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谷内朧盟
Japan
Приєднався 7 січ 2021
「狂音尺八塾」「SYAKUHACHI etc.」「SYAKUHACH bit by bit」は琴古流尺八谷内朧盟(たにうち ろうめい)が尺八や三曲(筝・三絃・尺八)の話などについて発信するチャンネルです。
大人数で吹く本曲
2024年11月4日イイノホールで行われた公益社団法人日本三曲協会定期公演「秋季三曲名流演奏会」で「曙菅垣」を演奏しました。
これまで琴古流尺八本曲といえば本来的には一人で吹くものかもしれませんが、大人数で吹くスタイルで何十年と吹き続けています。もちろん、本曲を一人で吹くこともありますがそう云った機会はあまりありません。
個人的には、この大人数での演奏スタイルを気に入っています。故山口五郎師が替手を手付けされ、一人で吹く本曲より派手さというか煌びやかさを感じます。
本手と替手の掛け合いは人と人の会話のように聞こえます。
動画の後半に今回の「曙菅垣」の演奏を付けています。
是非、お聞きください。
これまで琴古流尺八本曲といえば本来的には一人で吹くものかもしれませんが、大人数で吹くスタイルで何十年と吹き続けています。もちろん、本曲を一人で吹くこともありますがそう云った機会はあまりありません。
個人的には、この大人数での演奏スタイルを気に入っています。故山口五郎師が替手を手付けされ、一人で吹く本曲より派手さというか煌びやかさを感じます。
本手と替手の掛け合いは人と人の会話のように聞こえます。
動画の後半に今回の「曙菅垣」の演奏を付けています。
是非、お聞きください。
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Відео
春の海と津軽海峡冬景色
Переглядів 124Місяць тому
邦楽を古典系と現代系に分けるとすれば宮城道雄先生の新日本音楽あたりが分岐点かもしれません。そして、邦楽に洋楽系の拍子が入ってきたわけです。そして、大衆的な音楽の一部にもその拍子が入っていました。この拍子の取り扱いが分かれば古典系から現代系の曲を吹くことができるのではないかと思います。
たかがロツレチリ、されどロツレチリ
Переглядів 308Місяць тому
前回UPした「誰も教えない練習の極意」(新たな感覚を育てる)の続編になります。歌口とあごあてがあることで、尺八は一つの音でも低い音程や高い音程を吹くことができるようになります。音程に自由度が与えられた分、歌口とあごあてのコントロールができないと不安定な音になり、最悪音がでないことになります。尺八を手にして音がでない方はこの歌口とあごあてのコントロールのほかに一定の息を出せないので音がでないわけです。 前回の動画でワイン瓶を使って音が継続的に出た方は、今回すんなりと音がでているはずです。 今回は尺八の基本となる「ロツレチリ」と「メリ」の話をしています。 「ロツレチリ」は安定的な音で「メリ音」は不安定な音になりますが、これは音程と音程との相対的なバランス感覚が重要であり、多くの音を聞いてバランス感覚を鍛えるしかありません。
誰も教えない練習の極意
Переглядів 3442 місяці тому
この動画は「65歳からの尺八」の続編です。脳の記憶の仕組みを理解して基礎的な練習の必要性を説明しています。今回は尺八を使わずにワイン瓶を使って音出しの練習方法をお示ししました。 尺八を志しても「音が出ない」「指が動かない」ことを理由に去って行かれる方が多いという実態があります。それは個人が練習時間を確保できないという環境が大きく起因しています。基礎的な練習時間を確保できないことで「尺八から離れてしまっているのです。 しかし、つまらない基礎的な練習が何故必要なのか本動画をご覧いただければ納得いただけると思います。基礎的な練習の方法を理解していただければ、10倍の効果に繋がると考えます。
人間みな兄弟
Переглядів 943 місяці тому
前回の動画「65歳からの尺八」を受けての教材として「人間みな兄弟」を取り上げました。楽譜を見て歌う人の声が純正律とは言えませんが、声の幅の中に純正律が入っています。そして、ギターは平均律楽器とは言えませんが、意識しないで弾けば平均律に傾き、意識すれば純正律に傾く難しい楽器。お互いが歩み寄れば曲がまとまります。 今後尺八と他の楽器との合奏を試みる上ではとても良い教材かと考えました。そして、この曲65歳以上の人なら多くの人は聞いたことがあると思われる曲で、尺八の運指がそんなに難しくありません。一番最後に楽譜を載せてありますので参考にしてみてください。
65歳からの尺八
Переглядів 8813 місяці тому
65歳から尺八を吹くことができますかと問われれば、吹くことは出来ますと回答することになります。しかし、ジャンルによっては相当の年数を要するものがあるのも事実です。そして、加齢とともに心配なのは健康であり、特に加齢とともに発症率が高くなる認知症について心配になるはずです。 今回は65歳以上の方を意識した内容にしました。
どんな尺八を選べばよいのか
Переглядів 8995 місяців тому
尺八を独学で始めようとする人の楽器選びは大変難しいことだと思います。 どんなジャンルの曲を吹きたいかでも尺八の種類がたくさんあるからです。 個人的におすすめするのは古典調律の5孔尺八となります。しかし、現代の日本社会が平均律のデジタル化された音に囲まれている以上押し付けることは出来ません。純正律の音の出る尺八にするか平均律の尺八にするかはあなた次第なのです。メリット、デメリット等を古典調律と現代調律という2つに分けて説明してみました。
雲井獅子 地なし二尺管
Переглядів 2396 місяців тому
先日東京である会合に出席した折、会場となったお寺の方丈様より地なし管を含めて四本ほど譲り受けました。家に戻って吹いてみると地なし二尺管三本のうちの一本はすんなりと音が出ました。他の二本は多少手を加える必要があるものでした。今回はそのすんなり音が出た二尺地なし管で何か吹いてみようかと動画を作ったところです。 尺八との出会いは「ご縁」だと思っています。尺八は七節でなければいけないとか、歌口に角が入っていないといけないとかいう人がいますが、大事なのは音が出るかどうかです。そして、その音がある程度バランスよく出ればよいわけです。外見だけで尺八を判断してはいけないと思っています。 尺八としての姿があるのであれば、息を吹き込み音をだすのが一音成仏(いっとんじょうぶつ)につながるのではないかと思うところです。 演奏している雲井獅子はあとから作られた二重奏の替手を吹いていますので外伝としての1尺8寸...
