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ありがとうございます!
菊谷先生の話はいつも色々とおしえられます。ただ実行は難しい。
お釈迦様って本当にいたのかもって思いました。人間の根源が知れて、少し楽になりました
ありがとうございました。今私が思っている事、行動している事がこの講座でよくわかりました。
いつもありがとうございます❗️仏法は聴聞に極まる🙏
お布施拝受しました。ありがとうございます!
自戒の念として、心します。前職での、パワーハラスメントの事を思い出しました。菊谷先生の、お話のお陰で、その方々に、今は、感謝しています。
なるほど、仏教では心が自分は何者か決めるのですね。私も以前、考えたことがあります。記憶と社会的関係性が大事だと思っていました。参考にさせていただきます。その時の私の気持ちは以下のようです。うたかたの待合室の情景ボオー。船が出港するのか、外では尾を引くように汽笛が鳴り響いている。だだっ広い待合室だった。どこからか漂ってくるコーヒーの香り。振り返ると、志村けんに似た男が付き添いの男と談笑しながら紙コップのコーヒーを飲んでいる。待合室の中には長い行列。コロナの予防接種をやっているらしい。男が並んでいる人に、どこのメーカーのワクチンか、と尋ねている。待合室の左のコーナーから流れてくる太鼓や鐘の音。お囃子に合わせて阿波踊りが始まった。コロナ禍の行動規制で行き場を失ったエネルギーは風船のように膨らみ、それが解除された今、その口から熱気となって勢いよく吹き出している。壁の上のテレビから流れるウクライナ情報。床の上のモニターには子供向けの動画が流れている。アリとキリギリスの話だ。勤勉なアリはせっせと働き、キリギリスは気楽に自由な夏時間を楽しむ。冬が来てキリギリスは餓死し、アリは生き延びる。その動画は、アリは本当の人生を生きていない、と言い、仕事で貴重な時間を無駄にするのでなくて、キリギリスのような生活を称賛している。そうかなあ、仕事を楽しんでいるアリもいるだろうに、と思う。 この動画を見ていたひとりの若者がすくっと立ち上がり、待合室の受付へ行き、本当の自分を見つけたい、どこに行けば見つかるのか、と尋ねたのを見て驚く。本当の自分を見つけた人などこの待合室にいるのだろうか、と周りを見回す。自分というものは実体に乏しい。1年前の自分と現在の自分だって同じではない。10年前の自分と比べたら別人だ。それでも契約社会では同じという前提で成り立っている。たとえば婚姻届。愛し合っていた2人が憎しみあって別れることが増えてきた。入籍したときの自分と別れるときの自分は別人ではないのか。自分は時々刻々と変化している。体の細胞は新陳代謝により絶えず入れ替わっている。3ヶ月もすれば体の細胞は総入れ替えとなる勘定だ。妻や夫を愛していたのは過去の別の自分だ。脳神経細胞の場合は基本的に細胞分裂しないので、新陳代謝はない。生まれたときの細胞をそのまま一生持ち続ける。記憶は細胞間のシナプス結合によって保持されるので、体の細胞のように新陳代謝があれば、3ヶ月毎に記憶は失われる。こうなると契約社会は成立しない。自分の正体として記憶は大きなウェイトを占める。自信であったり、周りの人との接し方であったり、困難に出会ったときの態度であったり、過去の記憶をもとにふるまっている。過去を忘れる全生活史健忘という病気になると、おどおどしたようになり、いつも受身であり、決断することができないので、周りの人の言いなりになる。人格は記憶の産物だ。ピアニスト、宮司、消防士など業務スキルの記憶も自分形成には大きい。ところが記憶というのが食わせもので、かなりいい加減。自分に都合のいいように改ざんや編集がなされる。学歴詐称のみならず、離婚理由や退職理由、養育歴など都合よく塗り替えられる。自分というのはこのような曖昧な記憶に裏打ちされたものであり、これが本当の自分だと言われても信頼性は低い。待合室のもう一方のコーナーから響いてくる除夜の鐘の音。あちこちに煩悩が生まれているようだ。記憶とは別に、もうひとつ自分を形成するものがある。周囲との関わりの中で存在する自分だ。