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RAYLA
Japan
Приєднався 19 лис 2022
巨人 原 辰徳 ホームラン 1994年
アキレス腱断裂により開幕2ヶ月出遅れ。その後、休みを取りながら67試合の出場で.290 14本。全試合出場して欲しかったけど、休みながらの出場でそこそこの成績になったのでは・・・。
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巨人 原 辰徳 ホームラン 1987年
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1987年 .307(キャリアハイ) 34本(キャリア2番目) 95打点(キャリア2番目) 怪我の影響で開幕出遅れたにもかかわらず好成績。
中日 落合博満 1991年10月15日 ダブルヘッダー 6打数5安打
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1991年の落合は、三冠王を狙える位置にいたが、終盤すべての打席で本塁打狙いをして打率を落としてしまう。 結局、残り2試合で6打数5安打以上か、9打数6安打以上を打たなければ、ヤクルト 古田を逆転できなくなってしまった。 その最後の2試合は、広島とのダブルヘッダー。その6打数5安打を打ってしまった伝説のダブルヘッダー。
巨人 原 辰徳 ホームラン 1983年(MVP・打点王の年)
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.302 32本 103打点 シーズン103打点はキャリアハイ 130試合全試合出場 その他 安打151・得点94・打席571・打数500・2塁打32・勝利打点20・塁打287 これがキャリアハイ 打点王以外に 最多勝利打点・最多得点・最多塁打でもあったようです。
代打 真弓 明信(1994年)
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1994年 打率.270 2本 30打点 この年の代打30打点は日本記録。 代打で打点を上げたシーンを集めてみた。 この年同じく代打の長嶋清幸さんがチャンスメイク係で、走者を返すのが真弓さんのイメージがある。
巨人 原 辰徳 ホームラン 1993年
Переглядів 19 тис.11 місяців тому
プロ入り以来最低の成績に終わった1993年。 飛距離は出ていないが、印象に残る場面でのホームランが多い。 7月4日の アレも ホームランになって欲しかった。
巨人 原 辰徳 1995年(引退年) 惜しくもホームランにならなかった打席
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巨人 原 辰徳 1995年(引退年) 惜しくもホームランにならなかった打席
巨人 原 辰徳 1991~92年 惜しくもホームランにならなかった打席
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巨人 原 辰徳 1991~92年 惜しくもホームランにならなかった打席
巨人 原 辰徳 レフトへのクリーンヒット 1981年~1986年
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注釈 上体が突っ込んで泳いで打ったバッテイングは完全なクリーンヒットに含まれます。
巨人 原 辰徳 ホームラン 1991年
Переглядів 15 тис.11 місяців тому
.268 29本 86打点 127試合出場 犠飛12本は当時のセ・リーグ記録 アキレス腱痛を誤魔化しながらの出場が続き、ある程度の成績は残すものの 打率はプロ入り以来2番目の低さ、82三振はプロ入り最多。
巨人 原 辰徳 1993年 惜しくもホームランにならなかった打席
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入団以来最低の成績に終わり、明らかな衰えが見えたシーズン。 衰えを感じさせる打席 5選
この年のオールスターの試合後の風呂で古田に打撃を教えたことが災いして史上2人目の両リーグ首位打者を逃してしまった。本人はどう思ってるかな?
巨人のユニフォームが、背番号8が誰よりも似合う選手。 私事ですが、私がこの世に生を受けたとき「辰徳」という名前に本当にしようと親父は思っていたそうです。寸前で回避しましたが😅
原の前後のバッターがいてたら 45本入ったと思います
最初のサヨナラヒット、レフトスタンドの大洋ファンからメガホンが雨あられと振っているが、当時ってメガホンの投げ込みすごかったんだねえ。今はメガホンを使う人自体少ないから投げ込み自体もなくなっているが、
異論はあるかもしれないが、80年代は江川と原の時代だった。 少なくともテレビで一番見た野球選手、ニュースバリューがあったのは彼らだったはず。 それだけに散々いろんなところから非難されたけど、残した成績を考えたら気の毒でしかない。
やっぱり8本目が1番印象的
やっぱり前年の左手首の骨折の影響で、この年からフォームが変わってますね。子供ながらにバットを寝かせ気味でグリップが下がってるのがわかりました。打率は上がったけど、飛距離が物足りない印象でした。あの骨折がなければこの年は間違いなく本塁打と打点の二冠王でした
今中が2試合先発した時か?
