CONFUCIANISM: ancient Chinese philosophy ② (L07) university standard philosophy course

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  • Опубліковано 19 тра 2024
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    01:15 ZongZu System
    03:06 Confucius and His Life
    05:05 Manner and Culture
    06:59 Various Masters and Hundred Schools
    09:23 Confucianism's Counterattack
    Produced by Office SUMIOKA Studio
    Copyright reserved
    Teruaki Georges SUMIOKA, Ph.D.
    Full Professor, OSAKA UNIVERSITY of ARTS
    former Guest Professor, GUTENBERG UNIVERSITÄT MAINZ, Germany
    former TV Planner, TV ASAHI, Japan
    Ph.D. (TOKYO UNIVERSITY of the ARTS, in Aesthetics)
    MA(The UNIVERSITY of TOKYO, in Philosophy)

КОМЕНТАРІ • 27

  • @akie0629
    @akie0629 3 дні тому

    混乱する世の中で弟子たちに教えを説いた孔子や、それに反発して生まれた諸子百家の各々の考え方をそれぞれ読み解くのがとても面白かったです。考え方の比較などなかなか興味深かったです。

  • @user-np2uq2il6e
    @user-np2uq2il6e 9 днів тому

    春秋・戦国と混乱期に生まれた諸子百家。共通する道徳心や信義など精神的理解が多く出来き、また、時系列で時代背景や登場人物が物語として教えてもらえたので面白いです。特に、法家からの秦国誕生、没落した原因から儒学官学化が興味深かったです。

  • @sisenwa
    @sisenwa 9 днів тому

    戦乱の世を変えるために生まれた哲学が現代に語り継がれいると思うと感慨深いなと思いました。

  • @user-lb9jh7dd7k
    @user-lb9jh7dd7k 6 днів тому

    孔子は弟子それぞれに合うように話していたということは師として1つの理想のような人物だったのではないかと思います。文学、歴史、礼儀、音楽を学ぶことを課していたという点については現代でも教養として大切なことだと思います。

  • @swipeside7633
    @swipeside7633 5 днів тому

    よほどタフで強運な人間でなければ政治に関わっても碌な目に遭わないというのがよくわかりました。
    国の全てを支配するのではなく、様々な地方に住む人々がそれぞれの環境に適応できるように、ある程度地方で政策が自由にできるようにする事で安定した国作りに繋がるのでしょう。

  • @user-de9jc7st6u
    @user-de9jc7st6u 8 днів тому

    孔子が亡くなったあとの儒家がまとまりがなくなるくらい孔子に依存していたことに驚き、知識の大切さを感じた

  • @lemonmilk577
    @lemonmilk577 8 днів тому

    歴史からあるルールを変えるとつじつまが合わなくなったり、中国とかは結婚しても苗字が変わらないのを初めて知った
    右が偉いとか新しい発見があるのが哲学なんだと面白いです

  • @user-jh9xm1eu3s
    @user-jh9xm1eu3s 2 дні тому

    孔子の死後に、間違った形で、教えが伝わってしまったところに、コミュニケーション難解さを感じました。

  • @41.-ro9ih
    @41.-ro9ih 8 днів тому

    孔子は多くの弟子を持っていた。そういった部分はソクラテスと似ている。やはり、思想は自分の中で完結させるのではなく、人々に伝え、継承していくという点が哲学者にとっては重要だ。こういった孔子の思想を原点に、多くの思想が展開していったことを踏まえると、孔子の功績は大きい。何事も発信しなければ始まらないと学んだ。

  • @cross0123
    @cross0123 2 дні тому

    孔子ですら政治に関わると大変な事になってしまったようだ。だが、当時は散々排斥された孔子の思想が今では立派な考えとして教科書に載っている事は皮肉と言えば皮肉だが、やはり彼の教えに説得力があったからだろう。いつの時代のどんな場所でも、流行る哲学には、個人が生きる為の生活の糧や、口が上手い者たちの求心の為など、かなり個人的な欲求が絡み合っている。当時の政変が終わってもう一度見つめ直して初めて、皆がフラットな目で孔子の思想を受け入れられるようになってきたのかもしれない。

  • @user-uh6cs7vn2b
    @user-uh6cs7vn2b 2 дні тому

    孔子は沢山の弟子を作っだからこそ現代にも孔子の教えが繋がっているのだと思う。沢山の弟子への教えが一貫していないところに孔子の面白い人間性もみえた。

  • @user-pr2fn2zn7j
    @user-pr2fn2zn7j 9 днів тому

    どれだけ論理を並び立てたところで、結局人間は自分に都合のいいように解釈したり、曲解してしまいがちで難しいと思った。

  • @user-de1yf6gz2m
    @user-de1yf6gz2m 5 днів тому

    孔子が何故3000人もの弟子たちを作ることができたのか不思議です。何故自分自身も役職についたことがないのに人に教えようと思ったのでしょうか。

  • @user-uj7gn1df6u
    @user-uj7gn1df6u 2 дні тому

    孔子が弟子それぞれのための教えを説いていたのは、人同士の繋がりや信頼を理想とし、それによって安定した世を作ろうとしたのではないか。
    反対に孟子は合理的な思想を持っていたが、本人の性格が悪く国から追放されるという形になってしまった結果をみると、孔子孟子どちらの要素も釣り合いながら必要だとわかる。

