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50年以上も前、毎日乗りに行ってました。運転手さんとも顔見知りになり、運転させてもらった記憶が有ります。マスコンを回して加速、ブレーキ掛けて制動。もちろん運転手さんの手がカバーしてくれてて。😄今の時代だったら、大問題に成ってますよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。毎日通われてたとは羨ましいですね。しかも「運転させてもらった」とは! 大らかな時代でしたし、乗務員さんと利用者との距離が近かったというのもあったのでしょうね。
あの因縁の内野屋工務店傘下になる前で各駅がオリジナルの駅舎で、大変貴重な映像ありがとうございます。当時昼間はすべて笠上黒生駅で交換していたので701と2のいずれかが故障したんだと思います。700型は力がなく、どちらかが故障すると1両では牽引できなかったんではないかなあ。その点801は力がありました。多数の子供らはおそらく、仲ノ町駅、観音駅、本銚子駅いずれか最寄り駅の小学校から、犬吠埼〜海鹿島海岸への遠足か校外学習いった帰りですね。本来は犬吠駅の701と2も運転打ち切り、客扱いしない救援列車をたてなければならないんでしょうが、多数の子供をそのまま放置するわけにもいかず、ああなったのかと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。銚子電鉄は、このときの訪問以降ずっと御無沙汰なので、多くの駅舎が姿を変えていることは、ネットや書籍等で後から知りました。当時の銚子電鉄の対応を批判する訳では決してないのですが、和風洋風問わず古風な駅舎をこよなく愛する者としては、遊園地のような南欧風のデザインはちょっとなぁ、と感じるのが正直なところです。そんな中、仲ノ町駅や外川駅は建て変わっていないようなので、ほっとしてます。車輛故障時の対応としてイレギュラーであることは百も承知で、ああいう対応となったのは、仰るような事情だったのでしょうね。車輛故障が、よりによって多客時(しかも子供たち)に発生したというのが不運だったということでしょう。
画面から走行中の揺れが直に伝わってきて臨場感がありました。故障車でも客扱いをする柔軟性+時代を感じますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。臨場感というと聞こえは良いですが、手振れ補正など想像だにできない時代のビデオカメラですので、ほとんどの前面展望動画では盛大に揺れておりますw(大画面で見ると酔うかも)まあ実際、銚電の揺れはつり革の取っ手がカチカチ鳴るほど盛大でした。
こんな古参編成にハキハキした自動音声があったとはまた驚き…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ワンマンでもないのに自動音声だったので、ちょっと驚いた記憶があります。
昭和を感じます。電電公社の時代の「ただいま電話が込み合っています。しばらく経ってからお掛け直しください。」に似ていますね。
と言っても、8トラックテープを用いたモノでしょうけど。再生機をマイクの増幅アンプに接続すれば使えるモノですから放送用スピーカーを搭載していれば簡単に載せることはできたと思われます。
当時京成も自答放送してましたけど、感じが似てますね
@@雷鳴と電光 輻輳ガイダンスはなかなか聞けないものになりました。
懐かしい映像ありがとうございます。自分は銚子出身で1983年生まれで、この映像の頃だと自分は4歳でした。銚子電鉄の存在もこの2年後に銚子市立清水小学校に入学するまで知らなかったです。清水小学校時代は登校と下校に銚子電鉄を利用していてよく進行方向前の方で動画のように前にいましたね。あの赤と白のカラーリングもこの数年後に赤と黒に塗り替えられたのも覚えてます。それに合わせて当時一部の駅舎がリニューアルされたのも覚えてます。確かに普段は1両か2両の運用が主で偶に3両でくる事はありました。故障車を牽引するパターン以外に澪つくし号を間に挟んだ編成だったり。過去に1度4両で来たときは幼ながら興奮したのを覚えてます。観音駅で当時調理・販売していたたい焼きとたこ焼きを親や姉と一瞬に食べたのも懐かしい。ちなみに、自分ら銚子には小4(10歳)の夏休み中まで住んでいてそのまま2学期に市原に引っ越し現在は千葉市に在住で千葉県内で長年住んでます。今はもう当時の電車は廃車されて無いのが残念ですが、また時間があったら銚子電鉄を乗りに銚子に行きたい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時地元で利用されていた方からコメントをいただくのは大変嬉しいです。電車のカラーリング変更や駅舎のリニューアルをリアルタイムで見られていたのですね。一度4両で来たというのは、やはりお正月のことと想像しておりますが、もしそれ以外の時期だったとすると、貴重な証言になるかと思います。
@@昭和電車チャンネル 4両で来たときの話ですが、あれは平日の下校の時です。普段は1両か2両のはずがあの時は何故か4両だった。何らかの事情で4両だった可能性があります。4両編成を見たのはあの下校の日以来1度きり
今の日本がギスギスしすぎこういう働き方で良いんだよ今だったら雑談だけで大炎上
いつもご視聴、コメントありがとうございます。銚子駅での光景のことですね。待ち時間に乗務員同士がお話しているだけで、今ではSNSで炎上したりするのですか!?恐ろしい。そう言えば、当時は江ノ電でも稲村ケ崎駅での時間調整のとき、交換列車の乗務員同士がよく雑談?されていて微笑ましかったのですが、今ではもし見られないとすると寂しい気がします。
ある意味素晴らしい三連編成😂現在では見れない動画は貴重ですねー
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この時は、不幸中の幸い(電車ファンにとってのみの幸い)で、たまたま珍しい3連運転を見ることができました。もっとも、3連運転について、当時はお正月だけは臨時で「正規な」運転があったようです。
@@昭和電車チャンネル ↑その3連に1988年1月1日の初日の出列車で乗ったオッサン。途中で電圧降下でノロくなった😁
あんまり関係の無い話ですけど、正月に3連が動いてるときは300形なんかは電圧が足りなくて、力行すると照明が暗くなった記憶があります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他の方のコメントで、正月だけは3連運用があったのを知りましたが、701+702+801の組合せ以外に、701+702+301もあったという訳ですね。それとも、700形のどちらか+801+301だったのかな?
各1人車掌がいる当時と今を比べてしまうとすごい時代だったなとおもった
いつもご視聴、コメントありがとうございます。昔は車掌さんは居て当たり前でしたが、今では何両もの編成なのにワンマンとか、本当に凄い変わりようですね。
10年前の元旦に乗った時も3両編成でした。一番後ろ(銚子方)に元地下鉄銀座線の車両を繋げていました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他の方からも、昔3連があった旨のコメントがありましたし、毎年かどうか判りませんが、正月には3連運転があるのですね。
すごい映像を見させてもらいました、最初から最後まで見所満載ですね(笑)2両の救援に1両でできちゃうのもすごいですが、15:08付近の黄ヘルさんが戸挟みか何かの対応をしているのも気になるポイントです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画編集にはそれなりに手間暇掛けておりますので、最初から最後まで見所満載と言っていただけると大変嬉しいです。黄ヘルさんの一瞬の動きに、よく気付かれましたね。映像を何回も見ていたはずなのに、言われて見返すまで、私は気付きませんでした(笑)。
正月にも701+702+801の三連運用がありましたね銚電は今も昔も車両故障が多いですからねw何があってもおかしくはない
いつもご視聴、コメントありがとうございます。正月にも(というか、正月には正式に)この3連があったのですね。そうと知っていれば、正月に撮影に出かけていたかも。故障と言えば、昨年も車輛故障により運用列車不足が発生していたようですね。
自分もこの頃の時代の子供でした。とにかく子供が多いですね。貴重な映像の保存とアップをしていただき、ありがとうこざいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。犬吠埼への遠足?の帰りらしいのですが、大量(笑)の児童たちが登場しています。それが運悪く車輛故障にあってしまい、駅や電車内でかなり待たされたことでしょう。当時バスを使わずに電車移動だったことが、ちょっと驚きです。
輸送障害が起きた際、今の鉄道会社は自社の社員を守ることを優先し、ただマニュアル通りに“機械に頼っている感”をすごく感じるのですが、当時はお客様を守ることを優先とした“臨機応変さ”に満ちていたように感じます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他の方からも似たような感想が寄せられていますが、時代の違いなのか、鉄道の規模の違いなのか・・・両方なのかもしれませんね。
故障時の柔軟な運用もすごいんですけど4:08 からの車掌が走り始めてる車両に掴まって乗ってたり、飛び降りたかと思ったらポイント通過後すぐに切り替えて間髪置かずに後進だし、そこからの営業列車の発車も早っって思わずにはいられませんでした今の機械化されてガチガチに規則に縛られた鉄道運行じゃ絶対に不可能なことやってるなぁ…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。言及された一連のシーンは、見ていて惚れ惚れするほど本当に鮮やかな手際ですね。
この時点では、利用客も、そこそこいるので、今が残念な感じですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。話題には事欠かないので、利用者が減っているとは思いませんでした。銚電を久々に訪問して元京王車に乗りたいと考えているところです。
最後の方にちらっと映った「澪つくし号」に20年位前に乗りました。すごい乗り心地だったのを覚えています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。澪つくし号、私は乗ったことがありませんが、凄い乗り心地w・・想像できます(笑)。
まだ濡れ煎餅を販売する前の動画ですね。ところでS56年の元旦朝は初日の出客を乗せて4連が走っています、当時なので、101、201、301、501あたりでしょうか。今もそうですが銚電は意外と職員が多く乗客が増えてくるとどこからともなく現れて乗務してます、700系のパンタを上げてるのはブレーキを動作させるためではないでしょうか。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。RM LIBRARY 143「銚子電鉄(下)」白土貞夫著 p.35に、1982.11.23撮影の4連写真が掲載されており、「仲ノ町以遠、外川まで、史上ただ一度あった電車4連運転。デハ501+デハ301+デハ700×2」とありますが、S56年(1981年)の元旦にも4連が走行していたというのは貴重な情報ですね。初日の出客を乗せてということであれば、当然外川までの運転でしょうし、なかなかお目にかかれないとはいえ、「史上ただ一度」ではなかったようですね。パンタ上げてる件は、なるほど、回生ブレーキが考えられますね。
