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8:05違法性阻却の分かりやすい例はボクシングとかの格闘技が傷害罪扱いされない、ってのが印象に残ってますね。
法学部生です。あまりにも授業がわからないので本当に助かってます。応援してます。
科学的基準と法律的基準の乖離は少し前の民法で決まっていた再婚禁止期間の問題も乖離事例のひとつだと思います。
4:53 こういう時に目安を出すのって法務省だと思ってたけど厚労省が出すこともあるんだ法案の作成の段階で省庁間の横の協力があるってことなのかな
以前、別動画のコメントで、このテーマの動画を希望したものです。大変わかりやすく、また各学説への批判も勉強になりました。ありがとうございました。ドイツでは違う説を取っているのは驚きました。民法上の例外として、相続においては胎児も人とみなす(民法886条)というのもあります。時間の流れと刑法といえば、未遂が思い浮かびます。放火などは未遂/既遂の分断がたくさんあり、興味深いと思いました。また動画テーマにしてみてください。
法律にやんわり興味があるので、全動画本当にすごく面白いです。投稿いつも楽しみにしてます!応援してます!!
掛け軸のヒューマン好き
民法だと山陽電車事件(大判昭7.10.6)のように胎児にも被損害賠償責任(損害賠償請求権)を有するとしているんでこれもうわかんねぇな。ちなこの条件的には民法上の制限条件説の話であって刑法上の話でないことが重要なんだな。民法では権利をはっきりさせる基準であって、刑法では人を罰する基準なので同一には出来ないんだな、これが。ちなみに動画内では全部露出説を採っていると言ってたけども、あくまでも権利がある話であって行使出来るかどうかはまた違う話になるゾ~。とにかくみんなも法学部に来いよ(基本的に判例中の事件の条件下での話であって、条件が変わると準用する判例も違うものになるから気を付けるんだゾ)
法人の両罰規定についても解説お願いします
医学的にあり得るかは別として妊娠4ヶ月すれば胎児は人の形をしてると言う前提に事故や事件で腹部圧迫などで胎児の体の一部が出て怪我があった場合はどのような扱いになるのだろうか
法的に「人」では無い状況があるの何となく倫理的にやばい気がするとおもったら倫理的な感覚をできるだけ明文化してどこかで線引きするためのロジックだとわかって良かった
未熟児として生きていけるなら人だと感じるなあ民法は22周と全部露出で人の定義と権利をある程度分けて考えるようにできないのかしら
お役所だから出生届を出してからだと思った
例えば、宇宙から同じような知的生物が来たらどう扱うのか、という観点から人そのものの定義も難しいなあと思います。仮に、見た目で判断する場合、体毛を剃った霊長類と、人間をいかに区別するのでしょう。そもそも「人の見た目」を法律でどのように定義するかは難しいです。言葉が話せるか、などの能力に依拠しようにも、乳児や障害がある人に対しては無意味です。
結婚してない男と女が陣痛の始まった女を病院に運ぶ途中で事故に合って男は死亡 女は事故の衝撃で出産 遺産はどうなる?みたいな小説があった記憶法律って難しいんだな
遺産相続に関しては民法で胎児でも相続できると明記されているので現状の日本では問題にならないと思います(その子は本当に相続する権利を有する場合)
刑法は学説が多くて面白いですよね。質問なのですが牽連犯となる行為と併合罪となる行為はどのように区別されているのでしょうか?刑法は法学検定取る時に少し学んだ程度なんですが、○○は牽連犯、××は併合罪と丸暗記しただけでその理由は全くわかっていなかったので解説していただけると幸いです。
類型的に目的・手段の関係にある場合は牽連犯です。
