題では無いですが、「戦争に負けると国を失う」は洗脳されてる気がする。国を失うのはあくまで政治家等の国側の人間であり、国民は統治する人が変わるだけで本質的には何も変わらない(ルールの変化や差別はあると思いますが)。
トリアージは必要。トリアージに正義はない。トリアージは大義のため。自らの大切な人の場合は…医療関係者の判断には従うが自分まで従う必要はない。自分は自分の為にできるだけのことをする。阪神大震災を経験して思ったこと。
アメリカの医療制度のトリアージは赤:金持ち黃:医療保険持ち黒:貧乏…()
コメント遅くなりごめんなさい。医療制度、というより保険制度がまさにそんな感じですよね。
救える救えないの裁量は難しいな…きちっとしてたら無理だな、ある程度での妥協案として自分達の選んだその場の代表者の判断に委ねるしかないんじゃないかな…(ダークナイトの爆破スイッチ持った囚人と市民みたいに)自分が”戦争で兵士に志願して戦う”とかならもっと楽に判断出来るだろうがなぁ…
自分のことであれば自己責任で解決する場合がけっこうありますが、人のこととなると責任がのしかかってきますからね・・・。自己責任よりも責任の方が重い、っていうのは個人的には大きな気づきでした。
「闇(陰)のトリアージ」 (ウプ主の言葉通りではありません)”重て~言葉”だこと。
おもてーのです ←ただしどの言葉なのかわかってない
自分の考え的には運動会とかでしたくない少数蔑ろにしてきたんだからヨシ!(私怨)みたいな感じで、もちろん自分がその状態になっても文句言わな...いや文句は言うけどある程度割り切れるような気もする。ただ大切な人がなるとヨシ!とは言えなくなっちゃうのが迷いどころなんですよね...
お返事遅くなりすみません。自分事になると途端に難しくなりますよね。これもある種のダブルスタンダードなわけで、できる限り一貫できるよう考えておく必要があるんだろうなあと思っています。
19:17の文句言って代案無しなのが脳内で蓮舫の顔
お久しぶりの魔理沙可愛いチャンネルだ!
おひさしぶりなんだぜ!
重いけど、いつかは考えないといけないと思った。(小並感)
どうあっても大多数や少数より自分と身内が1番大切ですからね。
ここのチャンネルの魔理沙は帽子なしが似合ってますね〜
私もこれに慣れてしまった気がします。
緑のトリアージタグをつけられた人が、自分で緑の部分を切り取って黄色や赤にしてしまうことはないんだろうか?
21:20に対しての自分の意見は「それでも仕方無いものは仕方無い」かなぁ。自分が当事者になった時、トリアージはしててもしてなくても切り捨てられる側・間に合わない側になる可能性がある(し、同時に優先される側・間に合う側になる可能性もある)んだから、それなら少しでも多くの人が助かった方が結果的に自分(達)が助かる可能性も上がるよね? と。だから、その上で犠牲になったなら運が悪かったとしか言い様が無いんだよな。身分による優先順位だったら確かに必然性や格差みたいな不平等を感じるけど、これは正確に運用される内は皆条件が同じ(誰もが優先される症状になる可能性があるし、切り捨てられる症状になる可能性もある)だから。体質とかは本当に人それぞれだから、考え始めると切りがないという事で置いておくとして。そもそも助かりたい・助けたいのは皆同じで、その時点でどこかしらぶつかり合うのは必定なんだから、個人個人の感情で考えてたら絶対に解決しない話だと思ってる。まあこれは自分にとって人生に深く関わるほど大切な人が居ないってのもあるだろうし、誰もがそう割り切れるものじゃないとは分かってるけどね。自分にしたって、もし本当に遺族や犠牲者になった場合にどう思うか分かったもんじゃない。でも、だからと言って死ぬ時は死ぬし、最大限効率よく多くの人を救おうと尽くした上で助からないならば、もうそれは仕方無い。少なくとも、何も起こっていない今の時点ではそう思う。
何も起こってない時点では、ほんとそれなんですよね。そこをしっかりと考えて、ダブスタにならないようにしていかないとなあと思います。
病人怪我人のランクつけだよね人間って何でもランキングつるの好きだよな
お疲れ様です。トリアージに関わる人は精神きついでしょうね。見捨てる判断をするのもそうなんですけど、その後の、救った人やその身内、自分の上司や世間からは感謝されて、見捨てた人やその身内からは非難される。たぶん、プラスの最大値とマイナスの最大値を同時に味わうんでしょうね。戦争でなくとも、地震などでもこの事態は起こり得ますから、決して他人事ではなく、私たちも当事者として向き合わないといけませんね。
こちらこそ見ていただきありがとうございます。トリアージに関わる人は本当に地獄でしょうね。実際海外では起こってるという話ですし、今も続いている。現状ではプラスの最大値はほぼ味わえてないのではないかと思います。早く収束することを祈るばかりです。
私たちは常に物事を天秤の上に置いて考えていて、全てのものに無意識のうちに順位をつけています。故に私たちは私たちの考え得る最善を常に選択している。私が言いたいことは1つ。トリアージを医療関係者がしているならば、それは医療のプロが考えうる命を救うための最善である。
もし治療の優先度が高くない有病者でも、親などの近親者が多額の出資が可能な人物で法外なレベルの治療費を払うと言うのなら優先する価値が出てきてしまうと言う問題もありますね…その多額の治療費で更に多くの人の命を救える事になりますしそして、「命の価値は平等ではないのか?」と言う非難の声が間違いなく出るもしこれで自身の治療を後回しにされ最悪命を落とす場合、それに納得出来る程の度胸が自分に果たしてあるのか、それは当事者になるまで分からなさそうですね
医療従事者を先に、というのも実は近い発想ではあるんですよね。それで多くの人が救えるようになるわけですし。医療従事者はOKで多額のお金を払う人はダメである理由(ただし実際にお金が不足しており、お金で多くの人が救えるようになる場合に限り)はぶっちゃけ曖昧なんですよね。
序盤のヴォルデモート軽症者が一瞬継承者として頭に入ってきてもた…
トリアージを生み出した男爵テライケメン。でも彼はその後どうなったんだろう。軽く反逆罪でもあるよね。って考えた時、この仕組みの危うさにやっと気づけた。.みーさん、きっかけをありがとう最後の質問は、助けられた後の後遺症次第・・・・・かな。楽に逝って欲しかった爺さん達が、無理やり生かされて辛そなところを見たから・・・もし家族が助かったとしても、人の尊厳を失うような未来が待ってると説明されたら・・・他の方に道を譲る選択をするかもしれない。
「命の優先順位」ほんとに難しい問題だよね
??「多少?あんたにとっては多少でもその人にとっては全てなんやで!」
お返事遅くなりすみません。その通りなんですけど、苦渋の決断で切り捨てることを選んでいる医療者(全員がそうかはさておき)に投げかける言葉としてはえっぐいですね苦笑
トロッコ問題で1番嫌なのは片方が崖で片方には両親がいる
物事を主観的にしか捉えれない人が増えすぎたことや、全体主義的な考え方は右翼だとレッテル貼りして喋らせてもらえない等々…現代日本では個人主義が強すぎて、まともな議論ができなくなってる気がする
動画拝見させていただきました。医療ドラマでよくそんな感じのシーンがありますけどこの動画見なかったら私もそこまで深く考えなかったと思います。答えにはなってないんですけど自分は人間が行うトリアージという行為に正解(万人が納得すること)はないと思います。
でも最善なら存在する。救われなかった命は最善を尽くした結果救われなかった。治療したら治りそうな人が二人いて、一人治療してる間に片方が死ぬ状態の時、もし自分がその中の一人だったとき、わたしは隣の人を優先してくださいなんて言わない。助かる確率の高いほうを選んでほしい。それが最善であり、最善でないものに救われなかった人はいてはいけないと思う。
黒タグをつけられた患者は、その人がどのような最期を迎えたのか、遺族の方々にも伝えることが出来ないんだもんね、そのような方々に対する心のケアも大切。
ま、ベストはトリアージが起こるような状況にならないようにすることとしか言えんな
陸自に居た頃に補助担架(衛生兵補助)の教育で習った
自衛隊従事経験者の方が他にも何人かいらっしゃいましたが、やはり皆さんそういう訓練や学習はするんですね。いつもありがとうございます。
例えどんな状況であろうとどんな性格であろうと人が死ぬことは悪い事なので、正義にはならない正義は人が死ぬような話になる前、教育や裁判等の場所で語られるべき正義がないならせめて利益があった方がいい自分が切り捨てられる少数側になったとしたら絶対に認められないし抵抗もするけど、その分冷静でいられる第三者が縛り付けてでも悪になってでも多数を助けるべき戦争とかしたくねぇな〜〜〜〜〜〜〜〜