◯◯高校生の自分、◯◯大卒の自分、◯◯県職の自分など組織や集団に所属することで生まれる自分と、夫や妻としての自分、親としての自分、PTAの役員としての自分など役割を担うことで生まれる自分だ。 関係性によって作られる自分は当然ながら人間関係のストレスにさらされることになる。上司や同僚が嫌い、配偶者が嫌い、親が嫌い、など多くの軋轢が生まれ、といって関係性を否定すると自分を見失うことになる。ダメ上司には従えない、勝ちたい、褒められたい、などは関係性の中の承認欲であり、こういった煩悩はなかなか思い通りにはならない。さっきからひっきりなしに待合室の出口を人が出て行く。コロナのせいだろうか。飛行機の搭乗口のようにひとりひとり厳重なチェックを受けている。岸壁には鬼籍に入った人を他界に運ぶ船が停泊している。ひとりの紳士が椅子から立ち上がり出口へ向かった。うしろ姿が安倍元首相に似ている。ひょっとしてとうしろを振り返ると志村けんに似た男は姿を消していた。船に乗ったのだろう。元首相に似た男が出ていった直後に、待合室の入口から元気な産声を上げる赤子が入室してきた。うたかたの待合室でのひとときに幸あれ。
真、善、美、。求める先に、ありがとうごさあます。📱🐶👍😌❤️🎵
初めて拝見しました!貪欲、怒り、愚痴、数え切れない程、あります😂独り言で、大毒吐いたり、心の中で、ざまーみろ❢って思ったり。きっと私は、プライドが高く、素直に私自身の気持ちを人に伝えるのが下手なので、我慢してしまうのが原因かな…とも。その時々の気持ちを素直に発して行こうと思いました。50代にして、お恥ずかしいです😂ありがとうございました。
教えて下さっている通りだと、思います。有難う御座いました🙏。✨
菊谷先生、今回も深い大切なお話と有り難い尊い説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐は一向専念無量寿仏とその布教のみである〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無不可思議光如来 帰命尽十方無碍光如来〜三戸拝🙏🙏🙏
2:33心常念悪(しんじょうねんあく) 3:31 常---------- 恒・・・・・口常言悪(くじょうごんあく)身常行悪(しんじょうぎょうあく)曽無一善(ぞうむいちぜん)9:21貪欲とんよく、 瞋恚しんに、 愚痴16:08 雑毒の善ぞうどくのぜん
まさかぁと思ったけど、説明を聞いて確かに自分も心常念悪だった‥‥気を付けます。
お話、聴聞いたしました。ご法話ありがとうございます。。
いつも為になる説法をありがとうございます。毎日聞かせていただいております。
神様仏様宇宙の摂理が完璧な私を創られたと感謝しています。私は私の身体も心もコントロール出来ません。欲や妬み、怒りもその場に遭えば沸き上がって来ますが、必要であるから附けられたのです。身を任せてしまえば不安もなく穏やかな心で居られると私は思います。
どうしたら自分を好きになれるか?それは、「ありのままの自分」を受け入れることです。こんな自分ではダメなんだと思えば思うほど、自己否定が強くなります。人は皆、未熟で不完全です、完璧な人など何処にもいません。「これも自分なんだ、まだまだ未熟で不完全なんだ」ということが腑に落ちた時、す~と心が軽くなります。その時初めて周りの人を受け入れることが出来るのではないでしょうか。何故なら、周りの人も未熟で不完全なんだということが分かるからです。その時、周りの人を許せる気持ちが芽生えて来ると思います。🙂
今日も、大変、学びに、なりました。誠に、ありがとうございました。
はは〜人間の本当の姿とは全員、そのようなものなのですねぇ〜……なんか、ホッとした(笑)
6:52 マリオカート8DX中毒です。
まさにその通りです。情けないです。
菊谷隆太先生、こんにちは。🫄🤰🫃🤱🧑🍼👨🍼👩🍼今日も、ありがとうございます。🫄🤰🫃🤱🧑🍼👨🍼👩🍼
菊谷先生!いつもありがとうございます
人は常に悪の心と言うのは疑問が残りますがお釈迦様はもっと深いところでこの事を説いたのでしょうね。凡人のわたしでは到底理解できないだけなのでしょう。人に何か親切にした時見返りは全く求めませんが徳を積みたいと思って行動する事もある意味神様からの見返りを求めているということになるのでしょうか?
