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郭嘉が「袁紹は人民、蛮人に恩を施していたから、袁紹の息子たちが生きていられるのです」と発言し、荀攸が「袁紹は寛大さと厚情によって人々の気持ちを把握していました」と発言しており、普通に優秀な人だよね。
他の人のコメでもあったけど、乱世でなく治世だったなら名君として名が残ってたでしょうね
逆に許子将の評通りに「君は平和な世であれば乱賊となり、乱世ならば英雄になるだろう」と言われた曹操がこの時代だから袁紹から勝ちを収めたのかもしれないですね
袁紹は決して無能な人間ではないと思う。人間は平時に能力を発揮するタイプと非常時に活躍するタイプに分かれることが多い。袁紹はこの二つの内の前者のタイプで、おそらく平和な時の為政者としてはかなり優秀な人間ではないかと想像する。ただ、次代は乱世へと移り変わる過渡期であり、時局についていけなかったのは事実だろう。そして袁紹の最大の不幸は対する曹操が平時に能力を発揮できるうえに乱世でも活躍できるという稀有な存在だったという事だ。曹操が「治世の能臣、乱世の奸雄」なのに対し、袁紹は「治世の能臣」ではあっても「乱世の奸雄」ではなかった(´・ω・`)
韓馥を騙した手腕といい多くの家臣を粛清した行動といい乱世の「奸雄」っぽいのはむしろ袁紹なんですけどね
袁紹はまさしく乱世向けのヤバいやつ感ない?
個人的には自分のコメントにも書いてますが、袁紹は優柔不断なのではなくて頭はいいけどプライドが高く石頭で頑固な性格なのだと考えます。自分の方針にあーだこーだ言われるのが嫌いなタイプなので、方針が決まってしまえば、もう後は結果が出るまで進めればいいだけの平時の方が向いていると思います。平時なら失敗しても後からやり直しがききやすいですしね
袁紹も凄いところたくさんあったのにな…この一戦で色々ガタガタの部分が崩れた
袁紹の能力は低くないと思うけどな。結局死ぬまでは領地を支配してた訳だし。ただ乱世には向いてなかっただけかと。
袁紹も十分優秀なんだが相手の曹操が化け物過ぎた
袁紹が「虎」だとしたら曹操は「ゴジラ」ぐらいの開きがあった感がありますね。いくら猛獣の虎でも大怪獣ゴジラが相手では絶対勝てない。
今川義元もそれだよな。相手が悪すぎた!
蒼天航路のこの辺りはめちゃくちゃ面白かったなぁ。
優柔不断な印象があるけど宦官抹殺の決断や親族を見捨てて董卓の元から離れる等果断な面もある優柔不断になってしまったのは参謀達が互いに足を引っ張りあい袁紹がそれを上手くバランスを取ろうとした結果にも見える袁紹は本拠地である冀州の出身では無いので地元の名士に配慮しなければならなかったのでは?
袁紹にとって最大のしくじりは、ライバルが曹操だったことじゃないかな・・・時代が悪かったかも
多分、平和な時代なら優秀な官僚だったと思う(´・ω・`)
可進に使えたときは、清廉潔白で有能な参謀だったのに・・・・
生まれた時代を言い訳するのは無能の証
袁家は袁術や袁世凱が悪目立ちしてしまうので袁紹はまともな方だと感じてしまう
袁世凱は生まれだけの男じゃないし、むしろその中では一番まともだと思う。器じゃなかったけど、開発独裁の必要性を感じてたんじゃないかな。
沮授と田豊は冀州閥の人間。後継者争い以前に冀州閥とあとから来た袁紹らの争いがあった。河北統一したあと袁紹はその勢力を排したかったから、沮授と田豊の扱いは次第に悪くなる。沮授と田豊を信頼したらなどというifはまずありえないんだよなあ。信頼とかそういう以前に沮授と田豊の実績をこれ以上あげさせたくないってのが袁紹の方針だし
0:13 肖像画が真面目とヒョットコが正面衝突したような表情で草
例え方よ(笑)
袁紹でここまで言われるなら晩年孫権はどれだけ酷くなるんだ?あそこほど三国志の中で酷い醜い争いはないぞ
晋の時代には袁紹を懐かしむ人が大勢いたとか、まあ時代が時代だからな
魏でも蜀漢でもない存在だから無能さが持ち上げられた感じはある。統治に関しては、華北の民が後代に「袁紹の頃の方が良かった」なんて言う程度には上手くやってたわけだし。
袁家って代々政治家だしね。戦争には、弱かったと思う。
曹操が「平時の能臣、乱世の奸雄」だったのに対し、袁紹は「平時の能臣」ではあっても「乱世の奸雄」ではなかった。その差だと思う(´・ω・`)
烏巣陥落の際は、当主・配下の皆さんはそぞろに心底『うそー❗⁉‼‼‼』(※)と声(聲)を叫んだのでは無いかと思います。※因みに上述のフレーズは、麻雀漫画の大ベテラン大先生が、当時連載致しておりました作品作中のネタです。
SWEET三国志か「貴方にはサッカーボーイの血が流れているのです」wwwwww
米主へ このchで不覚にも吹き出してしまったwww.油断した~
三國無双の4コマでそのネタがありましたねw
沮授の唱えた河北制圧策は、光武帝の前例に倣った王者の戦略とも取れますね。光武帝自体が下剋上の体現者だったこともあって、既存の皇帝権力に取って代わりたい袁紹が採用するのも頷けます。あくまで曹操との正面決戦を望んだのは、大勢力の驕りもあったのかもしれませんが、あるいは曹操とは旧知の仲だったことも影響していたかもしれませんね。
後に 北魏が この戦略を採用して華北を制しましたからね
袁紹、宦官皆殺しの件から察するに決断力はあるんだろうけど、派閥が割れてどちらに方入れても遺恨が残ると配慮した結果が晩年の優柔不断ぶりなのかなという個人的解釈がありますわ
隣の公孫瓚も充分しくじってるので、紹介していただけるとうれしいですな。
袁紹という人物の評価は難しいな。でも蒼天航路の描かれ方は凄く好感が持てる。
袁紹も蜂蜜も途中までは正しく時代の中心だったのになぁ官渡も袁紹に落ち度が多々あるけど戦術で袁紹の戦略をひっくり返す曹操が化け物すぎましたね
しくじりは曹操や劉備、諸葛亮でさえしでかしている。時勢を掴めなかった天下に近かった群雄の一人だと思う。
袁紹も曹操も宦官のおかげで親からその地位を受け継いでた辺りが面白いよね
最近では、直接対決自体は間違いではなかったという声もありますね。事実、曹操はそれで追い詰められてたこともありましたので。食料問題についても、直接対決をすることで顕在化してしまってました。
〇術「だよね〜。こいつはしくじり野郎だわ、俺と違って。袁家の恥ですわ。あ〜、今日もはちみつがうまいんじゃ〜。」
陛下、この蜂蜜で最後でございます。あとは鉄分たっぷりの赤い飲み物しかございません[笑]
袁術殿の一番の過ちは、伝国の玉璽を手に入れると自ら皇帝を名乗り、人心を失ったこと。公孫瓚も皇族を殺害して人心を失った。血迷われましたの。
@@hiro-kichi517 玉璽を手にしたことで「天が我を皇帝に選んだ」と勘違いしたんだろうねぇ・・・・・
アニメ横山三国志のビデオパッケージにあった袁紹の解説がキツくて笑ったw「傲慢とねたみ、優柔不断から自滅した袁紹から、我々が得るべき教訓は多い」
歴史に絶対的な正解はないというのはものすごく同意します。なにしろ見てきた人がいないのですから
見てきた人がいないってことはないだろうけど、結局は人であるから主観や自身の感情が入り混じった情報になってしまうのがオチかなと個人的には思うな。やっぱ、面白い事が起きたらちょっと大袈裟にして驚かせたいじゃん?そう考えると司馬遷ってやっぱ、すげぇよなぁ…
@@souls6649 千年前のことを今の歴史学者で見てきた人は一人もいないと思いますよ、見てきたという人が書いたものを見ることしかできませんから、そしてその見てきたという人たちが書いたものが矛盾したりしてるので、わかりにくいわけで
いや、まぁ。相手がねぇ、曹操という稀代の英雄だからね。袁紹は公孫瓚も倒してるし決して無能ではないと。
官渡の戦いとかいう実質、三国志の決勝
なお横山光輝先生は思いっきりすっ飛ばした模様
そういえば、無かったかな?外伝で書いてくだされば、とても面白い物になっただろうに。
BGMでかいよね
実は見方を変えればずっと曹操より先進的な考え方をしてたんだけど、あまりにも先進的すぎてついてこれないヤツらばっかしか周りに居なかった、とかコーエーの三国志本にも書かれてたんだけど、本人すらもそのプランはあってもそれを構築できる能力が無かったと言うことなんだろうなあ…
しくじりなら弟の袁術の方が酷いと思う。袁家の地盤を継ぎ、配下に孫堅というその時点では最強の将がおり、さらに白馬将軍と言われた猛将公孫瓚と同盟を結んでいる。ここまで好条件が揃っているにもかかわらず盛大にやらかして自滅していますからね(苦笑)。是非次のしくじりは袁術を取り上げて欲しいです!
