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朝花節 ~ 糸繰り節 ~ よいすら節 ~ 豊年節 ~ 稲すり節 尼崎 新じゃがいも「春一番」徳之島祭り 栄百々代、岩尾優子 奄美民謡 奄美シマ唄 amami【字幕】

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  • Опубліковано 16 сер 2024
  • ‼️奄美シマ唄・奄美歌謡を世界に広めよう‼️
    ・2018/3/18 新じゃがいも「春一番」第7回徳之島祭りin尼崎
    奄美民謡 朝花節、糸繰り節、よいすら節、豊年節、稲すり節
    栄百々代、岩尾優子
    ‼️【字幕】機能があります。字幕をonにしてお楽しみ下さい。
    奄美・徳之島は世界自然遺産の島となりました。奄美は東洋のガラパゴスとも言われ、多様性にあふれた動物・植物があふれています。生きた化石と言われ世界で奄美と徳之島にしかいないアマミノクロウサギに会いにいきましょう。
    奄美民謡は、シマ(集落)や唄い手により同じ唄でも違いがあり多様性に溢れています。
    島唄の言われは、奄美のこのシマ(集落)唄からきています。
    奄美民謡の多様性が解る唄遊びとなっています。
    ・奄美諸島 (世界自然遺産の島)
    ja.m.wikipedia...
    ・栄 百々代
    magocoro-amami...
    ‘’ 朝花節 ‘’
    ハレーイー
    ちゅとぅん(突然) じぃ(出)てぃ
    はばかりながら
    ( ヨイサヨイサ ヨイサヨイヤ )
    ハレーイ
    ご免下さりませ
    ハレー
    く(此)ぬ場ぬ お客様
    ハレーイー
    いも(参)ちゃん ちゅ(人)どぅ
    しんじち(真実)あらんな
    (ヨイサヨイサ ヨイサヨイヤ)
    ハレーイ
    いしわら(石原)くみきち
    ハレー
    いも(参)ちゃん ちゅ(人)ど
    しんじち(真実)あらんな
    ハレーイー
    な(汝)きゃとぅや
    稀り稀りどぅ
    (カナシャムチロン タトエタムンジャ)
    ハレーイ
    たげぇ(互)に 稀り稀りじゃんが
    ハレー
    ゆさり(今宵)ゆ(夜)や
    あすぃ(遊)びんしょろや
    ハレーイー
    うが(拝)まん ちゅ(人)む
    うが(拝)でぃ 知りゅり
    ( ヨイュタモンジャ タトエタムンジャ )
    ハレーイ
    いぬち(命)長むてぃ う(居)りばヨ
    ハレー
    うが(拝)まん ちゅ(人)む
    うが(拝)でぃ 知りゅり
    ハレーイー
    稀り稀り
    な(汝)きゃば うが(拝)でぃ
    (シマや一番 むら一番よ)
    ハレーイ
    なま な(汝)きゃ うが(拝)むぇばヨ
    にゃ いち(何時)ぐる(頃) うが(拝)むかい
    ハレーイー
    元気しもれ
    また うが(拝)も
    ( ぬがよ汝んや ウガシヤイモユン )
    ハレーイ
    今夜 うが(拝)だる ちゅ(人)きゃ
    ハレー
    元気しもれ また うが(拝)も
    " 糸繰り節 ‘’
    しわ(心配)じゃ しわ(心配)じゃ
    いとぅ(糸)繰り しわ(心配)じゃ
    (スラヨイ ヨイ)
    いとぅ(糸)ぬ切りりば すらやぬ
    むすぃ(結)びや なりゅむぃ
    (トゥクヤヌ スラヤヌ
    バイドゥガ ジュイジュイ)
    いとぅ(糸)や 切りりば
    むすぃ(結)びむ なりゅり
    (スラヨイ ヨイ)
    いん(縁)ぬ切りりば すらやぬ
    むすぃ(結)ばりゅむぃ
    (トゥクヤヌ スラヤヌ
    バイドゥガ ジュイジュイ)
    一(糸)繰り 一番や
    さにさだ(実定)役むぃ(兄)
    (スラヨイ ヨイ)
    二番なりゅん ちゅ(人)や すらやぬ
    千代 あせ(姉)ぐゎ
    (トゥクヤヌ スラヤヌ
    バイドゥガ ジュイジュイ)
    異(糸)や 繰らさば
    上いとぅ(糸) 繰らせ
    (スラヨイ ヨイ)
    そげなぶっかまんぬ すらやぬ
    繰りなりゅむぃ
    (トゥクヤヌ スラヤヌ
    バイドゥガ ジュイジュイ)
    ‘’ よいすら節 ‘’
    ふに(舟)ぬ たかどぅむ(高艫)に
    ヨイスラ