両方を選ぶことをあえて考えさせないように情報操作やミスリードやレッテル貼り、チェリーピッキング、ストローマン論法を駆使してくる連中に気おつけねばならない。
仁ってドラマがあったけど、あのドラマ内で求められる選択がトリアージなんやなトリアージタグとかも出てきたし
自分には答えが出せないと思う。
トリアージに関しては、前提が「どちらの選択をしても必ず犠牲が出る。全員を同時に救えない以上順番にやるしかない」という前提で優先順位をつけることになるので、「見捨てた、切り捨てた」ではなく「間に合わなかった」と捉えるようにしたほうがいいとは思います。
なるほど、そういう考え方もいいかもしれないですね。本当に緊急時の場合明らかに間に合わないとわかっていての選択も出てくるのでしょうが、私たちはそう思っておいた方が医療従事者の方への見方が緩和されるような気がします。緊急時って気持ち荒みやすいですしね・・・
お医者さんは完全な正義ではなく、患者さん自身の治す力を助ける仕事と聞いたことがあるので僕はその考え方に賛同します。
間に合わなかったも適切じゃないかも。戦場などの危機的な状況で物資も十分にないってことはやはり物理的に全員を救える状態にない時だったりするわけだし。まあ気を回した言い方にはなると思うけど、遺族に「間に合いませんでした」と言ったところで治療を優先しなかった事実があるから結局「見捨てた、切り捨てた」ってなると思う。
ラジオで元旧海軍の軍医って人が言ってた。「戦闘中は治療の順番は重症者からではなく艦の戦闘力を維持するのに必要な人間から治療する。
なぜなら、艦が撃沈されれば全員死んでしまうから」
トリアージ、「表向きはやっていないという体で、実はやっている」っていうのが私は幸せかな…
大切な人が亡くなった時に「大勢を助けるために見捨てました」って言われるより嘘でも「手は尽くしましたが救えませんでした」って言われた方が納得できるかも。
難しい問題ですね・・・。隠して行う場合、それが露呈したときに必ず騒ぐ人が出てくる、という問題もあります。
個人的には「こうなった場合はトリアージを行います」と事前に言ってほしいなと思います。もちろん大激論は巻き起こるでしょうが、国民に考える機会を与えることは必要だと私は思っています。実際は無理でしょうが苦笑
トリアージの考えのもとでは、手は尽くしたと言える…と思う
もしそうなった場合、私はトリアージはすると事前に言って欲しいですね。知った時に騙された、隠されていた、と思ってしまいそうなので
あと帽子無し魔理沙かわいい
話を聞いてるとfate/zeroの切嗣のことが頭に浮かびました。
「誰かを救うことは誰かを救わないこと」
この考えは極端だとしても救える人が多くするためにもトリアージは仕方ないかな。ただ救わないのが身近な人だった場合、自分は仕方ないと割り切れないのかなと思いました。
私もこの動画作りながら「これの究極系は切嗣だよなあ」って思ってました。制度や医療関係者としてはそれしかないのだと思いますが、仕事とか関係ない個人としてそういう選択を迫られたときどうするか、っていうのは考えておかないといけないと感じます。
いろいろ流されて医療職やってますが、この世界に足突っ込んだときに考えた問題ではありますね。主氏の仰るとおりなんですよ。
実際そういう現場に突っ込まれたら覆るかもしれませんが、私的結論は「助かる見込みのある人から優先」それがこの世界に足を踏み入れた者に背負わされた業かなと考えてます。
まるで戦場だね
お返事遅くなりすみません。そして医療職の方に見ていただき光栄です。
仕事として考えた場合、ルールや制度に従うことは当然の帰結ではあるんですよね。それがルールであり、仕事に就いた時点でそこに了承しているはず、で話は終わってしまう。終わっちゃうのですが、でもやはり理屈と感情は別なわけで、多くの葛藤や悩み、そして決断があるんだろうなあと、多くの命に関わってくださっている医療関係者の方には頭が上がりませぬ。
現場の方の心理的なご負担を減らすためにも、なるべくシステマティックな体制にしたほうがいいのだろうけど、抵抗は必至ですね。
@@user-HUTOMAKIMAKI
実際、戦場で生まれたシステムだからねぇ……
@@青い消火栓 そうだったのか…
申し訳ない、ちょっと忙しすぎてコメ返しが全然できておりません。
土日には落ち着くと思うので、またゆっくり拝読させていただきます。仕事してくるー!
いろんなご意見ありがとうございました。自分なりにもいろいろ思うところあり、考えてみたいと思います。
コメント返しはここで打ち切らせていただきますが、コメントは全部拝見していますので、またいろいろご意見聞かせていただけると嬉しいです!
マイケル・サンデル教授の本が大変面白かったですね。正義については。
功利主義に基づく、「全体の効用を最大にすべきである」→できるだけ沢山の人を助けられるようにすべきだ、という考え方。
カント的な考え方の「助けるにしろ助けないにしろ、それは動機によって正しいかどうかが決まる」という考え方
ロールズ的な「格差や差別はそれが最も恵まれない人々にとって利益になる機構から生み出されねばならない」という考え方
脳汁ドバドバぁ〜(ラストにバカになる男)
私も読みましたー!読みやすいですし考えるキッカケになりますよね。いずれ扱いたいテーマだなーって思ってます(うっ、頭が・・・)
ちな私はロールズの考えが好きです。格差を受け入れてるところも良き。
スターリン「一人の人間の死は悲劇だが、百万人の死は最早統計である」
トリアージによって自分が死ぬ苦しみとトリアージによって亡くなる人を見る苦しみとどっちが苦しいだろう
それはきっと当事者にしかわからないんでしょうね・・・
元自衛官で衛生科でした
トリアージの訓練したことあります
正しいか間違ってるかで言うと間違ってると思いますが、そもそも戦争が間違ってるので戦時中の行為で正しい行為なんてないです
その中で多少はマシな物を選択するだけです
コメントありがとうございます。
少しでもマシなものを、そうですね。まず間違った状況にならないように備えておく、そちらの方が遥かに大切ですね。
中国に住んでいた人、イタリアに住んでいる人に、
SNS上で繋がりがあり、
定期(毎日)~不定期(2回/月)程のお付き合いがあります。
イタリアの方は、はっきりと、
「ご高齢の方の呼吸器を若者に回す」
と言ってみえました。
昨年の3~4月の頃の話です。
それが現実になってる社会の人々の言葉は重いですね・・・。それに比べると私たちはやはりどこか現実感のないところで話をしているように感じます。
27年前の日本で、トリアージが実施されたそうです。
阪神淡路大震災が起きた直後の病院で。当時の日本では、トリアージという言葉が一般人のみならず、ほとんどの医師にも知られていなかったそうです。
次々と運び込まれてくる重症患者に対し、現場の指揮をとられた医師が、選別の指示をする動画を見ました。
「この人はもう蘇生はムリや。諦めてもらわんと」
「次の人のところにいこう」
という言葉が、とても重かったです。
まず、搬送受け入れの段階で
「もうダメな人はあかんで。大丈夫な人を連れてくるように」
と指示を出していて、衝撃的でした。
関わった医療関係者の方たちの心の傷も深そうでした。
これが現実なのだなと思うのと同時に、ゆっくりさんのこの動画を思い出しました。
きれいごとでは生き抜けない局面をどう乗りきるか、日頃から考えるべきと思いました。
海堂尊先生の『ジェネラルルージュの凱旋』で初めてトリアージの事を知りました。作中ではデパート火災によって文字通り患者が溢れるほど運び込まれ、一刻を争う事態で使われていました。
なのでメディアが安易にトリアージという言葉を使うことに疑問を持っていましたが、今回の解説を見て疑問通り越して「やっぱり煽りたいだけなんだな」と確信に変わりましたね。
メディアの使用の仕方には違和感を感じますが、まあ煽る必要があることも間違ってはないんですよね。ただ正しく煽ってほしいです苦笑 正しく恐れましょう(ゆゴシ並感)
トリアージは現実的な物理的限界時の取捨選択。
動画中で語られている通り、感情論的余裕が最早無い又は考慮できない場合に用いる。
その様な状況下で「あなたの身内でも受け入れますか?」と問うのは「感情でも納得できますか」と問うているのと同義。
感情論で現実が動かなくなってなっている状況下で感情論を問うのはナンセンスだ。
(それが後日妥当であったかどうか疑義するのは判断者の知識技量と信用の問題だろう。)
それに緊急時の集団の中で自己の感情での優先を容認する人は他人の感情からの行動も肯定するという事でいいのかな?