もし袁熙が跡を継いでいたら袁家はどうなったのだろうね。それにしても後継者争いに名前が出なかった袁熙の血筋が残ったのが面白いところ。
持久戦をされれば宿敵に負けていたのはカエサルの時に似てる。しかし、今回の曹操のケースでは味方ではなく宿敵自身がポンコツで、ポンペイウスの時とは全く異なる点もなかなか興味深い。
3:18このエピソードは蒼天航路でも描かれてるよ
このエピソード(『花嫁泥棒』)を元にしたと思われる第12話『アモーレ』からの一連の水晶奪還騒動と第145話『黎陽逍遥』の扉絵(こちらは動画中エピソードの話をそのままを紹介)とで都合2回登場しますね 前者はおそらく原作の李學仁氏のシナリオによるもので『世説新語』にある曹操の『花嫁泥棒』の話と『正史三国志注釈』の曹操の『張譲邸乱入事件』を組み合わせたものと思われます・・・たぶん(;^ω^)(※故に作画王欣太氏は水晶の話を曹操の『花嫁泥棒』の話とカウントせず(純粋に原作者のオリジナルととらえていた?)後に原話通りの『花嫁泥棒』の話を扉絵を袁紹戦直前に差し込んできたのかもしれません) ところで、この曹操の『花嫁泥棒』が書かれた世説新語という本は実は歴史書ではなく南宋の時代に編集されたゴシップ集(といっても書籍としてはすでに古典の名作なんですが笑)で、一片の事実は隠されているかもしれませんが基本的には「こう人々が噂し合った」という記録なのであまり歴史的信ぴょう性はありません(^_^;)
『花嫁泥棒』のエピソードは『蒼天航路』では曹操のヤンチャぶりを描いてるのに対して『我王の乱』という作品では曹操の『冷血漢』ぶりを描く『ソレ』になっていて、その『対比』が面白かったですね。
袁紹個人の能力は低くないんですよね、優柔不断かというと戦いぶりとかは果断ですし。政治の才能は領民の慕いぶりからかなりだったかと。ただこの人兵の統率は文句ないのですが家臣の統率が駄目なんですよね、かつて2ちゃんにあったコーエー数値化スレでも指摘されていましたが家臣の統率が苦手で謀略は能力の高い曹操、謀略の世界で生きて来たみたいな袁術、獣じみた勘を持つ董卓とか誰がやっても通じない様な相手に仕掛けていたり。むしろ人に仕えていると軍の指揮も内政も出来るかなり有能な人物だったかと。しかし戦ってかなり強かったのは事実で政治も上手だったから君主になれると勘違いしたのかも知れません。今回僕の書き込みはコーエー数値化スレをかなり参考にしています。
袁紹は「治世の能臣」にはなれた気がする。
自分以外が上に立つことを絶対許さないマンだから乱世向きじゃないかな?
袁紹の評価低すぎない?動画見てると結構前の評価と話をしてるみたいなんだけど曹操が戦の中マジビビりしてるし、治世はすげーよかったって晋の時代でも言われてるし
官渡後に袁紹が病没しなかったらまだまだ勢力的には袁家優勢だったかもなーでも官渡で稼いだ時間で袁紹は死に袁紹個人で纏められていた軍団は瓦解官渡から約2年後に後継者争いに乗じて曹操はついに華北への本格進行開始
後世の評価は今一だけど袁紹は領民には慕われていたようで、河北を手に入れた曹操も袁紹の統治を手本として河北を安定させたと言われている。
大事なところで決断ができなかったり、部下を信頼できなかったり、英雄の器ではないけれどどうしようもなく惹かれるキャラでもあります。
董卓のことを語った動画見た時点で袁紹はこのチャンネルで取り上げられるだろうとは思っていました。それといつか孫権も意外としくじり世界史に載ったりするかも
むしろ孫権は袁紹より酷いですから扱わないわけにはいかないはず
人材がいても使いこなせないんじゃあね官渡戦での兵卒の夏侯惇ですが大好きだそして息子に出し抜かれて悔しがってるの草
人を見抜いて信用する言葉では簡単だけど実際やるのは難しい自分の決断に国の命運がかかってるとなるとなおのことだったと思う袁紹は決して凡庸ではなかっただろうけど、曹操に勝つにはまだ足りなかった
タイムマシンがあれば全ての歴史がわかりますね
袁紹が悪かったというか曹操に天運が付いてたから勝てたというか袁紹の方が果断で曹操の方が割と優柔不断だったようですね後からの視点で見てると曹操の踏み台感あるけど官渡の奇跡がなかったら光武帝ルート
宦官に反駁した袁紹に放った「お前は今に我が一族を滅ぼすぞ!」という親父さんの一言が、全てを物語っている気がする…
7:32 一瞬山口メンバーいたでしょ?私じゃなきゃ気付かないとこ。
こいつを曹操が倒したことで実質曹操は覇者になったからな。
袁紹はそれだけすごかったんですよね良いところのエピソード色々あるのに解説されなくて残念
信長における今川義元みたいな感じなのかな。家柄もめちゃくちゃ良いし、当時威勢を奮っていたし。
@@sukeyu-5194 そうですね今川義元も評価低かったときありましたが天下に近い存在だったんですよね 楽市楽座も実は義元が先に行っているんです息子も子孫は残してますしすごく良い家系ですよ!