そこまで気にする必要はないと思いますよ。あなたのやっている行いは素晴らしい!と思います。どんどん徳を積んで行って下さい。昔から、日本で語り継がれている「お天道様は、見ているよ」という道徳教育は、これからも残していくべきだと思います。🙂
@@cufk1101 ありがとうございます😊🙏🏻これからも徳を積む行動を心がけて行きたいです😊
自分を思えばまさに貪欲怒り愚痴の塊でした。教えていただきありがとうございました。
いつも大切なお話ありがとうございます。先生、そうなんです。それは理解しているんです。ただ、わたしは心を変えるってとても困難で、嫌な事悲しい事を抱えながら、一生懸命明るい顔したり、前向きで優しい言葉を発したりしていい人ぶってるのです。そうしてると、次第に心が明るくなっているように感じます。家に帰るとまた戻るけど。心を変えるって、困難ですね。
とても参考になりました。ありがとうございました。
こんばんは。大変分かりやすい説明をして頂き、有難うございます。全て自分に当てはまり呆れて最後には笑ってしまいました。心底憎い相手にも笑って話せる自分が時々嫌になる事があります。作り笑いをしながら何回相手を殴っているか分かりませんね。そんな自分が怖いです。😓
いつも勉強になるお話ありがとうございます🙇♀️⤴︎先生のお話を聞けば聞くほど、自分が欲にまみれた醜い心で出来ていると思い知らされます😢これが人間なのですね・・・暑くなりましたので、ご自愛されて下さい😃
心を洗浄する、強くする方法はありますか?
仏教はある種脅迫だな。そんな汚い心ばかりじゃない。
聖人君子ではない人間がいくら修行しても悪を自分から追い払うことは出来ないと思います。
本当に、三毒の煩悩ですね...
常に悪なら善は存在しないのではないでしょうか?「常」というからには「悪行が多い」という意味では無いはずです。 文字通り「悪しかない」ということではないでしょうか?(善を行っている間は悪を行っていないわけで、それでは「常」とは言いません。)そもそも善悪とは何なのでしょうか?「常に悪」と言われていたということは、現在の日本における「善悪の概念」とは異なった概念のように思えます。仏陀の言う「善悪」は一般的に言われている「善悪」とは違うものと理解した方が正しいのでしょうか?
仏教が説く人間の善悪は、自己のフィルターを通した善悪。自分にとって、他人にとって、国にとって…etcこれらも自己のローカルフィルターを通した善悪に過ぎず、別の名を分別智とも。
@@ehikaru3502 自己のローカルフィルターを通した善悪とはどういう意味でしょうか?善悪なんてものは個々人の主観で変わるものだとのご指摘でしょうか?すなわち、人により善悪が違うということでしょうか?それだと、「常に悪」という仏陀の言葉の意味が分からなくなります。「常に」と言っているということは、自己のローカルフィルターを通すこと自体を悪と言っているのでしょうか?
