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この話で勘違いしてほしくないのは、この「焦点をあわせない」というのは、まったく特別なものじゃなくて、ごくごく普通の「自分がある」「自分がいる」ときの感覚だってことです。「自分がある」「自分がいる」に意識を向けているとき、なんかしらないけど、自然とその目になってるんだってこと。それは全然、特別なスキルでもなんでもなくて、普段からやってるね、ってこと。なので、遠くを見る目というのも、何かが遠くにあるとかじゃなくて、単に、遠くを見る目になってるときがあるでしょってことです。自分から遠ざかる方法とかじゃないからね。
これ凄く良くわかります!近くのものを一生懸命見ようとすると、目の筋肉と身体の筋肉が連動して全身が緊張しがちになるのですが、遠くを見る目(おっしゃっておられた平行法の目、少し物が二重に見える感じ)にすると心身共に緩んで、ただ在る感覚に戻りやすくなると感じます。現代人はスマホやパソコンで近くを見がちなので、特に緊張しやすいのかもしれませんね。同じ感覚の人がいて大変嬉しいです。ありがとうございます😊
そうなんよねー。なんかぼやーとしてるとき、こんな感じになるよね😊
小さい頃、よくそんな感じになってた事を思い出しました。なーんにもないような。。。耳の後ろの方から緊張がゆるんでくる感じがします。ありがとうございます。
そうそう、なーんにもない感じね。それを楽しんだらいいよ。
はじめまして^ ^7ヶ月前にタクさんのブログからこちらを知り定期的に動画を見させてもらってました。5日前にお二人の動画を見たあと30分くらいしてから急に気づきました。なぜか涙も流れました。その後それがあまりにも普通で当たり前過ぎて戸惑い疑いました。自分の見た目も生活も何も変わらないし。なので今まで見てきた動画をまた見ました。それまでは頭では理解できるんだけど…だったのが今ではそうなんだよなぁ、と分かります。何も変わらないけれどなんだか安心感のようなものがあります。ありがとうございました。
そっかー、よかったよ。まあ、普通に戻る感じだよね😸
ボケーっとするのが昔から苦手でしたが、この目をすると確かにぼけーっとしてきますね。関係あるかどうか分からないけど、花の絵を絵の具で描くとき、ボヤーっとした目にして、やってます。そうすると花もボヤーっとしたのが仕上がりますが、イキイキしてます。細かいところを捉えなくてすむので安心して描けます。絵の具が紙にのるのを純粋に楽しめるというか…😊
そうね、そういうことはあると思うよ😸
どこにも焦点を合わせないと、思考の焦点もどこにも合わないというか、思考が働きにくくなりますね。取り入れてみます😊
そうねー、ぼんやりしやすいかもね😊
数年前の真夏日に、心頭滅却すれば日もまた涼しという言葉があるから、それをやってみようと思い、深呼吸しながら、うだるような暑さの中の、ほんの少しの涼しい部分を感じようとしていたら、本当に涼しく感じてきて、それを毎日やっていたらほんの一瞬、ものすごい静けさの中に入り込み、「え?何これ?」と驚いたと同時に消え去ってしまったのですが、それだったのかな。驚かずにそのまま感じていれば良かったです。それ以来現れてくれないです。
へー、面白いね。それは一瞥みたいなものかもね。まあ、単にぼけーっとしてみたらいいよ。
補足ね。この焦点をあわせないというのは、ごくごく普通の「自分である」「自分でいる」という感覚だよ。
一瞥の方か。なるほどです。あの感覚に頼ろうとしてたので、教えて頂いてありがたいです😊
そこにある物より、それを包みこんでいる空間のほうが本質に近い、とあるスピーカーさん?!が言われていたコトを思い出しました。今日のお話しも、そんなイメージなのかなと思いました!