まぁ、それこそ緊急時の感情優先は現場の混乱と救助の放棄でしかないと思うけどね。
(まさか自身の感情だけを優先しろとか言う自己中を肯定とは言わないよね?)
「感情でどうだこうだ」は生を当たり前に思いすぎ死を極度に忌避し目を背け命を背う事を認識できなくなった現代人特有の病気。
死が身近になくなったからこそ、死に対する経験も学びも生に対する感謝も重みも理解できなくなったのだろうね。
重いけど平時に想定しておかないといけない大事なテーマだと思う。
特に混乱しているときは正常な判断をするのが難しいからね。
それに人はルールがあると行動しやすくなる。
お返事遅くなりすみません。こういうことをぜひ学校とかでも話してみてほしいなあって思います。理論と現実、理性と感情、両方のバランスを取る訓練、そして相容れない場面等における思考など、そういう話は学校でこそ必要だと思うですよねぇ・・・。
私が国家試験を受ける前の年に福知山線脱線事故が起きました。
学校でトリアージの研修を受けました。
先生から貴方は黒を切れますか?と言う言葉をいただきました。
私は黒を切る勇気はありません。
医療職の方の葛藤の最たる例ですよね・・・。そこを押し殺して職務を全うされている方には尊敬の念を禁じえません。私も無理です。
「タグを付ける人の精神が一番心配です」
”シ刑執行のボタンは複数あって複数人が同じに押す”
と聞きました。
これは執行人の精神的負担を減らすためです。
ちなみにトリアージタッグをつけるのはそれ専門の役目を与えられた人とのことです。1人どころではなく、何十何百と貼ることになるんでしょうね・・・。
うーん、トリアージ自体は善悪云々っていうより必要なものだと思います。全員は救えないっていう前提がある訳で。
逆にトリアージしない状況っていうのは最初の分類で黒の人から救うってことになるんですかね。それはそれで結果的にさらに多くの優先順位の低い人を見捨てる事になりますよね…
ただ見捨てる・見捨てないのボーダーラインを決めるのは本当に難しい事だと思います。
いざという時にならないとわからないけど、考えておかなければいけないことかもしれませんね
そう思います。私は動画作っててよくわかんなくなりました笑
私は、トリアージはあってしかるべきシステムだと思います。(私はまだ、親しくしている身内が亡くなった経験が無いので、こういった死生観についてあまちゃんな側面があるかもしれません。「お前がそんなことを言えるのは、親しい者を亡くした経験がないからだろ!」と言われればそれまでですが、逆に言えば私みたいに身の回りの人を亡くした経験のない人は、多かれ少なかれ私に似たようなあまちゃんな死生観しか持ち合わせていない、ということでしょう…。また、私は医学系に進みたいと思っていますので、そちらよりの意見になってしまうと思います。)
先ず述べておきたいのは、トリアージを支持するからといって、「医療の意味をはき違えてる(命に優先度をつけるのはおかしい)」みたいな批判には結びつかないと思う、ということです。
歴史的な背景云々の話で、かつてのトリアージは「貴族とか一部の特権階級に集中的に医療を施していた」というくだりがあり、現代のトリアージはどうかといえば、「医療的リソースをあまり割かなくて済む人に集中的に医療を施す」ものである、と述べられていました。つまり、現代と昔とでは切り捨て方の本質は違うのです。
(※少し補足しておきますと、そもそも医療というのは人間の生死を狂わせるものだと思っています。遺伝子の転写がバグって体の中がぐちゃぐちゃになってしまう構造/機能的欠陥(癌)に罹った動物は、本来ならば死ぬ定めにあるはずでしょう。それがひょんなことから、体を切り裂いて組織を取り出す(手術)ことで自然淘汰の定めから抜け出しています。つまり、医療というのは本来ならばそこで死ぬ定めにあった人を勝手に助ける行為にほかならず、極めて恣意的なものです。ですから、既にゆがめられてしまった”命”に対する冒頭のような批判は、私にはそのいびつさを意識していない極めて楽観的な人に映ります。まぁ、これが人間らしさなのですが…)
医療的リソースを多分に割かなくてはならない人は、先ずは高齢者、他の疾患持ちなどの医療的弱者。次点に、それらにあてはまらない重篤患者さん、といった感じになることは動画で説明されていました(もっとも、これも病気によって変わってくるものであることは言うまでもありませんが…COVID-19を例に挙げれば、まさにそうですよね)。ロールズの言う正義を考えるならば、そもそも”医療的弱者”だなんだというのは原初状態をぶち壊したとんでもない状態ですから、是正されなくてはなりません。いうなれば医療従事者はみな目隠しをされて、誰か患者さんをてきとーに指さしてください、みたいな状況が正義の理念に適っているわけです(オリジナルのニュアンスとは少しズレるかもしれませんが)。
ところで極限状態になくても、お医者さんは”責任逃れ”をする場合があります。例えば、すい臓がんは発見するのが難しいので、必然的に手術をするにしてはステージが進みすぎていることが多い。すると、お医者さんは消極的な治療法を提示して、余命を全うすることを提案なさることが多いようです。要は、手術したのちの合併症などを鑑みて、リスクを減らしたわけです(参考:外科医の腕は何で決まるのか がん手術のすべてがわかる (幻冬舎新書))。自分の判断(決断を下すのは患者さんであっても、それらを提示するのはお医者さん自身ですので)で、後々訴追されることは避けたい。これが、お医者さんも人間だ、ということの意味です。
Wikiによれば(エビデンスは薄いですが…)トリアージの選別は、治療に直接関与しない医療従事者が行うようです。つまり、トリアージがある限りにおいては、”責任”の所在は非常にうやむやにされるということで、この意味において、お医者さんにされた目隠しはトリアージの隠喩だったことになります。
ですから、お医者さんが指さす患者さんはみな重篤ではないですし、その人を選んだお医者さんも”正義”が実現されていると錯覚できるわけです。そうでもしない限り、現場で治療にあたられるお医者さんは責任感に縛られて、決断をできなくなってしまいますので、歪な”命”を扱う医療現場には、これくらいの歪さのあるシステムを導入してやることも、ときには必要だと思っています。特に、極限状態などのテンパりやすい状況においては、その歪さが増すわけですから。
途中、何を言いたいのか迷走しましたが言いたいことをまとめておきますと、
医療はそもそも命の在り方をゆがめてしまっているのだから、そこに倫理観のような崇高なものを持ち込むのは無意味。必要なのは、その歪さを感じずに仕事のできるシステムであって、そのひとつがトリアージであるということです。
まぁ案の定、お医者さん側の目線になってしまいましたが…
お返事遅くなりすみません。そしてコメントありがとうございます。
やはり医学に関わる方の意見には実感が伴いますよね。。。
ちなみに単純な興味からお伺いしてみたいのですが、医療は命の在り方を歪めるもの、となると原初的な「手当て」や「傷を舐める」等の行為、草を使った化膿止めや親知らずや虫歯等の抜歯などはどのような扱いになるのでしょうか?これらも広義には内科や外科治療の1つに入るのかなと思いますし、手当てには脳科学等の進展により脳のバランスの変化等を引き起こすことがわかってるみたいなので、これも原始的な医療の1つに入るのかな?とも思ってしまったりもしていまして・・・。
自分のときは、他者の為の名誉ある死であると思えるけど、大切な人がそうなったとき、自分が犠牲になると言ったときに、それを誇りに思って前に進めるか。
私はしばらくは思えない自信がありますね苦笑。エゴですが。
14:57 魔理沙「影でやるとかもっとタチ悪いんじゃ・・・」