法学と経済に関してド素人ですが哲学好きとしてドストライク回でした。東アジアの数え年は漢字にゼロが無かった影響だとか、受胎時点で人と見做す事の反映だという説も有ります。今は受精時点で発達障害の有無が判別できる事も、それを理由に中絶するか生むか決める上で社会倫理観が関わります。ローマ数字にもゼロが無かったけど地中海沿岸なりシュメールでは年齢をどう数えていたのか考えた事が無いのをこの動画で気付かされました。ローマ時代には農業に向かない冬の暦はその時々の権力者都合でコロコロ変えられていた事も、人々が自身の誕生日や年齢を細かく認知しようがない事に影響していたと考えられます。アマゾンのピダハン族は数を3までしか意識出来ないとか、サルも同じく物の数が4つ以上になると物が増減しても1個単位では変化を把握出来なくなると言われます。俺も海馬がある程度育つまでの物心つくかどうかの頃には数字の3までと4以上の間に高いハードルがあったような気があるような気もします。数字の概念がはっきりしていないと生後だけでなく受胎から出生までの期間に於いて動画で話しているような細かい倫理観も持ちようが無くなります。アマゾンのまた別のヤノマミ族には中絶技術は無いようだけど、子供の命は母親が自由にしてよく、母親が産んだ直後に育てたいと思えば抱き上げた時点で子が人間と見做され人権を与えられ、難産で苦しめられたり既に子供が多くて面倒見切れなかったり見るからに障害があったり望んだ性別でなかったりの理由が何であれ、育てたくないと思えば首を絞めて止めを刺して放置してシロアリに食わせる事で天に帰し、他人は育てろとか育てるなとか一切口出ししたり咎めてはならない習慣である事が国分拓「ヤノマミ」に書かれています。彼は首絞めの瞬間を遠くから見て思わず声を上げてしまったものの、同じようにそれを見ていた村の女たちに自分が驚いた事を笑われました。母親も残酷なだけで躊躇もしなかった訳ではなく立派に悲しんでいるし、他の女たちの中にはそれの経験者やまだ性交経験すら無い者もいただろうけど、女たちにはいずれにしろその覚悟が出来ているからそうでない男の反応が未熟に感じられたのでしょう。ヤノマミの女たちが国分を異民族として見下している事も影響していたかも知れません。先進国人は原始的生活集団を土人とか野蛮人とか未開人と言って見下すけど、彼らも先進国人は人間じゃないとか最下等の人間だみたいに言うのは、ネトウヨが韓国人をヒトモドキと言ったりギリシャ人が北方人をバルバロイと呼んだり、東夷南蛮西戎北狄みたいな差別用語はシュメールも立派に持っていたのと全く同じで、文明の発展度は一切関係無く単にどの集団も外集団に対しては感情移入度が低いから否定的に扱う訳です。それは集団間に限らず個人間でも同じで誰でも自分が世界一賢くて偉いという優越幻想エゴを持っています。「須恵村の女たち」でも女たちが「性交は大好きだけどつわりがうざいんだよな」と著者である白人人類学者に素直に語っていた事が書かれています。柳田國男とかの日本人学者相手だったらそうは答えなかったでしょう。原始的狩猟採集民たちによく有る思想の例として、子が出来るかどうかは精霊が宿るかどうかの問題であり、精子とは何の関係もないというものがあります。性交は精霊を呼ぶ儀式と言う事になりそうです。妊娠したとしていつから精霊が宿るのかも部族ごと人ごとの思想の違いがありそうですが、精霊を基準に考えると自部族以外の精霊は人間じゃないとか、障害児ならは人間以外の精霊が宿ってるから人権は与えられない或いは反対に稀有な神として大事に扱わなければならないという論理にもなります。動動画で説明しているいつから人権が与えられるべきかと言う問題も結局はそれと同レベルで絶対的な答えが無い情動的な問題なのでしょう。脳神経学者アントニオダマシオ曰く人は理性ではなく最後は情動で決めます。動画の締めで言っているように唯心的な事は唯物的な事にそのまま昇華しきれませんが、そのギャップの存在が法や権威者がどんな決断を下そうと人々にある程度の不満を述べさせているのでしょう。とある人類学者は進化論の影響を受けて、人は野蛮