公孫竜は「白馬は馬にあらず」って言ってるのに公孫さんって白馬将軍って言われてるのなんか面白い
官渡の戦い前から後継者争いが熾烈でその後二年で病死してるあたり、もともと健康面での不安があったから決戦を急いだんじゃないか?って気もしないでもない。
「最低なやつですよ」という話ではなく、「ある程度優秀で成功しててもこういうしくじりはありますよ」だから学ぶところが大きい宦官絶対頃すマンのときとか公孫瓚と奮戦してるときはカッコいいんやけどね息子たちがな…曹操のおやつ
袁紹自体はそこそこ有能なんだけど部下…軍師達とかが互いに足を引っ張り合ってるからソコがねぇ……
天下を取り損ねた男。ロマンあるやん。
21:35劉邦は張良の言うことはなんでも聞いてそうだけど、劉備って言うほど孔明の言う事聞いてるかな?w
劉備の場合は諸葛亮の方が巧い事言うことをきかせているようにも思える(´・ω・`)
@@nuruosan4398 孔明の事を信頼し任せた部分はあっても、あまり言うことは聞いていない印象なんですよね。劉表が死んだ際に荊州を取る←聞いてない。益州攻め←渋った(後に龐統の説得で行う)夷陵の戦い←聞いてない。
@@こおりあめ-n2d 劉備は龐統や法正の進言ならよく聞いていたような気がします。
@@黒市川花田平 私も同じ印象です。龐統、法正と孔明の意見が割れたケースを私は知りませんが、もしそのようなケースがあれば孔明ではなく龐統、法正の言うことを劉備は聞いていたように思います。
あ〜でも、益州攻めの際に宴会で劉璋を捕らえろっていう進言は聞いてないし、龐統の言うこともあまり聞いてないかも知れません。法正の言うことを1番聞いていた印象ですね。
機を見るに鈍、という言葉が似合う男
樹を見るに敏すぎるから宦官皆殺しするし都にいた袁家を見殺しにしても反董卓連合結成するし冀州を奪いとったように思えもします
しかし、これほど面白い戦いをなぜに横山光輝はカットしてしまったのだろう・・・まあ当時の連載ペースを考えたら、劉備メインでない戦いはカットしないと自分の生きてるうちに連載が終わらないとか考えたのかもしれないが、もしも連載してたら単行本数冊分にはなっただろうなあ。実にもったいない。
どの時期から切り替えたのかはわからないけど、横山光輝氏は当初子供向けに三国志を描いていたのにどうやら大人の読者がかなり多いらしい事を知らされ、それから大人向けの演出を心掛けて描くようになったと語っていますね。もしかしたらその辺の事情もあるのかな(´・ω・`)?
色々考えられますねえ・・・曹操にとっては一大イベントですが戦いの結果、武将や軍師が軒並み死ぬので飛ばしてもいいと判断した可能性も?(^^;
自分の中では前秦の苻堅と重なりますね圧倒的有利な局面からのVやねん!からの大敗、異民族の融和、有能な部下の離反は勝者になれなかった哀愁があります
三国志で一番大きな戦いだと思う
歴史的な意義という意味では最大の戦いかもしれませんね。ちなみに動員された兵力合計が最大の戦いは諸葛誕の乱のようです。(魏軍26万 VS 諸葛誕反乱軍10万+呉の援軍おそらく10万程)
12:23辺りに人が…
優柔不断と言うよりは、プライドの高さ故に自分の意見に異議を言われるのが嫌いな性格だったのだと思う。佞臣を重用し名臣を遠ざけてしまったのは其処に起因するだろう。行動力も決断力もあったけど石頭で融通が利かない男だったのではないかと個人的には考える。
沮授が河北四州を制して天下を目指す策を述べた時、袁紹は「それこそが自分の考えていたことだ」と言って採用したとか。この時は上手くいったから目立たないけど、結局袁紹は自分の考えと同じ意見しか採用しないのだと思われる。そして佞臣は主君の意を酌んで気に入られるような進言をするのだけは上手い。
ーコメ袁紹だ、正史と演義のギャップが知りたいあと袁術の解説もお願いします
15:04に何か映ったな
袁家の治世は中々良かったらしいね。
判官贔屓だろうけど好き。
袁紹は天下をとる時節、人材、財力には恵まれたが流れを読む力と人の才能、本性を見抜く能力が決定的に欠けていたと思うもし官渡で曹操を下していてもいずれ滅びていただろう
さ
や、
人材も財力も自分の力で築いているんだけどな。本当に頭悪い
@@ユーノスクライア-m6d 『蒼天航路』はまだマシで『演義』などの『イメージ』が強いんでしょうね💦(;^ω^)だから高く評価してくれる人が少ないのかも(三国恋姫でもボンクラ扱いだったような💦) コメ欄にも書きましたが、敗者に『歴史』は創れないのですナ。(`;ω;´)
優秀な人間から逃げ出すって、現代でも言われていることですね。某会社が決算発表前に経理課の人間が逃げ出して、1ヶ月発表が遅れたことも…
実際、傾いている会社からは実力のある優秀な人間ほど先にいなくなる。実力がある人間は実力ゆえに転職が容易で身が軽いんだが、実力のない人は転職してやっていく自信が無いから会社がつぶれるまでしがみつく(´・ω・`)
入社時に「いつでも辞められるようになっておきなさい」と言われた。その通りだと思う。
反董卓連合挙兵都に親戚縁者が普通に住んでるのに地方で反旗を翻せば彼らが処刑される考えれば(当時的には)当たり前の事なんですがこういった大胆な挙兵は約20年のち北方の雄『馬超』により涼州反乱としてもう一度再現されることとなります(都にいた馬超の一族は曹操により処刑)
馬超なんて価値観違うせいか家族という人質がいても当たり前に反旗しましたからね やはり現代感覚でみてはいけない…
数の暴力で曹操に勝ったのに、内ゲバで食料のありかをバラされるとかたまったもんじゃないっすね…
名士との争いはえげつないですからねなおばらした本人は傲慢すぎて殺されました
石田三成と一緒で負けた側だからね。必要以上に貶められてる部分はあると思うけど、負けた事、それのみだよね。恐らく歴史上、ホントは人格者で名君だったとしても負けたから悪いように捻じ曲げられた偉人も無数にいるんだろうなってね。
普通に優秀な人物だったが、部下の能力を見抜く力が弱かったか、あるいはなかったのか、とにかくそういう欠点が袁紹にはあったというわけか。それで部下同士の足の引っ張り合いを初めて、自軍が壊滅してしまったというわけね。猜疑心が強かったのもこの人のマイナスポイント。
会社の経営なんかでも同じですな優秀な部下をしっかり起用出来るような会社は伸びるし、逆に媚びるしか能が無い奴が昇格するような会社は伸びない歴史を学ぶことで同時に人生の教訓を学べるから面白いですね
袁紹以上の豪傑天才がいたそれじゃね
腹が減っては戦ができぬ。
公孫賛は連合に参加していないし、袁紹はちゃんと曹操が留守の内に南下してますよ。于禁伝でもしっかり書かれています。なんか間違った知識を持って解説してるのは残念ですね。というか未だに袁紹の評価低いの時代遅れですね。残念です。
ここまで袁紹の評価低い投稿者も珍しいですね
確かに何進と董卓亡き後は天下人に最も近い最高実力者だった袁紹は生まれながらの高貴な家柄や身分だけではそこまで超出世できないよね…曹操に負けなければ天下獲ったと思います。
小勢力だった頃の袁紹ならある程度自由にできたんだろうけど大勢力になった後のしがらみで雁字搦めになったんだろうな
母親の身分が低いとはいえ名族出身で頭も良いただ多くの家臣を粛清した手腕を見るとその両方が冷酷さに繋がった様に思える後年まで民に慕われる経営手腕を見ると治世においては能臣だったんだろうけど家臣に対する扱いを見ると乱世を生き抜くには度量が狭過ぎたのかもしれない
今川義元とよく似てるよね。・名族である・最後に戦う相手が悪すぎた。戦う相手同士もよく似ている。・後継者がしょぼいと共通点がある。
おのれ〜ぇいっ!!