@@handle_K.T. 人間は善悪を分別する智恵「分別智」。常に自己を介した善悪だから、雑毒であると言えるのでしょう。仏陀は仏、仏の智恵は「無分別智」。
@@ehikaru3502 なるほど。 仏の智慧に到達していないから悪だと理解されているということですね。
@@handle_K.T. 立場が違えば善悪が逆転する、この時点で善悪が成立してないわけですからね。その上で仏陀が推奨する善行はいくつかあるので、修養に努めるしかないですね。
欲にしたがう自分と徳にしたがう自分がありますね!社会人として後者を優位に置くようにしています!道徳が勝って聖人となります❗
自分の心の中では、何をするにしても、必ず「良心」と「エゴの心」が葛藤しています。「良心」が勝った時はよかったという喜びが得られます。また、「エゴの心」が勝った時には、後悔が残ります。
見返りを期待する心 雑毒の善 に関してですが 感謝が自然に帰って来ている時はいいのですが あまり自分の行為に対価を求めると 非常に息苦しくなります 行為が社会に大きい影響の時 あまり対価があり過ぎると 迷惑なこともあります 私は自分の行為に対価を求めないように心がけています 常々対価がある時 対価に依存心があると思えることもあります この時 対価に嫌気を覚えたりもします ありがとうございました
菊谷先生本日も身の引き締まる思いで拝見させて頂き、自身の未熟さや自惚れに気づきました。いつも貴重な学びの機会を設けて頂き本当にありがとうございます。
法鏡に写しだされた、醜い自分を救って下さる仏教の教えが好きであると改めて思いました。仏縁誠に感謝しております。今回も誠にありがとうございました。
仏教って心理学とかも混ぜ込みながらみんなで作り上げてきた宗教 決してお釈迦様が凄いわけではない その中でも親鸞聖人の解釈というか教えはとても好きです それを伝える時の菊谷さんの色んな例や例えを用いて話す内容はとても面白くてとても心に響きます これから頑張ってください 南無〜
へへ、へ、へへ悪念、悪行、喧嘩上等お釈迦様。
ありがとうございます!
菊谷先生の話はいつも色々とおしえられます。ただ実行は難しい。
お釈迦様って本当にいたのかもって思いました。人間の根源が知れて、少し楽になりました
ありがとうございました。今私が思っている事、行動している事がこの講座でよくわかりました。
いつもありがとうございます❗️仏法は聴聞に極まる🙏
お布施拝受しました。ありがとうございます!
自戒の念として、心します。
前職での、パワーハラスメントの事を思い出しました。
菊谷先生の、お話のお陰で、その方々に、今は、感謝しています。
なるほど、仏教では心が自分は何者か決めるのですね。私も以前、考えたことがあります。記憶と社会的関係性が大事だと思っていました。参考にさせていただきます。その時の私の気持ちは以下のようです。うたかたの待合室の情景
ボオー。
船が出港するのか、外では尾を引くように汽笛が鳴り響いている。
だだっ広い待合室だった。どこからか漂ってくるコーヒーの香り。振り返ると、志村けんに似た男が付き添いの男と談笑しながら紙コップのコーヒーを飲んでいる。
待合室の中には長い行列。コロナの予防接種をやっているらしい。男が並んでいる人に、どこのメーカーのワクチンか、と尋ねている。
待合室の左のコーナーから流れてくる太鼓や鐘の音。お囃子に合わせて阿波踊りが始まった。コロナ禍の行動規制で行き場を失ったエネルギーは風船のように膨らみ、それが解除された今、その口から熱気となって勢いよく吹き出している。
壁の上のテレビから流れるウクライナ情報。床の上のモニターには子供向けの動画が流れている。アリとキリギリスの話だ。