日本人女性がフランスに住んで現地人男性と付き合って子供が生まれたけど男は逃げてしまい、国籍も仕事も無く困っていた所、児童保護施設的な所が無償で対応してくれたり、キューバでは宿敵であるアメリカに対してもアメリカ人が無料治療目的でキューバを訪れても拒んだりせず現地人同様に治療するという寛大話があります。一方で日本では5年ほど前に、台湾人が沖縄を旅行中に子供が生まれたけど保険も利かず入院代が500万円だったか嵩んで困っていて、現地の台湾人協会が費用を援助したものの、日本世論は「日本人は外国人のために金なんて出す必要無い」「出産直前になって旅行すんな」という日本お得意の自己責任論ばかり浴びせていました。他国にも残酷なエスノセントリズムがあるし日本にも対外的美談があるものの、どこからが人間かの定義は国ごとによって政治経済に影響するだけでなく他国人にも影響が与えられます。母親が子供を育てきれず遺棄するくらいなら子育てを放棄する権利を与えて保護施設に預けさせた方が子が救われると言う声もあるけど、この少子化下でも国民の多くはこれまた自己責任論で「なんで俺らが他人の子を育てるために税金払わなきゃならないんだ」と抗議します。遺児のために払わなくても結局別の形で他人の子供のために税金払って子育てに協力しないと経済や軍事の規模や国際的影響力が弱まって日本人としての自身の損になります。その影響を受けにくい老い先短い高齢者は時間割引率の高い考え方をするでしょう。実際ネット上でも「老人が多いせいで若者が困ってるって言うけど俺は老人としての自分の権利をビタ一文譲らないよ」みたいに言い張る人もいます。そういう人が多い権威的な国ほど上の世代が下の世代の権利を前借りし使い切ってしまうので代々の権利負債が膨らんで国家没落します。中東やインドが後進国である一因です。いつから人権を与えるかは他の動物にも関わりそうですね。競走馬の馬主の定義は子がどの時点からなのか。ブリーダーが育てて妊娠してる犬猫が事故で死んでしまったら加害者はどこまで賠償すべきか。また人権は社会状況に合わせて増減されるものなので国が貧しければ胎児の権利が縮小される事も考えられるし、貧しい=生存が厳しい=時間割引率の低い思想が強まり宗教慣習的な世論になり中絶が禁止される事もあります。その二つの矛盾しない解釈は「子供が権威者である親や社会や国家の奴隷として望まれる」です。ネトウヨ的なナショナリズム感情が強い人はよく「江戸時代は自給率100%だった」「戦争もなく平和だった」と言いたがるけど、豊臣家が滅んで以後戦争らしい戦争が無かった影響で80年後の17世紀末に人口飽和し食料不足になり、幕府は子捨て禁止令を出しました。餓死しそうな者を道端に捨てると治安が悪化するから家長が責任持って始末しろという命令です。古今東西の集団は人口飽和で食料不足になったら普通は、革命が起きるか、内戦が起きるか、集団のリーダーが外に攻め込んで土地や食糧を略奪するか、国民が移民するかなのに、江戸時代の庶民はむざむざ大人しく餓えて斃れていくばかりでした。「鎖国のお陰で文化が発展した」もよく言われるけど俺には開国してた方が発展したとしか思えません。スペインと戦っても勝てるだけの国力があったし、その人口飽和して幕府が困ってた1700年頃は英仏蘭西葡どの国も国力が突出しておらず日本にとって開国するのに絶好のタイミングでした。