袁術とは異母弟になったり従弟になったりしているからなあと袁紹は官度の戦いの最中に肥え太ってしまったぞ
袁紹自体は無能じゃないけど郭図とか使ってる時点で
袁家は元々華北の名家であり、三国志の群雄たちの中で最も恵まれた出自だったと言われる彼だが母は袁家に買われた奴隷であり、幼いころからそうした出自のコンプレックスに悩まされたであろうことは想像でき決して袁家の威光のみで出世した人物ではなく、若き日の曹操とは悪友で互いに実力を認め合った仲であり、劉備よりもライバルらしいライバルではないかと思っている。
戦乱の世でなければ、曹操と袁紹って上手くやれてた気がするんだよなぁ…良し悪しはともかく。
劉協の即位を認めてなかった袁紹が劉協を迎え入れられるわけないんだよなぁ。1個の動画の中で矛盾させるのは如何なものかと…。ところで、参考文献は何ですか?
たとえAランクレベルの人材でもSランクがたまたま生まれただけで埋もれるんだから時代ガチャと場所ガチャ大事
最大の敗因は短命だったこと長生きしてたらわからなかったと思うがな
短命といっても49歳なら当時ならそれなりだからまあその程度の人物なんだろうなとは思う
息子達が殺し合って、自滅したのが大きいよね。あと十年生きてたら、曹操に勝てるかは、分からないけど。曹操は敵が多いから、袁紹は結構生き残れそう。しかも、劉表と孫権に挟まれて、最初に袋叩きにあって、曹操も動けなさそう。そうしたら、春秋戦国時代とか五代十国みたいに、小さい国の睨み合いになるんだろうって思う。
官渡で負けても充分巻き返すだけの地力はありました。曹操だって赤壁で負けてその後すぐに死んでれば袁紹みたいな扱いされたであろうしもう少し生きてたら分かりませんでしたなら
@@マイケル-h7 さんへ孫堅は短命、曹操は65歳迄生きてたかと司馬懿仲達は更に長生きですね。
若き日に曹操と美女の家に忍び込んで足くじいた話好き。蒼天航路では見事に曹操が女性をかっさらった話となっていたでござるな。一説には遊侠を好みとあるから一時期はヤクザものみたいな時代があったようなんだよな。ここらへん定説がなく諸説(陳寿や裴松之の注釈)が多いのは、曹操に敗れた後に資料が散逸したからでござろうか。 先祖譲りの行政手腕はあったようで後漢末のわりに民衆から歓迎される仁政を行っていたのは敵方である郭嘉や荀攸が認めるところであったが、人材の活用ではどうしても度量や自由に活用できた曹操に負け、結局それで勢力を滅ぼしていくと分析されるのはいかんともしがたいでござろう。ここらへん陳寿の評が大いに後世に影響を与えていると思うでゴザルが、そうとしか思えないのが袁紹のしくじりでござるよなぁ。
袁術よりは、袁紹に仕えたいが‥。実は、袁術の方がエリート?
というより格上だったらしいですね正室の子供だったとか袁術は袁紹は名家だけど一から地盤を作ってます なので英雄までは行かなくとも能力はすごく高いです袁術は皇帝自称したからどちらかというとこちらがしくじってますね
@@saw196 様、返信ありがとうございます。袁術は格上だけど、能力がイマイチ、袁紹は格下だけど有能という事なんですね。内輪揉めしていたら、他の群雄にいつの間にか、差を詰められた感じですね。孫堅が袁術ではなく、袁紹に仕えていたら歴史が変わったかもですね。
軍事の最高機密をばらさるとは、負けて当然ですね。
兵糧を一か所に集めすぎでもある(´・ω・`)
せめて2~3ヵ所に分散させていれば、負けませんでしたね。
曹操の器の大きさを再確認する
官渡の戦いで勝利した時のエピソードが好きです袁紹の陣営地で自分の家臣達が袁紹に宛てた文書を見つけても「自分だって何度も負けると思ったから当然だろう」と全て燃やしてして不問にしたという
問題の本質を見抜く能力はあるが、その解決策を自分で見つけることができず、間違ったやり方で進めた結果失敗するのがこの袁紹じゃないかな?w
肖像画が何かふざけてるような
せっかく食糧の面で曹操軍に対してアドバンテージがあるのに、それを利用しない戦いを選んだら勝てる戦も負けますわな。まあ自滅ですね。
このチャンネルほんと凄いいいなぁ今の小中高生はこういうの見て勉強させてもらえるんだから
他にもみてみると良いですよ 袁紹の評価はここだけでみて決めるのは惜しい
アイマス系動画なら一発で「ガチムチアニキでおネエキャラ」に認定されるネタキャラで良家の名族だったが…
劉備や曹操にはドロッドロの派閥争いや足の引っ張り合いなんて聞かなかったしやっぱり英雄の器って大事ですね
劉備陣営にも荊州閥と益州閥の派閥争いがあったし、曹操陣営も生え抜きと外様での対立はあった。しかし両雄とも生存中は人材をよく見極め派閥争いを抑え込んでいた。人材の使い方という点では間違いなく器の差でしょうね。孫権も若いころはよく派閥争いを抑えていたんだけど老害になったのが惜しまれる。
曹植の問題で曹操もやらかしてるぞ笑
もし官渡で袁紹が勝てていても天下獲れたと思えないのが袁紹の器な気がする死ななかった曹操や劉備(劉表)軍がどこかでひっくり返すように見えてならない
そら、郭嘉や荀彧が見限るわけか
自分が袁紹でも、董卓が恐ろしくて、逃げ出しそう
ナムコのファミコン『三國志』は性格診断でプレイヤーの太守を選ぶんだけど、私の結果は袁紹だった。Σ(-∀-;)
最近のうp主は結論ありきと好悪で語ってるきらいが強い印象がありますね。
収益化剥奪されてからかな?なんか孫堅と袁紹の落差が酷い
郭嘉が「袁紹は人民、蛮人に恩を施していたから、袁紹の息子たちが生きていられるのです」と発言し、荀攸が「袁紹は寛大さと厚情によって人々の気持ちを把握していました」と発言しており、普通に優秀な人だよね。
他の人のコメでもあったけど、乱世でなく治世だったなら名君として名が残ってたでしょうね
逆に許子将の評通りに「君は平和な世であれば乱賊となり、乱世ならば英雄になるだろう」と言われた曹操がこの時代だから袁紹から勝ちを収めたのかもしれないですね
袁紹は決して無能な人間ではないと思う。
人間は平時に能力を発揮するタイプと非常時に活躍するタイプに分かれることが多い。袁紹はこの二つの内の前者のタイプで、おそらく平和な時の為政者としてはかなり優秀な人間ではないかと想像する。
ただ、次代は乱世へと移り変わる過渡期であり、時局についていけなかったのは事実だろう。
そして袁紹の最大の不幸は対する曹操が平時に能力を発揮できるうえに乱世でも活躍できるという稀有な存在だったという事だ。
曹操が「治世の能臣、乱世の奸雄」なのに対し、袁紹は「治世の能臣」ではあっても「乱世の奸雄」ではなかった(´・ω・`)
韓馥を騙した手腕といい
多くの家臣を粛清した行動といい
乱世の「奸雄」っぽいのはむしろ袁紹なんですけどね
袁紹はまさしく乱世向けのヤバいやつ感ない?