なんか結構堂々とやっていたような気がするのは気のせいでしょうか・・・
(戦時中、野戦病院で歩けない負傷者に軍医が「ゆっくりして逝ってね!」とばかりに手りゅう弾や青酸カリを渡してセルフあぼーんを半ば強制的にやらせようとしたり・・)
地雷の威力は命を奪うほどにはワザとしていないそうです。
医療に関わる負担を増やすことが目的です。
そのために助けられる人も減るでしょうし、
周りに負傷者が多くいれば士気も落ちます。
「”やる”とかもっとタチ悪いんじゃ・・・」
自死の手段を渡すのは慈悲であるとも思いますよ。戦時の背景を鑑みれば致し方ないことでもあり、苦しまないような配慮でもある。もちろん誰もが生きて帰りたかったでしょうが。
現代に生きる私たちの感覚だけで考えてはいけないと思うのです。
戦争が進めばなりふり構ってられないですしね・・・。戦争がそこまで泥沼化してない初期の頃は暗号とか使えたんでしょうが、その暗号が通じる時間はそんなに長くない(命に関わるならなおさら)でしょうし。
助からない患者に手りゅう弾を渡すのは慈悲か、というところは難しい問題ですが、手りゅう弾を渡す余裕があるだけまだマシ、という見方もできなくはないのかなあって思わなくもないです。
とあるメキシコな動画を見て心底から確信したこと:
即銃殺や即薬殺というものは本当に慈悲が深いものである。
足や腕をマチェーテで折って尚いたぶったり、即死しないことをいいことに肺を開けて拷問を続ける、などと同様な事が戦争では起きた筈だから。
今この時期に俺たちに出来ることは、優先度の低い人でも助けられるように俺たちが気をつけることだな
ほんそれです。日本ではトリアージが必要な状況にはならないとは思ってはいますが、それでもやはり死者は出てるわけで、できるだけ時間稼ぎを意識してほしいなって思います。
少数派は切り捨てるべき。誰とは言わないけど、税金の無駄になる存在や価値のない人間も同様。でも自分や自分の大事な人はちゃんと助かるべき。
なんか残念だけど人類のほぼ全員がこう思ってるのは間違いないと思う。綺麗事抜きに。
お返事遅くなりすみません。
その通りではあるのですが、それを国家が大々的にやるのは国の定義に反してしまう、というのが難しいところではありますよね(もちろん国の定義によりますが)。日本は特に自己責任論が強い傾向にあると私は思ってるので、なおさらな感じがします。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
返信もらえたの感動(*´ω`*)
正直、実際に自分がその立場になった事が無いから言えるのかもしれないけど、
『この世界は、全ての人に死があり、そして老衰で逝ける事は当たり前ではない。』
『犠牲は必ず出てしまうから、一部を犠牲にするか、全てを犠牲にするかの二者択一しかない。』
と、今は考えています。
コメントありがとうございます。
それを自分にも当てはめて今をしっかり生きられるか、が個人的な課題ですね。どうしても今日は死なない、明日も死なないって思ってしまっていますし苦笑
私は私を救うために複数人の命を奪うのは嫌です。
家族のために他のたくさんの家族を不幸にするのも辛いです。
なのでトリアージに賛成します。
私はどっちも嫌、が正直な感想です(最低)
でもまあ、どちらかを選ぶってなったら、自分なら仕方ないってなるでしょうが、家族なら本気であがくでしょうね・・・。その際はできる限り邪魔にならない範囲にとどめたいと思います。
私は日本の例しか知りませんが、日清戦争時に陸軍ではトリアージを普通に採用、導入しておりました。満州事変時が最初の導入という話は初めて知りました。私の知っている日清戦争時には、野戦病院にカラータグごとの旗を立てておいて、その色ごとに患者を収容していたのですが、この方法だと文字が読めなくても色合わせをすれば指定の患者を後方機関へ移送出来たので、現地採用の人夫を活用出来たわけです。んでもって、決戦下医療方針の変更をおこなった昭和19年まで陸軍軍医団では重症者優先救護を一貫して採用して居たはずですが、違うのでしょうか?
自分のこと家族のこととして考えてみましたが、戦争や災害が原因で選別されない側に回ってしまうのは、仕方ないと考えるしかないという結論に至りました。
理由は、選別から外れて命を失うのも戦死や災害死に含まれる、と解釈したからです。つまり、うやむやのうちに選別から外されてしまうのではなく、選別が制度化(?)された状況であり、残された者に対して社会保障や支援、たとえば遺族年金のような制度とセットなら受容しましょう、という考え方です。
トロッコ問題のような単純モデル化したケースだと、こういう結論にはどりつけないだろうと思いまして書かせてもらいました。
阪神淡路大震災の際のトリアージの映像がyoutubeにありました。(検索すれば見れると思います)重軽傷関係なく次々に患者が運び込まれてきて、15分間心臓マッサージを続けてた患者を「やめなさい」「次の人にかかろう」って制して、これがまさにトリアージ…ご家族の方に聞こえていたら、すごく苦しかったでしょうね
現場の緊迫具合を見てみるのも判断の助けになると思います。ヤツのせいでってことはもうないと思いますが(そう願いたい)日本は災害大国なので、戦争じゃなくても近い未来にあるかもしれません。南海トラフ地震とか。
私はトリアージで死ぬ人よりトリアージで生かされる人のほうが多いならそれでいいと思ってます。自分や身近な人が死ぬ確率も下がるので…しかし、切り捨てられる側になってこの姿勢を保てる自信はありませんね
恐らく、自分のことならある種踏ん切りをつけられると思うけど、大切な家族のことだと死ぬほど泣いて、恨みするだろうけど、それでも仕方ないと首を縦に振ると思う。ただ、代わりに生き残った人には忘れないで欲しい
トリアージしないともっと人がなくなって悲しむ人が増えると思ったから必要だと思う。それとトリアージには治療の優先度だけじゃなくてこの人のどこがどのくらい怪我をしているのかをパッと見てわかるようになっているから効率の面でもあったほうが便利なのではないかなと思った。でも僕らのような医療には直接関係ない話だから医療に携わっている人の意見のほうが重要なのかなとも思ったりする。結局批判する人は批判するし難しいね。
戦時はともかく、災害時のトリアージは本当に多くの人を救いますからね。骨折程度なら後回しでもいいですし。軽症者ほど騒ぐ元気があるので、そういうのを冷静かつ冷酷に見極めていく指標はどうしても必要になるよなあって思います。
今回のコロナ騒動に関しては医療従事者の負担えげつないですしね・・・。私の知り合いの看護師は、まだヴォルデモート患者が少ないこともあって「今年はボーナス多かったわ」って嬉しそうにしてましたが、いずれ増えてくることが予想されますしその覚悟はしてるようでした。その後に言ってた「やめるなよって意味だろうな」ってつぶやきが印象に残ってます。
コロナを名前を読んではいけないあの人の名前にするのは草
リスペクト元の半時間以上ゆっくり解説のゴシップチャンネル面白いですよね
年を取ると、アッチもコッチも立たなくなる。
下ネタ警察だ。そこまでだ逮捕する。
うぽつ
動画面白かったです
ありがとうございますー!頑張った甲斐がありました。
問題は細分化せよ
この思考法に従うとトリアージ自体には善も悪もないと思う
正しい目標を設定して、それに現状で最も有効な手段を採用するのが善であり、状況によりトリアージは善にも悪にもなりうるのでは
まさにその通りだと思います。その上で考えたいことが「何をもって”最も有効”とみなすか」なんですよね。そこで功利主義を取るのか、弱者の救済を取るのか、短期的な視点で見るのか、長期的な視点で見るのかetc...