@@昭和電車チャンネル 様パンタグラフを上げている理由は、空気圧縮機が架線電源だからで、ブレーキ故障でない場合、空気ブレーキの空気圧を保つため、パンタグラフを上昇して元空気溜めやブレーキ管の減圧を防ぐという意味があります。ちなみに銚電は、ブレーキは空気ブレーキと手ブレーキのみで、電気ブレーキ、回生ブレーキはありません。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。CPの電源の為・・なるほどそういう訳だったのですか。直流モータのシステムで回生機能が加わるのは、もっと後の時代の車輛からなのですね。
パンタ上げ→ブレーキのコンプレッサー用の電源確保かと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画編集時に私は考えが至りませんでしたが、仰る通りのようです。他の方からもコメントをいただいております。
@@昭和電車チャンネル そうでしたか、失礼しました。この映像の銚子電鉄の雰囲気、大好きで模型で再現したいなぁと思って居たので大変参考になります。この年代ですら微妙な古臭さのギャップ酒の肴になるレベルで週末になると拝見させていただいております。
この京成グループ時代の銚電の頃がローカルムードが強く一番良かったですね。内野谷工務店の傘下に入り塗色を変えたり駅舎を整備したりしてからはちょっと胡散臭い感じになってしまい個人的にはあまり好ましくなくなりました。しかしこれはレアな状況に遭遇しましたね!恐らく外川を出発した700形の重連が犬吠でダウン、仕方なく外川行きだった800形を犬吠まで営業し、そのまま救援&増結車代わりにしたものと考えられます。外川までの乗客はとても少なく(私もこの時代に乗った事がありますが、ほぼ全員が犬吠で下車してしまい回送状態でした)、外川行きを犬吠で打ち切りにしても問題無かったのでしょう。流石に一人二人はいたと思うので、タクシーや社用車などで代行輸送したものと考えられます。パンタの件ですが、室内灯や放送装置用補助電源の起動に必要なためと、コンプレッサーの容量確保のためですね。総括制御は出来ても補助電源系の引き通しは一切していなかったと思いますので。コンプレッサーはブレーキの引き通しをしているので理論上なくても問題は無いですが、コンプレッサーの負荷が掛かり過ぎるために各車で起動させた方が安全なためです。その辺りも故障していたらパンタも降ろしていたかも知れません。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。冒頭の部分、私も同感です。旧型車に赤と黒の配色は、ちょっと・・。銚子電鉄に限りませんが、ローカル私鉄の特に旧型車輛の塗装で無理に現代風w(奇抜な配色や、斜めに線を入れたり)にしてるのは、個人的には誰得?と思えます。後段の部分、詳細な考察ありがとうございます。統括制御といっても電源系は別なのですよね。犬吠から先、外川まで行く客はほとんどいなかったというのはその通りだと思いますが、実は私はあの後、記憶にはありませんがw歩いて移動したはずです。なぜなら、撮影したビデオテープの続きが、外川駅での映像になっておりますので。
@@昭和電車チャンネル なんと!代行輸送すらなかったとは…今なら大問題でしょうね。まあ歩ける程度の駅間だったとは思いますが…30数年前はまだまだ大らかだったと言う事でしょう。銚電での思い出と言えば、雨の中吹き曝しの澪つくし号ユ101に乗った事と、そのユ101を中間に挟んだ301-ユ101-501の珍編成に遭遇した事ですね。この三連、どういう訳か最後部の501だけが営業扱いしていて、勿論非総括(両形式が非総括なのもさることながら、ユ101が挟まっているのでどうやっても無理)なので運転士が中間の運転台に乗ってハンドル操作しているのを見て当時子供だった私は「この人は何をしてるんだろう?」と思ったのを覚えています。
柔軟な対応でいいんですよ。まさにこんな時こそポッポ屋の腕の見せ所。この頃は今の鉄道に本当夢を感じれなくなっちゃいましたよ。自動運転・自動放送・無人駅または改札無人とか、僕も鉄道会社勤めだけど、仕事に夢が感じられない
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰ることはよく解ります。人件費削減、合理化は、この先一体どこまで進んでしまうのか・・。昔の鉄道、特に地方小私鉄では、全体的に手作り感やぬくもりが感じられた気がします。
13:33 自分が動画を2倍速で見ていたのかと思ったら標準速でしたw実際にこれを前面かぶりつきで見ていたらとても怖いですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうなんですよ! 徐行して近づくのかと思っていたら、スピードが落ちなくて・・・ でも急ブレーキも掛けずに直前で停まったのは、ある種、神業のような気もしますw
貴重映像ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。モノ好きがわざわざ機材を持ち込んで撮影中に、たまたま発生した出来事ですので、この映像はおそらく他には無いかと思います。今なら皆が一斉にスマホ撮影し、即アップされそうですが(笑)
銚電推し3年です この時代に乗りたかったなでも この時代には 袖山さんいないよな😁
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ネット記事にあったプロフィールが事実だとすると '88年のお生まれのようなので、赤ちゃん時代まで遡っても、この撮影時('87年)とは、ギリ被っていませんw
多分車両故障であってるのではと思います。故障車もパンタを上げてたのは車内のサービス電源確保のためではないかと。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他の方も関連事項をコメントされてますが、電源確保が目的だったということで合ってそうですね。
こんばんは🌙😃❗今回の動画がひと昔前の車輌達のオンパレードって感じで懐かしく見させてもらいました。しかも流石銚子電鉄と言った摩訶不思議な現象(結局700型が何で故障したか)解らず仕舞いで気付いたら仲ノ町車庫に戻っていたと言うミステリアス的な感じでしたね‼️結局800型も終点外川迄行かず、犬吠駅で故障した700型二両を連結して銚子へ戻ってしまったんですから・・・・・まぁ~そこが銚子電鉄らしいと言ってしまえばそれまでって感じですね(笑)しかし、通常は運転士と車掌二人いれば運行的には問題ないのですが、銚子電鉄の場合編成が二両以上になると各車輌に運転士が乗らねばならないと言う非効率的が凄いです。今回も動画ありがとうございました🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時私が訪問した際、何が起こっているのだろう???と、仰るように本当にミステリアスな気分でした。あと当時は、車輛による統括制御の可否について知らず、どうして700形同士ばかりで組むのだろう、と思っていました。
これ外川行きたかった人は次の列車だったのかな多分 笠上黒生から次の列車来るの待ってたら歩いた方が早そうだけど・・・
いつもご視聴、コメントありがとうございます。次の電車は当分来そうもないですし、隣の犬吠駅にいるので、仰るように外川までは歩いた方が早いでしょうね。そう言えば、このときのビデオテープでは、次が外川駅での撮影映像になっています。ということは、全く記憶が無いのですがw、私も外川駅まで歩いて移動したようです。
当時から古い電車を使ってましたからね、多分制御器とか電気系統の不具合でないかと推測しますね、故障車もパンタグラフは普通に上がってたので、そこまで重傷ではなかったのでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうですね。他の方も考察されていますが、エアー関係の故障では無かったのでCPを作動させる為にパンタは下げておらず、抵抗器が焼き切れる等は起きていないものの抵抗制御に何等かの不具合が生じた、ということのようですね。
300が現役で動いている映像だけでも貴重なのに車掌故障?の救援に遭遇するとは。ギリギリ700や800が動いているときに訪れる事が出来ましたが動画を撮っていなかったことが悔やまれます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私が訪問した時期は、100形や500形が既に運用から外れておりましたが、300形はまだしばらくの間、活躍したようです。700形の車輛故障に端を発した一連の出来事には偶然遭遇しましたが、結果的に貴重映像となりました。
大阪で昭和参年製造の電車運転士をしていた者です。現場を見てないのであくまでも推測で失礼いたします。二両で停車中の電車が故障とのこと。しかし、ドア操作は通常のようで、三両連結して運転再開。しかしパンタグラフは上昇のまま。推測1ドアが開閉できるので、エアー関係の故障ではない。→CP(コンプレッサーが動作をしてる)CPが動作をしてるということは、空気ブレーキも故障ではない。推測2制御回路関係の故障?仮に床下機器などから煙があがっている場合は、制御器スイッチをオフにして、即座にパンタグラフ降下の処置を取ります。ところがパンタグラフを降下せずに運転再開。MCOS (モーターカットアウトスイッチ)をオフにして最後尾の電車と先頭の電車で推進及び牽引(いわゆるプッシュプル)状態で運転再開されたと思います。ということは、ノッチを投入しても動かなかったのでは?という結論になります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。元プロの方から専門的で詳細な考察コメントをいただき、恐縮しております。エアー関係の故障では無かったので、CPを作動させる為にパンタは下げなかったということですね。抵抗器が焼き切れる等は起きていないものの、抵抗制御に何等かの不具合が生じた、というふうに理解致しました。
700の故障により、300は大活躍したのですね。国鉄相模線でもありました。落ち葉でスリップした気動車を、対向運用の気動車で救済しようとしていました。ところが、救済に向かった気動車も落ち葉でスリップしてしまい正面衝突。新聞記事にもなりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時300形は朝の増結時くらいしか活躍していなかったようですが、主力の故障によって終日活躍する場面を目にすることができました。相模線の気動車時代は懐かしいですが、救援&事故の件は知りませんでした。
昭和の時代ですね🤣いまの時代なら散々叩かれることですが…運転取扱上の問題はありますが、ある程度目をつぶっていた時代😅賛否両論ありますが、このようなことが許される時代もあったんですよ。
