陸奥屋チャンネル
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大戦終結後の日本陸軍戦車群(三式砲戦車 ホニIII・一式中戦車 チヘ・三式中戦車 チヌ etc)/ Japanese Army tanks after the end of the war
大戦終結後、福岡県雁ノ巣に集積された日本陸軍戦車群です。本土決戦のために配備されていた独立戦車第四旅団の戦車が主だと思われますが、三式砲戦車 ホニIII、一式中戦車 チヘ、三式中戦車 チヌ他が確認出来ます。防衛省資料を見ると、ここには映っていませんが、他に一式十糎自走砲 ホニIIや軽戦車も配備されていたようです。
These are Japanese Army tanks that were accumulated in Gannosu, Fukuoka Prefecture after the end of the war. Most of the tanks are thought to be from the 4th Independent Tank Brigade, which was deployed for the mainland battle, but the Type 3 Ho-Ni III gun tank, Type 1 Chi-He medium tank, and Type 3 Chi-Nu medium tank can also be seen. According to documents from the Ministry of Defense, although they are not shown here, the Type 1 10 cm self-propelled gun Ho-Ni II and light tanks were also deployed.
【三式中戦車 チヌ】諸元
全長:5.731 m
全幅:2.334 m
全高:2.61 m
全備重量:18.8 t-19 t
懸架方式:独立懸架および平衡式連動懸架
速度:39 km/h
行動距離:210 km、または300 km
主砲:三式七糎半戦車砲II型×1(弾薬搭載量 70発)
副武装:九七式車載重機関銃×1(弾薬搭載量 3,670発)
装甲:砲塔 前面50 mm/側面前部35 mm
      側面後部25 mm/後面25 mm/上面10 mm
   車体 前面50 mm/側面25 mm
      後面20 mm/上面12 mm/下面8 mm
エンジン:統制型一〇〇式
     空冷4ストロークV型12気筒
     ディーゼルエンジン
     排気量21,700 cc
     240 hp
乗員:5名(6名説もあり)
【三式砲戦車 ホニIII】諸元
全長:5.52 m
全幅:2.33 m
全高:2.37 m
重量:17.0 t
懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
速度:38 km/h
行動距離:300 km
主砲:三式七糎半戦車砲II型×1
装甲:50〜12 mm
エンジン:三菱SA一二二〇〇VD
     空冷V型12気筒ディーゼル
     最大170 hp
乗員:5 名
【一式中戦車 チヘ】諸元
全長:5.7 m
全幅:2.3 m
全高:2.4 m
重量:自重15.2 t/全備重量17.2 t
懸架方式:独立懸架およびシーソー式連動懸架
速度:44 km/h
行動距離:210 km
主砲:一式四十七粍戦車砲Ⅱ型×1(弾薬搭載量 121発)
副武装:九七式車載重機関銃×2(弾薬搭載量 4,220発)
装甲:車体 正面50 mm/側面25 mm/後面20 mm
エンジン:統制型一〇〇式発動機
     空冷4ストロークV型12気筒
     ディーゼルエンジン
     燃料槽容量 330 L 
     排気量 21,700 cc
     240 hp
乗員:5名
Переглядів: 51

Відео

フランス海軍潜水艦 スファックス(ルドゥタブル級)/ French submarine "Sfax"(Redoutable-class)
Переглядів 299 годин тому
ルドゥタブル級は1931年から1939年にかけて31隻が竣工した航洋型潜水艦です。急速潜航に要する時間が45~50秒とやや長い以外は、比較的性能も良く信頼性も高い潜水艦でした。「スファックス」は、そのルドゥタブル級の1艦で、サン=ナゼール(フランス中西部沿岸)のACLにて1936年9月に就役しています。第二次世界大戦勃発後は哨戒や船団護衛に従事し、フランス降伏後はヴィシー政権下のフランス海軍に所属していましたが、1940年12月19日に、モロッコ南西部のタルファヤ沖にてドイツ海軍潜水艦 U-37の誤射を受け沈没しました。余談ですが、「スファックス」は無線方位測定機(RDF)を搭載した数少ないフランス海軍潜水艦の一つです。 The Redoutable class was a type of ocean-going submarine, 31 of which were complet...