個人的には自分のコメントにも書いてますが、袁紹は優柔不断なのではなくて頭はいいけどプライドが高く石頭で頑固な性格なのだと考えます。自分の方針にあーだこーだ言われるのが嫌いなタイプなので、方針が決まってしまえば、もう後は結果が出るまで進めればいいだけの平時の方が向いていると思います。平時なら失敗しても後からやり直しがききやすいですしね
袁紹も凄いところたくさんあったのにな…
この一戦で色々ガタガタの部分が崩れた
袁紹の能力は低くないと思うけどな。結局死ぬまでは領地を支配してた訳だし。ただ乱世には向いてなかっただけかと。
袁紹も十分優秀なんだが相手の曹操が化け物過ぎた
袁紹が「虎」だとしたら曹操は「ゴジラ」ぐらいの開きがあった感がありますね。
いくら猛獣の虎でも大怪獣ゴジラが相手では絶対勝てない。
今川義元もそれだよな。相手が悪すぎた!
蒼天航路のこの辺りはめちゃくちゃ面白かったなぁ。
優柔不断な印象があるけど宦官抹殺の決断や親族を見捨てて董卓の元から離れる等果断な面もある
優柔不断になってしまったのは参謀達が互いに足を引っ張りあい袁紹がそれを上手くバランスを取ろうとした結果にも見える
袁紹は本拠地である冀州の出身では無いので地元の名士に配慮しなければならなかったのでは?
袁紹にとって最大のしくじりは、ライバルが曹操だったことじゃないかな・・・
時代が悪かったかも
多分、平和な時代なら優秀な官僚だったと思う(´・ω・`)
可進に使えたときは、清廉潔白で有能な参謀だったのに・・・・
生まれた時代を言い訳するのは無能の証
袁家は袁術や袁世凱が悪目立ちしてしまうので
袁紹はまともな方だと感じてしまう
袁世凱は生まれだけの男じゃないし、むしろその中では一番まともだと思う。
器じゃなかったけど、開発独裁の必要性を感じてたんじゃないかな。
沮授と田豊は冀州閥の人間。後継者争い以前に冀州閥とあとから来た袁紹らの争いがあった。河北統一したあと袁紹はその勢力を排したかったから、沮授と田豊の扱いは次第に悪くなる。沮授と田豊を信頼したらなどというifはまずありえないんだよなあ。信頼とかそういう以前に沮授と田豊の実績をこれ以上あげさせたくないってのが袁紹の方針だし
0:13 肖像画が真面目とヒョットコが正面衝突したような表情で草
例え方よ(笑)
袁紹でここまで言われるなら晩年孫権はどれだけ酷くなるんだ?
あそこほど三国志の中で酷い醜い争いはないぞ
晋の時代には袁紹を懐かしむ人が大勢いたとか、まあ時代が時代だからな
魏でも蜀漢でもない存在だから無能さが持ち上げられた感じはある。統治に関しては、華北の民が後代に「袁紹の頃の方が良かった」なんて言う程度には上手くやってたわけだし。
袁家って代々政治家だしね。
戦争には、弱かったと思う。
曹操が「平時の能臣、乱世の奸雄」だったのに対し、袁紹は「平時の能臣」ではあっても「乱世の奸雄」ではなかった。その差だと思う(´・ω・`)
烏巣陥落の際は、当主・配下の皆さんはそぞろに心底
『うそー❗⁉‼‼‼』(※)
と声(聲)を叫んだのでは無いかと思います。
※因みに上述のフレーズは、麻雀漫画の大ベテラン大先生が、当時連載致しておりました作品作中のネタです。
SWEET三国志か
「貴方にはサッカーボーイの血が流れているのです」wwwwww
米主へ
このchで不覚にも吹き出してしまったwww.
油断した~
三國無双の4コマでそのネタがありましたねw
沮授の唱えた河北制圧策は、光武帝の前例に倣った王者の戦略とも取れますね。光武帝自体が下剋上の体現者だったこともあって、既存の皇帝権力に取って代わりたい袁紹が採用するのも頷けます。
あくまで曹操との正面決戦を望んだのは、大勢力の驕りもあったのかもしれませんが、あるいは曹操とは旧知の仲だったことも影響していたかもしれませんね。
後に 北魏が この戦略を採用して
華北を制しましたからね
袁紹、宦官皆殺しの件から察するに決断力はあるんだろうけど、派閥が割れてどちらに方入れても遺恨が残ると配慮した結果が晩年の優柔不断ぶりなのかなという個人的解釈がありますわ
隣の公孫瓚も充分しくじってるので、紹介していただけるとうれしいですな。
袁紹という人物の評価は難しいな。
でも蒼天航路の描かれ方は凄く好感が持てる。
袁紹も蜂蜜も途中までは正しく時代の中心だったのになぁ
官渡も袁紹に落ち度が多々あるけど戦術で袁紹の戦略をひっくり返す曹操が化け物すぎましたね
しくじりは曹操や劉備、諸葛亮でさえしでかしている。時勢を掴めなかった天下に近かった群雄の一人だと思う。
袁紹も曹操も宦官のおかげで親からその地位を受け継いでた辺りが面白いよね
最近では、直接対決自体は間違いではなかったという声もありますね。事実、曹操はそれで追い詰められてたこともありましたので。
食料問題についても、直接対決をすることで顕在化してしまってました。
〇術「だよね〜。こいつはしくじり野郎だわ、俺と違って。袁家の恥ですわ。あ〜、今日もはちみつがうまいんじゃ〜。」
陛下、この蜂蜜で最後でございます。
あとは鉄分たっぷりの赤い飲み物しかございません[笑]
袁術殿の一番の過ちは、伝国の玉璽を手に入れると自ら皇帝を名乗り、人心を失ったこと。公孫瓚も皇族を殺害して人心を失った。血迷われましたの。
@@hiro-kichi517 玉璽を手にしたことで「天が我を皇帝に選んだ」と勘違いしたんだろうねぇ・・・・・
アニメ横山三国志のビデオパッケージにあった袁紹の解説がキツくて笑ったw
「傲慢とねたみ、優柔不断から自滅した袁紹から、我々が得るべき教訓は多い」
歴史に絶対的な正解はないというのはものすごく同意します。なにしろ見てきた人がいないのですから
見てきた人がいないってことはないだろうけど、結局は人であるから主観や自身の感情が入り混じった情報になってしまうのがオチかなと個人的には思うな。
やっぱ、面白い事が起きたらちょっと大袈裟にして驚かせたいじゃん?
