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楯築ルネッサンス
Japan
Приєднався 12 лют 2022
弥生時代後期、歴史上最大のミステリー、邪馬台国と卑弥呼の謎に迫る。
Відео
邪馬台国 卑弥呼の鬼道!
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シャーマン卑弥呼は、何を用いて鬼道を行なっていたのか? 邪馬台国の謎。 卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳から、特殊器台が出土している。 特殊器台と卑弥呼の時代が、ちょうど重なる。楯築遺跡が前方後円墳の前身で、特殊器台は円筒埴輪に変遷する。特殊器台が担った役割は何か?
卑弥呼の鬼道のあとは、直会の時。【邪馬台国のヒント】
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楯築ルネッサンス フォーラム2023 ダイジェスト版 フォーラムから直会まで、ダイジェスト版です。楯築遺跡と特殊器台は歴史を大きく変えるかもしれない。
吉備に国立博物館を! 岡山県立大学によるグランドデザイン。
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楯築ルネッサンス フォーラム2023 スピンオフ作品 岡山県立大学の皆様に、(仮称)「中つ國」国立博物館のグランドデザインをお願いしました。 卑弥呼は吉備出身。【邪馬台国のヒント】
楯築遺跡がついに蘇る。【邪馬台国のヒント】
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楯築ルネッサンス フォーラム2023 第三部 トークディスカッション 倉敷市の伊東市長をお迎えし、楯築遺跡の給水塔移転の決意を表明していただきました。さらに赤磐市の友實市長と商工会議所から松田会頭・井上会頭・清水会頭にもご出席を賜り、楯築周辺の未来図を語っていただきました。テーマは「キーマンが語る吉備の未来予想図」 卑弥呼は、吉備出身。
特殊器台は卑弥呼の鬼道に使われた
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楯築ルネッサンス フォーラム2023 第二部 パネルディスカッション 司会:松木武彦教授。 パネラー:清家章教授、松本直子教授、森和彦先生、長緒鬼無里先生。 テーマは「巨大モニュメント楯築に現われた新しい宗教と美意識、そして吉備の女性像の過去と未来」
西暦107年、倭王帥升とは? 【邪馬台国卑弥呼の前の倭王】
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楯築ルネッサンス フォーラム2023 第一部 基調講演 国立歴史民族博物館 松木武彦教授による基調講演です。 テーマは「楯築遺跡は倭王の墓か?ー吉備から始まる新しい日本史ー」
楯築祭祀が、天皇家に受け継がれたか?!【邪馬台国のヒント】
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楯築遺跡とその時代 講師 福本明先生 楯築遺跡復元プロジェクト『楯築ルネッサンス』 tatetsuki.com 卑弥呼は、吉備出身。
楯築遺跡とその時代 卑弥呼の祭祀か?!【邪馬台国のヒント】
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講師 福本明先生 楯築遺跡復元プロジェクト『楯築ルネッサンス』 tatetsuki.com
楯築遺跡とその時代 【邪馬台国のヒント】
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楯築遺跡復元プロジェクト『楯築ルネッサンス』 tatetsuki.com 講師 福本明先生 卑弥呼は、吉備出身? 天皇家は、楯築の祭祀を継承したのか?
弥生時代に圧倒的な銅鏡や鉄器の出土があるのは大陸に近い北部九州、とりわけ伊都国と奴国です。帥升は伊都国か奴国の王でしょう。魏志倭人伝に代々王がいたとされる伊都国の可能性が高いでしょうか。さすがに吉備はないと思います。吉備勢力はヤマト王権の母体の一つだとは思いますが。
たしか原文では倭国王帥升等と書かれていますよね。国の字が抜けてしまうと別の意味にとらえられてしまう可能性があると思います。
素晴らしいご講演でした。ありがとうございました。
歴史学者の推測は当てにならない。当てになるのなら、とっくに邪馬台国も天照大神も解明されているはず。
吉備王国王墓でいいべ
時代違うんだから、いちいち邪馬台国って出さないでいいですよ。107年でいいじゃん。
倭国王帥升。 この方、 我が国の系図で言うところの 孝安天皇。 海(アマ)押人(オシヒト)大王。 そもそも、中国の記録(伝記)の類いを 字義通りに盲目的に信用する事は不毛な迷路への入口。 皇帝等に謁見した際のやり取りは 傍らに侍る、 記録官僚(速記録役人)の耳に残った音韻(言葉など)を 速記文字の草書で筆書きされた。 この際、速記録役人の勝手な判断と中華思想のマニュアルにより この段階で既に原形?を留め無いことは日常茶飯事。 吾は倭国の大王。 海(アマ)オシヒトである。 が、 役人の耳に残った音韻だけを取り出して、 倭国王 帥飛。 と草書で墨書きされた。 システムとして、 速記録の草書の文章を 後日、別の役人が楷書などに清書したものが正式な記録文書となり保管された。 この、別の役人が清書する際に 速記録の草書文字の判読間違いを日常茶飯事で頻繁にやらかしていたらしい。 速記録で 倭国王帥飛 が 草書では飛が升とほとんど同じな事から 清書した役人さまは 倭国王帥升と判断してその様に清書したものが、、、
空想
意味不明!