    ふに(舟)ぬ たかどぅむ(高艫)に
    ヨイスラ
    ( スラヨイ スラ )
    い(座)ちゅる しるどぅり(白鳥)ぐゎ スラヨイスラヨイ
    ( スラヨイ スラヨイ )
    しるどぅり(白鳥)や あらぬ
    ヨイスラ
    しりどぅり(白鳥)や あらぬ
    ヨイスラ
    ( スラヨイ スラ )
    姉妹(うなり) 神 加那志
    スラヨイスラヨイ
    ” 豊年節 ”
    エンヨハーレ
    にし(北)ぬ口から 白帆や
    巻きゃ巻きゃ 来ゅり
    ヨイヨイ
    ( スラヨイ ヨイ )
    しゅてぃち(蘇鉄)ぬ ドゥガキがい(粥)や
    はん くぶ(溢)せよ
    ウトゥメラショウ なろや
    ヤレ にし(北)ぬ口から 白帆や
    巻きゃ巻きゃ 来ゅり
    ヨイヨイ
    (スラヨイ ヨイ)
    しゅてぃち(蘇鉄)ぬ ドゥガキがい(粥)や
    はん くぶ(溢)せよ
    ウトゥメラショウ なろや
    ヤレ やらちば また来い来い
    エンヨハーレ 
    しんこ(線香)ぬ ぬぇ(無)だな
    まちぢ(松木)ぬ 葉ば
    しんこ(線香)ち とぅぶ(灯)ち
    ヨイヨイ
    (スラヨイ ヨイ)
    山川観音丸 二番く(漕)ぎ にが(願)お ナロヤイ
    ヤレ しんこ(線香)ぬ ねぇ(無)だな
    マチ(松木)ぬ 葉ば
    しんこ(線香)ち とぅぶ(灯)ち
    ヨイヨイ
    (スラヨイ ヨイ)
    山川観音丸 二番く(漕)ぎ にが(願)お ナロヤイ
    ヤレ やらちば また来い来い
    " 稲摺り節 "
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    くとぅし(今年) ゆ(世)や 変わてぃ
    いに(稲) 粟ぬ でぃ(出)来てぃ
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    (サー稲摺り摺りよ あら選り選りよ )
    千石ぬ くむぃ(米)む
    し(摺)てぃどぅ ひ(減)ならしゅんど
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    くとぅし(今年) ゆ(世)や ちゃくら(一倉)
    やぁに(来年)なりば たぁくら(二倉)
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    気張てぃ し(摺)り し(摺)り めらぶぃ(女童)きゃ
    とぅい(鳥)ぬ くむぃ(米)喰みゅんど
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    きゅぅ(今日)ぬ ほこ(嬉)らしゃや
    いち(何時)ゆりむ 勝さてぃ
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    くとぅし(今年) とぅし(年)がなし
    くゎふ(果報)な とぅし(年)がなし
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    気張てぃ し(摺)り し(摺)り うなり(姉妹)きゃ
    節くむぃ(米) 喰めらしゅんど
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    道ぬ 笹草む
    真ぐむぃ(米) またなりゅり
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    粟ぬ し(摺)らりゅむ
    くむぃ(米)どぅ し(摺)らりゅる
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    やぁに(来年)ぬ いに(稲)がなし
    あぶし(畦)また 枕
    サー いに(稲) し(摺)り し(摺)りよ
    あら ゆ(選)り ゆ(選)りよ
    参考:シマ唄は唄い手やシマ(集落)により、解釈や伝説が色々あります。
    奄美シマ唄は昔から楽譜等は基本なく口伝の為に多様な特色があります。奄美は文献史料等は薩摩支配時代に禁止処分でほとんどない状態です。薩摩役人が書いた、南島雑話が有名な文献となっています。
    挨拶 0:00
    朝花 0:38
    糸繰り節 5:14
    よいすら節 9:13
    豊年節 11:22
    稲摺り節 14:22