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
返信ありがとうございます
論理的に答えを出すのは難しいですね
しかし現場ではできる事は限られるので、最善を尽くしたならどんな選択も正しいと言えます
それに正しく運用されていれば、トリアージが100%生死を決定してる訳ではないですし、見えない所で人の命を助けているのでしょう
事故った子供が病院に運ばれたけど567患者
でいっぱいで死んでしまったと言う情報を聞いてやはり選択をすべきと思ったわ。残酷だけど綺麗事より利益と優先度を考えた現実的な話で世の中動いてほしいな。
コメントありがとうございます。
問題なのは事故の患者と感染症患者の場合、感染拡大のリスクを鑑みると感染症の方が重要度が高い場合があります。まあそれも時と場合に依るわけですが、少しでも多くの人が助かってほしいなあと思います。
英語には’triage’’alternative’’priority’など直訳しにくい「選択」系の単語が多いような気がする。
たとえば英語には牛を意味する単語が”cattle”cow”bull”bullock”ox””calf”などたくさんあることを考えると、西洋人には優劣をつけるという発想が生まれやすいのかも?
お返事遅くなりすみません。
そうなんですねー。私は英語はさっぱりなのですが、職業を表す単語でianとistがありますが(サイエンティスト、ミュージシャンなど)、ianの方が位が高い表現だとされているって話を聞いたことがあります。
トリアージはむしろ人権を尊重してると思うんですよね。
階級や出身、貧富は本人にはどうする事も出来ない場合が多い、対して病気や怪我の度合いは皆等しく有り得る。
勿論戦時中等では最前線に送られる兵士と安全な基地内に居る上層部では怪我の度合いは大きく変わってくるから、間接的には階級が怪我の度合いに影響してるんですが、それでも、まず前提が階級等無視して同じ人間で、そこから怪我の度合いによって優劣が付けられる、最初の優劣が同じ位置であるトリアージは人権を尊重していると思います。
もし自分が後回しにされた場合でも仕方無いと思います。(といっても、いざその状況にならないと分からないですが)
ただこれが自分の愛する人なら…仕方無いけど納得出来ないかもしれませんね。
もしそれで愛する人がタヒんでしまったら、トリアージした人を恨みますね、逆恨みであると理解していても。
トリアージは治療の最終手段に使うべきだと思います。助けられる命があるにも関わらず、重大な人を優先するのは、結果的に救える人を減らす可能性があるからです。最初はトリアージ以外の治療法を使ったうえで、手を尽くした時に限り、トリアージを採用するのが、医者や負傷者にとって最善だと考えますね。
軍隊だと戦闘時には民間と真逆で軽傷から助けるんだよね。
戦線復帰させるために。
実際レッド切り取ってブラック付けた人には、自分が殺したような感覚に陥った。
これ難しいのがその時になってみないと分からないよね。トリアージにおける重視するものはその場その時で変わってくるし。
トリアージが行われなかった場合に自分もしくは身内が救われなかった場合も考えるべきでしょうね、
私個人の話であれば私自身がトリアージで見捨てられても納得できます。
「人は必ず死ぬ」という絶対的事実からは誰も逃れることも出来ないので、いつしか「自殺は絶対にしないけどいつ死んでもいい」みたいな価値観になってしまいました。。0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
ちなみに一般論として考えた場合でもトリアージは賛成派です。
ただ助けないという判断をするのであれば対象者に対してそれ以上苦しまずにすむ何らかの措置があっても良いかと思います。
それもある意味では「人を殺す」ことになり医療従事者の負担が増えるばかりですが。。。
おっしゃる通り‼️
納得できますかー・・・。私はできなさそうです苦笑
もちろん理屈ではそうだ、というのはその通りなんですが、感情的な納得が厳しい気がするんですよね。感情的な納得って語義矛盾なんですが、いい言葉が思いつかない。
自分だけよければいいのか、理屈的に正しいなら仕方ないのか、他の人が救われるのであればいいのか、功利主義を受け入れるのか否か、トリアージはぶっちゃけ自分とは関係ない事柄ですし、される側になったとき自分も死にかけだと思うので構わないのですが、いざ自分が近い決断する側になった時どうなのか、その辺をもう少ししっかり考えないとなー、というのが私個人の動画作ってての感想でした。
秋葉原のあの事件でも、実施された記憶が…
はじめまして。
トリアージの是非はともかく、安全で高度な医療を、普段当たり前に受診出来ることが、どれほどありがたいことなのか、気付くきっかけになりました。ありがとうございます。
飲んでもお腹を壊さない水で、洗濯や洗い物に使える事や、寒い季節に蛇口一つでお湯が出ることなど、数えだしたら私は幸せだと思います。
どうかどうか、一生トリアージが必要な状況に合わないことを祈ります。
政治学で、どんな決断を下しても、必ず誰かしらの犠牲の上に成り立つ理論を習った気がします(間違っていたらごめんなさい
)。経済学や組織学でも似たような結論だったと記憶してます。 ということは、怪盗キッドさんのおっしゃる通り、普段から何かしらの振り分け(切り捨て)はあるのかもしれないですね。わかりずらいように工夫しているのでしょうか。それとももうみんな諦めているのでしょうか。
はじめまして。コメントありがとうございます。
本当にそうですね。海外が軒並み酷いことになる中、日本はまだ踏みとどまっていますし日本の制度を維持してくださってる方には感謝しかないです。
何かしらの犠牲が出るのはその通りだと思います。そしてその振り分けを考えるのが正義論なわけで、功利主義をはじめとしたいろんな考えがありますね。いずれ動画にしてみたいと思ってます。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
すっごく楽しみです。先生のペースで素敵な動画を作成なさってください。私もそれまでに、私なりの考えをまとめとこうと思います。宿題みたいで楽しいです。
返信ありがとうございました。
フジドラマの救命病棟24時で災害時トリアージをテーマに1クールやっていましたね。あくまで平時の医療を続けようとする病院スタッフと、トリアージを淡々と行い罵声を浴びるフリーの医師が描かれていました。
フィクションではありますが、緊急時にトリアージしないのは目の届かないところでブラックカードを増やしているようなもの、と感じました。
自分や自分の大切な人がブラックやグリーンを切られたら、トリアージの大切さを分かったつもりでも取り乱すでしょうね。その時は号泣しながら従おうと思います。
アベプラニュースでみた「譲カード」を思い出した
調べて初めて知りました。うーむ、難しい問題ですね。特に日本は空気の問題がありますから、同調圧力的なものもありそうで苦笑
正義論はトロッコ問題とか道徳かなにかでやったし調べたことあるから多少理解あるけどトリアージは初耳で気になることだなって思った。
21:20は自分が対象だったらどうぞ見捨ててくださいっていうし家族だったらどうぞ見捨ててくださいって言います。
正しいか間違いかなんて人によるというかそれこそ絶対的な区別のしようが究極的には感情になるしどうでもいいかなー。
必要性も正直使う人によるし私はそれを受ける側で受けた時の反応がこれだし全員救えるとしてもそれを温存するべきではと考えてしまい一旦収拾をしたいなということで期末試験の勉強頑張ります。
トリアージを正義論と関係させて考える人はあんまりいない、というかトリアージ自体コロナが出てこなかったら触れる機会すらなかったでしょうからね(少なくとも私はそうでした)。
おー、そこまで断言できるのはすごいですね。私には無理ですw
個人的には感情ってかなり厄介なんですけど同時にすごく大事なものだと思っていて、犠牲を最小限に抑えるにしろ、最大多数の最大幸福を目指すにしろ、その人個人の最大幸福を目指すにしろ、感情を切り離して考えるべきではないと思っています。そもそも幸福自体が感情ですし。
試験勉強ファイトです!