尺八の心
Переглядів 1547 місяців тому
師範の免状をいただいたとき、「技術が優れたものはたくさんいるが、礼儀を持ち合わせているものは少ない」という言葉をいただきました。今思えば儒教や儒教的道徳の話だったのだと気づいたところです。そして、先代の師匠の言葉に「人間を磨け」というのがあります。それもまた儒教や儒教的道徳のことだったと気が付いたところです。 明治時代以降終戦まですべての日本人の生き方の目標としたのが儒教・儒教的道徳だったとすると尺八に限らず日本の文化を理解するためには重要なことかもしれません。
儒教と尺八_声調と技巧音
Переглядів 1618 місяців тому
尺八の演奏には様々な技法がありますが、その中でも琴古流本曲で使われる「折消し」や「メリ込み摺り上げ」などは特に難しいと言われています。私はこれらの技法を習得するために、外曲でも積極的に取り入れています。そして、その音色が中国語の四声に似ていることに気づきました。四声とは、中国語の発音の特徴で、同じ音節でも声の高さや抑揚によって意味が変わる仕組みです。実は、四声は儒教の経典の一つである詩経と深い関係があります。詩経は漢文で書かれた古代中国の詩集で、その詩は音楽として歌われたり演奏されたりしていました。この動画では、この詩経が音楽に影響を与える中国語の声調と尺八の技法との間にある共通点を探っています。私はこれが尺八のジャンル選びや演奏を上達させるヒントになると思っています。ぜひご覧ください。
新年快楽
Переглядів 11510 місяців тому
縦笛ネイが中国へ渡り、唐の時代に発展したものかもしれません。尺八の日本に伝わった話を振り返ると唐時代の張伯という人にたどり着きます。しかし、この張という姓を持つ人の一部は今の朝鮮半島にあった高麗という国に帰化したという話があります。そして、現在の中国の少数民族の朝鮮族が尺八に近い楽器を吹いていることが分かりました。もしかすると, 高麗と中国で帰化人たちによる音楽交流があったのかもしれないと思ったところです。唐から高麗へ、そして高麗から唐へ人と文化が流れ、中国少数民族の朝鮮族が洞簫を吹いていたのではないかとも思われます。唐の時代に西アジアの宗教から離れたように思え、洞簫は仏教寄りになったのかなと思ったところです。
尺八の音は出る
Переглядів 25010 місяців тому
このチャンネルの視聴者の方は65歳以上の方が大半です。そして、いまだに尺八の音がでないとお悩みのようです。今回は60歳以上の方を想定して「音が出る」について動画を作りました。
邦楽の見えない世界
Переглядів 34111 місяців тому
私たち日本人が今耳にする音楽は西洋音楽が中心で、さらに平均律音楽となっていますが、視点を変え西アジアの宗教音楽を垣間見ると、西アジアの宗教音楽が邦楽の潜流にあるかもしれないと思ったところです。
達磨大師と吹禅
Переглядів 132Рік тому
今回は普化宗尺八の縁起に触れ、禅宗の開祖とされる達磨大師の話に触れてみました。 達磨大師ですが、日本では「七転び八起」という言葉が知られています。 この言葉についてあるキリスト教研究者が旧約聖書に起源があるのではないかという話をしているのを聞きましたので、そのあたりを考察してみました。
竹笛を吹くDNA
Переглядів 193Рік тому
数ある楽器の中から尺八を選び吹いているのはなぜか。 それは私たちの祖先から受け継いだ音楽的な記憶による遺伝があるからではないかと考えています。 日本人の生い立ちについて、南方渡来説、北方渡来説、騎馬民族渡来説、日ユ同祖論説、シュメール人起源説など様々な説がありますが、シュメール人起源説を頭に入れつつ考えてみました。 シュメール人と呼ばれる人々には様々な民族がいますが、その中の民族が中国王朝を開いたり、朝鮮半島の新羅を経由して倭の国に渡来し、やがて日本と称し、国を統一していったという話です。 旧約聖書はユダヤ教、キリスト教の聖典であり、イスラム教の啓典とされていますが、旧約聖書の一部に物語として書かれている部分などが含まれているという説があります。しかし、宗教とあまり関係ない生活などの記述には採用できる内容も含まれています。 今回はそういった記述を織り交ぜながら、笛の原点を探り、その移...
他分野の人間ですが、大変参考になりました。 ありがとうございます!
クリスチャンです。宗派によって違うかもしれませんが「洗礼を受けていない人はキリスト教徒とは言いません」というのは誤りで、「イエスキリストを救い主として信じること」がクリスチャンになることです。
コメントありがとうございます。キリスト教徒の定義の部分についての話ととなりますが、私は「イエスキリストを救い主として信じること」は大前提で「洗礼を受けること」はキリスト教徒としての信仰を公に表明することだと思っています。「洗礼を受けていない人はキリスト教徒とは言いません」という表現は誇張しすぎた表現で適切ではなかったかもしれませんが、「イエスキリストを救い主として信じること」と「洗礼」は重要な要素であることは確かだと思います。説明文の文言を少し整理しました。 尺八は今もなお仏教的なイメージが持たれることが多いのですが、明治以降に宗教性は薄まり 一般的楽器として扱われています。尺八を吹くことについては宗教は全く無縁のものとして尺八を吹かれる方が増えないかと思っています。
丁寧な返信ありがとうございます。説明文が整理されてわかりやすくなりましたね。
伝統調律でヘンデルも与作も吹いてますけど。平均律と純正律も勘違いしてますね。声楽やバイオリンなど自分で音を作るものは自然に純正律です。オーケストラが平均律でやっていると思っているんですか?あくまで鍵盤楽器の調律法です。
コメントありがとうございます。おそらく「尺八で西洋音楽の曲を吹くには相当の困難がある」旨の話に対してのものだと思います。私は伝統調律の尺八は純正律が出しやすい楽器として認識しています。bamboo108さんが尺八でヘンデルや与作を吹かれたのを拝聴しました。尺八で吹ける邦楽以外のジャンルの曲は数多くあります。しかし、それは5音音階の展開を基本とする5孔尺八で演奏に適した曲ではないでしょうか。例えばサラサーテのツイゴイネルワイゼンのメロデイラインをすべて吹けるかといえば尺八では無理だと思っています。逆に西洋音楽から多くを取り入れた文部省唱歌などは尺八で吹けるわけです。私のチャンネルは65歳以上の視聴者の方がほとんどなので、「なんでも吹ける」という過度の期待を持たせないよう「相当な困難がある」としたところです。65歳以上の視聴者の方は昭和時代生まれでTVやラジオから流れる音楽は生バンドの純正律の多い音を聞いているわけで、純正律と平均律の違いは理解していただけると思っています。そして、その方々が尺八でいろいろ吹いてみて楽しいと実感できるのは自分の演奏が成功に終わったときです。そして、何度かの成功体験で尺八を継続してくれることになると思っています。尺八の手本を見つけるポイントとして純正律対純正律、平均律対平均律の合奏が重要で、純正律対平均律合奏の成功事例は少ないことをお示ししました。bamboo108さんは耳がいい方なので平均律にも合わせられるしバロック時代の調律にも合わせて吹かれていますが、これから尺八を吹かれる方に音律の吹き分けはハードルが高いかもしれません。私たちの耳は老齢になると内耳奥の蝸牛の有毛細胞の毛が徐々に抜け聴覚機能が衰えていきます。純正律の出やすい伝統調律の尺八で心地よい音を出す日々が増えれば、いらざる雑音は聞こえなくなり良い音のみが聞こえ幸せな日々を送れるかもしれません。
