素晴らしい映像です。50年後の青ヶ島三宝港を見ているようです。とても貴重です
私は昭和24年から昭和30年迄当時の小田原電報電話局電報課で伊豆諸島の島々の郵便局と無線電信でカタカナ電報の送受を行っていました。その中で昭和29年11月に青ヶ島に学術調査団が入り同行した各新聞社からの新聞(報道)電報が多数発信されました。青ヶ島との通常の通信時間は10時30分、14時30分、16時30分、18時45分の4回でした。普段は1日に3~4通の電報で島と島外との連絡手段は月に数回の定期便での郵便以外は電報しかありませんでした。学術調査団の上陸後は、それに同行した朝日、毎日、読売新聞及び地方紙等の記者から新聞電報が発信され、それを受信するため朝8時から夜8時迄1通の文字数が2,000字を超える新聞電報を電波状態が悪い(青ヶ島の発電はエンジンでの自家発電)なか通常の通信は1分間80文字受信できるが青ヶ島からの感度(モールス信号が聞こえにくい)では1分間40文字がやっとで、東京中央電報局から派遣された1名の通信士から離島するまで受信をしました。後日の話では私が青ヶ島への派遣要員の候補になったようですが、毎日長時間の送信は経験が無かったので行かなくて良かったです。尚、カタカナ電報はNTTは令和5年に廃止されました。
今使われなくなり、廃墟となった「大千代港」のドローン空撮、ありがとうございます!他の動画で「大千代港」に実際に向かうのがありましたね。
Beautiful scenery my friend. Well done 👌 Thank you for sharing
영상 넘 좋아요....
山の景色と素晴らしい谷を見ました。❤
異国の海を感じる映像ですね😊素晴らしい👍
防波堤のような島々が面白いですね😊
素晴らしい映像です。50年後の青ヶ島三宝港を見ているようです。とても貴重です
私は昭和24年から昭和30年迄当時の小田原電報電話局電報課で伊豆諸島の島々の郵便局と無線電信でカタカナ電報の送受を行っていました。その中で昭和29年11月に青ヶ島に学術調査団が入り同行した各新聞社からの新聞(報道)電報が多数発信されました。青ヶ島との通常の通信時間は10時30分、14時30分、16時30分、18時45分の4回でした。普段は1日に3~4通の電報で島と島外との連絡手段は月に数回の定期便での郵便以外は電報しかありませんでした。学術調査団の上陸後は、それに同行した朝日、毎日、読売新聞及び地方紙等の記者から新聞電報が発信され、それを受信するため朝8時から夜8時迄1通の文字数が2,000字を超える新聞電報を電波状態が悪い(青ヶ島の発電はエンジンでの自家発電)なか通常の通信は1分間80文字受信できるが青ヶ島からの感度(モールス信号が聞こえにくい)では1分間40文字がやっとで、東京中央電報局から派遣された1名の通信士から離島するまで受信をしました。後日の話では私が青ヶ島への派遣要員の候補になったようですが、毎日長時間の送信は経験が無かったので行かなくて良かったです。尚、カタカナ電報はNTTは令和5年に廃止されました。
今使われなくなり、廃墟となった「大千代港」のドローン空撮、ありがとうございます!他の動画で「大千代港」に実際に向かうのがありましたね。
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山の景色と素晴らしい谷を見ました。❤
異国の海を感じる映像ですね😊素晴らしい👍
防波堤のような島々が面白いですね😊