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
私の言っている感情は切り離して考えているということではなくただ究極的には感情になるという考えで切り離すか否かはあんまり考えてないですね。感情が絡んでくるから考えるの面倒であるという……目の前の試験の方が重要ですしほっとこうと。
安全な所で考えているだけの自分って何なんだろうな
災害医療に力を入れている病院の就職面接時に「災害時あなたがトリアージスタッフに選ばれたとして、救命が困難な傷病者に対し家族の前で黒タグを切れるか」と質問された事を思い出した。
災害時っていう物的にも人的にも医療資源が不足して需要過多の状況下では非情だと思われても黒タグを切らなきゃいけない。
地震大国の日本だから医療職者だけじゃなく全ての人がこういう動画を通してトリアージについて一度考え理解を深めて欲しい。
他者に判断を依存する最低の考えだと承知の上で言うと「国や医療従事者に従う」が個人的な意見ですね。
自分は医療従事者じゃないから文句を言おうと実際何も出来ないわけで...
決断に対して足を引っ張って余計な犠牲者が出れば、それが一番良くないことだと思います。
ただ事態が収束してからなら、文句は言っていいでしょうね。
あくまで批判の上での選択肢、最終手段として存在しているのが健全な気がします。
トリアージを全肯定する社会は恐怖でしかない。
自分以外の他者に救ってもらうのであるから、その他者の判断に従うのは当たり前だと思います。
感情論で他社の判断・能力に同意できないor疑問があるのであれば自助すればよいのです。
手を伸ばしてくれる他者を拒否するのも自由。
そしてそれは手を伸ばした他者も理解し受け入れてくれるでしょう。
救われて当たり前。
生きてて当たり前。
こんな考えがどこかにこびり付いてるから、いろんな疑問が出るのだと思います。
国や従事者に従う、これに関しては「それしかない」と言える領域かもしれませんね。マンガとかだと医者や関係者などを治療しろと脅すケースも見られますが、これに関しても「うーん」ですし。
しかしながら「救われるのが当たり前」という意見に対して個人的にはそうあるべき、というのが個人的な思いではあります。その思いが成り立たない社会は不安や恐怖が蔓延する、他者や身内以外の人を警戒せざえるをえない世界になってしまうのではないか、と思わなくもないからです。
もちろん救ってもらえる範囲と救ってもらえない範囲を理解しておくことは必要ですが、こと命の危機に関しては無条件で救ってもらえる、と人々が思えない社会はまずいのでは、というのが私の意見です。
映画の『タイタニック』で、ローズの元婚約者が嘘をついて救命ボートに乗せてもらっていましたが、
あれはずるいなと思います。
その通りではありますが、自分が救われるためのウソはぶっちゃけ自分がやってしまいそうで怖い。というかやってきた気がする苦笑
トリアージは、最も公正だと思います。
救える人を救えるだけ救う。死んでしまった人を生き返らせることはできない。軽症の人に高度な医療リソースを割いてる暇なんかない。
悲しくても、トリアージが行われる状況はそんな状況だと思います。ただ、どんな怪我人にも家族、友達等、その人が大事な人がいて、何にも変えられない人がいます。
だからこそ、お医者さんには救えるだけ救って欲しい。苦しむ人は病人だけじゃなく、その人の周りの人もだから、本当に苦しいけれどトリアージの方法で救ってほしい。
個人的にはそう思いました。
最も公正か、に関しては意見が分かれるところだとは思いますが、トリアージが行われる状況に関しては本当にその通りだと思います。平時ではなく、刻一刻と犠牲が出ている状況なんですよね。
戦時のトリアージにおいて『助けるべき人を助ける』というのは至極真っ当な判断に思えます。将校が安全な場所にいることを感情的に批判する人がいますが、単純に指揮官を失えば兵士を束ねることはできず最悪部隊は全滅するでしょう。
絶対に助からない命にリソースを割くのは賢明とは思えず、恐らくほとんどの人はそれを理不尽だとは思わないのでは?(感情は抜きで)
すべてを助けられない以上、どうあっても選択は必要です。結局ネックになるのは感情で、であればヴォルデモート卿の到来によって必ずしも他人事とは思えないいま、そういう事態に対して覚悟をしておくことしかできないのではないかなぁ…。大切な人と話して、いざとなったら自分はこうしたいと伝えておくなど。
この問題に対する批判て恐らく感情論だけだと思うんですが、もしほかに批判する部分があるならどういったことで、どう対処するのがいいのか知りたいです。粗末な脳みそなもんでパッと思いつきません…
お返事遅くなりすみません。
んー、感情以外で、という話なのであれば、人の命は平等ではないのか?という平等を前提とする考えがあるかなと思います。これは特に宗教を基本とする場合に多い反論ですね。
あとそもそも医療を否定する人、運命論者、選別ではなく先着を基本とするなど、そういう私たちからすると納得しづらいもの(納得はしづらいけどその前提に立てばそうなるよなあ、ってなるもの)などちまちまあるような気がします。
その時思い出せなかったのが悔やまれます。
アニメ”ブラック・ジャック”の1話目が「オペの順番」でした。
なるほどな…Twitterで命に関わるデリケートな内容って仰られてたのはこう言う内容だったからか…
皆もみーのゆっくり先生ちゃんねるのTwitterをチェックしよう!(ダイマ)
べそかいてる可愛い魔理沙のアイコンが目印だゾ!