そう考えると司馬遷ってやっぱ、すげぇよなぁ…
@@souls6649 千年前のことを今の歴史学者で見てきた人は一人もいないと思いますよ、見てきたという人が書いたものを見ることしかできませんから、そしてその見てきたという人たちが書いたものが矛盾したりしてるので、わかりにくいわけで
いや、まぁ。
相手がねぇ、曹操という稀代の英雄だからね。
袁紹は公孫瓚も倒してるし決して無能ではないと。
官渡の戦いとかいう実質、三国志の決勝
なお横山光輝先生は思いっきりすっ飛ばした模様
そういえば、無かったかな?外伝で書いてくだされば、とても面白い物になっただろうに。
BGMでかいよね
実は見方を変えればずっと曹操より先進的な考え方をしてたんだけど、あまりにも先進的すぎてついてこれないヤツらばっかしか周りに居なかった、とかコーエーの三国志本にも書かれてたんだけど、本人すらもそのプランはあってもそれを構築できる能力が無かったと言うことなんだろうなあ…
しくじりなら弟の袁術の方が酷いと思う。袁家の地盤を継ぎ、配下に孫堅というその時点では最強の将がおり、さらに白馬将軍と言われた猛将公孫瓚と同盟を結んでいる。ここまで好条件が揃っているにもかかわらず盛大にやらかして自滅していますからね(苦笑)。是非次のしくじりは袁術を取り上げて欲しいです!
もし袁熙が跡を継いでいたら袁家はどうなったのだろうね。それにしても後継者争いに名前が出なかった袁熙の血筋が残ったのが面白いところ。
持久戦をされれば宿敵に負けていたのはカエサルの時に似てる。しかし、今回の曹操のケースでは味方ではなく宿敵自身がポンコツで、ポンペイウスの時とは全く異なる点もなかなか興味深い。
3:18このエピソードは蒼天航路でも描かれてるよ
このエピソード(『花嫁泥棒』)を元にしたと思われる第12話『アモーレ』からの一連の水晶奪還騒動と
第145話『黎陽逍遥』の扉絵(こちらは動画中エピソードの話をそのままを紹介)とで都合2回登場しますね
前者はおそらく原作の李學仁氏のシナリオによるもので
『世説新語』にある曹操の『花嫁泥棒』の話と『正史三国志注釈』の曹操の『張譲邸乱入事件』を組み合わせたものと思われます・・・たぶん(;^ω^)(※故に作画王欣太氏は水晶の話を曹操の『花嫁泥棒』の話とカウントせず(純粋に原作者のオリジナルととらえていた?)後に原話通りの『花嫁泥棒』の話を扉絵を袁紹戦直前に差し込んできたのかもしれません)
ところで、この曹操の『花嫁泥棒』が書かれた世説新語という本は実は歴史書ではなく
南宋の時代に編集されたゴシップ集(といっても書籍としてはすでに古典の名作なんですが笑)で、一片の事実は隠されているかもしれませんが基本的には「こう人々が噂し合った」という記録なのであまり歴史的信ぴょう性はありません(^_^;)
『花嫁泥棒』のエピソードは『蒼天航路』では曹操のヤンチャぶりを描いてるのに対して『我王の乱』という作品では曹操の『冷血漢』ぶりを描く『ソレ』になっていて、その『対比』が面白かったですね。
袁紹個人の能力は低くないんですよね、優柔不断かというと戦いぶりとかは果断ですし。政治の才能は領民の慕いぶりからかなりだったかと。ただこの人兵の統率は文句ないのですが家臣の統率が駄目なんですよね、かつて2ちゃんにあったコーエー数値化スレでも指摘されていましたが家臣の統率が苦手で謀略は能力の高い曹操、謀略の世界で生きて来たみたいな袁術、獣じみた勘を持つ董卓とか誰がやっても通じない様な相手に仕掛けていたり。むしろ人に仕えていると軍の指揮も内政も出来るかなり有能な人物だったかと。しかし戦ってかなり強かったのは事実で政治も上手だったから君主になれると勘違いしたのかも知れません。今回僕の書き込みはコーエー数値化スレをかなり参考にしています。
袁紹は「治世の能臣」にはなれた気がする。
自分以外が上に立つことを絶対許さないマンだから乱世向きじゃないかな?
袁紹の評価低すぎない?動画見てると結構前の評価と話をしてるみたいなんだけど
曹操が戦の中マジビビりしてるし、治世はすげーよかったって晋の時代でも言われてるし
官渡後に袁紹が病没しなかったらまだまだ勢力的には袁家優勢だったかもなー
でも官渡で稼いだ時間で袁紹は死に袁紹個人で纏められていた軍団は瓦解
官渡から約2年後に後継者争いに乗じて曹操はついに華北への本格進行開始
後世の評価は今一だけど袁紹は領民には慕われていたようで、河北を手に入れた曹操も袁紹の統治を手本として河北を安定させたと言われている。
大事なところで決断ができなかったり、部下を信頼できなかったり、英雄の器ではないけれどどうしようもなく惹かれるキャラでもあります。
董卓のことを語った動画見た時点で袁紹はこのチャンネルで取り上げられるだろうとは思っていました。
それといつか孫権も意外としくじり世界史に載ったりするかも
むしろ孫権は袁紹より酷いですから扱わないわけにはいかないはず
人材がいても使いこなせないんじゃあね
官渡戦での兵卒の夏侯惇ですが大好きだ
そして息子に出し抜かれて悔しがってるの草
人を見抜いて信用する
言葉では簡単だけど実際やるのは難しい
自分の決断に国の命運がかかってるとなるとなおのことだったと思う
袁紹は決して凡庸ではなかっただろうけど、曹操に勝つにはまだ足りなかった
タイムマシンがあれば全ての歴史がわかりますね
袁紹が悪かったというか曹操に天運が付いてたから勝てたというか
袁紹の方が果断で曹操の方が割と優柔不断だったようですね
後からの視点で見てると曹操の踏み台感あるけど官渡の奇跡がなかったら光武帝ルート
宦官に反駁した袁紹に放った「お前は今に我が一族を滅ぼすぞ!」という親父さんの一言が、全てを物語っている気がする…
7:32 一瞬山口メンバーいたでしょ?私じゃなきゃ気付かないとこ。
こいつを曹操が倒したことで実質曹操は覇者になったからな。
袁紹はそれだけすごかったんですよね
良いところのエピソード色々あるのに解説されなくて残念
信長における今川義元みたいな感じなのかな。家柄もめちゃくちゃ良いし、当時威勢を奮っていたし。
@@sukeyu-5194
そうですね
今川義元も評価低かったときありましたが天下に近い存在だったんですよね 楽市楽座も実は義元が先に行っているんです
息子も子孫は残してますしすごく良い家系ですよ!
