はてなの茶碗 古今亭志ん朝

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  • Опубліковано 9 вер 2024

КОМЕНТАРІ • 6

  • @user-jx1kh4zb5r
    @user-jx1kh4zb5r Рік тому +6

    三枚起請、井戸の茶碗、志ん朝師の高座には、明るさと華やかさ、切れ味がありました。スーツが良く似合い、大型バイクを愛用していたという、志ん朝師。チャキチャキの江戸っ子を体現できる咄家さん、出てきてくださいな。

    • @user-kk7kb6pv6c
      @user-kk7kb6pv6c Рік тому +2

      大型バイクは小三治では?
      志ん朝は若い頃からアルファ・ロメオなど、もっぱらクルマ道楽だったはず。

    • @user-jx1kh4zb5r
      @user-jx1kh4zb5r Рік тому

      @@user-kk7kb6pv6c そうでした。大変に失礼しました。

  • @tukikagehyougoful
    @tukikagehyougoful Рік тому +4

    あたしは今でも思いますが…大名人、古今亭志ん朝師匠が…同年代で芸の上で意識した噺家は…やはり、カリスマ落語家の立川談志師匠…人間国宝の柳家小三治師匠…そして上方の桂枝雀師匠…笑福亭仁鶴師匠…!!以上

    • @user-jx1kh4zb5r
      @user-jx1kh4zb5r Рік тому +1

      いやいや、お父さんの志ん生、文楽、可楽、三平、正蔵、小さん、円生、お兄ちゃんの馬生、芸の上での先達は、あまた居たと思いますよ。

    • @user-kk7kb6pv6c
      @user-kk7kb6pv6c Рік тому

      少なくとも志ん朝側は談志など意識してませんね。
      談志の方は狂おしいまでに志ん朝を意識してたでしょうが。
      ただし、きゃつの例の裏切りが原因で当時の落語界の改革を遂げることができず、そこから志ん朝の深酒の度が増したという意味では、談志が志ん朝を殺したとは言えるでしょう。