それによって各国の技術が広く導入されれば食料生産性も上がって餓死者を減らす事が出来た筈です。子捨て禁止令によって次男以下の後継候補でない者や老人は家で止めを刺されたり山奥こっそりに捨てられたりしました。ヤノマミ族と同じです。子の間引きは戦争ではないけれど暴力が介在しているし赤子も鳴き声で抵抗や権利主張している以上は広義での戦争と言え、それが行われていた江戸時代は17世紀末以降は決して平和でも何でも無かったのです。法律話と関係ありませんが俺は同時期に行われた生類憐みの令もカロリー供給効率を高めるための菜食誘導だと思っています。国民に食料環境を有効に使って貰えば為政者は人口飽和によって起こる食糧問題を先延ばし出来るし、人口の多さはそのまま国として軍事力にも経済力にもなったので為政者自身の権力が増大する事にも繋がりました。インダスで菜食主義が定着したのもそのせいです。特にガンジス以東・東南アジア・東アジアは農業に向いたので植物で人口を維持出来るなら植物しか食わせたくないのが為政者の論理です。日本の食品廃棄率は3割と言われ、それを有効利用していれば子供を数百万人増やせているでしょう。それは国家にとっても国民自身にとっても得です。集団の力は一人当たりの強さと数であり、日本人が増える事は国際的地位を向上させる事にもなります。ネトウヨは江戸時代を美化する暇があったらまず食べ残しを辞めるべきなんです。主さんにはネタのストックがまだまだ大量にあるでしょうか、ひと段落着いたら他国の法律についても語って欲しいです。このチャンネルの影響で「ぶらり裁判放浪記」を読みましたが肝心な各国の倫理観についてまでは語られてなくて不完全燃焼状態です。例えば投票の義務の是非を主さんに掘り下げてもらったら気付きが増えて理解が深まりそうな気がします。
なげえよ
稀に見る文量…記録しておこう
レシート?
@@BigFishEatLittleFish 言い得て妙すぎる笑
昔読んだ法医学者のエッセイでは、刑法上は一部露出説、民法上は全部露出説、医学上は産声を上げた時と書かれてたな。
法律を国際比較する際に米,独,韓がよく話題に上がる気がするんだけれど、独が取り上げられる理由って何なのかしら?
法律の大きな体系として、英米法というものと大陸法というものがあります。英米法の中心的な国が英、米で、大陸法の中心的な国が独、仏なので比較されることが多いです。ざっくり言うとこんな感じです。
@@morin_yukkulaw なるほど!法体系が関係していたんですね!ありがとうございます!
人権なら④でいいでしょ何で全部なのに100%じゃないんだ
今最も熱い解説チャンネル
8:05
違法性阻却の分かりやすい例はボクシングとかの格闘技が傷害罪扱いされない、ってのが印象に残ってますね。
法学部生です。あまりにも授業がわからないので本当に助かってます。応援してます。
科学的基準と法律的基準の乖離は少し前の民法で決まっていた再婚禁止期間の問題も乖離事例のひとつだと思います。
4:53
こういう時に目安を出すのって法務省だと思ってたけど厚労省が出すこともあるんだ
法案の作成の段階で省庁間の横の協力があるってことなのかな
以前、別動画のコメントで、このテーマの動画を希望したものです。大変わかりやすく、また各学説への批判も勉強になりました。ありがとうございました。ドイツでは違う説を取っているのは驚きました。
民法上の例外として、相続においては胎児も人とみなす(民法886条)というのもあります。
時間の流れと刑法といえば、未遂が思い浮かびます。放火などは未遂/既遂の分断がたくさんあり、興味深いと思いました。また動画テーマにしてみてください。
法律にやんわり興味があるので、全動画本当にすごく面白いです。
投稿いつも楽しみにしてます!応援してます!!