別にJR漆黒でも以下略😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。考えてみると、デハ801は閉塞区間に侵入しているので、これは本来あってはいけないことですね。しかし、当時の銚電の場合、他に対応手段が取れず、やむを得ないものだったのかもしれません。故障車から客を降ろす訳にもいきませんし、応急牽引用の力のある電機もいませんし・・・。車輛故障と臨時多客が重なった、運の悪いできごとだったのであろうと、今にして思えます。
4:05 801を運転しているのは ua-cam.com/video/NyFWA-IKtnY/v-deo.html こちらの運転士さんのよう
いつもご視聴、コメントありがとうございます。なるほど、そのようですね。この映像は知りませんでした。しかし、この密着取材は、かなりマニアックですね。デキ3に乗込んで動かしてもらったり、夕方3連への増結シーンや、笠上黒生駅でのオールスター交換シーンがあったり・・。私が訪問した '87年は、801の導入と引き換えに101や501が既に引退(仲ノ町駅に留置)していて残念でしたが、この動画の映像は、3両編成などで活躍していた時代で貴重ですね。
Saudades também dos antigos trens elétricos aqui no Brasil.
Obrigado por assistir e comentar.Eu agradeceria se você pudesse introduzir a URL do vídeo do antigo trem no Brasil.
@@昭和電車チャンネル Legal, farei o possível para mandar, pois ainda estou aprendendo as funções no computador.
@@昭和電車チャンネル ua-cam.com/video/VaBGJ8mwj6Q/v-deo.html
Mandei para você um vídeo será que deu certo?
ua-cam.com/video/s7HlybyJJWg/v-deo.html
貴重な体験でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たまたまとはいえ、今ではあり得ないような状況に遭遇しました。
懐かしい、ボクが21歳のときです。当時を思い出しますね。何があったのか木になりますよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。どうやら、制御系,電気系統の何等かの不具合のようです。コメントで詳細に考察されている方がいます。
先日、銚子電鉄に乗りに行ってきたのですが、沿線の風景が当時と今とで殆ど変わっておらず、びっくりしました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。本銚子駅あたりの「緑のトンネル」も健在だとしたら、それは素晴らしい! 私も乗りに行きたいですね。
現状では単行運転は無くなり、京王線からの譲渡された2000形が2両で伸び伸びと走ってます。僕もこの頃が懐かしいなぁ~~って思いながら見てました。第2の人生を終えた車両たちは廃車解体され天国へ👼第3の人生を歩んでるのかな!?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。京王からの譲渡車の電動車だけを両運化する選択肢もありながら、2両のまま使用しているのは、両運化の改造費を節約するため、という話を(事実かどうか判りませんが)どこかで読みました。廃車解体された電車たちの天国・・・古い電車ファンには垂涎の過去の電車たちが、ところ狭しと走りまわっているのでしょうか。いや天国が狭いわけないですよね(笑)。
@@昭和電車チャンネル 京王からの譲渡された2000形の両運改造車は静岡県東部の「岳南電車」で運用に就いてます。{鉄道関連のテレビ📺♩等で分かりました。}あとは譲渡された京王電鉄の車両は単行運転に改造されず、大体が2両(+1両)で運用されます。僕が乗った事が無いのは香川県高松市の「高松築港駅」を起終点としてる『高松琴平電気鉄道(通称ことでん)』を琴平線・長尾線・志度線と3線有りますが全線制覇する事と、他の𝒀𝒐𝒖𝑻𝒖𝒃𝒆𝒓でも観た{びよんびよん踏切}が気になり是非‼️とも現地視察しに行く計画も有ります。〖びよんびよん踏切とは、片方の棹の長さ全体が10~~~15m有るので、遮断機が下りてくると地面に叩かれます。〗それも直線形と屈折形の2種類有ります。(*^^*)
終点の外川駅の終端に、800形は鎮座していたような。動かないですけど。。あと岳南の湘南二枚窓の両運転台車は、京王井の頭線の3000系を改造したもので、京王2010系ではないですね。
写ってるおねえさんの髪型に時代を感じるなぁ。銚子も昔は栄えていたんだけどなぁ。今は見る影も無いよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そんなに寂れたとは信じたくないですが、今年中には元京王の車輛に乗りにいきたいと考えております。
これはまずい意味で衝撃ですね。笠上黒生で交換列車が来なかった場合、本来700形重連が持ってくるべきだった通票がありませんので、800形は発車できません。票券閉塞の場合、700形が外川駅にいるのなら、800形は笠上黒生で票券を駅長から発行してもらえば発車できますが、すでに700形重連は犬吠まで来ていたことから、それは不可能です。となると、指導式のような代用閉塞式を採用しなければなりませんが、恐らく指導式腕章を持った人などが800形に同乗していませんので、これは現代なら(当時でも?)運転取扱上の重大な違反行為になります。しかも犬吠に停車中の700形重連の最前部、もしくは最前部から相当距離の外方で停止手信号も出ていませんので、見通しが悪ければ衝突の恐れもありました(あらかじめ700形重連の停止位置が分かっていたとしても、停止手信号を出していないのは、かなり危険です)。全て憶測による想像ですが、1995年に笠上黒生で交換待ちを失念した衝突事故がありましたから、閉塞の取扱について、少々甘い考えがあったのかもしれません。創業100周年を迎えた銚子電鉄をこれからも応援しています。貴重な動画をありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。おそらく何らかの法令違反はあったのでしょうけど、それを承知での苦渋の選択だったと思われます。救援に行く車輛として、800形以外の選択肢はなかったでしょうし。(この動画はかなりバズったため、多くの人の目に触れたと思います。銚子電鉄の「黒歴史」かもしれない昔の対応をほじくり出そうという意図は、この動画には毛頭ありませんが、関係者の方で気を悪くされた方がもしいらしたら、お詫び申し上げます。)100周年を迎えた今年、また乗りに行く計画を立てているところです。発表のあった車輛の新規導入(元京王の仲間かな?)楽しみにしております。
すみません、私もそんな(銚子電鉄さんを陥れるような)つもりでは、毛頭ありませんでした。お詫びいたします。本当に当時の空気感を味わえる、大変貴重な素材だと思っていますので、どうかこのまま公開を続けていただければと思います。ご返信ありがとうございました。
いつも楽しみに拝見してます。自分も見た限り「そこまでやった」気がします。車内やホームで待つ児童の空気を読んで多少の無茶をしたと。でも今よりずっとゆるい時代とはいえ、状況説明くらいはしてほしいですよね(笑)。
801がホームに掛かってないドアも開けてますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。もし「児童のお迎え」だったとしたら、地域と共に生きる地方鉄道として、ちょっとした美談とも言えますね。ただ、まあ公共交通の立場としてはアレですし、ちょっと考えにくい気も。いずれにしても、車内アナウンスも、犬吠駅で何人もいた職員からも、全く説明が無かったので、私としては???状態でした(笑)。犬吠より先、外川まで乗りたかった乗客もいたはずなのに、誰一人騒ぐ人もなく、都会の殺伐とした社会とは真逆な雰囲気でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに、ホームから外れている一番手前のドアも開いていて、最後に乗務員さんがホームからドアめがけて跳び乗ってますね(笑)。
多分、故障でしょう因みに犬吠埼の初日の出輸送では101+301+501と言う総括制御出来ない車両に運転手がそれぞれに乗車、101は手動式ドアで発車時に外からロックしてでしたので車掌がそれをしていましたあと1編成は701+702でまだ801は居なかったつまり当時居た、車両全てを投入して輸送にあたってました101は当時予備車両で運用に入るのは極めて稀でした運転手さんはブザーに合わせてマスコンとブレーキを操作してました😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。101+301+501の3連を見たり、実際に乗車されたりしたのでしょうか。羨ましいですね。私が訪問した際には、101と501は仲ノ町駅に留置されており二度と運用には入らないようでした。801導入と引き換えに淘汰されたのは大変残念ですが、当然のことながら趣味で運用されていた訳ではないので仕方ありません。
上り銚子本銚子や髪毛黒生のネーミングライツが無い頃の車内アナウンス。オバさんの声から今はアイドルみたいな娘の声のアナウンスだしな。昔のこの頃も、ぬれ煎餅とまずい棒で電車を動かしていたんだろうかと思っても違うだろうな。途中駅での車両連結で事故起こしそうなハラハラする場面もあったけども、南海からの中古車両の参入とぬれ煎で今後も経営を頑張ってもらいたい所です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。近年のネーミングライツもそうですが、銚電といえばいろいろな「企画」が注目を集めてきましたよね。
先週、初めて乗りました。こういう車両大好きです。あと30年早く来てればよかった(笑
いつもご視聴、コメントありがとうございます。元京王の車輛に 私も今年乗りにいきたいと考えています。30年以上ぶりに。
1987年はこうだったんですね…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。電鉄の対応も、乗客の反応も、昔だからこうだった、ということだと思います。
@@昭和電車チャンネル まだ、京成Gだったときですね。この頃は、今より活気がある感じがしますね。輸送密度も現在の倍ありましたし。
お煎餅で赤字乗り越えた鉄道会社ですね今や元→京王帝都電鉄→伊予鉄道→元5000系もいますねあと南海電鉄も😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。最新の導入車輛が何になるか、さんざん取沙汰されていましたが、実際に導入されてみると、なかなか路線に似合っていますよね。
昔の水間鉄道の運用を思い出しました‼️扉は手動でしたけど😩
いつもご視聴、コメントありがとうございます。水間鉄道、私は残念ながら当時訪問できませんでした。
恐らく、力行は各車独自操作で、ブレーキは空気管がつながっておれば、先頭車で一斉に操作できるはず???