イタリア海軍水雷艇 ルポ(スピカ級アルシオーネシリーズ PART.2)/ Torpedo boat "Lupo" (Spica-class Alcione-series PART.2)
Переглядів 2912 годин тому
スピカ級は、1920年代に建造されたCurtatone級駆逐艦や水雷艇の代替の為に計画された水雷艇です。小型で居住性も悪く、対空・対潜能力は低かったもののワシントン海軍軍縮条約の適用外(当初は基準排水量が600トン以下の予定)だったため、1936年~1938年に合計32隻(内2隻はスウェーデンへ輸出)が就役しました。「ルポ」は、その1艦で1938年2月に就役しています。第二次世界大戦開戦後は地中海での哨戒・兵員輸送に従事していましたが、トリポリへの輸送船団護衛中の1942年12月2日に英国海軍駆逐艦隊と交戦し沈没しました。映像は1937年11月7日、リエカ(現クロアチア西部)の造船所にて進水する「ルポ」です。 The Spica class was a torpedo boat planned to replace the Curtatone class destroyers and...
朝鮮戦争 Guncam 対Mig15 / Korean War Guncam
Переглядів 5519 годин тому
殆ど、F86のガンカメラによる撮影だと思われます。比較的低空を苦手としていたMig15ですが幾つかの映像から見ても、F86に追い込まれ低空で撃墜されるシーンがあります。勝負を決めたのはパイロットの質(米空軍には第二次世界大戦に参加していたパイロットが多く居た)と、戦術、火器管制装置やGスーツ等の装備でした。しかし、損失比率は大きい方で4:1、少ない方で2:1と言われていて、中国人民解放軍義勇軍(ロシア人パイロットも含む)や北朝鮮空軍パイロット(北朝鮮のマークを付けたMig15は1953年3月頃)もそれなりに勇戦したようです。 Most of the footage appears to have been taken with the gun camera of an F86. The Mig15 was relatively weak at low altitudes, but s...
イタリア海軍潜水艦 アッチアイーオ級 / Acciaio-class submarine
Переглядів 36День тому
イタリアの戦時急造計画の一環で復活した600トン型近海用中型潜水艦。比較的成功作で、所謂「プラチナ」クラスと言われた潜水艦です(艦名が全て鉱石や金属名の為)。1941年後半から1942年中盤までに13隻が竣工しています。 This 600-ton coastal medium submarine was revived as part of Italy's wartime rush-build program. It was a relatively successful model, and was one of the so-called "Platinum" class submarines (because all of the ship's names were derived from minerals or metals). Thirteen were complete...
1943年10月24日 米海軍潜水艦に撃沈される貨客船”浄宝縷丸” / Cargo liner "Joho-ru Maru" October 24, 1943
Переглядів 39День тому
1943年10月24日、マヌス島沖で米海軍潜水艦”シルバーサイズ ”に撃沈される浄宝縷丸です。浄宝縷丸はオ006船団に付属し、ラバウルからパラオに向かう最中に”シルバーサイズ ”の攻撃を受けています。日本側詳報では「米潜水艦から魚雷攻撃を受け1本が命中。航行不能に成り、最終的に乗員退艦後、護衛の駆潜艇 第24号の砲撃により処分された」と成っていますが、実際はその後も映像のように浮いており、”シルバーサイズ ”の砲雷撃で撃沈されたようです。想像するに輸送船団が壊滅状態に成ったため、護衛の駆潜艇第22号・24号は敵潜水艦の再攻撃を警戒し乗員救出後、浄宝縷丸沈没を確認せず、早々に撤収したと思われます。余談ですが浄宝縷丸は開戦時、宇野支隊を載せて南部タイ上陸作戦にに参加しています。 On October 24, 1943, the Joho-ru Maru was sunk by the U...