「そこにあるもの」でいいのよ。それが、ごくごくフツーのこの意識とか、ごくごくフツーの自分みたいなもんだよね。「それを包みこんでいる空間のほうが本質に近い」という言い方だと、何か神秘的な大いなるものみたいな印象がやっぱり出ちゃうかな。
確かにボケーっとしてなにも考えずにただ在る時ってそういう目になってますね。だからその目になったらただ在る感じになるっていう逆もできると、面白いですね。なんか現代だとスマホとかが普及してますし、その中に興味を惹かれるものがたくさんで凝視しがちなので、真逆の目の使い方をしてることが多いのかなーと…。何かと忙しく詰め込みがちでぼーっとする時間が少ない人も多いでしょうし。現代の在り方とこの動画で仰ってることがなんか綺麗に真逆になっている感じがするなーと思いました。なんか面白いです。
そうねー、普段の生活では近くを見ることが多いのかもね。たしかに凝視の反対みたいな感じだね😊
私はダグラスハーディングの指差し実験をした時もそんな感じになって自分は空間のような何にもなさを感じることができます(^^)
そういう体験もあるかもだけど、ここで言ってるのは、日常のごくごくフツーの感じなんだよね。フツーの自分を感じてみて。
動画をヒントに別のアプローチを試してみました。“””自分の目で見る景色を1枚の絵画を見ているかのような感覚で捉えます。視野全体を見ることで、視野が特定の点に固定されにくくなります。これによって、一つの視点に思考が固まりにくくなり、ゆるんだ雰囲気を感じられるかもしれません。“””「ボーっとする」を丁寧に言語化しようとすればするほど、その「ボーっとする感じ」がうまく表現できませんね。
言葉にするのは難しいよね。見えているものを気にせずに、ぼんやりと“見ているのが自分”ということを感じてみて。
こんばんは♪
初めてコメントさせていただきます。一か月ほど前にミラクルキャットさんの動画に出会い、よく拝見させていただいてます。今年から合氣道を習い始めたのですが、そのお教室でよく先生が「宇宙にある遠くの衛星を見るように、意識を遠くに。。。」とおっしゃられています。「意識を『自分』に置かない、そうすることが一番パワフルである」そんなことを教えてられているように感じています。(って、習ってまだ一か月ですけど(^^;)この動画も、同じことなんだろうなと思い自分なりの答え合わせができて、嬉しく思いました。動画からたくさんの気づきをいただいて感謝しています。ありがとうございます。
そうだねー、古武術とか古武道の教えって、ほんとすごい知恵がつまってると思うよ。身体操作とか、人間の動きや思考の癖なんかを利用するからね。合気道いいね👍
補足するね。「意識を『自分』に置かない」というのは、「完全に自分になる」ということと同義なんだと思うのね。だから、意識を遠くにっていうのも、一番近くの意識でいるってことと同義。なにか遠くのものを探さずに、すでにいま感じてる「自分でいる」を感じてみてね。
補足までくださって、ありがとうございます。なるほど~です👍
この話で勘違いしてほしくないのは、この「焦点をあわせない」というのは、まったく特別なものじゃなくて、ごくごく普通の「自分がある」「自分がいる」ときの感覚だってことです。「自分がある」「自分がいる」に意識を向けているとき、なんかしらないけど、自然とその目になってるんだってこと。それは全然、特別なスキルでもなんでもなくて、普段からやってるね、ってこと。
なので、遠くを見る目というのも、何かが遠くにあるとかじゃなくて、単に、遠くを見る目になってるときがあるでしょってことです。自分から遠ざかる方法とかじゃないからね。
これ凄く良くわかります!
近くのものを一生懸命見ようとすると、目の筋肉と身体の筋肉が連動して全身が緊張しがちになるのですが、
遠くを見る目(おっしゃっておられた平行法の目、少し物が二重に見える感じ)にすると心身共に緩んで、ただ在る感覚に戻りやすくなると感じます。
現代人はスマホやパソコンで近くを見がちなので、特に緊張しやすいのかもしれませんね。
同じ感覚の人がいて大変嬉しいです。ありがとうございます😊
そうなんよねー。なんかぼやーとしてるとき、こんな感じになるよね😊
小さい頃、よくそんな感じになってた事を思い出しました。
なーんにもないような。。。
耳の後ろの方から緊張がゆるんでくる感じがします。
ありがとうございます。
そうそう、なーんにもない感じね。
それを楽しんだらいいよ。
はじめまして^ ^
7ヶ月前にタクさんのブログからこちらを知り定期的に動画を見させてもらってました。
5日前にお二人の動画を見た
あと30分くらいしてから
急に気づきました。
なぜか涙も流れました。
その後それがあまりにも普通で当たり前過ぎて戸惑い疑いました。
自分の見た目も生活も何も変わらないし。
なので今まで見てきた動画をまた見ました。
それまでは頭では理解できるんだけど…だったのが
今ではそうなんだよなぁ、と