@@roumei 貴方の吹かれている竹は伝統調律なんですか?まさか西洋尺八ではないですよね。
UA-camでは吹いた記憶がありませんが、延べの四郎管を使っています。
@@roumei 述べの四郎管とは最高ですね。
地無しなのに西洋音階とは!何の意味もありませんね。
コメントありがとうございます。誰が作ったかわからない2尺管ですが、ご縁があってのことと息を入れてみました。確かに江戸時代から明治初期の地なし管とは調律が違い昭和時代の音律です。しかし、現代のプロの製管師が作った地塗り尺八とは違った息の通りを感じます。音を出したとき尺八に伝わるわずかな振動の違いが心地良く感じます。この振動が脳みそに日々蓄積されるボケの原因となる物質を取り除くことができないかと思っているところです。
@@roumei 今、尺八制作者、演奏者がだれも伝統調律がわからなくなってしまって、このようなおかしなものが作られてしまっています。竹盟社でも誰か理解している方はいますか?もう伝統は捨てられてしまったと考えています。新たに育てたいと思っています。
bamboo108さんのおしゃられる伝統調律ですが、実際に古管を持っている人や古管を吹いた人しか理解できないと思います。そういった意味でbamboo108さんの竹笛の頒布事業は素晴らしいと思います。
@@roumei ありがとうございます。しかし私達の先生は伝統調律だったのにある意味、一瞬にしてその伝統が廃れてしまったのは、実に稀有でおかしなことですね。
伝統が廃れてしまったことについては、多くの人の音の記憶が環境音で上書きされているように思います。駅で流れる電子音やスマフォの着信音など数えたらきりがありません。そのほとんどが平均律を使っています。私たちは先生の音を一対一で聞く稽古で、その音を目標にしていたはずです。せっかく記憶した音も平均律を使った電子的環境音が耳に入ることで記憶が書き換えられているのではないかと思います。それが尺八を吹く人、作る人にも影響を与えているのではないでしょうか。そして、多くの邦楽家が技巧を磨くことに夢中になっていることと、伝統的邦楽では必要とされない音を求め楽器を改造している人、そして、その楽器を求める人が増えていることも要因かもしれません。 現在の日本には様々な尺八の音が存在するわけです。その中で伝統的邦楽とそうでないものの音の違いを後進に伝えていくことは重要だと思います。そして尺八を吹いている人が音の違いを意識することで伝統的邦楽の尺八人口が少しづつ増えるのではないかと思っています。
私は長年箏三味線を弾いている者です。 先人の考え出した古典調弦だからこそ十三絃という楽器は倍音を活かした豊かな響きを生み出すのだと気付かされ、熟練した糸締めの技術による柱並びで得られた古典調弦のお箏が、どの糸も右手で出した音に反応し(柱裏の糸の振動を消してしまうので)左手はむやみに置きたくないと思わせるほどの共鳴の感覚を味わった時には感激し大層感動致しました。 それ以来、安易に平均律でお箏を弾くという風潮が却ってお箏の最大の音の魅力を損わせているのではないかと思うようになり、私自身は古典調弦に拘った演奏に重きを置くことでソロでの演奏が中心となっていますが、二人の弟子は十分に私の方向性を受け継いでくれています。 きちんと整えられた古典調弦(決して平均律ではない)で弾くお箏の演奏は、上辺だけが揃った音では得られないふくよかな余韻がそこには生まれ、聴く者の心に響くと確信しています。 私の周りにこの感覚を共有出来る相手が居らず一人悶々としておりましたので、偶然拝見した動画に大変共感し勇気づけられコメントさせていただきました。
コメントありがとうございます。 古典的調弦でお弟子さんをお教えされているとのこと、大変うれしく思います。 私は昔、生田流の箏を習っていたことがあります。初心者のころから調弦を教えられました。平調子だと一の音を基本に、二、三、四、六が合わせられれば、あとは基本オクターブなので調弦ができます。今思えば、この調弦を毎回していたことが耳を作ってくれたと思っています。 古曲には唄がつきものですが、この唄の音階と箏の手の音階が異なるので箏から遠ざかりました。 それは三絃でも同じです。一人二役をこなすのですから難しいのは当然です。 しかし、この唄と手が上手く合体した演奏を聴いたとき、やっぱり邦楽はすばらしいなと感じます。 平均律ではかなわない古典調律による古曲の演奏をこれからも続けられ、ますます発展されますようお祈りいたします。
難しいですが、面白いです。造詣が深いです。いつも、なるほどと感心・納得しながら拝聴しております。
いつもご視聴ありがとうございます。尺八のチャンネルを運営し始めてもうすぐ3年になります。不定期な配信になりがちですが、これからもご視聴よろしくお願いいたします。
いつも面白いお話しを、感心しながら拝聴しております。朧盟先生の知識量に驚きばかりです。 山口五郎先生に直接師事されていたとのこと、非常に羨ましくおもいます。小生も五郎先生の音色が大好きで少しでも近づきたく毎日尺八を吹いております。先生のお話しでいつも 目からうろこです。これからもずっと続けて下さい。期待しております。
ありがとうございます。微力ながら配信を続けたいと思います。今後ともご視聴方よろしくお願いいたします。
実戦あるのみです。図解や座学では音は出ません。音は体で出すものです。 私は尺八を作り演奏しています。言葉数で上達を速めることはできません。 ある程度音が出てきている方の多くは、「いい音が出ない」、「低音が出ない」 等の方には水を付けて空気の逃げを防止することを教えると皆さんビックリする程、素直に音が出てきます。 乾いていると指先から空気が逃げて初心者は音が出ません。 私は演奏の前に尺八を水にくぐらせます。こうすると低音も高音もメリハリのある本来の尺八の音色が簡単に出て来ます。