勤勉なアリはせっせと働き、キリギリスは気楽に自由な夏時間を楽しむ。冬が来てキリギリスは餓死し、アリは生き延びる。その動画は、アリは本当の人生を生きていない、と言い、仕事で貴重な時間を無駄にするのでなくて、キリギリスのような生活を称賛している。そうかなあ、仕事を楽しんでいるアリもいるだろうに、と思う。
この動画を見ていたひとりの若者がすくっと立ち上がり、待合室の受付へ行き、本当の自分を見つけたい、どこに行けば見つかるのか、と尋ねたのを見て驚く。
本当の自分を見つけた人などこの待合室にいるのだろうか、と周りを見回す。自分というものは実体に乏しい。1年前の自分と現在の自分だって同じではない。10年前の自分と比べたら別人だ。それでも契約社会では同じという前提で成り立っている。
たとえば婚姻届。愛し合っていた2人が憎しみあって別れることが増えてきた。入籍したときの自分と別れるときの自分は別人ではないのか。
自分は時々刻々と変化している。体の細胞は新陳代謝により絶えず入れ替わっている。3ヶ月もすれば体の細胞は総入れ替えとなる勘定だ。妻や夫を愛していたのは過去の別の自分だ。
脳神経細胞の場合は基本的に細胞分裂しないので、新陳代謝はない。生まれたときの細胞をそのまま一生持ち続ける。記憶は細胞間のシナプス結合によって保持されるので、体の細胞のように新陳代謝があれば、3ヶ月毎に記憶は失われる。こうなると契約社会は成立しない。
自分の正体として記憶は大きなウェイトを占める。自信であったり、周りの人との接し方であったり、困難に出会ったときの態度であったり、過去の記憶をもとにふるまっている。過去を忘れる全生活史健忘という病気になると、おどおどしたようになり、いつも受身であり、決断することができないので、周りの人の言いなりになる。人格は記憶の産物だ。
ピアニスト、宮司、消防士など業務スキルの記憶も自分形成には大きい。ところが記憶というのが食わせもので、かなりいい加減。自分に都合のいいように改ざんや編集がなされる。学歴詐称のみならず、離婚理由や退職理由、養育歴など都合よく塗り替えられる。自分というのはこのような曖昧な記憶に裏打ちされたものであり、これが本当の自分だと言われても信頼性は低い。
待合室のもう一方のコーナーから響いてくる除夜の鐘の音。あちこちに煩悩が生まれているようだ。
記憶とは別に、もうひとつ自分を形成するものがある。周囲との関わりの中で存在する自分だ。◯◯高校生の自分、◯◯大卒の自分、◯◯県職の自分など組織や集団に所属することで生まれる自分と、夫や妻としての自分、親としての自分、PTAの役員としての自分など役割を担うことで生まれる自分だ。
関係性によって作られる自分は当然ながら人間関係のストレスにさらされることになる。上司や同僚が嫌い、配偶者が嫌い、親が嫌い、など多くの軋轢が生まれ、といって関係性を否定すると自分を見失うことになる。ダメ上司には従えない、勝ちたい、褒められたい、などは関係性の中の承認欲であり、こういった煩悩はなかなか思い通りにはならない。
さっきからひっきりなしに待合室の出口を人が出て行く。コロナのせいだろうか。飛行機の搭乗口のようにひとりひとり厳重なチェックを受けている。岸壁には鬼籍に入った人を他界に運ぶ船が停泊している。ひとりの紳士が椅子から立ち上がり出口へ向かった。うしろ姿が安倍元首相に似ている。ひょっとしてとうしろを振り返ると志村けんに似た男は姿を消していた。船に乗ったのだろう。元首相に似た男が出ていった直後に、待合室の入口から元気な産声を上げる赤子が入室してきた。
うたかたの待合室でのひとときに幸あれ。
真、善、美、。
求める先に、ありがとうごさあます。
📱🐶👍😌❤️🎵
初めて拝見しました!