分かります。
何も変わらないけれどなんだか安心感のようなものがあります。
ありがとうございました。
そっかー、よかったよ。まあ、普通に戻る感じだよね😸
ボケーっとするのが昔から苦手でしたが、この目をすると確かにぼけーっとしてきますね。
関係あるかどうか分からないけど、花の絵を絵の具で描くとき、ボヤーっとした目にして、やってます。そうすると花もボヤーっとしたのが仕上がりますが、イキイキしてます。
細かいところを捉えなくてすむので安心して描けます。絵の具が紙にのるのを純粋に楽しめるというか…😊
そうね、そういうことはあると思うよ😸
どこにも焦点を合わせないと、思考の焦点もどこにも合わないというか、思考が働きにくくなりますね。
取り入れてみます😊
そうねー、ぼんやりしやすいかもね😊
数年前の真夏日に、
心頭滅却すれば日もまた涼しという言葉があるから、それをやってみようと思い、
深呼吸しながら、うだるような暑さの中の、ほんの少しの涼しい部分を感じようとしていたら、
本当に涼しく感じてきて、
それを毎日やっていたらほんの一瞬、ものすごい静けさの中に入り込み、
「え?何これ?」と驚いたと同時に消え去ってしまったのですが、
それだったのかな。
驚かずにそのまま感じていれば良かったです。
それ以来現れてくれないです。
へー、面白いね。それは一瞥みたいなものかもね。まあ、単にぼけーっとしてみたらいいよ。
補足ね。この焦点をあわせないというのは、ごくごく普通の「自分である」「自分でいる」という感覚だよ。
一瞥の方か。なるほどです。
あの感覚に頼ろうとしてたので、教えて頂いてありがたいです😊
そこにある物より、それを包みこんでいる空間のほうが本質に近い、とあるスピーカーさん?!が言われていたコトを思い出しました。今日のお話しも、そんなイメージなのかなと思いました!
「そこにあるもの」でいいのよ。それが、ごくごくフツーのこの意識とか、ごくごくフツーの自分みたいなもんだよね。「それを包みこんでいる空間のほうが本質に近い」という言い方だと、何か神秘的な大いなるものみたいな印象がやっぱり出ちゃうかな。
確かにボケーっとしてなにも考えずにただ在る時ってそういう目になってますね。
だからその目になったらただ在る感じになるっていう逆もできると、面白いですね。
なんか現代だとスマホとかが普及してますし、その中に興味を惹かれるものがたくさんで凝視しがちなので、真逆の目の使い方をしてることが多いのかなーと…。
何かと忙しく詰め込みがちでぼーっとする時間が少ない人も多いでしょうし。
現代の在り方とこの動画で仰ってることがなんか綺麗に真逆になっている感じがするなーと思いました。なんか面白いです。
そうねー、普段の生活では近くを見ることが多いのかもね。たしかに凝視の反対みたいな感じだね😊
私はダグラスハーディングの指差し実験をした時もそんな感じになって自分は空間のような何にもなさを感じることができます(^^)
そういう体験もあるかもだけど、ここで言ってるのは、日常のごくごくフツーの感じなんだよね。フツーの自分を感じてみて。
動画をヒントに別のアプローチを試してみました。
“””
自分の目で見る景色を1枚の絵画を見ているかのような感覚で捉えます。
視野全体を見ることで、視野が特定の点に固定されにくくなります。
これによって、一つの視点に思考が固まりにくくなり、ゆるんだ雰囲気を感じられるかもしれません。
“””
「ボーっとする」を丁寧に言語化しようとすればするほど、その「ボーっとする感じ」がうまく表現できませんね。
言葉にするのは難しいよね。見えているものを気にせずに、ぼんやりと“見ているのが自分”ということを感じてみて。
こんばんは♪
初めてコメントさせていただきます。
一か月ほど前にミラクルキャットさんの動画に出会い、よく拝見させていただいてます。
今年から合氣道を習い始めたのですが、そのお教室で
よく先生が「宇宙にある遠くの衛星を見るように、意識を遠くに。。。」とおっしゃられています。
「意識を『自分』に置かない、そうすることが一番パワフルである」そんなことを教えてられているように感じています。
(って、習ってまだ一か月ですけど(^^;)
この動画も、同じことなんだろうなと思い
自分なりの答え合わせができて、嬉しく思いました。
動画からたくさんの気づきをいただいて感謝しています。
ありがとうございます。
そうだねー、古武術とか古武道の教えって、ほんとすごい知恵がつまってると思うよ。身体操作とか、人間の動きや思考の癖なんかを利用するからね。合気道いいね👍
補足するね。「意識を『自分』に置かない」というのは、「完全に自分になる」ということと同義なんだと思うのね。だから、意識を遠くにっていうのも、一番近くの意識でいるってことと同義。なにか遠くのものを探さずに、すでにいま感じてる「自分でいる」を感じてみてね。
補足までくださって、ありがとうございます。
なるほど~です👍