サヨナラ負けの後に阪神ファンがメガホンをグランドに投げ捨てるシーンが妙に懐かしい😅
原さんの確信ホームランめちゃくちゃカッコいいな 一塁側にバットを投げるのも独特のカッコ良さがありますね
原ってあんまり飛距離でてないよね
哈拉桑!😊
10.8があるから中日がギリギリで優勝逃した事実だけ先行するけど、 実は独走状態だった巨人が中日に途端に追い上げられて歴史的V逸しそうだったんだよねぇ。 危なくなってきたところから出遅れた原さんのエンジンが一気に掛かってきて逃げ切れたという印象の1年でした。
もう30年前か
前の年のコンバートでサードになったのが、まずかったかもですね。 アキレス腱が悪かったからですね。。。😢
改めて スーパースターですね。 絵になります。
10/8決戦のあと、落合と抱き合って喜んでたシーンは忘れられない。
山本浩二さんの解説はとても分かりやすいし、かつ、若々しいですね。そして、巨人の原辰徳前監督の鮮やかなホームランは、現在、巨人に在籍している長野久義選手のようなクラッチヒッターみたいな感じに見えましたね。 ただ、この当時の原辰徳選手も、やがては代打中心選手なってしまい、セ・リーグ優勝と日本一を決めた翌年の1995年(平成7年)の同じ日付の10月8日の東京ドーム巨人-広島戦の引退試合で、現役最後の通算382号ホームランを放ち、9回裏には、ベテランの宿敵、大野豊投手との真っ向勝負に挑み、レフトフライに倒れるも、巨人ファンはもとより広島ファンからも、温かな拍手
そりゃ落合に敵う打者は国内には居ないので代打は当然
根っからのホームラン打者とは言えない
@@豊田茂-h1e 落合は強打者であり高打者 打率も残すし長打もある まぁ単なるホームラン打者ならもう少し打率が悪いし三振も多い
@@arizono2 じゃ無くて、原さんの事です
この年は状態悪くなかったのにね…
アキレス腱は前年からもう限界だった。この年も出遅れてたんだよね。
腹さんノーパワーー さっさと引退してくだサーイ
左手首が生きていた頃の原は、逆方向へも強い打球を叩き込むことができた。
原は大変だっただろうな・・ON の幻影を背をわされて・・ON なんて現代的に言えばwar 10前後を毎年残す選手・・二人で20越える事も・・それを1人で背負うわけだからどんなに活躍しても叩かれるわな😅
ありがとう御座いますm(_ _)m
シリーズでホームラン9本!シリーズで打点王も数回!選手の良いところを見て語り合おう。 オリンピックのアスリートに対してもねw
編集したら原は落合クラスの打者に見えるな 現実は打点王一回の三流打者
打点王1回でも獲れれば一流だと思うが。
前年まで12年連続20本以上本塁打を打っていた原辰徳。93年の落ち込みは酷かったですね。 一番悔しかったのが本人で代打も屈辱だったでしょう。当時一番応援していたので寂しかったです。
原は日本シリーズ通算打率232、大舞台にかなり弱く、シーズン通しても最高本塁打36本、最高打率307で3割もたった4回 正しく巨人史上最弱の4番打者!
原選手の全盛期に欠かせない、日テレの吉田、小川両アナの名調子。 懐かしいですね。
3:17のサヨナラホームラン、円山球場のやつですね。バックネット裏で見てました! 7回過ぎてから無料開放したので友人と二人で入っていきまして、、延長11回か12回で勝負がつきました。見応えのある無料観戦でした😅
5:46 現役最後の試合のホームランは気持ちいい。
原さんと衣笠さん、どっちがホームランバッターですか?
バックスクリーン3連発の日に原さんもバックスクリーンにホームラン打ってたんだね。
バックスクリーンへのホームラン特集もありますか?
