山の図書館チャンネル
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九重山に祈る 〜東日本大震災の供養塔が九重山にあるワケ〜
九重山の法華院に東日本大震災の鎮魂と復興を祈る供養塔がある。なぜ九州で?なぜ九重山で?
未曾有の大災害。サバイバル技術に長けた山男、山女ならではの支援をしたいと考えた福岡の山仲間が薪ストーブを災害地に運び込んだことが始まりだ。福岡と東北の山を通じた交流は続いている。遠く離れた者同士だが、心の距離は近い、ということか。
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九州の山旅・梅雨入り前の極上!
Переглядів 4452 місяці тому
梅雨入り近くになると、山の緑・森の緑は繊細な中にも存在感を増してくる。九州は大分県の山旅。火山特有の迫力とたおやかな高原の緑にミヤマキリシマが彩りを添え、極上の山登り体験をプレゼントしてくれるのだ。
立山連峰 〜5月中旬 残雪期の魅力がいっぱい!〜
Переглядів 2963 місяці тому
九州から立山に行くのはなかなか大変だ。でもその価値は十分にある。GWを外して5月中旬はどうだろう。今回は立山縦走を試みた。夏道が出てきた所や残雪期特有のザラメ雪とアイスバーンがミックスした所などが混在し、油断は禁物だ。しかし開放的で美しいこの時期、魅力はいっぱいだ!
「十六詣り」の詩 〜復活・10年目の春〜
Переглядів 3163 місяці тому
「山」は日本人の精神文化の中心に位置していた。神が降り立つ所であるし死霊が留まる所、そして何より「山」そのものが神であった。宝満山は霊峰として、昔から周辺住民の崇敬を集めていたのである。「山」に見守られて人は育ち、16歳の成人になったら「山」に登って報告し、神に感謝する。10年前復活した宝満山の「十六詣り」も、そのような素朴な庶民の風習であった。
アケボノツツジに出逢う旅
Переглядів 2923 місяці тому
九州山地の高嶺に咲くアケボノツツジは、その気品ある優しさで人を惹きつけてやまない。今年も逢いに行きたい。福岡市から日帰りで祖母傾山の縦走路に出かけたが・・・今年は満開のタイミングを外してしまったようだ。
「山は死んだ」の衝撃 〜本多勝一の”挑発”を分析する〜
Переглядів 1,6 тис.4 місяці тому
日本の近代アルピニズムが最も熱かった頃、その熱気に冷水を浴びせる驚くべき言葉が発せられた。朝日新聞の花形記者 本多勝一氏の著書「山を考える」の中でのことだ。彼の真意は何か。なぜ、誤解されることを承知の上でこのような言葉を発したのか。
対馬の霊峰 白嶽 〜てっぺんに立たねば、分からない!〜
Переглядів 5714 місяці тому
朝日に黄金色に輝き、昼間は白く輝き、夕日に赤銅色に輝く。対馬を代表する霊峰 白嶽は神々しく人々を魅了する。天に突き上げる石英斑岩の巨大な岩峰は双耳峰。男と女であるという。岩峯によじ登り、てっぺんに立って初めて分かることがある、感じることがある。決して高くはない。しかし一度登ったら、決して忘れられない。そんな山だ、白嶽は。
映画 宝満山 再上映へ
Переглядів 3365 місяців тому
福岡市郊外に聳える人気の山 宝満山を2年間にわたって記録した映画「宝満山」が公開されてから12年。この映画の再上映を望む声に応えて、福岡市内のカフェで上映会が開かれる。歴史と驚きに満ちた霊峰の素顔を、改めて確かめたい。
宝満山「七窟」巡り 〜窟巡りは”聖地巡礼”なり!〜
Переглядів 4785 місяців тому
霊峰宝満山とよく言われるが、その「霊峰」たる所以を実感したことがあるだろうか。宝満山にはいくつも窟があるが、その中の代表的な七つの窟を巡ってみた。窟は山伏が修行し秘密の行が繰り広げられた所だ。狭い岩の洞窟に、生死をかけた山伏たちの想いや願いが籠っている。スポーツ的感覚で窟を巡っていたが、やがて、霊峰の深淵をチラリとでも覗くことができたような気がしてきた。これが「宝満山」なのだ!と。
伯耆大山に登ってみた
Переглядів 3705 місяців тому
九州人にとって伯耆大山は一番身近に本格的な冬山を体験できる山だ。今年は雪が少ないという。実際に登ってみた。確かに雪は少なかった。しかし、望外の気づきもあった。伯耆大山はこんなにも美しい山だった!
植村直己をもう一度!
Переглядів 3,1 тис.6 місяців тому
冒険家植村直己がマッキンレー(デナリ)で消息を絶ってから40年。国民的ヒーロー植村は今、人々の記憶から遠ざかりつつある。若者の間では植村の名前すら知らない人が増えている。植村の冒険をどう評価するかの議論はとうの昔に出尽くしたが、彼の痛快な冒険物語は色褪せることはない。青春の金字塔である。この愛すべき冒険野郎をもう一度思い出し、身一つで夢に向かって体当たりする勇気・元気を、彼からもう一度、分けてもらおうではないか。
アンナプルナ「英雄テレイの選択とは?」
Переглядів 7947 місяців тому
人類初の8000m峰登頂となった1950年のフランス隊は、実に眩い登山隊でした。モーリス・エルゾーグを隊長とする6人の登攀隊員はいずれも超一流の登山家、個性豊かなスター揃いでした。頂上を目前にしたギリギリの闘いの中で、リオネル・テレイにある重大な選択が訪れます。献身と名誉と夢と。ドラマチックな心の内をドキュメントします。
今年は どこに? レインボーハイク
Переглядів 2577 місяців тому
太宰府市にある山の図書館は、毎月一回 ”レインボーハイク” と名付けた 一般募集の山行を実施しています。少人数の家庭的な山旅。花の名前を 教えあったり、歴史を勉強したり・・・わいわいガヤガヤと歩きます。 でも時々は、本州や四国などに大遠征。そうそう、今年は対馬に行きま すよ!
K2「森田下山事件はどう描かれたか」
Переглядів 24 тис.7 місяців тому
福岡が生んだ偉大な登山家、故新貝勲は全国の一匹狼たちを率いてK2に挑んだ。1977年。この遠征は時代の変わり目を象徴する大遠征登山であった。登頂を前に”事件”は起きた。当時最強のアルピニストと言われた森田勝が新貝隊長の登頂命令を拒否して強行下山したのだ。なぜ? 多くの本がこの「森田下山事件」を描いている。が、みなそれぞれに少しずつニュアンスが違う。そして一行も触れていない本もある。 新貝は自費出版の報告書のタイトルに”心魂”という言葉を使っているが、事件の真相は奥が深い。
きっと何か、大切な事が・・
Переглядів 2417 місяців тому
令和5年は、宝満山とその山麓にある竈門神社界隈に不思議なことや驚くべきことが相次いだ。きっと何か、重要なことが、この山で起きている。 その声に、その動きに、耳を澄まし眼を凝らす・・意味を考える。
宝満山の仏
Переглядів 3808 місяців тому
宝満山の仏
九州脊梁の山に”シュール”を見た!
Переглядів 4419 місяців тому
九州脊梁の山に”シュール”を見た!
はじめまして! 山の図書館チャンネルです
Переглядів 6609 місяців тому
はじめまして! 山の図書館チャンネルです