鏡がでてないから、天皇家の先祖の可能性は低いかもしれないけど、有力者にはまちがいなさそうですね。 イザナギイザナミは淡路島近くにいて、瀬戸内海や中國地方、四国をふらふら移住していたみたいなので、天皇一族の移住地候補とか、分家の定住地としては有力かもですね。
個人的には邪馬台国は、四国派なのですが、第2候補は瀬戸内海の中国地方なので、これは邪馬台国の分派や支店的な意味では、ありかもと思います。 まあ、そうでなくても、その前から住んでいた立派な縄文人の遺跡なら、素晴らしいことです。
awa kimi氏のメールによれば、楯築祭祀は岡山❨吉備地方❩に進出した海人族の祭祀階層の❨阿波忌部氏❩が造った墳墓ではないのか?と推理されています。解説者はこの祭祀遺跡が「邪馬台国の(場所)ヒント」と「天皇祭祀遺跡のルーツ」❨楽浪郡にあるもの❩及びその繋がりを推測されています。①楯築❨立石❩の特殊基台。②箸墓古墳❨特殊樹台❩≡卑弥呼❨大和と吉備の関係❩の墓では?③出雲と吉備の結び付き。楯築遺跡(特殊樹台)から見た倭国≡吉備+機内+出雲。《吉備楯築遺跡⇔倭国中心説》。
「『楯築祭祀❨たてつきさいし❩遺跡』が前方後円墳の原型ではないか」というテーマは非常に興味深いですね。
給水塔移転、まじか。これは本当にうれしい。
壇上に飾られている土器は、2世紀同時期の伽耶(朝鮮半島南の小国群)出土のそれと極似してる😮。 半島との関連性がひと言もないとは何事だろうか? 陶芸家とか小説家とか、、、おかしいなぁ。、 スイショウの墓説も、良い加減過ぎて、考古学は妄想です良いのかとさえ、疑ってしまう。😢
岡山大の教授がちゃんと言及してますね
この楯築に示す器具の三角のオープン穴は現代建築にそっくりなものが’ありますね。人間ってのは変わらないんだと感動しました。
とても参考になるご講演を拝聴させていただき有難うございます。ご指摘のとおり、当時の東アジアの情勢と我が国の建国は密接に連動していることは確かです。范曄後漢書に登場する倭国王帥升ですが、実はその原本は残っておらず、原本を参照したと思われる後続の文献から倭面土国王師升というのが正しいと思われますが、白鳥庫吉は、魏志倭人伝の倭国大乱の、元は7・80年間男王が治めていたという記述から面は 囬(回の俗字、ウィ)の誤写で、魏志倭人伝の伊都国王だった人物としています。帥姓も魏王朝以前は師姓だったということも広韻などの文献にあります。そして、師姓は周代以前から楽師の官位を表すと知られています。ということは師升は西暦57年に後漢光武帝から金印を賜った奴国王の宮廷祭祀を司る楽師の長(司祭)だったとすれば、奴国を乗っ取った人物だったと分かります。まだ続きがありますが、長くなったのでブログにしました。よろしければ、【刮目天の古代史】blog.goo.ne.jp/katumoku10 をご参照いただきご意見を頂戴できれば幸いです。失礼しました。
ぬや😅ま😢ま
面白かった!楯築遺跡、一度行ってみようと思います。東京の日本橋といい、楯築の給水塔といい、高度経済成長時代の負の部分の見直しをする時期に来ているのですね。卑弥呼は吉備の血を受け継ぐ人物かもしれない、というところ、伝説上の曖昧模糊としていたモノが、にわかに血肉を得て動き出す感じがしました。
第2の波を象徴する楯築弥生墳丘墓の意味と価値を明らかにした。画期的講演。九州墳丘墓と定型化した前方後円墳体制のはざまの、吉備・出雲を中心とした時代。それはまさに邪馬台国時代かもしれないが、今後の発掘や研究に待ちたい。
墳墓の上の立石の中に色が緑色をしている物がいくつかありますが、それはどうやら 青石(緑泥片岩)のようですね。 この石は現地(岡山)では産出しない石で、四国で多く採れる石です。そして棺に使用されている朱は徳島県若杉山遺跡産の物だそうです。 この楯築遺跡を造るためにわざわざ四国から建材を輸入している訳ですから四国との関係は否定出来ないと思われます。 おそらくは楯築遺跡を建造したのは吉備地方へ進出した古代の阿波忌部族だろうと考えます。
コメントをいただきまして、ありがとうございます。先日、倉敷市の議会において、楯築遺跡の上に建っている給水塔の移設計画が発議されましたので、この楯築遺跡がますます注目を集め、様々な議論が盛り上がっていく事はたいへん有難いことだと考えております。この動画をアップした数日後に、楯築墳丘墓発掘報告書が出されました。「楯築ルネッサンス」のホームページ資料室にも張り付けておりますので、ぜひとも、そちらもご覧いただけたら幸いに存じます。