掛け軸のヒューマン好き
民法だと山陽電車事件(大判昭7.10.6)のように胎児にも被損害賠償責任(損害賠償請求権)を有するとしているんでこれもうわかんねぇな。ちなこの条件的には民法上の制限条件説の話であって刑法上の話でないことが重要なんだな。民法では権利をはっきりさせる基準であって、刑法では人を罰する基準なので同一には出来ないんだな、これが。ちなみに動画内では全部露出説を採っていると言ってたけども、あくまでも権利がある話であって行使出来るかどうかはまた違う話になるゾ~。とにかくみんなも法学部に来いよ(基本的に判例中の事件の条件下での話であって、条件が変わると準用する判例も違うものになるから気を付けるんだゾ)
法人の両罰規定についても解説お願いします
医学的にあり得るかは別として
妊娠4ヶ月すれば胎児は人の形をしてると言う前提に
事故や事件で腹部圧迫などで胎児の体の一部が出て怪我があった場合はどのような扱いになるのだろうか
法的に「人」では無い状況があるの何となく倫理的にやばい気がするとおもったら
倫理的な感覚をできるだけ明文化してどこかで線引きするためのロジックだとわかって良かった
未熟児として生きていけるなら人だと感じるなあ
民法は22周と全部露出で人の定義と権利をある程度分けて考えるようにできないのかしら
お役所だから出生届を出してからだと思った
例えば、宇宙から同じような知的生物が来たらどう扱うのか、という観点から人そのものの定義も難しいなあと思います。仮に、見た目で判断する場合、体毛を剃った霊長類と、人間をいかに区別するのでしょう。そもそも「人の見た目」を法律でどのように定義するかは難しいです。
言葉が話せるか、などの能力に依拠しようにも、乳児や障害がある人に対しては無意味です。
結婚してない男と女が陣痛の始まった女を病院に運ぶ途中で事故に合って
男は死亡 女は事故の衝撃で出産 遺産はどうなる?みたいな小説があった記憶
法律って難しいんだな
遺産相続に関しては民法で胎児でも相続できると明記されているので現状の日本では問題にならないと思います(その子は本当に相続する権利を有する場合)
刑法は学説が多くて面白いですよね。
質問なのですが牽連犯となる行為と併合罪となる行為はどのように区別されているのでしょうか?
刑法は法学検定取る時に少し学んだ程度なんですが、○○は牽連犯、××は併合罪と丸暗記しただけでその理由は全くわかっていなかったので解説していただけると幸いです。
類型的に目的・手段の関係にある場合は牽連犯です。
法学と経済に関してド素人ですが哲学好きとしてドストライク回でした。
東アジアの数え年は漢字にゼロが無かった影響だとか、受胎時点で人と見做す事の反映だという説も有ります。今は受精時点で発達障害の有無が判別できる事も、それを理由に中絶するか生むか決める上で社会倫理観が関わります。ローマ数字にもゼロが無かったけど地中海沿岸なりシュメールでは年齢をどう数えていたのか考えた事が無いのをこの動画で気付かされました。ローマ時代には農業に向かない冬の暦はその時々の権力者都合でコロコロ変えられていた事も、人々が自身の誕生日や年齢を細かく認知しようがない事に影響していたと考えられます。アマゾンのピダハン族は数を3までしか意識出来ないとか、サルも同じく物の数が4つ以上になると物が増減しても1個単位では変化を把握出来なくなると言われます。俺も海馬がある程度育つまでの物心つくかどうかの頃には数字の3までと4以上の間に高いハードルがあったような気があるような気もします。数字の概念がはっきりしていないと生後だけでなく受胎から出生までの期間に於いて動画で話しているような細かい倫理観も持ちようが無くなります。