いつもご視聴、コメントありがとうございます。牽引されている故障車の方もパンタを上げているのは、コンプレッサ用電源確保の為、つまり少なくともエアブレーキは正常だったようです。(以前、詳しい方からコメントをいただいております)
名鉄600v区間と車内放送同じ??
いつもご視聴、コメントありがとうございます。名鉄600V区間の車内方法ってどんなだったか、私が撮影した映像の中にあるか次の機会に探してみます。
タブレット交換してませんよね…??故障で対向は来ないし、昭和のおおらかな時代とはいえ絶対アウトwともあれ、小型電車の3両編成はとても好ましいですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時はタブレット交換は既にやってなかったように記憶してますが、いずれにしても、阻止システムを手動で解除?するか何かして、閉塞区間へ進入したのですから、やってはいけないこと(笑)ですよね。まあファンとしては、不謹慎ながら、珍しい3連運転に出会えて嬉しかったですが。
笠上黒生の腕木は当時は現役ではなかったかな。今でも閉塞の境で票券とスタフで分かれていますが交換がなくなる時間帯に駅員を常駐させているかは分かりません。票券を利用して中野町に票券とスタフを集めて後は両方とも積みっぱなしかも。昔は閉塞区間を併合してたんだが一度正面衝突してやめたかと。後止まっていることが確認できれば指導者を乗せて出発するイレギュラー処理法もありますが、ちゃんと取り扱わないと信楽のようになりますね。
いや笑った!営業列車を途中から救援列車にして折り返すって…前もって放送はあったのでしょうが、外川まで行く予定の人はどうしたのでしょうか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。おそらく法令違反となる処置である為アナウンスできなかったのであろうと今にして思いますが、私が当時体験した限り、実際、案内放送は一切ありませんでした。私も外川まで行く予定の乗客でしたがw、犬吠駅であんな事態に遭遇し、そのあと外川までは徒歩で行きました。
懐かしい昭和のアナログのこのボケ加減とカラーバランス。のどかなローカル線の風景と思いきや情報量の多さ。首をやられるんじゃないかという揺れの後、このまま激突するのかと思うようなヒヤヒヤするスピードでの接近。やっと止まったかと思うと連結して、もしかして推進運転?と思いきやついでに客扱いしながら戻るという曲芸。忙しくて珍しい、今だったら重大インシデントとか騒がれそうな、でも多くのことを一度で片付けるという荒技。本数が少ないから他の運行を全部止めて物理的にこの2系統しかいない状態を作って救援に入ったのでしょうか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。低解像度とカラーバランスの崩れが「昭和っぽい」と好意的にも解釈できるわけですね(笑)。犬吠駅での接近時のスピードには、正直焦りました。他の運行を止めたのではなく、元々運行はこれだけ、即ち700形の重連(統括制御可)と、800形+300形(不可)が、当時の運用車輛の「全て」でした。300形を仲ノ町で切り離す場面が動画にもありますが、元々こういう運用だったのか、それとも800形が単独で救援に向かう為だったのか、真相は判りません。
昔の西武鉄道を思い出すなぁ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。西武のお古は来てなかったと思いますので、カラーリングのことでしょうかね。
連結する時、手旗信号で誘導しないの?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この時は、いろいろとイレギュラーな対応ばかりだったようですね。
小世帯ならではですね。😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。乗務員の方が何人も集まり、てきぱきと対応されていました。
30分待っても、上り交換列車が到着しない。到着を待たずに発車した、上り列車を連結して引き返した、多分上り列車の故障&救援では?しかし何故、外川まで行かぬのか、アナウンスも無し、他の乗客の人々はどうしたのでしょうか?不思議です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。車両故障で間違いないかと思います。いろいろの方から、それを示唆する考察コメントをいただいております。唯一の交換駅である笠上黒生を出てしまうと、物理的に外川までは行けないのです。アナウンスが無かったのは、対応せざるを得ない状況になったが、それが本来あってはならない対応であると認識していた為と想像されます。私は犬吠駅で降りて当時は訳もわからず撮影を開始しましたが、たしかに他の乗客はどうしたのでしょうかね。尤も、犬吠より先、外川まで乗る客はもともと多くはなかったようですが。
スーツに助けられた鉄道だった希ガス
いつもご視聴、コメントありがとうございます。スーツさんの銚子電鉄激励動画、見たことあります。
銚子電鉄にこの映像寄付したらよろこぶよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。うーん、どうなんだろう。銚子電鉄にとっては「黒歴史」かもしれないですし・・・
🎌政治家に、運営努力等々調教してあげてくださいm(__)m
いつもご視聴、コメントありがとうございます。銚子電鉄の経営母体やら市長選との絡みやら、いろいろ複雑な経緯があるようですが、部外者には何が何だか、さっぱり判りません。
はじめまして今日チャンネル登録をしましたよろしくお願いいたします
コメント並びに登録、ありがとうございます。今まで130本余り投稿しておりますので、お時間のあるときに、気になる動画をご視聴いただけると嬉しいです。
今ならネットやニュースにあがって大炎上案件になりそうですね…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仮に、正規の運用外が勝手に行われたのであれば、今ならすぐにSNSに上がって炎上するかもしれませんが、車輛故障への対応に苦慮する小私鉄の話題としてネットに上がるなら、同情を集めるかもしれませんね。
なんか法令違反のにほひがしますねえ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仮に、車輛故障でも無いのにイレギュラーな運用をしたとすると、法令違反になるかもということですね。だとしたら「児童のお迎え」目的は、やはり無いでしょうね。一方、車輛故障の場合だとしても、この対応が何等かの法令違反に該当していたのであれば、動画のアップはちょっとマズかったかなぁ。(もし、銚子電鉄さんの黒歴史だったりしたら、申し訳ないです。)
閉そくの取扱いにしてもアウトでしょうね。でも銚電さんこの後色々国交省のお世話になって今では立派になられていますよね。
京福電鉄福井鉄道部現えちぜん鉄道の正面衝突事故が原因で規制強化されたそうですね
@@相林奎横 閉そく取り扱いといえば信楽が大きかったですね。
@@昭和電車チャンネル 「動画のアップはちょっとマズかったかなぁ」 ・・・時効じゃないですか?それにしても、よくぞこの貴重な映像をUPしてくださった。 感謝。
救援列車が客扱いしてはいかん!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。本来そうですよね! 大らかな時代だったということでしょう。
3重連の時は1両で2両牽引して走ったのかな??牽引力あるんですね!!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。700形の片方でも走れていれば、わざわざ800形は救援には行かないはずなので、おそらく2両とも走行不能だったのでしょうね。800形にはたしかに牽引力が必要ですが、犬吠から仲ノ町,銚子に向かっては基本、下り勾配なので、それが幸いしたことと思います。
50年以上も前、毎日乗りに行ってました。運転手さんとも顔見知りになり、運転させてもらった記憶が有ります。
マスコンを回して加速、ブレーキ掛けて制動。もちろん運転手さんの手がカバーしてくれてて。😄
今の時代だったら、大問題に成ってますよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
毎日通われてたとは羨ましいですね。しかも「運転させてもらった」とは! 大らかな時代でしたし、乗務員さんと利用者との距離が近かったというのもあったのでしょうね。
あの因縁の内野屋工務店傘下になる前で各駅がオリジナルの駅舎で、大変貴重な映像ありがとうございます。当時昼間はすべて笠上黒生駅で交換していたので701と2のいずれかが故障したんだと思います。700型は力がなく、どちらかが故障すると1両では牽引できなかったんではないかなあ。その点801は力がありました。多数の子供らはおそらく、仲ノ町駅、観音駅、本銚子駅いずれか最寄り駅の小学校から、犬吠埼〜海鹿島海岸への遠足か校外学習いった帰りですね。本来は犬吠駅の701と2も運転打ち切り、客扱いしない救援列車をたてなければならないんでしょうが、多数の子供をそのまま放置するわけにもいかず、ああなったのかと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
銚子電鉄は、このときの訪問以降ずっと御無沙汰なので、多くの駅舎が姿を変えていることは、ネットや書籍等で後から知りました。当時の銚子電鉄の対応を批判する訳では決してないのですが、和風洋風問わず古風な駅舎をこよなく愛する者としては、遊園地のような南欧風のデザインはちょっとなぁ、と感じるのが正直なところです。そんな中、仲ノ町駅や外川駅は建て変わっていないようなので、ほっとしてます。車輛故障時の対応としてイレギュラーであることは百も承知で、ああいう対応となったのは、仰るような事情だったのでしょうね。車輛故障が、よりによって多客時(しかも子供たち)に発生したというのが不運だったということでしょう。
画面から走行中の揺れが直に伝わってきて臨場感がありました。
故障車でも客扱いをする柔軟性+時代を感じますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
臨場感というと聞こえは良いですが、手振れ補正など想像だにできない時代のビデオカメラですので、ほとんどの前面展望動画では盛大に揺れておりますw(大画面で見ると酔うかも)まあ実際、銚電の揺れはつり革の取っ手がカチカチ鳴るほど盛大でした。