コメントありがとうございます。「実践あるのみ」おっしゃる通りだと思います。昔よく言われていたのは、「10人習いに来て1人でも残ればいい方だ」という言葉を思い出します。結局、最後まで残るのは、自分なりに考え尺八を吹こうという意思を持ち続けた方だけかもしれません。残りの9人に適切なアドバイスやサポートがあれば、もっと残っていたかもしれません。尺八を続けるためのヒントになればということで情報を発信しています。 さて、「水を付けて空気の逃げを防止することを教えると皆さんビックリする程、素直に音が出てきます。」はこれまで指導したことはありませんでした。指先が孔を完全に塞いだ状態になってないとき音が出ない、または変な音が出ると指導していましたが、具体的な改善指導に有効と思いました。アイディア頂戴いたします。
私は、邦楽については、無知ですが、科学者として研究をする傍ら、チェンバロを製作したり、フルートやトラヴェルソを楽しんでおります。チェンバロはもちろん、種々の古典調律で私自身が調律し、貸し出しも行っております。このようなバックグランドを持つ私の疑問を僭越ながら示させてください。何をもって、純正率とおっしゃっているのでしょうか。5度を純正に取るピタゴラスの調律法のことでしょうか。5度を純正に取る音楽は、ルネサンス音楽に多く見られるようですが、その後純正の3度の美しさが、評価されるようになり、いわゆるミーントーン調律法が出てきましたが、ピタゴラスにしてもミーントーンにしても、ウルフと呼ばれる不快な唸りを生ずる音程がでてくるため、キルンベルガーやヴェルグマイスターの調律法が開発され、転調の自由さが得られました。バッハの平均律クラヴィーア曲集は、これらの調律が元になっているのではないかと言われています。純正率ということは、少なくとも2つの音を同時に鳴らしたときの唸りがなくなることが基本だと思いますが、そのことを示さなければ、説得性に欠けるのではないでしょうか。ちなみに、尺八の音孔を順番に開けていくと、マイナーペンタトニックスケールとなりますが、それと純正律は無関係と思います。このスケールは、いろいろな民族音楽に使われると思いますが、ジャズなどでは、主音を除いた音の音程を下げたりすることで、独特の響きになりますが、尺八でも同じことが行われているようです。邦楽の古典調律の場合このスケールの音程が現代の平均律の音程からかなりずれているということならば、理解できます。
コメントありがとうございます。 第1回の「邦楽は純正律」の「純正律」は「平均律」に対して用いた言葉です。西洋音楽における純正律とは別に日本で用いられている純正律(東洋律)なるものがあり、古典筝曲などで用いられております。日本における伝統芸能音楽は2オクターブ半程度の音域の中で展開されています。お箏の調律(調弦)などでは13本ある絃を基本的に6音階で作り、残りはオクターブで作っています。日本の一部の邦楽家は平均律指向が強くなりつつあり、平均律チューナーで調律し始めています。平均律で作曲された曲なら目をつぶることもできますが、古典曲の調律まで平均律にしてしまい平然とされています。そしてUA-camで拡散しています。これでは邦楽における古典曲は姿を消してしまうのではないかと危惧する所です。そこで少なくとも、邦楽は「純正律」と強調したわけです。この動画の中では触れていませんが、完全四度と完全五度を用いて得られる東洋律と西洋純正律では長三度と短三度においてシントニック・コンマの差が存在します。そして、中国の宋時代の音律を踏襲してきたであろう普化宗系尺八では更に音程の誤差があるのも事実です。この音程の違いを理解せずにこれまで尺八を吹いてきた自分の反省を含め提起させていただきました。
谷内様、ご回答ありがとうございます。その後、琴、三味線などの調弦法をUA-camで調べましたが、かなり多くながチューナーを使っているのには、がっかりしました。しかし、中には、5度、4度を純正に取るということを述べていた人たちもいたので、谷内様がおっしゃることがなんとなくわかりました。特に三味線の調弦は、本調子が4度-5度、二上がりが、5度ー4度、三下がりが、4度ー4度ということがわかりました。ところで、伝統調律は、ガムランのスレンドロ音階であると解説しているUA-camを見つけました。 ua-cam.com/video/FmwK5EjrEoQ/v-deo.html 確かに、これは、マイナーペンタトニックスケールで同じですね。ピアノの調律では、楽器、調律者により、音が高くなるにつれてどんどん高く調律して、低くなるとその逆にどんどん低く調律するようです。チェンバロで調律は基本は古典調律ですが同様のことをやったところ、音に華やかさがまし、奏者から評判が良かったのですが、合奏者(フルート)からは、合わせにくいと評判が悪かったのを思い出しました。チェンバロでは、通常使う、8フィートレジスターと1オクターブ高い4フィートレジスターがありますが、このオクターブの関係を少し広めにとると音が華やかになります。邦楽の楽器の場合は、音域が狭いので、ピタゴラスの調律法、すなわち、4度、5度を純正に合わせてもオクターブを無理やり合わせても不自然にはならないようですね。さらには、尺八や笛の場合には、1音近く音の高低をメリカリで調整できるので問題にならなのではと思っております。
返信コメントありがとうございます。 また、いろいろ邦楽を研究していただきありがとうございます。 私は洋楽器を演奏できませんが、ジョン・メッフェン氏の「調律法入門」なる書物で平均律といわれるピアノの調律の難しさを知りました。音域が広がれば広がるほどその調律は難しくなるわけですネ。調律師の腕でピアノの音が変わるわけです。洋楽器の場合、絃の伸びがあまり大きく狂うことはないかもしれませんが、和楽器の場合、箏・三絃の絃は絹糸を使うのが正式で、演奏中でも音が狂います。名人はそれを自分の耳で補正し演奏をしますが、若い人はそこまでできないので、延びにくい化学合成の糸を使って音は狂わないと信じているので狂っても補正ができません。さらに悪いことには純正律も平均律も判らない人が多くなっています。純正律といっても4度と5度を上げ下げして12律を求める東洋律での純邦楽はもうすぐ終焉を迎えるかもしれません。かといって邦楽家が3度と5度で3和音を形成する洋楽の理論を完全に理解して洋楽界隈に足を踏み入れているのか心配なところです。
@@roumei様、小生に悪性腫瘍が見つかり、手術を受けました。療養 のため、しばらく、休養させて頂きます。悪しからず。
前置きが長いです
ご意見ありがとうございます。
民謡が吹きたいです