貪欲、怒り、愚痴、数え切れない程、あります😂
独り言で、大毒吐いたり、心の中で、ざまーみろ❢って思ったり。
きっと私は、プライドが高く、素直に私自身の気持ちを人に伝えるのが下手なので、我慢してしまうのが原因かな…とも。
その時々の気持ちを素直に発して行こうと思いました。
50代にして、お恥ずかしいです😂
ありがとうございました。
教えて下さっている通りだと、思います。有難う御座いました🙏。✨
菊谷先生、今回も深い大切なお話と有り難い尊い説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐は一向専念無量寿仏とその布教のみである〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無不可思議光如来 帰命尽十方無碍光如来〜三戸拝🙏🙏🙏
2:33
心常念悪(しんじょうねんあく) 3:31 常---------- 恒・・・・・
口常言悪(くじょうごんあく)
身常行悪(しんじょうぎょうあく)
曽無一善(ぞうむいちぜん)
9:21
貪欲とんよく、 瞋恚しんに、 愚痴
16:08
雑毒の善ぞうどくのぜん
まさかぁと思ったけど、説明を聞いて確かに自分も心常念悪だった‥‥
気を付けます。
お話、聴聞いたしました。ご法話ありがとうございます。。
いつも為になる説法をありがとうございます。毎日聞かせていただいております。
お布施拝受しました。ありがとうございます!
神様仏様宇宙の摂理が完璧な私を創られたと感謝しています。私は私の身体も心もコントロール出来ません。欲や妬み、怒りもその場に遭えば沸き上がって来ますが、必要であるから附けられたのです。身を任せてしまえば不安もなく穏やかな心で居られると私は思います。
どうしたら自分を好きになれるか?
それは、「ありのままの自分」を受け入れることです。
こんな自分ではダメなんだと思えば思うほど、自己否定が強くなります。
人は皆、未熟で不完全です、完璧な人など何処にもいません。
「これも自分なんだ、まだまだ未熟で不完全なんだ」ということが腑に落ちた時、す~と心が軽くなります。
その時初めて周りの人を受け入れることが出来るのではないでしょうか。
何故なら、周りの人も未熟で不完全なんだということが分かるからです。
その時、周りの人を許せる気持ちが芽生えて来ると思います。🙂
今日も、大変、学びに、なりました。誠に、ありがとうございました。
はは〜人間の本当の姿とは全員、そのようなものなのですねぇ〜……
なんか、ホッとした(笑)
6:52 マリオカート8DX中毒です。
まさにその通りです。
情けないです。
菊谷隆太先生、こんにちは。🫄🤰🫃🤱🧑🍼👨🍼👩🍼今日も、ありがとうございます。🫄🤰🫃🤱🧑🍼👨🍼👩🍼
菊谷先生!
いつもありがとうございます
人は常に悪の心と言うのは
疑問が残りますが
お釈迦様はもっと深いところで
この事を説いたのでしょうね。
凡人のわたしでは
到底理解できないだけなのでしょう。
人に何か親切にした時
見返りは全く求めませんが
徳を積みたいと思って行動する事も
ある意味神様からの見返りを求めているということになるのでしょうか?
そこまで気にする必要はないと思いますよ。
あなたのやっている行いは素晴らしい!と思います。
どんどん徳を積んで行って下さい。
昔から、日本で語り継がれている「お天道様は、見ているよ」という道徳教育は、これからも残していくべきだと思います。🙂
@@cufk1101
ありがとうございます😊🙏🏻
これからも
徳を積む行動を心がけて行きたいです😊
自分を思えばまさに貪欲怒り愚痴の塊でした。
教えていただきありがとうございました。
いつも大切なお話ありがとうございます。
先生、そうなんです。それは理解しているんです。
ただ、わたしは心を変えるってとても困難で、嫌な事悲しい事を抱えながら、一生懸命明るい顔したり、前向きで優しい言葉を発したりしていい人ぶってるのです。
そうしてると、次第に心が明るくなっているように感じます。
家に帰るとまた戻るけど。
心を変えるって、困難ですね。
とても参考になりました。ありがとうございました。
こんばんは。大変分かりやすい説明をして頂き、有難うございます。
全て自分に当てはまり呆れて最後には笑ってしまいました。
心底憎い相手にも笑って話せる自分が時々嫌になる事があります。
作り笑いをしながら何回相手を殴っているか分かりませんね。そんな自分が怖いです。😓
いつも勉強になるお話ありがとうございます🙇♀️⤴︎先生のお話を聞けば聞くほど、自分が欲にまみれた醜い心で出来ていると思い知らされます😢
これが人間なのですね・・・
暑くなりましたので、ご自愛されて下さい😃
心を洗浄する、強くする方法はありますか?