こんな古参編成にハキハキした自動音声があったとはまた驚き…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ワンマンでもないのに自動音声だったので、ちょっと驚いた記憶があります。
昭和を感じます。電電公社の時代の「ただいま電話が込み合っています。しばらく経ってからお掛け直しください。」に似ていますね。
と言っても、8トラックテープを用いたモノでしょうけど。
再生機をマイクの増幅アンプに接続すれば使えるモノですから放送用スピーカーを搭載していれば簡単に載せることはできたと思われます。
当時京成も自答放送してましたけど、感じが似てますね
@@雷鳴と電光 輻輳ガイダンスはなかなか聞けないものになりました。
懐かしい映像ありがとうございます。
自分は銚子出身で1983年生まれで、この映像の頃だと自分は4歳でした。
銚子電鉄の存在もこの2年後に銚子市立清水小学校に入学するまで知らなかったです。
清水小学校時代は登校と下校に銚子電鉄を利用していてよく進行方向前の方で動画のように前にいましたね。
あの赤と白のカラーリングもこの数年後に赤と黒に塗り替えられたのも覚えてます。
それに合わせて当時一部の駅舎がリニューアルされたのも覚えてます。
確かに普段は1両か2両の運用が主で偶に3両でくる事はありました。
故障車を牽引するパターン以外に澪つくし号を間に挟んだ編成だったり。
過去に1度4両で来たときは幼ながら興奮したのを覚えてます。
観音駅で当時調理・販売していたたい焼きとたこ焼きを親や姉と一瞬に食べたのも懐かしい。
ちなみに、自分ら銚子には小4(10歳)の夏休み中まで住んでいてそのまま2学期に市原に引っ越し現在は千葉市に在住で千葉県内で長年住んでます。
今はもう当時の電車は廃車されて無いのが残念ですが、また時間があったら銚子電鉄を乗りに銚子に行きたい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時地元で利用されていた方からコメントをいただくのは大変嬉しいです。電車のカラーリング変更や駅舎のリニューアルをリアルタイムで見られていたのですね。一度4両で来たというのは、やはりお正月のことと想像しておりますが、もしそれ以外の時期だったとすると、貴重な証言になるかと思います。
@@昭和電車チャンネル
4両で来たときの話ですが、あれは平日の下校の時です。
普段は1両か2両のはずがあの時は何故か4両だった。
何らかの事情で4両だった可能性があります。
4両編成を見たのはあの下校の日以来1度きり
今の日本がギスギスしすぎ
こういう働き方で良いんだよ
今だったら雑談だけで大炎上
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
銚子駅での光景のことですね。待ち時間に乗務員同士がお話しているだけで、今ではSNSで炎上したりするのですか!?恐ろしい。そう言えば、当時は江ノ電でも稲村ケ崎駅での時間調整のとき、交換列車の乗務員同士がよく雑談?されていて微笑ましかったのですが、今ではもし見られないとすると寂しい気がします。
ある意味素晴らしい三連編成😂現在では見れない動画は貴重ですねー
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この時は、不幸中の幸い(電車ファンにとってのみの幸い)で、たまたま珍しい3連運転を見ることができました。もっとも、3連運転について、当時はお正月だけは臨時で「正規な」運転があったようです。
@@昭和電車チャンネル ↑その3連に1988年1月1日の初日の出列車で乗ったオッサン。途中で電圧降下でノロくなった😁
あんまり関係の無い話ですけど、正月に3連が動いてるときは300形なんかは電圧が足りなくて、力行すると照明が暗くなった記憶があります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他の方のコメントで、正月だけは3連運用があったのを知りましたが、701+702+801の組合せ以外に、701+702+301もあったという訳ですね。それとも、700形のどちらか+801+301だったのかな?
各1人車掌がいる当時と今を比べてしまうとすごい時代だったなとおもった
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
昔は車掌さんは居て当たり前でしたが、今では何両もの編成なのにワンマンとか、本当に凄い変わりようですね。
10年前の元旦に乗った時も3両編成でした。一番後ろ(銚子方)に元地下鉄銀座線の車両を繋げていました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他の方からも、昔3連があった旨のコメントがありましたし、毎年かどうか判りませんが、正月には3連運転があるのですね。
すごい映像を見させてもらいました、最初から最後まで見所満載ですね(笑)
2両の救援に1両でできちゃうのもすごいですが、15:08付近の黄ヘルさんが戸挟みか何かの対応をしているのも気になるポイントです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画編集にはそれなりに手間暇掛けておりますので、最初から最後まで見所満載と言っていただけると大変嬉しいです。黄ヘルさんの一瞬の動きに、よく気付かれましたね。映像を何回も見ていたはずなのに、言われて見返すまで、私は気付きませんでした(笑)。
正月にも701+702+801の三連運用がありましたね
銚電は今も昔も車両故障が多いですからねw何があってもおかしくはない
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
正月にも(というか、正月には正式に)この3連があったのですね。そうと知っていれば、正月に撮影に出かけていたかも。故障と言えば、昨年も車輛故障により運用列車不足が発生していたようですね。
自分もこの頃の時代の子供でした。とにかく子供が多いですね。貴重な映像の保存とアップをしていただき、ありがとうこざいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
犬吠埼への遠足?の帰りらしいのですが、大量(笑)の児童たちが登場しています。それが運悪く車輛故障にあってしまい、駅や電車内でかなり待たされたことでしょう。当時バスを使わずに電車移動だったことが、ちょっと驚きです。
輸送障害が起きた際、今の鉄道会社は自社の社員を守ることを優先し、
ただマニュアル通りに“機械に頼っている感”をすごく感じるのですが、
当時はお客様を守ることを優先とした“臨機応変さ”に満ちていたよう
に感じます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他の方からも似たような感想が寄せられていますが、時代の違いなのか、鉄道の規模の違いなのか・・・両方なのかもしれませんね。
故障時の柔軟な運用もすごいんですけど
4:08 からの車掌が走り始めてる車両に掴まって乗ってたり、飛び降りたかと思ったらポイント通過後すぐに切り替えて間髪置かずに後進だし、そこからの営業列車の発車も早っって思わずにはいられませんでした
今の機械化されてガチガチに規則に縛られた鉄道運行じゃ絶対に不可能なことやってるなぁ…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
言及された一連のシーンは、見ていて惚れ惚れするほど本当に鮮やかな手際ですね。
この時点では、利用客も、そこそこいるので、今が残念な感じですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
話題には事欠かないので、利用者が減っているとは思いませんでした。銚電を久々に訪問して元京王車に乗りたいと考えているところです。
最後の方にちらっと映った「澪つくし号」に20年位前に乗りました。
すごい乗り心地だったのを覚えています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
澪つくし号、私は乗ったことがありませんが、凄い乗り心地w・・想像できます(笑)。
まだ濡れ煎餅を販売する前の動画ですね。ところでS56年の元旦朝は初日の出客を乗せて4連が走っています、当時なので、101、201、301、501あたりでしょうか。今もそうですが銚電は意外と職員が多く乗客が増えてくるとどこからともなく現れて乗務してます、700系のパンタを上げてるのはブレーキを動作させるためではないでしょうか。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
RM LIBRARY 143「銚子電鉄(下)」白土貞夫著 p.35に、1982.11.23撮影の4連写真が掲載されており、「仲ノ町以遠、外川まで、史上ただ一度あった電車4連運転。デハ501+デハ301+デハ700×2」とありますが、S56年(1981年)の元旦にも4連が走行していたというのは貴重な情報ですね。初日の出客を乗せてということであれば、当然外川までの運転でしょうし、なかなかお目にかかれないとはいえ、「史上ただ一度」ではなかったようですね。パンタ上げてる件は、なるほど、回生ブレーキが考えられますね。
@@昭和電車チャンネル 様
パンタグラフを上げている理由は、空気圧縮機が架線電源だからで、ブレーキ故障でない場合、空気ブレーキの空気圧を保つため、パンタグラフを上昇して元空気溜めやブレーキ管の減圧を防ぐという意味があります。
ちなみに銚電は、ブレーキは空気ブレーキと手ブレーキのみで、電気ブレーキ、回生ブレーキはありません。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
CPの電源の為・・なるほどそういう訳だったのですか。直流モータのシステムで回生機能が加わるのは、もっと後の時代の車輛からなのですね。
パンタ上げ→ブレーキのコンプレッサー用の電源確保かと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画編集時に私は考えが至りませんでしたが、仰る通りのようです。他の方からもコメントをいただいております。
@@昭和電車チャンネル
そうでしたか、失礼しました。
この映像の銚子電鉄の雰囲気、大好きで模型で再現したいなぁと思って居たので大変参考になります。
この年代ですら微妙な古臭さのギャップ酒の肴になるレベルで週末になると拝見させていただいております。
この京成グループ時代の銚電の頃がローカルムードが強く一番良かったですね。
内野谷工務店の傘下に入り塗色を変えたり駅舎を整備したりしてからはちょっと胡散臭い感じになってしまい個人的にはあまり好ましくなくなりました。
しかしこれはレアな状況に遭遇しましたね!