そういうことなんですよー。ちょっと仲間内で話題になりまして、作ってみようと軽い気持ちで作り始めたらこんなことに・・・
二兎を追うもの一兎をも得ず。
全員助けようとして誰も助けられないほうが余程バカだと思います。
お返事遅くなりすみません。
その通りなのです。で、大事なのはどっちの兎を追うかなわけで、トリアージはまだわかりやすい方、ってことなんですよね・・・苦笑
絶対的な正義はありません。大勢のために少数を犠牲にすることも然り。
でも、もし命が平等だと仮定するなら多くを救える方がいい。つまり、少数のために大勢を犠牲にすることは間違っている。
しかし、実際には命は平等ではありません。医療従事者の命は重く、そうでない人はやはりそれよりは軽い。
そうなった時には、トリアージは重要です。全てを救うのができないなら選別が入ります。
決して綺麗事では片付けられない世界があるのです。
もし選別が行われるときに、家族の価値をを考えるならば、やはり親族や親しい人の命は他大勢の命より重いです。これはエゴであり、感情的で、非合理的です。しかしそうであったにしろ、やはり私たちは選びたがる、親族を、友を。
もしトリアージを否定する時に死んでいった彼らのことを惜しむのなら考えてください。
トリアージにより生きたものにも親しい人や親族がいることを。彼らもまた、決して蔑まれるべきではない存在であることを。
正義論も楽しみです。
命は平等ではない、これすごく重い言葉ですよね・・・。
実際はその通りなんですが、それを肯定してしまうといろんな弊害があるわけで、それを踏まえた上でどう現実を再定義するかが重要になってくると私は思います。そこまではまだいけないので、今は平等を建前としている。でも、こういう事態になったときに、その建前が崩壊し、命の価値が前面に出てくるんですよね。
トリアージ?知ってます!佐藤ショウジ先生の漫画・・・ごめんなさい🙇
去年とある特撮作品でこれに似たテーマでとある人物が「手の届く範囲の人達を守り抜く。守り切れず犠牲になった人達の事は決して忘れない」
聞いてて涙が出た。
常に少数を殺し、多数を救い続けたキリトゥグって人がいましてですね・・・
医療においては「生かすこと」が絶対目標だからこそ、その選別が深刻なのかも
切腹が美徳ですらあった「生命の軽い時代」だと、また違う印象になりそうですね
何事も捨てる時は、あっさりと捨てる。
そういう人間が生き残る。
少し考え方がずれているかもしれませんが、戦後の日本においてはトリアージが使われたことがないという事ですので、今生きている私たちはトリアージによって選択されなければならない事態を少しでも回避する事が必要だと思いました。
例えば自然災害にしても無防備であれば災害に巻き込まれ救助を必要としますが、災害に対しての備えを普段から行えば、その時に求められる究極の選択を行わなくてもいいし他人に行わせなくてもいいと。
当然ながら全てを回避する事は不可能に近いですが、少なくとも日常外出する時に歩きスマホやイヤホンなど、しなくてもいい事を止めれば人生の上での災害に遭遇するリスクを少しでも軽減できるでしょうね。
その時どうするか?も大切ですが、その時にならない様に予防する事は大切です。
良くも悪くも命は平等だった
どう考えたものか一向に浮かびませんでした。ましてや緊急時は人々の心が荒んで冷静な判断が出来なくなる可能性も増しますから、なおさら難しい問題になってしまいますね・・・
お返事遅くなりすみません。
軽症者ほど騒ぐ元気がある、というのも戦場などにおいてはよく言われることですよね。そういう極限状態でどう考えるか、事前に考えておくことは本当に大事だと思います。考えるだけで済むのが1番ですけど苦笑
567の騒動で医療の専門家が
「トリアージのようなことが現場で起こるかも」
とメディアで発言していましたね
軽々しく言うなよ、と思いましたが…
トリアージの考え方は知っておく必要があると思います。
しかし、今のメディアは、
その前の”優先順位付け”すら出来ていなくて、
情報も”玉石混交”どころか、”石々混合”くらいです。
わざわざメディアで発言する事では無いと私も思いますが、今のコロ助関連でホテルに閉じ込められている方々は、タグさえ付けられないものの実質的にはトリアージ的な選別が行われているのも事実と思います。
もっと言えばコロ助の入院拒否の罰則化だって、広義では非感染者を救うための強制隔離措置な訳で。現実的には「トリアージのようなことは既に現場で起きている」と私は考えています。
考え方は人それぞれですが、そういう選別の対象にならぬよう、常に危機感をもって対処すべきでしょう。
コロ助のおかげで飛沫感染云々に焦点が当てられすぎて、明確に空気感染すると判明しているインフルエンザ対応が疎かになっているのも悲しい事実。役に立たない布マスクやウレタンマスクでも良しとされる風潮が残念です。空気感染はPFE99のサージカルマスクでさえ気休めに近いというのに。
こんな状況下ですから、コロ助の収束は遥か先でしょう。そして終息は無い。
トリアージの話と随分離れてしまった長文、申し訳ありません。
個人的にはトリアージって言葉を使うのは構わないのですが、その意味を正確に伝える努力をしてほしいと思っています。
トリアージタッグを使うトリアージと、入院患者を選別する入院トリアージはまったくの別物だと私は思っています。入院トリアージのような選別であればコロナ関係なく普通に行われてますしね(ベットを開けたり、さっさと退院させたり、日帰りで帰らせたり、集中的に看護する場所から一般病棟へ移したり等)。
また、ホテル等への入院トリアージはまだ入院するほどではない患者を入院させないことで病床を確保、かつ感染を拡大させないために隔離するためのものであり、見捨てられているわけでもなければ治療が後回しにされているわけでもないと私は解釈しています。実際悪化すれば入院できるわけですし、コロナ自体そこまで病原性が強い病気ではないので特に若者は入院させる必要はない(でも感染を広げられるのは困る)ものですしね。
そして意外と大事かつ見落とされがちなのは「そもそもウイルス系の病気には治療法がない」ってことです。自己免疫による快復のみで、それは重傷者も軽症者も変わらない。重傷者はそれ以外(呼吸不全や栄養失調、脱水、ショック等)で死なせないために入院させてるだけで、治療法がないことには変わりないんですよね。後回しもクソも治療法ないのに後回しにされてるって喚いてる人なんなの、ってところです。自力で呼吸できるのに呼吸器使ってくれってことなんでしょうか・・・
とまあいろんな立場があるとは思いますが、そういう立場がある、ということすらメディアは報道してくれない、あるいはこそっと話す程度なので厄介だなあって思っています。
やっばめっちゃ長くなった。ごめんなさい。
日本で一番最初にトリアージが話題になったのは、秋葉原通り魔事件の時だったような記憶が
話題になったのはその辺りかもしれないですねー。あれは衝撃的な事件でした。
これって緊急時の問題のようで、実は平時の問題なんだよね。
備蓄とか、リソースの余裕とかにどれだけ割けるかで緊急時の選別がどの程度必要かが変わる。
今回の事だって野党から保健所の機能不全の話が出てないでしょ?でも実は役所のその他部署の保健師が応援に行かなきゃ行けないほど逼迫してる。それによって要請者の追跡調査を行えなくなり、クラスター発生が止められなくなっている。
野党がつつかないのは民主党時代に保健所減らしてるからつつけないんだよね。
みんな選挙は慎重にね
平時の問題、ホントにそうなんですよね。まあ緊急時の不足のリソース配分と、平時の過剰のリソース配分では少し意味合いは違いますけど、やってることは同じ。
保健所に関してはお恥ずかしながらあんまり知らなかったので、少しばかり調べてみようと思います。
私は基本的に多数を尊重する意見(トリアージ必要)を言い続け、もし自分の番が回ってくることが分かれば可能な限り異議を唱える。
行動原理としては自分が一番大事なので、助かる可能性が最も高い所にbetし続ける。
あと、本題では無いですが、「戦争に負けると国を失う」は洗脳されてる気がする。
国を失うのはあくまで政治家等の国側の人間であり、国民は統治する人が変わるだけで本質的には何も変わらない(ルールの変化や差別はあると思いますが)。
トリアージは必要。
トリアージに正義はない。
トリアージは大義のため。
自らの大切な人の場合は…医療関係者の判断には従うが自分まで従う必要はない。
自分は自分の為にできるだけのことをする。
阪神大震災を経験して思ったこと。
アメリカの医療制度のトリアージは
赤:金持ち
黃:医療保険持ち
黒:貧乏
…()
コメント遅くなりごめんなさい。
医療制度、というより保険制度がまさにそんな感じですよね。
救える救えないの裁量は難しいな…
きちっとしてたら無理だな、ある程度での妥協案として自分達の選んだその場の代表者の判断に委ねるしかないんじゃないかな…(ダークナイトの爆破スイッチ持った囚人と市民みたいに)
自分が”戦争で兵士に志願して戦う”とかならもっと楽に判断出来るだろうがなぁ…
自分のことであれば自己責任で解決する場合がけっこうありますが、人のこととなると責任がのしかかってきますからね・・・。自己責任よりも責任の方が重い、っていうのは個人的には大きな気づきでした。
「闇(陰)のトリアージ」
(ウプ主の言葉通りではありません)
”重て~言葉”だこと。
おもてーのです ←ただしどの言葉なのかわかってない
自分の考え的には運動会とかでしたくない少数蔑ろにしてきたんだからヨシ!(私怨)
みたいな感じで、もちろん自分がその状態になっても文句言わな...いや文句は言うけどある程度割り切れるような気もする。
ただ大切な人がなるとヨシ!とは言えなくなっちゃうのが迷いどころなんですよね...