公孫竜は「白馬は馬にあらず」って言ってるのに
公孫さんって白馬将軍って言われてるのなんか面白い
官渡の戦い前から後継者争いが熾烈でその後二年で病死してるあたり、もともと健康面での不安があったから決戦を急いだんじゃないか?って気もしないでもない。
「最低なやつですよ」という話ではなく、「ある程度優秀で成功しててもこういうしくじりはありますよ」だから学ぶところが大きい
宦官絶対頃すマンのときとか公孫瓚と奮戦してるときはカッコいいんやけどね
息子たちがな…
曹操のおやつ
袁紹自体はそこそこ有能なんだけど部下…軍師達とかが互いに足を引っ張り合ってるからソコがねぇ……
天下を取り損ねた男。ロマンあるやん。
21:35
劉邦は張良の言うことはなんでも聞いてそうだけど、劉備って言うほど孔明の言う事聞いてるかな?w
劉備の場合は諸葛亮の方が巧い事言うことをきかせているようにも思える(´・ω・`)
@@nuruosan4398
孔明の事を信頼し任せた部分はあっても、あまり言うことは聞いていない印象なんですよね。
劉表が死んだ際に荊州を取る←聞いてない。
益州攻め←渋った(後に龐統の説得で行う)
夷陵の戦い←聞いてない。
@@こおりあめ-n2d 劉備は龐統や法正の進言ならよく聞いていたような気がします。
@@黒市川花田平
私も同じ印象です。
龐統、法正と孔明の意見が割れたケースを私は知りませんが、もしそのようなケースがあれば孔明ではなく龐統、法正の言うことを劉備は聞いていたように思います。
あ〜でも、益州攻めの際に宴会で劉璋を捕らえろっていう進言は聞いてないし、龐統の言うこともあまり聞いてないかも知れません。
法正の言うことを1番聞いていた印象ですね。
機を見るに鈍、という言葉が似合う男
樹を見るに敏すぎるから宦官皆殺しするし都にいた袁家を見殺しにしても反董卓連合結成するし冀州を奪いとったように思えもします
しかし、これほど面白い戦いをなぜに横山光輝はカットしてしまったのだろう・・・
まあ当時の連載ペースを考えたら、劉備メインでない戦いはカットしないと自分の生きてるうちに連載が終わらないとか考えたのかもしれないが、
もしも連載してたら単行本数冊分にはなっただろうなあ。実にもったいない。
どの時期から切り替えたのかはわからないけど、横山光輝氏は当初子供向けに三国志を描いていたのにどうやら大人の読者がかなり多いらしい事を知らされ、それから大人向けの演出を心掛けて描くようになったと語っていますね。もしかしたらその辺の事情もあるのかな(´・ω・`)?
色々考えられますねえ・・・
曹操にとっては一大イベントですが
戦いの結果、武将や軍師が軒並み死ぬので
飛ばしてもいいと判断した可能性も?(^^;
自分の中では前秦の苻堅と重なりますね
圧倒的有利な局面からのVやねん!からの大敗、異民族の融和、有能な部下の離反は勝者になれなかった哀愁があります
三国志で一番大きな戦いだと思う
歴史的な意義という意味では最大の戦いかもしれませんね。
ちなみに動員された兵力合計が最大の戦いは諸葛誕の乱のようです。
(魏軍26万 VS 諸葛誕反乱軍10万+呉の援軍おそらく10万程)
12:23辺りに人が…
優柔不断と言うよりは、プライドの高さ故に自分の意見に異議を言われるのが嫌いな性格だったのだと思う。佞臣を重用し名臣を遠ざけてしまったのは其処に起因するだろう。行動力も決断力もあったけど石頭で融通が利かない男だったのではないかと個人的には考える。
沮授が河北四州を制して天下を目指す策を述べた時、袁紹は「それこそが自分の考えていたことだ」と言って採用したとか。この時は上手くいったから目立たないけど、結局袁紹は自分の考えと同じ意見しか採用しないのだと思われる。そして佞臣は主君の意を酌んで気に入られるような進言をするのだけは上手い。
ーコメ袁紹だ、正史と演義のギャップが知りたい
あと袁術の解説もお願いします
15:04に何か映ったな
袁家の治世は中々良かったらしいね。
判官贔屓だろうけど好き。
袁紹は天下をとる時節、人材、財力には恵まれたが流れを読む力と
人の才能、本性を見抜く能力が決定的に欠けていたと思う
もし官渡で曹操を下していてもいずれ滅びていただろう
さ
や、
人材も財力も自分の力で築いているんだけどな。本当に頭悪い
@@ユーノスクライア-m6d 『蒼天航路』はまだマシで『演義』などの『イメージ』が強いんでしょうね💦
(;^ω^)だから高く評価してくれる人が少ないのかも(三国恋姫でもボンクラ扱いだったような💦) コメ欄にも書きましたが、敗者に『歴史』は創れないのですナ。
(`;ω;´)
優秀な人間から逃げ出すって、現代でも言われていることですね。
某会社が決算発表前に経理課の人間が逃げ出して、1ヶ月発表が遅れたことも…
実際、傾いている会社からは実力のある優秀な人間ほど先にいなくなる。
実力がある人間は実力ゆえに転職が容易で身が軽いんだが、実力のない人は転職してやっていく自信が無いから会社がつぶれるまでしがみつく(´・ω・`)
入社時に「いつでも辞められるようになっておきなさい」と言われた。その通りだと思う。
反董卓連合挙兵
都に親戚縁者が普通に住んでるのに地方で反旗を翻せば彼らが処刑される
考えれば(当時的には)当たり前の事なんですがこういった大胆な挙兵は約20年のち北方の雄『馬超』により涼州反乱としてもう一度再現されることとなります(都にいた馬超の一族は曹操により処刑)
馬超なんて価値観違うせいか家族という人質がいても当たり前に反旗しましたからね やはり現代感覚でみてはいけない…
数の暴力で曹操に勝ったのに、内ゲバで食料のありかをバラされるとかたまったもんじゃないっすね…
名士との争いはえげつないですからね
なおばらした本人は傲慢すぎて殺されました
石田三成と一緒で負けた側だからね。必要以上に貶められてる部分はあると思うけど、
負けた事、それのみだよね。
恐らく歴史上、ホントは人格者で名君だったとしても負けたから悪いように捻じ曲げられた偉人も無数にいるんだろうなってね。
普通に優秀な人物だったが、部下の能力を見抜く力が弱かったか、あるいはなかったのか、とにかくそういう欠点が袁紹にはあったというわけか。それで部下同士の足の引っ張り合いを初めて、自軍が壊滅してしまったというわけね。猜疑心が強かったのもこの人のマイナスポイント。
会社の経営なんかでも同じですな
優秀な部下をしっかり起用出来るような会社は伸びるし、
逆に媚びるしか能が無い奴が昇格するような会社は伸びない
歴史を学ぶことで同時に人生の教訓を学べるから面白いですね
袁紹以上の豪傑天才がいた
それじゃね
腹が減っては戦ができぬ。
公孫賛は連合に参加していないし、袁紹はちゃんと曹操が留守の内に南下してますよ。于禁伝でもしっかり書かれています。なんか間違った知識を持って解説してるのは残念ですね。というか未だに袁紹の評価低いの時代遅れですね。残念です。
ここまで袁紹の評価低い投稿者も珍しいですね
確かに何進と董卓亡き後は
天下人に最も近い最高実力者だった袁紹は
生まれながらの高貴な家柄や身分だけでは
そこまで超出世できないよね…
曹操に負けなければ天下獲ったと思います。
小勢力だった頃の袁紹ならある程度自由にできたんだろうけど大勢力になった後のしがらみで雁字搦めになったんだろうな
母親の身分が低いとはいえ名族出身で頭も良い
ただ多くの家臣を粛清した手腕を見るとその両方が冷酷さに繋がった様に思える
後年まで民に慕われる経営手腕を見ると治世においては能臣だったんだろうけど
家臣に対する扱いを見ると乱世を生き抜くには度量が狭過ぎたのかもしれない
今川義元とよく似てるよね。
・名族である
・最後に戦う相手が悪すぎた。戦う相手同士もよく似ている。
・後継者がしょぼい
と共通点がある。
おのれ〜ぇいっ!!