恐らく外川を出発した700形の重連が犬吠でダウン、仕方なく外川行きだった800形を犬吠まで営業し、そのまま救援&増結車代わりにしたものと考えられます。
外川までの乗客はとても少なく(私もこの時代に乗った事がありますが、ほぼ全員が犬吠で下車してしまい回送状態でした)、外川行きを犬吠で打ち切りにしても問題無かったのでしょう。
流石に一人二人はいたと思うので、タクシーや社用車などで代行輸送したものと考えられます。
パンタの件ですが、室内灯や放送装置用補助電源の起動に必要なためと、コンプレッサーの容量確保のためですね。総括制御は出来ても補助電源系の引き通しは一切していなかったと思いますので。コンプレッサーはブレーキの引き通しをしているので理論上なくても問題は無いですが、コンプレッサーの負荷が掛かり過ぎるために各車で起動させた方が安全なためです。その辺りも故障していたらパンタも降ろしていたかも知れません。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
冒頭の部分、私も同感です。旧型車に赤と黒の配色は、ちょっと・・。銚子電鉄に限りませんが、ローカル私鉄の特に旧型車輛の塗装で無理に現代風w(奇抜な配色や、斜めに線を入れたり)にしてるのは、個人的には誰得?と思えます。後段の部分、詳細な考察ありがとうございます。統括制御といっても電源系は別なのですよね。犬吠から先、外川まで行く客はほとんどいなかったというのはその通りだと思いますが、実は私はあの後、記憶にはありませんがw歩いて移動したはずです。なぜなら、撮影したビデオテープの続きが、外川駅での映像になっておりますので。
@@昭和電車チャンネル なんと!代行輸送すらなかったとは…今なら大問題でしょうね。まあ歩ける程度の駅間だったとは思いますが…
30数年前はまだまだ大らかだったと言う事でしょう。
銚電での思い出と言えば、雨の中吹き曝しの澪つくし号ユ101に乗った事と、そのユ101を中間に挟んだ301-ユ101-501の珍編成に遭遇した事ですね。
この三連、どういう訳か最後部の501だけが営業扱いしていて、勿論非総括(両形式が非総括なのもさることながら、ユ101が挟まっているのでどうやっても無理)なので運転士が中間の運転台に乗ってハンドル操作しているのを見て当時子供だった私は「この人は何をしてるんだろう?」と思ったのを覚えています。
柔軟な対応でいいんですよ。
まさにこんな時こそポッポ屋の腕の見せ所。
この頃は今の鉄道に本当夢を感じれなくなっちゃいましたよ。
自動運転・自動放送・無人駅または改札無人とか、僕も鉄道会社勤めだけど、仕事に夢が感じられない
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰ることはよく解ります。人件費削減、合理化は、この先一体どこまで進んでしまうのか・・。昔の鉄道、特に地方小私鉄では、全体的に手作り感やぬくもりが感じられた気がします。
13:33 自分が動画を2倍速で見ていたのかと思ったら標準速でしたw
実際にこれを前面かぶりつきで見ていたらとても怖いですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうなんですよ! 徐行して近づくのかと思っていたら、スピードが落ちなくて・・・ でも急ブレーキも掛けずに直前で停まったのは、ある種、神業のような気もしますw
貴重映像ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
モノ好きがわざわざ機材を持ち込んで撮影中に、たまたま発生した出来事ですので、この映像はおそらく他には無いかと思います。今なら皆が一斉にスマホ撮影し、即アップされそうですが(笑)
銚電推し3年です この時代に乗りたかったな
でも この時代には 袖山さんいないよな😁
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ネット記事にあったプロフィールが事実だとすると '88年のお生まれのようなので、赤ちゃん時代まで遡っても、この撮影時('87年)とは、ギリ被っていませんw
多分車両故障であってるのではと思います。故障車もパンタを上げてたのは車内のサービス電源確保のためではないかと。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他の方も関連事項をコメントされてますが、電源確保が目的だったということで合ってそうですね。
こんばんは🌙😃❗
今回の動画がひと昔前の車輌達のオンパレードって感じで懐かしく見させてもらいました。しかも流石銚子電鉄と言った摩訶不思議な現象(結局700型が何で故障したか)解らず仕舞いで気付いたら仲ノ町車庫に戻っていた
と言うミステリアス的な感じでしたね‼️
結局800型も終点外川迄行かず、犬吠駅で故障した700型二両を連結して銚子へ戻ってしまったんですから・・・・・
まぁ~そこが銚子電鉄らしいと言ってしまえばそれまでって感じですね(笑)
しかし、通常は運転士と車掌二人いれば運行的には問題ないのですが、銚子電鉄の場合編成が二両以上になると各車輌に運転士が乗らねばならないと言う非効率的が凄いです。
今回も動画ありがとうございました🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時私が訪問した際、何が起こっているのだろう???と、仰るように本当にミステリアスな気分でした。あと当時は、車輛による統括制御の可否について知らず、どうして700形同士ばかりで組むのだろう、と思っていました。
これ外川行きたかった人は次の列車だったのかな
多分 笠上黒生から次の列車来るの待ってたら歩いた方が早そうだけど・・・
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
次の電車は当分来そうもないですし、隣の犬吠駅にいるので、仰るように外川までは歩いた方が早いでしょうね。そう言えば、このときのビデオテープでは、次が外川駅での撮影映像になっています。ということは、全く記憶が無いのですがw、私も外川駅まで歩いて移動したようです。
当時から古い電車を使ってましたからね、多分制御器とか電気系統の不具合でないかと推測しますね、故障車もパンタグラフは普通に上がってたので、そこまで重傷ではなかったのでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね。他の方も考察されていますが、エアー関係の故障では無かったのでCPを作動させる為にパンタは下げておらず、抵抗器が焼き切れる等は起きていないものの抵抗制御に何等かの不具合が生じた、ということのようですね。
300が現役で動いている映像だけでも貴重なのに車掌故障?の救援に遭遇するとは。
ギリギリ700や800が動いているときに訪れる事が出来ましたが動画を撮っていなかったことが悔やまれます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私が訪問した時期は、100形や500形が既に運用から外れておりましたが、300形はまだしばらくの間、活躍したようです。700形の車輛故障に端を発した一連の出来事には偶然遭遇しましたが、結果的に貴重映像となりました。
大阪で昭和参年製造の電車運転士をしていた者です。
現場を見てないのであくまでも推測で失礼いたします。
二両で停車中の電車が故障とのこと。しかし、ドア操作は通常のようで、三両連結して運転再開。しかしパンタグラフは上昇のまま。
推測1
ドアが開閉できるので、エアー関係の故障ではない。→CP(コンプレッサーが動作をしてる)
CPが動作をしてるということは、空気ブレーキも故障ではない。
推測2
制御回路関係の故障?