アマゾンのまた別のヤノマミ族には中絶技術は無いようだけど、子供の命は母親が自由にしてよく、母親が産んだ直後に育てたいと思えば抱き上げた時点で子が人間と見做され人権を与えられ、難産で苦しめられたり既に子供が多くて面倒見切れなかったり見るからに障害があったり望んだ性別でなかったりの理由が何であれ、育てたくないと思えば首を絞めて止めを刺して放置してシロアリに食わせる事で天に帰し、他人は育てろとか育てるなとか一切口出ししたり咎めてはならない習慣である事が国分拓「ヤノマミ」に書かれています。彼は首絞めの瞬間を遠くから見て思わず声を上げてしまったものの、同じようにそれを見ていた村の女たちに自分が驚いた事を笑われました。母親も残酷なだけで躊躇もしなかった訳ではなく立派に悲しんでいるし、他の女たちの中にはそれの経験者やまだ性交経験すら無い者もいただろうけど、女たちにはいずれにしろその覚悟が出来ているからそうでない男の反応が未熟に感じられたのでしょう。ヤノマミの女たちが国分を異民族として見下している事も影響していたかも知れません。先進国人は原始的生活集団を土人とか野蛮人とか未開人と言って見下すけど、彼らも先進国人は人間じゃないとか最下等の人間だみたいに言うのは、ネトウヨが韓国人をヒトモドキと言ったりギリシャ人が北方人をバルバロイと呼んだり、東夷南蛮西戎北狄みたいな差別用語はシュメールも立派に持っていたのと全く同じで、文明の発展度は一切関係無く単にどの集団も外集団に対しては感情移入度が低いから否定的に扱う訳です。それは集団間に限らず個人間でも同じで誰でも自分が世界一賢くて偉いという優越幻想エゴを持っています。「須恵村の女たち」でも女たちが「性交は大好きだけどつわりがうざいんだよな」と著者である白人人類学者に素直に語っていた事が書かれています。柳田國男とかの日本人学者相手だったらそうは答えなかったでしょう。
原始的狩猟採集民たちによく有る思想の例として、子が出来るかどうかは精霊が宿るかどうかの問題であり、精子とは何の関係もないというものがあります。性交は精霊を呼ぶ儀式と言う事になりそうです。妊娠したとしていつから精霊が宿るのかも部族ごと人ごとの思想の違いがありそうですが、精霊を基準に考えると自部族以外の精霊は人間じゃないとか、障害児ならは人間以外の精霊が宿ってるから人権は与えられない或いは反対に稀有な神として大事に扱わなければならないという論理にもなります。動動画で説明しているいつから人権が与えられるべきかと言う問題も結局はそれと同レベルで絶対的な答えが無い情動的な問題なのでしょう。脳神経学者アントニオダマシオ曰く人は理性ではなく最後は情動で決めます。動画の締めで言っているように唯心的な事は唯物的な事にそのまま昇華しきれませんが、そのギャップの存在が法や権威者がどんな決断を下そうと人々にある程度の不満を述べさせているのでしょう。
とある人類学者は進化論の影響を受けて、人は野蛮
日本人女性がフランスに住んで現地人男性と付き合って子供が生まれたけど男は逃げてしまい、国籍も仕事も無く困っていた所、児童保護施設的な所が無償で対応してくれたり、キューバでは宿敵であるアメリカに対してもアメリカ人が無料治療目的でキューバを訪れても拒んだりせず現地人同様に治療するという寛大話があります。一方で日本では5年ほど前に、台湾人が沖縄を旅行中に子供が生まれたけど保険も利かず入院代が500万円だったか嵩んで困っていて、現地の台湾人協会が費用を援助したものの、日本世論は「日本人は外国人のために金なんて出す必要無い」「出産直前になって旅行すんな」という日本お得意の自己責任論ばかり浴びせていました。他国にも残酷なエスノセントリズムがあるし日本にも対外的美談があるものの、どこからが人間かの定義は国ごとによって政治経済に影響するだけでなく他国人にも影響が与えられます。母親が子供を育てきれず遺棄するくらいなら子育てを放棄する権利を与えて保護施設に預けさせた方が子が救われると言う声もあるけど、この少子化下でも国民の多くはこれまた自己責任論で「なんで俺らが他人の子を育てるために税金払わなきゃならないんだ」と抗議します。遺児のために払わなくても結局別の形で他人の子供のために税金払って子育てに協力しないと経済や軍事の規模や国際的影響力が弱まって日本人としての自身の損になります。その影響を受けにくい老い先短い高齢者は時間割引率の高い考え方をするでしょう。実際ネット上でも「老人が多いせいで若者が困ってるって言うけど俺は老人としての自分の権利をビタ一文譲らないよ」みたいに言い張る人もいます。そういう人が多い権威的な国ほど上の世代が下の世代の権利を前借りし使い切ってしまうので代々の権利負債が膨らんで国家没落します。中東やインドが後進国である一因です。