КОМЕНТАРІ

  • @alleinganger8611
    @alleinganger8611 17 днів тому

    森田さんが一次なら鬼ラッセルで意地でも登頂していたのではないかと思う 佐瀬さんの解釈が好きだ

  • @gedo7604
    @gedo7604 22 дні тому

    k2はもう危険過ぎる

  • @sandoo1965
    @sandoo1965 Місяць тому

    今日も面白い話ありがとうございました。今度読んでみようと思います。

  • @user-tj9qi7tl8r
    @user-tj9qi7tl8r 2 місяці тому

    😮(・∀・)イイね

  • @user-di7db8jn4t
    @user-di7db8jn4t 2 місяці тому

    60年以上前ですが10才ころ九重の飯田高原で10 日ほど過ごしました。まだやまなみハイウエイもなく山のなかの生活は私の中に大きな影響を与えました。まだ歩けるうちに九重を訪れて供養塔に手を合わせたいと思いました

  • @junzohashimoto
    @junzohashimoto 2 місяці тому

    東北の山人たちとこのような心の交流があったなんて!今度法華院に立ち寄った際には手を合わせよう。周りの人にも伝えよう(^^;)

  • @user-fv9bh5sr3m
    @user-fv9bh5sr3m 3 місяці тому

    元気に、十六詣り。このような行事があるのでさね。幸多からんことを願います。

  • @user-pj7ne7se7k
    @user-pj7ne7se7k 4 місяці тому

    対馬を紹介ありがとうございます。多くの皆さんに白嶽楽しんでもらいたいです。

  • @morita0807
    @morita0807 4 місяці тому

    コロナ以後、にわかキャンパーが増えましたが、少しでも植村直巳を知ってほしかった。キャンパーはほんの入り口ですが、この世界の奥深さ、ささやかでも非日常という冒険の入り口を感じて欲しかったものです。

  • @user-fv9bh5sr3m
    @user-fv9bh5sr3m 5 місяців тому

    宝満山をもっと知りたくなりました。

    • @user-tvotoken1108
      @user-tvotoken1108 5 місяців тому

      元々この山は重要なパワースポットだと思うのです。全ての扇の要。地政学的にも大宰府は政治や軍事の要衝の地だし、その象徴として宝満山がある。人々の想いが集積し霊魂が吸い寄せられる。霊峰と呼ばれる由縁です。無心であの長大な石の階段を汗水垂らして登る時、魂が浄化される。だから人々は宝満山を目指す・・・と理解しています。

  • @junzohashimoto
    @junzohashimoto 5 місяців тому

    とても参考になりました。ありがとうございます!