仮に床下機器などから煙があがっている場合は、制御器スイッチをオフにして、即座にパンタグラフ降下の処置を取ります。ところがパンタグラフを降下せずに運転再開。MCOS (モーターカットアウトスイッチ)をオフにして最後尾の電車と先頭の電車で推進及び牽引(いわゆるプッシュプル)状態で運転再開されたと思います。ということは、ノッチを投入しても動かなかったのでは?という結論になります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
元プロの方から専門的で詳細な考察コメントをいただき、恐縮しております。エアー関係の故障では無かったので、CPを作動させる為にパンタは下げなかったということですね。抵抗器が焼き切れる等は起きていないものの、抵抗制御に何等かの不具合が生じた、というふうに理解致しました。
700の故障により、300は大活躍したのですね。
国鉄相模線でもありました。
落ち葉でスリップした気動車を、対向運用の気動車で救済しようとしていました。
ところが、救済に向かった気動車も落ち葉でスリップしてしまい正面衝突。
新聞記事にもなりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時300形は朝の増結時くらいしか活躍していなかったようですが、主力の故障によって終日活躍する場面を目にすることができました。相模線の気動車時代は懐かしいですが、救援&事故の件は知りませんでした。
昭和の時代ですね🤣
いまの時代なら散々叩かれることですが…
運転取扱上の問題はありますが、ある程度目をつぶっていた時代😅
賛否両論ありますが、このようなことが許される時代もあったんですよ。
別にJR漆黒でも以下略😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
考えてみると、デハ801は閉塞区間に侵入しているので、これは本来あってはいけないことですね。しかし、当時の銚電の場合、他に対応手段が取れず、やむを得ないものだったのかもしれません。故障車から客を降ろす訳にもいきませんし、応急牽引用の力のある電機もいませんし・・・。車輛故障と臨時多客が重なった、運の悪いできごとだったのであろうと、今にして思えます。
4:05 801を運転しているのは ua-cam.com/video/NyFWA-IKtnY/v-deo.html こちらの運転士さんのよう
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
なるほど、そのようですね。この映像は知りませんでした。しかし、この密着取材は、かなりマニアックですね。デキ3に乗込んで動かしてもらったり、夕方3連への増結シーンや、笠上黒生駅でのオールスター交換シーンがあったり・・。私が訪問した '87年は、801の導入と引き換えに101や501が既に引退(仲ノ町駅に留置)していて残念でしたが、この動画の映像は、3両編成などで活躍していた時代で貴重ですね。
Saudades também dos antigos trens elétricos aqui no Brasil.
Obrigado por assistir e comentar.
Eu agradeceria se você pudesse introduzir a URL do vídeo do antigo trem no Brasil.
@@昭和電車チャンネル Legal, farei o possível para mandar, pois ainda estou aprendendo as funções no computador.
@@昭和電車チャンネル ua-cam.com/video/VaBGJ8mwj6Q/v-deo.html
Mandei para você um vídeo será que deu certo?
ua-cam.com/video/s7HlybyJJWg/v-deo.html
貴重な体験でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たまたまとはいえ、今ではあり得ないような状況に遭遇しました。
懐かしい、ボクが21歳のときです。
当時を思い出しますね。
何があったのか木になりますよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
どうやら、制御系,電気系統の何等かの不具合のようです。コメントで詳細に考察されている方がいます。
先日、銚子電鉄に乗りに行ってきたのですが、沿線の風景が当時と今とで殆ど変わっておらず、びっくりしました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本銚子駅あたりの「緑のトンネル」も健在だとしたら、それは素晴らしい! 私も乗りに行きたいですね。
現状では単行運転は無くなり、京王線からの譲渡された2000形が2両で伸び伸びと走ってます。
僕もこの頃が懐かしいなぁ~~って思いながら見てました。
第2の人生を終えた車両たちは廃車解体され天国へ👼第3の人生を歩んでるのかな!?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
京王からの譲渡車の電動車だけを両運化する選択肢もありながら、2両のまま使用しているのは、両運化の改造費を節約するため、という話を(事実かどうか判りませんが)どこかで読みました。廃車解体された電車たちの天国・・・古い電車ファンには垂涎の過去の電車たちが、ところ狭しと走りまわっているのでしょうか。いや天国が狭いわけないですよね(笑)。
@@昭和電車チャンネル
京王からの譲渡された2000形の両運改造車は静岡県東部の「岳南電車」で
運用に就いてます。
{鉄道関連のテレビ📺♩等で分かりました。}
あとは譲渡された京王電鉄の車両は単行運転に改造されず、大体が2両(+1両)
で運用されます。
僕が乗った事が無いのは香川県高松市の
「高松築港駅」を起終点としてる
『高松琴平電気鉄道(通称ことでん)』
を琴平線・長尾線・志度線と3線有りますが全線制覇する事と、他の𝒀𝒐𝒖𝑻𝒖𝒃𝒆𝒓
でも観た{びよんびよん踏切}が気になり是非‼️とも現地視察しに行く計画も有ります。
〖びよんびよん踏切とは、片方の棹の長さ全体が10~~~15m有るので、遮断機が下りてくると地面に叩かれます。〗
それも直線形と屈折形の2種類有ります。(*^^*)
終点の外川駅の終端に、800形は鎮座していたような。
動かないですけど。。
あと岳南の湘南二枚窓の両運転台車は、京王井の頭線の3000系を改造したもので、京王2010系ではないですね。
写ってるおねえさんの髪型に時代を感じるなぁ。銚子も昔は栄えていたんだけどなぁ。今は見る影も無いよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そんなに寂れたとは信じたくないですが、今年中には元京王の車輛に乗りにいきたいと考えております。
これはまずい意味で衝撃ですね。
笠上黒生で交換列車が来なかった場合、本来700形重連が持ってくるべきだった通票がありませんので、800形は発車できません。
票券閉塞の場合、700形が外川駅にいるのなら、800形は笠上黒生で票券を駅長から発行してもらえば発車できますが、すでに700形重連は犬吠まで来ていたことから、それは不可能です。
となると、指導式のような代用閉塞式を採用しなければなりませんが、恐らく指導式腕章を持った人などが800形に同乗していませんので、これは現代なら(当時でも?)運転取扱上の重大な違反行為になります。
しかも犬吠に停車中の700形重連の最前部、もしくは最前部から相当距離の外方で停止手信号も出ていませんので、見通しが悪ければ衝突の恐れもありました(あらかじめ700形重連の停止位置が分かっていたとしても、停止手信号を出していないのは、かなり危険です)。
全て憶測による想像ですが、1995年に笠上黒生で交換待ちを失念した衝突事故がありましたから、閉塞の取扱について、少々甘い考えがあったのかもしれません。
創業100周年を迎えた銚子電鉄をこれからも応援しています。
貴重な動画をありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
おそらく何らかの法令違反はあったのでしょうけど、それを承知での苦渋の選択だったと思われます。救援に行く車輛として、800形以外の選択肢はなかったでしょうし。(この動画はかなりバズったため、多くの人の目に触れたと思います。銚子電鉄の「黒歴史」かもしれない昔の対応をほじくり出そうという意図は、この動画には毛頭ありませんが、関係者の方で気を悪くされた方がもしいらしたら、お詫び申し上げます。)100周年を迎えた今年、また乗りに行く計画を立てているところです。発表のあった車輛の新規導入(元京王の仲間かな?)楽しみにしております。
すみません、私もそんな(銚子電鉄さんを陥れるような)つもりでは、毛頭ありませんでした。
お詫びいたします。
本当に当時の空気感を味わえる、大変貴重な素材だと思っていますので、どうかこのまま公開を続けていただければと思います。
ご返信ありがとうございました。
いつも楽しみに拝見してます。自分も見た限り「そこまでやった」気がします。車内やホームで待つ児童の空気を読んで多少の無茶をしたと。でも今よりずっとゆるい時代とはいえ、状況説明くらいはしてほしいですよね(笑)。
801がホームに掛かってないドアも開けてますね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
もし「児童のお迎え」だったとしたら、地域と共に生きる地方鉄道として、ちょっとした美談とも言えますね。ただ、まあ公共交通の立場としてはアレですし、ちょっと考えにくい気も。いずれにしても、車内アナウンスも、犬吠駅で何人もいた職員からも、全く説明が無かったので、私としては???状態でした(笑)。犬吠より先、外川まで乗りたかった乗客もいたはずなのに、誰一人騒ぐ人もなく、都会の殺伐とした社会とは真逆な雰囲気でしたね。
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たしかに、ホームから外れている一番手前のドアも開いていて、最後に乗務員さんがホームからドアめがけて跳び乗ってますね(笑)。
多分、故障でしょう
因みに犬吠埼の初日の出輸送では101+301+501と言う総括制御出来ない車両に運転手がそれぞれに乗車、101は手動式ドアで発車時に外からロックしてでしたので車掌がそれをしていました
あと1編成は701+702でまだ801は居なかった
つまり当時居た、車両全てを投入して輸送にあたってました
101は当時予備車両で運用に入るのは極めて稀でした
運転手さんはブザーに合わせてマスコンとブレーキを操作してました😅
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101+301+501の3連を見たり、実際に乗車されたりしたのでしょうか。羨ましいですね。私が訪問した際には、101と501は仲ノ町駅に留置されており二度と運用には入らないようでした。801導入と引き換えに淘汰されたのは大変残念ですが、当然のことながら趣味で運用されていた訳ではないので仕方ありません。
上り銚子本銚子や髪毛黒生のネーミングライツが無い頃の車内アナウンス。オバさんの声から今はアイドルみたいな娘の声のアナウンスだしな。昔のこの頃も、ぬれ煎餅とまずい棒で電車を動かしていたんだろうかと思っても違うだろうな。途中駅での車両連結で事故起こしそうなハラハラする場面もあったけども、南海からの中古車両の参入とぬれ煎で今後も経営を頑張ってもらいたい所です。
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近年のネーミングライツもそうですが、銚電といえばいろいろな「企画」が注目を集めてきましたよね。
先週、初めて乗りました。こういう車両大好きです。あと30年早く来てればよかった(笑
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元京王の車輛に 私も今年乗りにいきたいと考えています。30年以上ぶりに。
1987年はこうだったんですね…
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電鉄の対応も、乗客の反応も、昔だからこうだった、ということだと思います。
@@昭和電車チャンネル
まだ、京成Gだったときですね。
この頃は、今より活気がある感じがしますね。輸送密度も現在の倍ありましたし。
お煎餅で赤字乗り越えた鉄道会社ですね今や元→京王帝都電鉄→伊予鉄道→元5000系もいますねあと南海電鉄も😅
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最新の導入車輛が何になるか、さんざん取沙汰されていましたが、実際に導入されてみると、なかなか路線に似合っていますよね。
昔の水間鉄道の運用を思い出しました‼️扉は手動でしたけど😩
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水間鉄道、私は残念ながら当時訪問できませんでした。
恐らく、力行は各車独自操作で、ブレーキは空気管がつながっておれば、先頭車で一斉に操作できるはず???