コメントありがとうございます。これまでの動画の中で上原六四郎先生の研究された日本の音楽は5音音階が多いという事について触れていますが、民謡の中には当てはまらないものもあるようです。民謡というと木曾節や牛追い唄とかを連想してしまいますが、中には青森県から岩手県の一部で残っている「ナニャドヤラ」なども民謡といえるのかもしれません。また十数年前青森県の金木で見つけたビデオでは「じょんから」の唄を聞いたことがありますが、難解な日本語でした。 民謡は三曲合奏より奥が深いジャンルかもしれません。頑張ってください。
@@roumei 樹脂製は乾燥で割れる心配が無いので航空機の荷物室に安心して入れれるので海外に持って行くのには便利かも知れませんね
@@762forest_railway コメントありがとうございます。樹脂製尺八は乾燥で割れることはありませんが、つなぎ目が本体の中で薄くなっているので必要以上の力が加わったとき割れることがあります。中継ぎ部分にはワセリンなどを薄く塗っておくことが大事です。また、航空機での移動の際は室内手荷物として機内に持ち込むことをお勧めします。
@@roumei 機内でも乾燥してる場合があるので割れる場合があるそうです。アラスカとか北欧に持って行くと あまりに乾燥してる場合があり非常に割れやすいそうです
@@762forest_railway 情報ありがとうございます。
僕は「悠」と「玄」の2本を使って練習してます
風呂場で歌うと上手く聞こえて気分が良い。 同じようにエフェクトをかけて尺八を練習すると上手く聞こえます。 気持ち良く練習した方が長続きはしそうですが。 録音して聞き直すならば、エフェクト無しの方がダメさ加減が解って良いと思います。 初心者の一番の悩みは練習場所探しなんですね。 下手くそなんで騒音でしかないんです。 自宅で練習しようものなら隣近所から「うるさい!」と怒鳴られます。 私は、騒音対策で天然エコーもかかる道路下で練習しています。
コメントありがとうございます。録音すると無駄な息のノイズが大きく録音され、また、低音域と高音域の音量バランスが違っていることが多いようです。初心者、中級者の人は自分の音律バランスの良し悪しよりそういったことに注意がいき楽器が悪いのかと考え始めたりします。練習で大事なのは音律のバランスが良いかどうか、つまり、ロツレチリに対してメリや中メリの相対的音律バランスが確保されているかどうかを瞬時に判断して修正できるかどうかだと思っています。録音の役割は練習では気が付かなかった誤りを見つけるためのものでしかないと思っています。天然エコーのある道路下での練習の場があるのは素晴らしいですね。残響音がないと自分の出した音の判断が難しくなります。付け加えれば、天然エコーも吹く場所で残響時間が変わるのでいろいろ試してみてはいかがでしょうか。前後左右に少しづつ移動して少ないエコーで力まずに吹けるようになれれば練習効率が上がると思います。
@@roumei さん ありがとうございます。 安いマイクだと、リアルな録音は無理。 良いマイクは高額で手が出ません。 残響時間は自分が出した音が聴き取り易い場所を選んでおります。 初心者には、自分が出した音律のバランスが良いのか悪いのかの判断が難しいです。 上級者の方に指摘していただいて修正していかないと効率が悪いですね。
以前からある「悠」はどのような評価なのでしょうか
コメントありがとうございます。プラスチック尺八「悠」については調律といった面ではかなり優れたもので、音の繋がりはよいと感じています。管の長さは54.5で1尺30.3㎝とした1尺8寸管で指孔も標準的位置にあります。室温19℃で普通の吹込みで A=440を基準とした音を出せます。また、強い吹込みでA=442まで出るので、琴古流の練習管としては十分対応できる楽器だと思います。ただし、ツのメリが少し出しにくい時があります。指孔の加工での研磨がされていないのかバリが残っています。これが調律用に残してあるものかはわかりません。丁寧に吹くと綺麗な音色を出しますが、音のつながりが悪い時があります。反対に、粗く吹くと音色は悪くなりますがつながりはよくなるようです。「悠」はプラスチック尺八であるが故にその音色までは追及されていないのではないかと思います。 いずれにせよ、安価なプラスチック尺八なので琴古流尺八の練習用としては十分だと考えます。 最近開発されている平均律の出やすい楽器ではなく、古曲を吹く練習用として琴古流と都山流の初心者向けに開発された楽器といえるかもしれません。
ご丁寧にありがとうございます
内径部に漆が塗られた延管は、どの位置づけと考えたらよいのでしょうか? 節は完全に取り除かれています。 基準ピッチは440Hzよりも低く、細身の竹です。 購入時おそらく江戸後期のものであろうと言われました。
コメントありがとうございます。延べ管における漆ですが、漆を塗るのは吹いた息に含まれる水分が管壁にしみこまないようにするためのものです。漆を塗ってあるものと塗っていないものがあります。地塗り尺八とは漆と砥の粉を混ぜた地を管内に塗り、製管者が意図的に音を変更するために行うものです。仕上げに漆を塗るのでパッと見てもわからないかもしれません。音を安定させるために上管歌口の顎当たりに地を盛ることが多いようです。私はそこで地ありか否かをまず判別しています。また、管内を除いて凸凹が多いようであれば地が入っていると判断しています。節が完全に取り除かれているのは製管者のお考えによるものでしかないと思います。 「基準ピッチ440Hzより低い」とのことですが、江戸時代から明治初期までは普通に「ロ」を吹けば平均律ピッチメーター(A=440にセット)で「C#」くらいになります。管に個性があるので一概には言えませんがA=420 Hにピッチメーターをセットして「D」の音を拾うようであれば、江戸時代から明治初期までの延べ管といえるかもしれません。 長さは1尺=30.3㎝にはなりません。1.尺8寸管で56.4㎝位と現在の尺八よりわずかに長くなります。もし、尺八の長さが54.5㎝(1尺=30.3cm)ならばそれは明治時代後期以後のものではないかと考えられます。
@@roumei さん 一菅は長さ55cmで普通に「ロ」を吹けば平均律ピッチメーター(A=440にセット)で「C#」になります。 もう一菅長はさ51.6cmで普通に「ロ」を吹くと平均律ピッチメーター(A=438)でEになります。 こちらは1.尺7寸くらいになるのでしょうか。 どちらも歌口の顎当たりに地を盛ることはされておりません。 A=420 Hzは手持ちのチューナーが対応しておらず試すことが出来ませんでした。