いつから人権を与えるかは他の動物にも関わりそうですね。競走馬の馬主の定義は子がどの時点からなのか。ブリーダーが育てて妊娠してる犬猫が事故で死んでしまったら加害者はどこまで賠償すべきか。また人権は社会状況に合わせて増減されるものなので国が貧しければ胎児の権利が縮小される事も考えられるし、貧しい=生存が厳しい=時間割引率の低い思想が強まり宗教慣習的な世論になり中絶が禁止される事もあります。その二つの矛盾しない解釈は「子供が権威者である親や社会や国家の奴隷として望まれる」です。
ネトウヨ的なナショナリズム感情が強い人はよく「江戸時代は自給率100%だった」「戦争もなく平和だった」と言いたがるけど、豊臣家が滅んで以後戦争らしい戦争が無かった影響で80年後の17世紀末に人口飽和し食料不足になり、幕府は子捨て禁止令を出しました。餓死しそうな者を道端に捨てると治安が悪化するから家長が責任持って始末しろという命令です。古今東西の集団は人口飽和で食料不足になったら普通は、革命が起きるか、内戦が起きるか、集団のリーダーが外に攻め込んで土地や食糧を略奪するか、国民が移民するかなのに、江戸時代の庶民はむざむざ大人しく餓えて斃れていくばかりでした。「鎖国のお陰で文化が発展した」もよく言われるけど俺には開国してた方が発展したとしか思えません。スペインと戦っても勝てるだけの国力があったし、その人口飽和して幕府が困ってた1700年頃は英仏蘭西葡どの国も国力が突出しておらず日本にとって開国するのに絶好のタイミングでした。それによって各国の技術が広く導入されれば食料生産性も上がって餓死者を減らす事が出来た筈です。
子捨て禁止令によって次男以下の後継候補でない者や老人は家で止めを刺されたり山奥こっそりに捨てられたりしました。ヤノマミ族と同じです。子の間引きは戦争ではないけれど暴力が介在しているし赤子も鳴き声で抵抗や権利主張している以上は広義での戦争と言え、それが行われていた江戸時代は17世紀末以降は決して平和でも何でも無かったのです。法律話と関係ありませんが俺は同時期に行われた生類憐みの令もカロリー供給効率を高めるための菜食誘導だと思っています。国民に食料環境を有効に使って貰えば為政者は人口飽和によって起こる食糧問題を先延ばし出来るし、人口の多さはそのまま国として軍事力にも経済力にもなったので為政者自身の権力が増大する事にも繋がりました。インダスで菜食主義が定着したのもそのせいです。特にガンジス以東・東南アジア・東アジアは農業に向いたので植物で人口を維持出来るなら植物しか食わせたくないのが為政者の論理です。日本の食品廃棄率は3割と言われ、それを有効利用していれば子供を数百万人増やせているでしょう。それは国家にとっても国民自身にとっても得です。集団の力は一人当たりの強さと数であり、日本人が増える事は国際的地位を向上させる事にもなります。ネトウヨは江戸時代を美化する暇があったらまず食べ残しを辞めるべきなんです。
主さんにはネタのストックがまだまだ大量にあるでしょうか、ひと段落着いたら他国の法律についても語って欲しいです。このチャンネルの影響で「ぶらり裁判放浪記」を読みましたが肝心な各国の倫理観についてまでは語られてなくて不完全燃焼状態です。例えば投票の義務の是非を主さんに掘り下げてもらったら気付きが増えて理解が深まりそうな気がします。
なげえよ
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レシート?
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昔読んだ法医学者のエッセイでは、刑法上は一部露出説、民法上は全部露出説、医学上は産声を上げた時と書かれてたな。
法律を国際比較する際に米,独,韓がよく話題に上がる気がするんだけれど、独が取り上げられる理由って何なのかしら?
法律の大きな体系として、英米法というものと大陸法というものがあります。英米法の中心的な国が英、米で、大陸法の中心的な国が独、仏なので比較されることが多いです。ざっくり言うとこんな感じです。
@@morin_yukkulaw なるほど!法体系が関係していたんですね!
ありがとうございます!
人権なら④でいいでしょ
何で全部なのに100%じゃないんだ