仏教はある種脅迫だな。そんな汚い心ばかりじゃない。
聖人君子ではない人間がいくら修行しても悪を自分から追い払うことは出来ないと思います。
本当に、三毒の煩悩ですね...
常に悪なら善は存在しないのではないでしょうか?
「常」というからには「悪行が多い」という意味では無いはずです。 文字通り「悪しかない」ということではないでしょうか?
(善を行っている間は悪を行っていないわけで、それでは「常」とは言いません。)
そもそも善悪とは何なのでしょうか?
「常に悪」と言われていたということは、現在の日本における「善悪の概念」とは異なった概念のように思えます。
仏陀の言う「善悪」は一般的に言われている「善悪」とは違うものと理解した方が正しいのでしょうか?
仏教が説く人間の善悪は、自己のフィルターを通した善悪。
自分にとって、他人にとって、国にとって…etc
これらも自己のローカルフィルターを通した善悪に過ぎず、別の名を分別智とも。
@@ehikaru3502
自己のローカルフィルターを通した善悪とはどういう意味でしょうか?
善悪なんてものは個々人の主観で変わるものだとのご指摘でしょうか?
すなわち、人により善悪が違うということでしょうか?
それだと、「常に悪」という仏陀の言葉の意味が分からなくなります。
「常に」と言っているということは、自己のローカルフィルターを通すこと自体を悪と言っているのでしょうか?
@@handle_K.T. 人間は善悪を分別する智恵「分別智」。
常に自己を介した善悪だから、雑毒であると言えるのでしょう。
仏陀は仏、仏の智恵は「無分別智」。
@@ehikaru3502
なるほど。 仏の智慧に到達していないから悪だと理解されているということですね。
@@handle_K.T. 立場が違えば善悪が逆転する、この時点で善悪が成立してないわけですからね。
その上で仏陀が推奨する善行はいくつかあるので、修養に努めるしかないですね。
欲にしたがう自分と徳にしたがう自分がありますね!社会人として後者を優位に置くようにしています!道徳が勝って聖人となります❗
自分の心の中では、何をするにしても、必ず「良心」と「エゴの心」が葛藤
しています。「良心」が勝った時はよかったという喜びが得られます。また、
「エゴの心」が勝った時には、後悔が残ります。
見返りを期待する心 雑毒の善 に関してですが 感謝が自然に帰って来ている時はいいのですが あまり自分の行為に対価を求めると 非常に息苦しくなります 行為が社会に大きい影響の時 あまり対価があり過ぎると 迷惑なこともあります 私は自分の行為に対価を求めないように心がけています 常々対価がある時 対価に依存心があると思えることもあります この時 対価に嫌気を覚えたりもします ありがとうございました
菊谷先生
本日も身の引き締まる思いで拝見させて頂き、自身の未熟さや自惚れに気づきました。
いつも貴重な学びの機会を設けて頂き本当にありがとうございます。
法鏡に写しだされた、醜い自分を救って下さる仏教の教えが好きであると改めて思いました。仏縁誠に感謝しております。今回も誠にありがとうございました。
仏教って心理学とかも混ぜ込みながらみんなで作り上げてきた宗教 決してお釈迦様が凄いわけではない その中でも親鸞聖人の解釈というか教えはとても好きです それを伝える時の菊谷さんの色んな例や例えを用いて話す内容はとても面白くてとても心に響きます これから頑張ってください 南無〜
へへ、へ、へへ悪念、悪行、
喧嘩上等お釈迦様。