再びのコメントありがとうございます。さて、1本目については長さが55㎝でA=440で「ロ」がC#であれば、私のもっている、江戸から明治初期までの尺八と同じものかと思われます。 二本目は51.6cmという事なので、1尺=30.3㎝を基準とした1尺7寸管と思われます。51.6÷30.3=1.7 。A=435にセットして「D#」または「E♭」を示さないでしょうか。もし、表示がそうなるなら、明治後期から昭和初期ごろの尺八かもしれません。ただ、A=438 で「E」を示すという事なので、地なし延べ管1尺7寸で地塗り中継ぎの1尺6寸管の音律を出そうとしたものかもしれません。この音律が必要となるのは大正8年に宮城道雄が作曲した「秋の調」(尺八の手付は大正9年)あたりでしょうか。もっと古い曲があるかもしれませんが、私が調べたところではそのあたりです。1尺7寸の地なし延べ管で1尺6寸の音律を出そうとすれば、歌口の部分にあるあご当ての節をできるだけ残すことが必要だと考えます。普通の尺八に比べ顎当たりの節が多く残っていませんか。昔の合奏は箏と尺八が1対1は普通なので、1尺6寸の曲を吹くのに1尺八寸管に対して正確に2律上の音律は求めていなかったと思います。尺八の音で箏が調弦をするので、尺八側が音階のバランスを崩さない限り合奏が成立します。お手持ちの51.6cmの楽器は大正時代の1尺6寸と同等として、1尺6寸用の曲を吹かれるのも楽しいかもしれません。 宮城曲で「春の海」「小鳥の歌」「春の訪れ」「清水楽」「うぐいす」「水三題」数えたらこのほかにもたくさんありました。是非吹かれてみてはいかがでしょうか。@@noritakataniguchi266
@@roumei さん ありがとうございます。 短い方の歌口は節を残しておりません。 歌口から3cmほど奥に向かって内径が小さくなっていくかたちになっています。 管尾の木端面に銘が刻まれています。 漢字と思われますが読めません。 中国で作られたものかもしれません。
素人ですが電子楽器を使っております。 大変すばらしい考察でとても勉強になりました。 ありがとうございます。
私の周りの人で音が出せないと苦労していた人に共通点が有ります。 手孔が上手く押さえられず、中途半端に隙間が空いた状態で吹いていた。 ということです。 手孔を押さえずに音が出るポジションを探すように指導したところ、ほぼ全員が音が出せるようになりました。 ほんの数分で、です。 それでも、ダメだった人は、なんと歌口をリコーダーのように咥えてしまっていました。 絶対にむりですよね。 あと、舌の位置と形、喉の開け具合で音色が変わりますね。
コメントありがとうございます。初心者の方に音を出す指導のときは琴古流でいえば「皆明けのハ」で音が出せるようになってから、尺八の構え方を説明します。とにかく力を入れないように指導しています。音が出ないと孔を塞いだ指に力が入り、指孔にわずかな隙間ができてもご本人は分からないからです。似たような指導方法ですね。
歌口が内側を削る構造では管尾を体から離す構え方になり、天蓋を被り奏する普化尺八には無理がありますね。 管尾が天蓋にぶつかってしまう。 外側を削る一部の南蕭や都列の構造ならば、管尾を体に寄せられるので都合が良い。 外側を削る構造の選択理由はこれでしょうか。 更に、彫り込むより狭い範囲内で音に変化をつけようとしたら平らに削った方が良いと気づいた人がいて、それが一般化した。 こんな推論もしてみました。 また、それぞれの地域で入手し易い種類の竹を使い素材に適した構造になっていったのかもしれませんね。 なお、外側を削る南蕭は、新しいものなので日本統治時代に生まれたのかも知れません。
日本に伝来した尺八は上部の舌面が平のまま今日に至っていると考えています。南簫や都列の構造に天蓋を結び付け考えるのはいかがかと。「平らに削ったほうがよいと気づいた人」は中国人であって日本人ではないのではないでしょうか。普化尺八は改良済の尺八が伝来したものと考えています。 南簫は内側を削っています。また、6孔構造になっています。動画の後半で都列の話をしたところがあり、誤解を与えたのかもしれません。すみませんでした。 竹製の笛は竹が生息する地域で作られ、様々な民族が工夫して作っています。それが流行したという事を考えれば、台湾における日本統治時代に影響があったという推論はできますが、楽曲への影響が主で、楽器構造の変化までには及んでいないのかなと思います。古い楽器が再び登場し、流行したということではないのでしょうか。 いずれにしても日本に伝わった尺八も時代ごとに微妙な改良が行われて、楽曲も多種多様となっています。大いに楽しみましょう。
@@roumei さん ありがとうございます。 現在の中国で廃れてしまったカタチが日本に残ったということなんですね。 台湾のケーナと同じ歌口の笛は6孔で、管尾は日本の尺八とおなじ根付です。 現代の曲に合わせた結果かもしれませんね。
中国では唐の時代にインドや西からの音楽が影響し、5音階の旋律や7音階の旋律外などあったと聞きます。それで中国の竹笛も同一種類と思われる楽器でも指孔の数が違う笛が改良され存在していると思っています。現代の日本も西洋音楽の影響で5孔尺八から6孔、7孔等の多孔尺八が登場しています。尺八という観点からすると3種類の音律が存在します。①中国宋時代の音律(古典本曲)②明治時代における三曲合奏の音律③近年の西洋音楽の音律。現代において尺八という楽器は3種類存在するということです。尺八を始めようとする方にはこのあたりを説明しておく必要があるのではないかと思っています。@@noritakataniguchi266
@@roumei さん そうですね。 それぞれピッチが異なるし、出し易い音も異なるので、西洋音階の尺八で本曲は難しいですからね。
たいへん興味深いお話ありがとうございます。 私は、ベトナムの都列の現物を見たことが有ります。 これは、南米のケーナに近いように思います。 日本の尺八のように外側が平らになった歌口のエッヂは、リコーダーのような嘴(Fipple)付の笛でよく見られます。 リコーダー属の笛の嘴を切り取って創ったと考えるのは、ちょっと飛躍しすぎでしょうか?
コメントありがとうございます。「リコーダー属の笛の嘴を切り取って創ったと考える」についてはそういったことも行われたかもしれません。しかし、笛がなぜできたかを考えると、宮廷音楽が最初ではなく、普段の生活の中から生まれたのではないかと思うのです。苗(ミャオ)族やラフ族の多くは山岳地帯に住んでいるというところに何かヒントがあるかもしれません。2孔や3孔の笛で音を発して、遠くの仲間へ合図を送ったとかが始まりかもしれません。それが、誰でも息を入れれば鳴る笛として気息の整流の工夫がされたかもしれません。しかし、そのような笛では面白くないので孔の数を増やし、顎でメリカリでも音の高低ができる元の姿に戻すといった過程でリコーダーの気息整流部のようなものを切り落とすという事を行った人もいるかもしれません。
基準ピッチの変遷は、西洋音階の尺八についてのご説明ですよね。 日本古来の音階、古典調についてはどうなのでしょうか?