КОМЕНТАРІ • 7

  • @user-nm5sk9qz9p
    @user-nm5sk9qz9p Рік тому +5

    島唄は〜いい〜
    ですね☺〜

  • @user-rq5tz1yq2d
    @user-rq5tz1yq2d Рік тому +3

    豊年節って当事の時代背景を知れば切なくなる歌ですね。
    薩摩支配下の奄美は砂糖黍単作を強制された典型的な植民地で、
    砂糖黍(黒糖)を生産して薩摩から低品質の米を輸入していたのですが、
    この歌の豊年時には薩摩から米が来るが、凶作時には来ない
    従って餓死者が発生し、徳之島から奄美に逃げる島民が多数でました。
    因みに薩摩藩で江戸時代に餓死者が出たのは、徳之島だけです。

    • @amami-simauta
      @amami-simauta  Рік тому +3

      薩摩の財政は奄美の黒砂糖のおかげです。
      そのためシマは砂糖地獄と言われる程の圧政でした。田んぼも畑に変えられて米もまともに食べれない状態、昔は米も二期作だったので盛んだったようですが。シマ唄も田植え唄から始まり稲摺り節まで米作にまつわる唄が色々ありました。
      シマ唄の豊年節にあるように、鹿児島からの船を待つような生活になったようです。
      明治維新は奄美のおかげで出来たと思います。
      残念ながら鹿児島の人や、本土の人達はその事を全然知らない。

  • @user-rq5tz1yq2d
    @user-rq5tz1yq2d Рік тому +2

    字幕をオンにしたらすっきり歌詞が入ってきた。
    古稀を迎えても正直理解してなかったのに・・・
    まー共通語が大分入っているなとは思ったが。

  • @user-dh9ox4iy6h
    @user-dh9ox4iy6h 5 років тому +2

    キャー(≧▽≦)可愛い

  • @ryoichishiraishi9177
    @ryoichishiraishi9177 Рік тому +2

    沖縄とは矢張り違うのが分かって来た。依然ニューヨーク在住の親友が徳之島に帰ってしまって既に30年強である。サトウキビ畑の仕事が彼の夢を奪ってしまったようだ。

    • @amami-simauta
      @amami-simauta  Рік тому

      コメントありがとうございます。私も徳之島の出の為、徳之島の方はどこの集落か興味がありますね。
      本土では、まだまだ奄美民謡が沖縄民謡と同じに思っている人が大部分です。奄美民謡と奄美民謡では音楽的にも日本律音階と沖縄音階で学問的にも違いがあるそうです。
      奄美民謡は古くからシマ(集落)唄と呼ばれていて、同じ唄でも各シマ(集落)、唄い手により違いがあり多様性にとんでいて非常に面白いです。
      大きく分けると、奄美北部のカサン節、宇検村当たりのエーチ節、奄美南部のヒギャ節、徳之島民謡、永良部島・与論島の民謡(沖縄音階)と大別されます。
      奄美のシマ唄は本来楽譜がなく、口伝で伝えられてきた為に多様性や変化に富んできたように思われます。
      余談でしが " 唄 " の表記は、楽譜があるのが歌、楽譜がないのが唄と学術的に分けていると言う話しを聞いた事がありますがさだかではありません。
      方言(シマグチ)も平安時代の古語が残ったままだと言われています。
      母音がおおざっぱに分けて「あ、い、う」です。「え→い」「お→う」に変わって発音がなっています。
      例:手(て)→てぃ、目(め)→むぃ
      親(おや)→うや、音(おと)→うとぅ
      シマ唄は島(アイランド)でなく集落の唄、奄美の人は自分ところのシマ唄に非常に愛着を持っています。
      少しでめ奄美シマ唄を広めたく、色々なシマ唄をUPしています。
      奄美のシマ唄をお楽しみ願えれば幸いです。