  • @rruser-kc2rc
    @rruser-kc2rc 3 дні тому

    孔子の弟子たちは孔子を信じていたが教えが一貫していなにも関わらず死後も孔子を崇拝していて、どれだけの影響力があったのかが分かる。

  • @user-zh9ul7jw5b
    @user-zh9ul7jw5b 2 дні тому

    孔子は表面的には弟子たちに崇拝され立派な教えを説く偉大な人物のように見えるが、単に影響力が大きいだけで実際はその他のものから学んだものを弟子たちに学ばせてるだけかもしれない。

  • @user-sq6tl4yn2r
    @user-sq6tl4yn2r 4 дні тому

    孔子は立派な人と思い込んでいたが、自分の生活のために塾を始めたというのは少し意外に思った。また、考え方に一貫性がないのは、さまざまな人や書物から自分で学んだ証拠だとは思うが、死後に孔子の考えを上手くまとめられないとも言えるので、何か芯を持って学ぶことが重要だと感じた。

  • @user-qx8jm4xo3e
    @user-qx8jm4xo3e 2 дні тому

    孔子自身役職についたことがないのに大勢の弟子を取り、一人一人場合に応じて教えることをしていたから一貫性がなく孔子の空想で終わったことは導くものとして残念な結果に終わったが、大勢の弟子に場合で教えを変えることができていたのはもっと発言に影響のある個人の場において相当なポテンシャルを秘めていたのではないかと思う。

  • @user-il8wp9zq2k
    @user-il8wp9zq2k 9 днів тому

    法は作った時には気づかないが、使っているうちに理不尽なことや矛盾した点が見つかる。法家の考え方は、初めは身分関係なく実力があればのし上がれるといった国家において必要な考え方だったために秦という国ができたが、実力がものを言うようにしてしまったがために、実力のない人間にとっては、不平等な国が生まれてしまった。

  • @miso-s2-
    @miso-s2- 10 днів тому

    どれだけ考え方が優れていても、孟子のように考え方や取り巻く環境や過去が異なる人たちを軽蔑し敬わないような人間は、その考え方もそのうち受け入れられなくなる。人に考えなどを受け入れてもらうには、まず相手に対して敬意を持ち、欲を抑えるべきだと学んだ。

  • @user-eq8ng5jw6m
    @user-eq8ng5jw6m 9 днів тому

    当時の中華では批判され、多くに受け入れられなかった孔子の教えが、今や日本の教科書に載るまでになったのは、一体いつ、どんな理由からなのだろう。

  • @Kyio501
    @Kyio501 2 дні тому

    諸子百家が生まれたのは適宜対応していた孔子を文に纏めると違和感を感じたということだろう。孔子という偶像への見方の違いが現れている。ここで生まれた考えも現状を嫌い、過去など見えないものに期待したもの。思想家たちの我が儘の言い合いにも見えたが、そんないさかいも権力の前では無力で小さいものに見えた。

  • @jacobaaight2211
    @jacobaaight2211 9 днів тому

    時代によって重きを置く物事が違うため、以前の考え方が否定されていく(上書きされていく)ことは当たり前で、これは今世も同様。しかし、戦の時代で物事が急速に変化していく中では、それを逆手に定かでない情報を使ったり上手く話す孟子のような者達に踊らされない賢者が生き残っていった。

  • @mrs.2725
    @mrs.2725 8 днів тому

    孔子は決して権力が強い立場ではなかったのにここまで多くの人に影響を与えていたのは何故だろうか。戦いの絶えない混乱した時代の中、礼儀や繋がりを重んじる思想が多いのに法家がそれらよりも法や制度できっちり明文化する方法を提示したのは、当時で言うとかなり異端だったのではないか。

  • @Otyakko-kx6yn
    @Otyakko-kx6yn 5 днів тому

    儒者が霊を憑依させることができなず、ただそう見えるように演技をしていただとしたら、操ろうとする分家や騙されている宗主のことをどのように思いながら仕事をしていたのだろう。孔子は幼い頃から分家と宗主との関係や分家の言う通りに動かなければいけない儒者の仕事を見てきて、人の悪い面を知ったからこそ、礼法、「仁」が社会秩序のアルケーだと考えたのではないだろうか。

  • @user-nc4he7cw2v
    @user-nc4he7cw2v 4 дні тому

    孔子の教えが優れたものだったとはいえ、結果的に政治的成功を収められなかったにも関わらず、ここまでの弟子を抱え、死後も讃えられているのは不自然に思える。しかし、現代にもお金を稼ぐための胡散臭い“セミナー”なんかが流行るあたり、孔子の開いた塾もそんなもので、どの時代でもある程度受け入れられるものなのだろう。