コメントありがとうございます。まず、説明不足で疑問が生じたようで申し訳ありません。まず、ご質問の「西洋音階の尺八」についての説明ではありません。現存する尺八の分類を単にしているものです。西洋音階の尺八を仮に定義するとすれば6孔尺八、7孔尺八、9孔尺八となるかもしれません。今回はそれらを念頭にはおいていませんでした。尺八(5孔)のピッチは時代ごと違うのはなぜかというのがテーマです。 「日本古来の音階」「古典調」を古い尺八のピッチはどうなのかというご質問の趣旨としてとらえれば、江戸時代の尺八を計測するとA(黄鐘)の音が凡そ420Hz位です。更に日本に持ち込まれた鎌倉時代の尺八についてはそれよりピッチは低くなるはずです。音階についてはどうかという趣旨であれば日本の音階は五音階で宮・商・角‣徴‣羽というものがあり、旋法によりそれぞれの音階に与えられる音律が違います。 尺八についていえば、本曲、外曲(古典筝曲・地歌などの合奏曲)は陰旋法で、もし、1尺8寸管のロが宮音になれば、商はツメ・角はレ‣徴はチ‣羽はリメとなります。宮音が別の音になれば旋律のバランスを保ちながら音律が割り当てられます。明治初期に邦楽が研究され、明治以前に伝わる旋法が解明され、尺八は殆どが陰旋法、その他民謡などでは陽旋法が使われているなど分かってきているところです。 尺八のピッチは変われど、旋法は尺八が渡来してからほとんど変わっていません。最近は現代音楽を始め洋楽曲を演奏される方が多くなっており、日本古来の音階の曲のうち陰旋法については、古典本曲、琴古流尺八本曲、地歌古典筝曲の合奏でしか聞くことができないのは残念です。 陰旋法だけが邦楽かというとそうではありませんが、5音階構造に変わりはありません。旋法によって割り付けられる音律が違うものもあり、複雑になっているようです。
@@roumei さん 詳しいご説明ありがとうございます。 国際基準に合わせたとすると、西洋音楽に準じる事になります。 西洋音楽でピッチが上がって来た理由は、華やかさが重要視されるようになった為と聞いたことがあります。 同じ理由か、偶々か、どちらと思われますか?
@@noritakataniguchi266 明治時代に音楽取調掛の伊沢修二氏が日本の子供たちの生活の中に音楽がないのが悲しいと諸外国を回って感じたということから、日本の音楽教育が始まり、文部省唱歌が作られ教育が始まったと聞きます。そして、邦楽は子供たちの音楽としてふさわしくないというような意見もあり、西洋音楽へ傾倒していったようです。伊沢氏の考えは和洋折衷の音楽を目指していたようです。しかし、明治時代に入って日本人の価値観の中で西洋が優れていて日本の文化は遅れているといった考えが大勢をしめ動いていたように思われます。そういった意味では国際標準音に従ったのは日本人が西洋のルールに従うことが先進国の一員である証明とでも考えたのかもしれません。その流れは今でも多いように感じます。華やかさのためにピッチを上げたのではないと思います。音響理論で440Hzが扱いやすい周波数だったということだけかもしれません。
@@roumei さん ありがとうございます。
ありがとうございました。
早速の対応ありがとうございます。しっかり勉強させて頂きます。
こちらこそ改めて勉強させていただく機会となるコメントをいただきありがとうございました。
いつも楽しみにしております。古典本曲の楽譜を表記しながら奏法の解説をお願いしたいです。
コメントありがとうございます。私は琴古流本曲しか習っていないので古典本曲の解説をする立場にはありません。そこで私ができる範囲で琴古流の本曲についての解説を行うものを加えてみたいと思います。
@@roumei さま。 有難うございます。
おはようございます。 いつも、ありがとうございます。僕も昨年、骨董品屋で同じような尺八を購入しました。bamboo108さんの推奨される伝統調律(九半割)の尺八ですね!
コメントありがとうございます。 今回使用した尺八は十半割に近いものです。管尻から第1孔までが3寸9分、各指孔までが一寸8分8厘です。Bamboo108さんの伝統調律(九半割)とされていますが、九半割が伝統調律という事ではないと思います。制作の途上、抱き節(管尾から4番目の節)と5番目の節が普通の寸法よりも少々上にある場合に九半割、少々下にある場合十半割、標準的な節の場合十割となるものだと思います。伝統調律は地なし管で成立するもので、9半割イコール伝統調律とはならないのではないかと思います。上記の割数でも地なし管は伝統調律と言えると思います。内壁を地で整形して音律を調整したものを近代尺八、西洋純正律や平均律等に近い調整がされたものを西洋尺八と分類して良いのではないでしょうか。 この十半割尺八を手に入れたとき現在の尺八とは音律がほとんど異なり、全く吹く気になれませんでしたが、いろいろ調べていくうちに指法の違いに気づき今回のUPとなりました。メリ込みなどの技法は十分にはできませんでしたが、私が習った曲のイメージとほぼ同じように吹けたと思います。国際標準化でA=440HZの尺八が標準になったようですが、たった20HZピッチが下がっただけで、やわらかい音が出て、高音域もそれなりに出せるのですから、音を出さないのは勿体ない話です。古典本曲や琴古流本曲を吹かれる方が多くいらっしゃって、UA-camで長管を使い演奏される方もいらっしゃいます。その管が古典調律なのか、明治以降の音律のものかは興味のあるところです。楽器のピッチを国際標準に合わせたことで楽器本来の音が失われているかもしれません。明治期に普化宗が廃宗された中、本曲を後世に残すために楽器の改良、楽譜の改良に苦心された大先輩諸先生方のお陰で今、琴古流尺八にご縁をいただき感謝しているところです。 伝統調律管、近代尺八どちらを吹いても甲乙つけがたいと思います。 似たような楽器をお持ちとのこと、近代尺八と音律が違うようであれば指法の工夫で楽しめるに違いありません。
Beautiful 🙏🏽🌸
尺八の種類のお話しがよくわかりました。
老境に入り、目についた曲を自己流で吹いています。 色々と参考になる講義、ありがたく聴かせていただいています。
コメントありがとうございます。本曲にせよ外曲にせよ好きな曲を一曲だけ決め、1年間を通して研究・練習すると自分のものになります。そこで得た技術が身に付き他の曲を吹いたときに自然に手法に反映し吹けるようになります。1日3回365日で1曲1000回となります。こんな練習をされるといいかもしれません。
疑問がとけました。ありかとうございます。
怪しい尺八は9寸は普通に江戸時代末から明治期のものに見えます。一つは関西系統に見えます。別にこれを八寸としたわけでもなく、1尺7寸くらいの虚無僧の使っていた尺八も多くあり長さは様々です。 音律は当り前ですが穴割が今と違いますので現代尺八とは違います