袁術とは異母弟になったり従弟になったりしているからな
あと袁紹は官度の戦いの最中に肥え太ってしまったぞ
袁紹自体は無能じゃないけど郭図とか使ってる時点で
袁家は元々華北の名家であり、三国志の群雄たちの中で最も恵まれた出自だったと言われる彼だが母は袁家に買われた奴隷であり、幼いころからそうした出自のコンプレックスに悩まされたであろうことは想像でき決して袁家の威光のみで出世した人物ではなく、若き日の曹操とは悪友で互いに実力を認め合った仲であり、劉備よりもライバルらしいライバルではないかと思っている。
戦乱の世でなければ、曹操と袁紹って上手くやれてた気がするんだよなぁ…良し悪しはともかく。
劉協の即位を認めてなかった袁紹が劉協を迎え入れられるわけないんだよなぁ。1個の動画の中で矛盾させるのは如何なものかと…。ところで、参考文献は何ですか?
たとえAランクレベルの人材でもSランクがたまたま生まれただけで埋もれるんだから時代ガチャと場所ガチャ大事
最大の敗因は短命だったこと
長生きしてたらわからなかったと思うがな
短命といっても49歳なら当時ならそれなりだからまあその程度の人物なんだろうなとは思う
息子達が殺し合って、自滅したのが大きいよね。
あと十年生きてたら、曹操に勝てるかは、分からないけど。
曹操は敵が多いから、袁紹は結構生き残れそう。
しかも、劉表と孫権に挟まれて、最初に袋叩きにあって、曹操も動けなさそう。
そうしたら、春秋戦国時代とか五代十国みたいに、小さい国の睨み合いになるんだろうって思う。
官渡で負けても充分巻き返すだけの地力はありました。
曹操だって赤壁で負けてその後すぐに死んでれば袁紹みたいな扱いされたであろうしもう少し生きてたら分かりませんでしたなら
@@マイケル-h7 さんへ
孫堅は短命、曹操は65歳迄生きてたかと
司馬懿仲達は更に長生きですね。
若き日に曹操と美女の家に忍び込んで足くじいた話好き。蒼天航路では見事に曹操が女性をかっさらった話となっていたでござるな。一説には遊侠を好みとあるから一時期はヤクザものみたいな時代があったようなんだよな。ここらへん定説がなく諸説(陳寿や裴松之の注釈)が多いのは、曹操に敗れた後に資料が散逸したからでござろうか。
先祖譲りの行政手腕はあったようで後漢末のわりに民衆から歓迎される仁政を行っていたのは敵方である郭嘉や荀攸が認めるところであったが、人材の活用ではどうしても度量や自由に活用できた曹操に負け、結局それで勢力を滅ぼしていくと分析されるのはいかんともしがたいでござろう。ここらへん陳寿の評が大いに後世に影響を与えていると思うでゴザルが、そうとしか思えないのが袁紹のしくじりでござるよなぁ。
袁術よりは、袁紹に仕えたいが‥。
実は、袁術の方がエリート?
というより格上だったらしいですね
正室の子供だったとか袁術は
袁紹は名家だけど一から地盤を作ってます なので英雄までは行かなくとも能力はすごく高いです
袁術は皇帝自称したからどちらかというとこちらがしくじってますね
@@saw196 様、返信ありがとうございます。袁術は格上だけど、能力がイマイチ、袁紹は格下だけど有能という事なんですね。内輪揉めしていたら、他の群雄にいつの間にか、差を詰められた感じですね。孫堅が袁術ではなく、袁紹に仕えていたら歴史が変わったかもですね。
軍事の最高機密をばらさるとは、負けて当然ですね。
兵糧を一か所に集めすぎでもある(´・ω・`)
せめて2~3ヵ所に分散させていれば、負けませんでしたね。
曹操の器の大きさを再確認する
官渡の戦いで勝利した時のエピソードが好きです
袁紹の陣営地で自分の家臣達が袁紹に宛てた文書を見つけても「自分だって何度も負けると思ったから当然だろう」と全て燃やしてして不問にしたという
問題の本質を見抜く能力はあるが、その解決策を自分で見つけることができず、間違ったやり方で進めた結果失敗するのがこの袁紹じゃないかな?w
肖像画が何かふざけてるような
せっかく食糧の面で曹操軍に対してアドバンテージがあるのに、それを利用しない戦いを選んだら勝てる戦も負けますわな。まあ自滅ですね。
このチャンネルほんと凄い
いいなぁ今の小中高生はこういうの見て勉強させてもらえるんだから
他にもみてみると良いですよ 袁紹の評価はここだけでみて決めるのは惜しい
アイマス系動画なら一発で「ガチムチアニキでおネエキャラ」に認定されるネタキャラで良家の名族だったが…
劉備や曹操にはドロッドロの派閥争いや足の引っ張り合いなんて聞かなかったし
やっぱり英雄の器って大事ですね
劉備陣営にも荊州閥と益州閥の派閥争いがあったし、曹操陣営も生え抜きと外様での対立はあった。しかし両雄とも生存中は人材をよく見極め派閥争いを抑え込んでいた。人材の使い方という点では間違いなく器の差でしょうね。孫権も若いころはよく派閥争いを抑えていたんだけど老害になったのが惜しまれる。
曹植の問題で曹操もやらかしてるぞ笑
もし官渡で袁紹が勝てていても天下獲れたと思えないのが袁紹の器な気がする
死ななかった曹操や劉備(劉表)軍がどこかでひっくり返すように見えてならない
そら、郭嘉や荀彧が見限るわけか
自分が袁紹でも、董卓が恐ろしくて、逃げ出しそう
ナムコのファミコン『三國志』は性格診断でプレイヤーの太守を選ぶんだけど、私の結果は袁紹だった。
Σ(-∀-;)
最近のうp主は結論ありきと好悪で語ってるきらいが強い印象がありますね。
収益化剥奪されてからかな?
なんか孫堅と袁紹の落差が酷い