33号 客ガラガラやん😂
これ見ちゃうと、ヒットだけでいいなら4割打てるって本人のコメントも、 またまた、ご冗談を・・って思えないのよね
1:00くらいで昔の競艇SGファンファーレが聞こえる
これだけ綺麗に振り抜ける右バッターを見たことがない。
やっぱり巨人の四番は原辰徳だよ‼️80年ドラフトで藤田さんがクジを引き当てた時は興奮したなぁ🎉原の特集本とか買ったもんな・・
前年の手骨折の影響ですね。フォームもコンパクトになってますね
軽打して、打球もふんわりしてますよね。当時子供だったからわからなかったですが そのおかげで3割30本で ここから成績が落ちて行くのも、86年の怪我が大きかったのかと、今は思います。
1983 .302 32 1986 .283 36 1987 .307 34 ↑この辺の成績、後年の巨人で言えば松井秀喜、小笠原、ラミレスあたりとも同格なんだよね。当時のことは知らないが、この成績でも叩かれるって、比較対象のONはこれより高い成績を叩き出していたのか…!?
王さんはそれよりさらに上回ってるし、長嶋監督も何度も首位打者や打点王をとってたから 今の時代なら重宝されて然るべきだけど、当時はONの後釜入団だったからどうしても比較されるのは仕方がなかった。そういう時代。
原辰徳選手とても好きな選手でした。生まれつき運の良い星のもとに生まれて来たと言うか、打撃不振で打順を下げられていても、必ずチャンスで、廻って来る、不思議な力のある選手でした。
原選手のホームランは放物線を描く打球が美しく、じっくり楽しめるホームランでした。
球場狭すぎ 今なら全部サードフライ
んなわけあるか
じゃあなんでほかの選手は柵越えしないの? 狭い同じ球場なのに… 。
巨人の4番としては物足りなかった。勝負弱さ、コンスタントに3割を打てない、ライトに打てない。
3:13 6/26の原さんの12号ソロを視れて非常に感激してます!😂 この年は自分は小4の年で、初めて後楽園球場に連れて行ってもらった年でもありました。この試合は確か父親と行った2度目の試合で、序盤に江川さんが打ち込まれて2-7になるも、7回裏に巨人が4点を返して6-7に。そして8回裏の先頭打者の原さんが放った同点弾でした。そして2死後に山倉さんの決勝アーチで8-7のルーズベルトゲームとなった試合でした。 今は亡き父親と行った思い出の試合で、新聞の圧縮版やネットで日付を特定できたのですが、まさかこうやってその日の原さんのホームランを視れる日が来るとは思っておりませんでした。 動画主さん、ありがとうございます😊
最初の投手清川氏は今年2024/5/5に62歳で没 3人目の北別府学氏も昨年2023/6/16に62歳で没 1995年で引退したから引退して29年経過 2018年に野球殿堂入り
ヤクザに1億😂
手首骨折する前の年ですね。 バッティングホームが違いますね。
怪我で1ヶ月出遅れて、復帰後も6番7番とか打たされたのによく腐らなかったと思う。この年と翌88年は恒例の絶不調も少なく、4番として実質キャリアハイの活躍だったと個人的には思う。状態が前に突っ込む癖を修正出来てたら毎年40本以上打ててたんじゃないかな?
動画中でも触れられてるけど、4月の満塁ホームランのあとまたどこかケガして1度二軍に落ちたが、5月から上がってきたら絶好調で5番でガンガン打ちまくっててあとはタイミングを探ってたら、クロマティが熊本で宮下殴って出場停止に それで堂々と4番に復帰した
ほぼ、全部レフト。10本前後ライトに打つ技術があれば40本打てたんだが。
ヒットもほぼ引っ張りだった 例えば右中間を破る三塁打なんてのはあんまり記憶にない
長嶋・王の後継者としてホームラン量産を期待されて、シーズン1年目のオフからド引っ張りの打撃スタイルに改造されたんよね。王さんがそれ以上にド引っ張りだったこともあってか。 原さんは大学時代は.398 21本というハイアベレージを残していたなかで一発の力もあるというタイプだった。
荒木ストレートですかね!? 131㎞って…。