コメントありがとうございます。怪しい尺八は確かにご指摘の通りだと思います。ほかに長さも異なる尺八もあったと思いますが、長さが全く同じ尺八でその誤差が4.4mmが引っかかっています。宋の度量衡が違うのか、日本の度量衡の変遷での誤差なのか原因は今のところ不明です。明治初期に琴古流で1尺8寸を度量衡改定で長さを現在の1尺八寸に改良したわけですが、その元となった尺八は何かと考えれば、従来の1尺八寸とされていたものではないかとなるのではないでしょうか。まだ断定はできませんが、仮説を持ちつつ調べていく必要があると考えます。コロナが収束したら法身寺に行って少し調べようと思います。こういう話は盃を交わしながら出来たらいいですね。
都山流系の奏者です。私が尺八を始めた45年前から、hi-Dを浮って出す都山流の楽器を見たことがありませんので、恐らく既に消滅しているものと思われます。
コメントありがとうございます。参考にさせていただきます。
邦楽振興の為に尽くされている御努力に感謝します 竹道ご精進を祈念致します。
何も知らないで尺八を鳴らしておりました貴重なご教示に感謝いたします
英語でも日本語でも、様々な尺八歴史論説を読んだことがありますので、大体皆は違う情報をお伝えました。もっと虚無僧の話を聞きたいと思います。
殆ど理解不能な問題点についての試み、素晴らしいと思います。対山派の「ツ゚のメリ」の音程などに付いても、解説を試みて頂ければ嬉しいと思います。
こんにちは、10か月前にコメントをいただき返信もせず大変失礼いたしました。質問の趣旨に対することについては気に留めつつ今日までに至りました。さて、明暗対山派の「ツのメリ」についてですが、月渓恒子先生の「尺八古典本曲の研究」という論文の中で「現行の明暗対山派で「ツ、チ、ウ」のメリを高めにとる演奏法が、合奏主流となる以前の本曲の音律をあらわすものとみなせる」とあります。また、最近私の動画で「江戸時代の尺八で本曲を吹く」で古管を使いましたが、現代の音律で吹こうとしましたが、ツのメリがほとんど出せませんでした。中国から伝来したままの製法で地なし延管を製管していれば、中国の三分損益法で求めた音律が出やすくなると考えられます。「琴古流尺八微分音階説」でお示したツのメリが現代尺八では90セントに対し、伝来のままの製管による地なし延べ管では24セント高い114セントになるのではないかと考えます。また、先の論文で「2世荒木古童のツのメリは高めであったけれども、合奏においても、ちっとも耳障りにならなかったという事を聞いた」と引用がありました。最近の私の動画で「尺八の変遷を考える」で仮説となりますが、地塗り中継ぎ管が登場したのは3世荒木古童の時代ではないかという内容にしました。2世荒木古童が地なし延べ管を吹き料としていれば「ツのメリ」が高い理由となるように思えます。明暗対山派だけが「ツのメリ」が高いのではなく尺八伝来時からの製管による地なし延べ管であれば同じように高くなるのではないかと思います。他流派においてツのメリが低いとすれば、伝承の中で伝わらなかった部分があるのかもしれません。
貴重なご解答と有識者の解釈の引用など、真に有難う御座います。此方も1ヶ月遅れのコメントになりましたが、何しろ地球の反対側の南米の住人ですので、どうか五容赦を。今後とも宜しくお願い致します。
邦楽は純正律というのは糸の調弦のことを言われているのでしょうか。 地唄の節を純正律歌ので歌っているものを聞いたことがありません。 純正律の音程で吹いている琴古流本曲を聞いたことがありません。 基本4度、5度、オクターブを聞ける耳があれば後は三曲であれば糸方の音程感覚に従い、本曲であれば吹く方の学んだ音程感覚と思われます。 ピアノ伴奏の合唱などは歌パートは和音を鳴らそうとするので純正律に近い音程感覚、ピアノは平均律というのもありますがそれほど違和感はありません。 ショパンの時代はもう平均律あると思います。遡って八橋検校に時代の近いバッハはそれらの転調ができることを前提として平均律クラヴィーア曲集を作っています。
ご意見ありがとうございます。邦楽がすべて純正律でないのではという指摘はある意味耳の痛いところです。それは、邦楽の伝承が徐々に衰退してきているからです。ただし筝曲に関してはまだ古曲の調弦を絃の共鳴を利用して行われている方々もおります。年配の方が多いですが。調弦の一例をあげれば、1弦2絃、2絃4絃、4絃6弦を和音で5弦と10弦、6弦と11弦(斗)7絃と12弦(為)8弦と13弦(巾)の音はオクターブで濁りが生じないよう調弦します。ほぼ純正律の数値を示します。筝曲や地歌では楽器の演奏と同時に奏者が手の音階とは違った音階で歌うわけであります。それ故、その両方の技術が優れた方がいわゆる名人と呼ばれる方だと思っています。そして、そのような名人を目指して勉強しているわけです。尺八は後発の合奏楽器で、ある程度の音律は確保しているものの基本的に都度チューニングができない楽器であり、音程と律について百人百音の状態かもしれません。それが純正律でないように思われる要因でしょう。しかし、純正律による筝曲との合奏の繰り返しによって、純正律に近づける表現をしていくものだと考えます。そして、その学んだ純正律に近い音をベースに音を摺り上げたり摺り下げたりの技法等を加え本曲を演奏する形を作っています。ピアノの平均律も音域が2オクターブ程度で少ない和音であれば気になりませんが、低音域から高音域に渡って複雑な和音を加えたり早弾きされた時には平均律の音に違和感を覚えます。最近の邦楽を志す人達が演奏技術に熱中し、音や歌の追及が疎かになっている感じがしてなりません。純正律の転調のご意見がありましたが、筝曲古典曲にも転調する曲は結構ありますが、いずれも難曲です。12律平均音階にはない音があります。その音が何かについてはいずれ取り上げたいと思います。 伝承が途絶えつつある邦楽界を盛り返したいとチャンネルを作りました。今後もご視聴よろしくお願いいたします。また、ご意見をいただければ幸いです。
@@roumei邦楽が純正律とお恥ずかしながら初めて知りました。途端に和楽器のポップスカバーみたいなものが伝統的な邦楽から精神的に逸脱しているのだと心がモヤモヤいたしました。 近年、ショパンはコンサートに複数のピアノを用意しており平均律以外を使用していたという歴史的研究もなされているようです。バッハの12平均律も「ほどよく調律された」という意味らしく数ある調律の一つという位置づけだったのではないでしょうか。グレゴリオ聖歌の時代の人々がピアノ伴奏の合唱を聴いてどんな感じがしたでしょうか。バッハか初めてピアノを弾いたとき「こんなものは楽器ではない!」と言ったと聞きますが、AIのこの時代にますます正しき調律の邦楽の重要性が増している気がします。だからこそ、本動画が私のおすすめに上がった来たのだと思います。良い動画をありがとうございます。