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牽引されている故障車の方もパンタを上げているのは、コンプレッサ用電源確保の為、つまり少なくともエアブレーキは正常だったようです。(以前、詳しい方からコメントをいただいております)
名鉄600v区間と車内放送同じ??
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名鉄600V区間の車内方法ってどんなだったか、私が撮影した映像の中にあるか次の機会に探してみます。
タブレット交換してませんよね…??
故障で対向は来ないし、昭和のおおらかな時代とはいえ絶対アウトw
ともあれ、小型電車の3両編成はとても好ましいですね。
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当時はタブレット交換は既にやってなかったように記憶してますが、いずれにしても、阻止システムを手動で解除?するか何かして、閉塞区間へ進入したのですから、やってはいけないこと(笑)ですよね。まあファンとしては、不謹慎ながら、珍しい3連運転に出会えて嬉しかったですが。
笠上黒生の腕木は当時は現役ではなかったかな。今でも閉塞の境で票券とスタフで分かれていますが交換がなくなる時間帯に駅員を常駐させているかは分かりません。票券を利用して中野町に票券とスタフを集めて後は両方とも積みっぱなしかも。昔は閉塞区間を併合してたんだが一度正面衝突してやめたかと。後止まっていることが確認できれば指導者を乗せて出発するイレギュラー処理法もありますが、ちゃんと取り扱わないと信楽のようになりますね。
いや笑った!営業列車を途中から救援列車にして折り返すって…
前もって放送はあったのでしょうが、外川まで行く予定の人はどうしたのでしょうか?
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おそらく法令違反となる処置である為アナウンスできなかったのであろうと今にして思いますが、私が当時体験した限り、実際、案内放送は一切ありませんでした。私も外川まで行く予定の乗客でしたがw、犬吠駅であんな事態に遭遇し、そのあと外川までは徒歩で行きました。
懐かしい昭和のアナログのこのボケ加減とカラーバランス。のどかなローカル線の風景と思いきや情報量の多さ。
首をやられるんじゃないかという揺れの後、このまま激突するのかと思うようなヒヤヒヤするスピードでの接近。
やっと止まったかと思うと連結して、もしかして推進運転?と思いきやついでに客扱いしながら戻るという曲芸。
忙しくて珍しい、今だったら重大インシデントとか騒がれそうな、でも多くのことを一度で片付けるという荒技。
本数が少ないから他の運行を全部止めて物理的にこの2系統しかいない状態を作って救援に入ったのでしょうか?
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低解像度とカラーバランスの崩れが「昭和っぽい」と好意的にも解釈できるわけですね(笑)。犬吠駅での接近時のスピードには、正直焦りました。他の運行を止めたのではなく、元々運行はこれだけ、即ち700形の重連(統括制御可)と、800形+300形(不可)が、当時の運用車輛の「全て」でした。300形を仲ノ町で切り離す場面が動画にもありますが、元々こういう運用だったのか、それとも800形が単独で救援に向かう為だったのか、真相は判りません。
昔の西武鉄道を思い出すなぁ
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西武のお古は来てなかったと思いますので、カラーリングのことでしょうかね。
連結する時、手旗信号で誘導しないの?
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この時は、いろいろとイレギュラーな対応ばかりだったようですね。
小世帯ならではですね。😅
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乗務員の方が何人も集まり、てきぱきと対応されていました。
30分待っても、上り交換列車が到着しない。到着を待たずに発車した、上り列車を連結して引き返した、多分上り列車の故障&救援では?しかし何故、外川まで行かぬのか、アナウンスも無し、他の乗客の人々はどうしたのでしょうか?不思議です。
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車両故障で間違いないかと思います。いろいろの方から、それを示唆する考察コメントをいただいております。唯一の交換駅である笠上黒生を出てしまうと、物理的に外川までは行けないのです。アナウンスが無かったのは、対応せざるを得ない状況になったが、それが本来あってはならない対応であると認識していた為と想像されます。私は犬吠駅で降りて当時は訳もわからず撮影を開始しましたが、たしかに他の乗客はどうしたのでしょうかね。尤も、犬吠より先、外川まで乗る客はもともと多くはなかったようですが。
スーツに助けられた鉄道だった希ガス
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スーツさんの銚子電鉄激励動画、見たことあります。
銚子電鉄にこの映像寄付したらよろこぶよ。
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うーん、どうなんだろう。銚子電鉄にとっては「黒歴史」かもしれないですし・・・
🎌政治家に、運営努力等々調教してあげてくださいm(__)m
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銚子電鉄の経営母体やら市長選との絡みやら、いろいろ複雑な経緯があるようですが、部外者には何が何だか、さっぱり判りません。
はじめまして今日チャンネル登録をしましたよろしくお願いいたします
コメント並びに登録、ありがとうございます。
今まで130本余り投稿しておりますので、お時間のあるときに、気になる動画をご視聴いただけると嬉しいです。
今ならネットやニュースにあがって大炎上案件になりそうですね…
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仮に、正規の運用外が勝手に行われたのであれば、今ならすぐにSNSに上がって炎上するかもしれませんが、車輛故障への対応に苦慮する小私鉄の話題としてネットに上がるなら、同情を集めるかもしれませんね。
なんか法令違反のにほひがしますねえ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仮に、車輛故障でも無いのにイレギュラーな運用をしたとすると、法令違反になるかもということですね。だとしたら「児童のお迎え」目的は、やはり無いでしょうね。一方、車輛故障の場合だとしても、この対応が何等かの法令違反に該当していたのであれば、動画のアップはちょっとマズかったかなぁ。(もし、銚子電鉄さんの黒歴史だったりしたら、申し訳ないです。)
閉そくの取扱いにしてもアウトでしょうね。でも銚電さんこの後色々国交省のお世話になって今では立派になられていますよね。
京福電鉄福井鉄道部現えちぜん鉄道の正面衝突事故が原因で規制強化されたそうですね
@@相林奎横 閉そく取り扱いといえば信楽が大きかったですね。
@@昭和電車チャンネル 「動画のアップはちょっとマズかったかなぁ」 ・・・時効じゃないですか?
それにしても、よくぞこの貴重な映像をUPしてくださった。 感謝。
救援列車が客扱いしてはいかん!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本来そうですよね! 大らかな時代だったということでしょう。
3重連の時は1両で2両牽引して走ったのかな??牽引力あるんですね!!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
700形の片方でも走れていれば、わざわざ800形は救援には行かないはずなので、おそらく2両とも走行不能だったのでしょうね。800形にはたしかに牽引力が必要ですが、犬吠から仲ノ町,銚子に向かっては基本、下り勾配なので、それが幸いしたことと思います。