お返事遅くなりすみません。
自分事になると途端に難しくなりますよね。これもある種のダブルスタンダードなわけで、できる限り一貫できるよう考えておく必要があるんだろうなあと思っています。
19:17の文句言って代案無しなのが脳内で蓮舫の顔
お久しぶりの魔理沙可愛いチャンネルだ!
おひさしぶりなんだぜ!
重いけど、いつかは考えないといけないと思った。(小並感)
どうあっても大多数や少数より自分と身内が1番大切ですからね。
ここのチャンネルの魔理沙は帽子なしが似合ってますね〜
私もこれに慣れてしまった気がします。
緑のトリアージタグをつけられた人が、自分で緑の部分を切り取って黄色や赤にしてしまうことはないんだろうか?
21:20に対しての自分の意見は「それでも仕方無いものは仕方無い」かなぁ。
自分が当事者になった時、トリアージはしててもしてなくても切り捨てられる側・間に合わない側になる可能性がある(し、同時に優先される側・間に合う側になる可能性もある)んだから、それなら少しでも多くの人が助かった方が結果的に自分(達)が助かる可能性も上がるよね? と。
だから、その上で犠牲になったなら運が悪かったとしか言い様が無いんだよな。
身分による優先順位だったら確かに必然性や格差みたいな不平等を感じるけど、これは正確に運用される内は皆条件が同じ(誰もが優先される症状になる可能性があるし、切り捨てられる症状になる可能性もある)だから。
体質とかは本当に人それぞれだから、考え始めると切りがないという事で置いておくとして。
そもそも助かりたい・助けたいのは皆同じで、その時点でどこかしらぶつかり合うのは必定なんだから、個人個人の感情で考えてたら絶対に解決しない話だと思ってる。
まあこれは自分にとって人生に深く関わるほど大切な人が居ないってのもあるだろうし、誰もがそう割り切れるものじゃないとは分かってるけどね。
自分にしたって、もし本当に遺族や犠牲者になった場合にどう思うか分かったもんじゃない。
でも、だからと言って死ぬ時は死ぬし、最大限効率よく多くの人を救おうと尽くした上で助からないならば、もうそれは仕方無い。
少なくとも、何も起こっていない今の時点ではそう思う。
何も起こってない時点では、ほんとそれなんですよね。そこをしっかりと考えて、ダブスタにならないようにしていかないとなあと思います。
病人怪我人のランクつけだよね
人間って何でもランキングつるの好きだよな
お疲れ様です。
トリアージに関わる人は精神きついでしょうね。見捨てる判断をするのもそうなんですけど、その後の、救った人やその身内、自分の上司や世間からは感謝されて、見捨てた人やその身内からは非難される。たぶん、プラスの最大値とマイナスの最大値を同時に味わうんでしょうね。
戦争でなくとも、地震などでもこの事態は起こり得ますから、決して他人事ではなく、私たちも当事者として向き合わないといけませんね。
こちらこそ見ていただきありがとうございます。
トリアージに関わる人は本当に地獄でしょうね。実際海外では起こってるという話ですし、今も続いている。現状ではプラスの最大値はほぼ味わえてないのではないかと思います。早く収束することを祈るばかりです。
私たちは常に物事を天秤の上に置いて考えていて、全てのものに無意識のうちに順位をつけています。故に私たちは私たちの考え得る最善を常に選択している。
私が言いたいことは1つ。トリアージを医療関係者がしているならば、それは医療のプロが考えうる命を救うための最善である。
もし治療の優先度が高くない有病者でも、親などの近親者が多額の出資が可能な人物で法外なレベルの治療費を払うと言うのなら優先する価値が出てきてしまうと言う問題もありますね…
その多額の治療費で更に多くの人の命を救える事になりますし
そして、「命の価値は平等ではないのか?」と言う非難の声が間違いなく出る
もしこれで自身の治療を後回しにされ最悪命を落とす場合、それに納得出来る程の度胸が自分に果たしてあるのか、それは当事者になるまで分からなさそうですね
医療従事者を先に、というのも実は近い発想ではあるんですよね。それで多くの人が救えるようになるわけですし。
医療従事者はOKで多額のお金を払う人はダメである理由(ただし実際にお金が不足しており、お金で多くの人が救えるようになる場合に限り)はぶっちゃけ曖昧なんですよね。
序盤のヴォルデモート軽症者が一瞬継承者として頭に入ってきてもた…
トリアージを生み出した男爵テライケメン。でも彼はその後どうなったんだろう。軽く反逆罪でもあるよね。って考えた時、この仕組みの危うさにやっと気づけた。.
みーさん、きっかけをありがとう
最後の質問は、助けられた後の後遺症次第・・・・・かな。楽に逝って欲しかった爺さん達が、無理やり生かされて辛そなところを見たから・・・もし家族が助かったとしても、人の尊厳を失うような未来が待ってると説明されたら・・・
他の方に道を譲る選択をするかもしれない。
「命の優先順位」
ほんとに難しい問題だよね
??「多少?あんたにとっては多少でもその人にとっては全てなんやで!」
お返事遅くなりすみません。
その通りなんですけど、苦渋の決断で切り捨てることを選んでいる医療者(全員がそうかはさておき)に投げかける言葉としてはえっぐいですね苦笑
トロッコ問題で1番嫌なのは片方が崖で片方には両親がいる
物事を主観的にしか捉えれない人が増えすぎたことや、全体主義的な考え方は右翼だとレッテル貼りして喋らせてもらえない等々…
現代日本では個人主義が強すぎて、まともな議論ができなくなってる気がする
動画拝見させていただきました。医療ドラマでよくそんな感じのシーンがありますけどこの動画見なかったら私もそこまで深く考えなかったと思います。
答えにはなってないんですけど自分は人間が行うトリアージという行為に正解(万人が納得すること)はないと思います。
でも最善なら存在する。
救われなかった命は最善を尽くした結果救われなかった。
治療したら治りそうな人が二人いて、一人治療してる間に片方が死ぬ状態の時、もし自分がその中の一人だったとき、わたしは隣の人を優先してくださいなんて言わない。助かる確率の高いほうを選んでほしい。
それが最善であり、最善でないものに救われなかった人はいてはいけないと思う。
黒タグをつけられた患者は、その人がどのような最期を迎えたのか、遺族の方々にも伝えることが出来ないんだもんね、そのような方々に対する心のケアも大切。
ま、ベストはトリアージが起こるような状況にならないようにすることとしか言えんな
陸自に居た頃に補助担架(衛生兵補助)の教育で習った
自衛隊従事経験者の方が他にも何人かいらっしゃいましたが、やはり皆さんそういう訓練や学習はするんですね。いつもありがとうございます。
例えどんな状況であろうとどんな性格であろうと人が死ぬことは悪い事なので、正義にはならない
正義は人が死ぬような話になる前、教育や裁判等の場所で語られるべき
正義がないならせめて利益があった方がいい
自分が切り捨てられる少数側になったとしたら絶対に認められないし抵抗もするけど、その分冷静でいられる第三者が縛り付けてでも悪になってでも多数を助けるべき
戦争とかしたくねぇな〜〜〜〜〜〜〜〜
両方を選ぶことをあえて考えさせないように情報操作やミスリードやレッテル貼り、チェリーピッキング、ストローマン論法を駆使してくる連中に気おつけねばならない。
仁ってドラマがあったけど、あのドラマ内で求められる選択がトリアージなんやな
トリアージタグとかも出てきたし
自分には答えが出せないと思う。