    • @user-tvotoken1108
      @user-tvotoken1108 5 місяців тому

      宝満山を歴史散策し山の図書館で焙煎コーヒーを楽しむ。ちょっと贅沢なイベントです。山の図書館で使っている水は宝満山の伏流水なんですよ!空きペットボトルをご用意ください。水を汲んで帰り、ご自宅でも美味しいコーヒー紅茶、緑茶をどうぞ!

  • @yogaeimei69
    @yogaeimei69 5 місяців тому

    人間と自然 そこに社会性の組織が縛る 素晴らしい動画です。

  • @tadayoshiarakawa1993
    @tadayoshiarakawa1993 5 місяців тому

    懐かしい映像を有難う。60年前の冬の思い出が蘇りました。荒川

  • @junzohashimoto
    @junzohashimoto 5 місяців тому

    素晴らしいコンディション、おめでとうございます!次回は是非ご一緒したい(^^;)

  • @user-xs2nz6he5i
    @user-xs2nz6he5i 5 місяців тому

    私は森田さんの下山理由は、広島さんの感じた通りだと思います。 チームとして登ってきた広島さんと、個人で登ってきた森田さんのちがいです。 76年k2隊の隊員で現在何人生き残っているんだろうか。 広島さんの最後の山スキムブルムは初登攀でした。初登頂した隊の記録と、第二登の広島さんたちの記録があまりに違うので、初登頂は虚偽と認定されました。

  • @asobino7372
    @asobino7372 6 місяців тому

    最初に確認し合った約束を破って造反した森田勝に弁解の余地はない。 その後、ソロで滑落した岩から地獄の自力脱出など、力量のある登山家にして心は純な愛らしいところもあったようだが、性格に欠陥が多過ぎ。 ところで「勝ちゃん(かっちゃん)」なんて呼ばれてない。「まさるちゃん」です。

    • @user-tvotoken1108
      @user-tvotoken1108 6 місяців тому

      ご指摘、ありがとうございました。リサーチ不足でお恥ずかしい。私の周辺では「モリタカツ」と呼ぶ人が多く、つい流されて・・。福岡には松尾良彦さんがおられるのですから、確かめることができたかも。努力不足ですね。申し訳ない。

  • @notevaio
    @notevaio 6 місяців тому

    わたしは日本人エベレスト無酸素登頂の方にも闇を感じますね。ぜひ館長さんの意見を解説付きで聞かせてほしいです!よろしくおねがいします!

  • @8e38ky5w
    @8e38ky5w 7 місяців тому

    高田馬場でない・・・・新大久保だったww・・・

  • @8e38ky5w
    @8e38ky5w 7 місяців тому

    昔々・・・・高田の馬場にあったICI石井に通っていた時・・彼が入り口近くに座っていた。 長谷川さんほか、彼以外の有名登山家も時を違えて居た。  ダンプさん時代だ  .

    • @user-tvotoken1108
      @user-tvotoken1108 7 місяців тому

      青春時代、彼らスーパースターと一瞬でも交錯した記憶は、今となっては宝物ですね。私も北穂の頂上で長谷川恒男と言葉を交わしました。 森田勝とも会ってみたかったなあ!

  • @masao750
    @masao750 7 місяців тому

    極地法では第二次アタック隊が本命です。第一次アタック隊は第二次アタック隊が無事登頂するためのルート工作をする捨て駒です。 エベレスト登頂も第一次アタック隊のイギリス隊が失敗して、第二次アタック隊のニュジーランド人ヒラリーとテンジンが初登頂した。

    • @user-tvotoken1108
      @user-tvotoken1108 7 місяців тому

      アルピニズムの思想と近代戦争の思想はほぼ同じですね。戦術戦略の用語も。特に国家を代表するような組織登山では。戦争思想から すると森田の論理は絶対に許されません。が、この事件は様々な論議を巻き起こしました。当時、個人優先の考え方が次第に優勢を占 め始めていたのだと思います。1977年の日本はそういう時代になっていたんですね。 組織と個人の相剋は普遍的なテーマだけど、この事件を頭の片隅に置いて、モーリス・エルゾーグの「処女峰アンナプルナ」を読み直 してみようと思います。キラ星のスター軍団だったフランス隊。頂に立ったのは隊長エルゾーグでした。

    • @user-uj3gv5ct1m
      @user-uj3gv5ct1m 6 місяців тому

      私は新貝隊長の一番の期待は森田さんだったと思います。森田さんエベレスト南西壁にも行っていたのに、ヒマラヤ8000メートル遠征隊とは、どういうものか理解していなかったようです。