ソ連空軍貨客機 ツポレフ ANT-20bis / Tupolev ANT-20 bis
Переглядів 4914 днів тому
ツポレフ ANT-20(概要欄URL)の2号機で改良型です。外見で分かりますが翼部エンジンが強化されたため、胴体上部の2つのエンジンが無くなり計画本来の姿となっています。2号機は1938年に初飛行し、こちらはモスクワ ~ ハリコフ間等の定期便として就航しました。しかし、1942年12月14日、タシケント付近で不時着し大破、廃棄されています。その後、新たに18機前後の生産が指示されますが戦争等の理由のため実行されていません。他に最大12tの爆弾を積める爆撃機型の計画もあったと言われます。 This is the second model of the Tupolev ANT-20 (URL in the description section), and is an improved version. As you can see from the outside, the wing ...
ソ連空軍宣伝・貨客機 ツポレフ ANT-20 / Tupolev ANT-20
Переглядів 3414 днів тому
1934年5月19日 に初飛行した当時世界最大の航空機で、ソ連航空技術の宣伝の為に製造されています。当初は6発機の予定でしたが馬力が足りず、機体上部に2発増設し合計8発機となりました。一応、タイトルでは”ソ連空軍貨客機”としていますが、基本的に実際の運用は空軍、運用指示はソビエト共産党が行い、目的は僻地での党宣伝活動用で、空軍搭乗員以外は党の宣伝員が搭乗、放送設備・撮影設備・映写設備・印刷設備が搭載されていました。また、長期滞在のために寝台や簡素ながら食堂や通信設備もありました(バーがあったという話もありますが多少誇張のようです)。生産機数はANT-20が1機、改良型のANT-20bisが1機の合計2機で、双方とも事故で失われています。 It was the world's largest aircraft when it first flew on May 19, 1934, an...
蘭印空軍爆撃機 マーティン B-10(モデル166)/ Dutch East Indies Air force Martin B-10
Переглядів 3414 днів тому
オランダ領東インド空軍が米国より購入したマーティン B-10の輸出仕様 モデル166 です。蘭印が受け取った機体は139WH-3および139WH-3Aと呼ばれ、前者はエンジンにライト R-1820-G5(900HP)を搭載、後者は同R-1820-G-105A(1,000HP)を搭載していて、139WH-3が40機、139WH-3Aが42機の合計82機が引き渡されました(他に40機程度の購入有り)。このうち9機は1942年オランダ領東インドを占領した日本軍により鹵獲され、タイ国空軍へ引き渡されています。米国内では配備後短期間で旧式化したため1939年には退役していますが蘭印では太平洋戦域の戦いが始まる1941年12月に到っても第一線 務に就いていました。 This is the export model 166 Martin B-10 purchased by the Dutch E...
米国海軍高速輸送艦 APD-56 ロイ(チャールズ・ローレンス級)/ APD-56 "Loy"
Переглядів 3314 днів тому
米国海軍の高速輸送艦(APD)は上陸支援や対潜、レーダーピケット 務等を目的とした汎用艦艇で、旧式駆逐艦からの改装(マンリー級)と新造護衛駆逐艦の船体からの派生(チャールズ・ローレンス級とクロスレイ級)で合計126隻が就役しています。APD-56 "ロイ"は、1943年9月に就役したバックリー級護衛駆逐艦艦 DE-160 からの改装(チャールズ・ローレンス級)で1944年11月に再就役しました。その後、沖縄戦で偵察や対潜、防空 務に就いた後に大戦終結を迎え、1947年に予備役となり1966年に解体されています。 The US Navy's APDs are general-purpose vessels used for landing support, anti-submarine and radar picket missions, and a total of 126 ve...
米国海軍護衛空母 CVE-21 ブロック・アイランド(ボーグ級)1943 / USS CVE-21 "Block Island"
Переглядів 4814 днів тому
ボーグ級はC3型貨物船の船体を使用し、1942年から1944年まで合計45隻(内、34隻が英国へ貸与)が建造された護衛空母です。基準排水量で約7,800トンと航空母艦としては小型で、比較的低速でしたが、船団護衛や航空機運搬に活躍しました。CVE-21 ”ブロック・アイランド”は、そのボーグ級の1艦で1943年3月に就役し、1944年5月29日にドイツ海軍潜水艦U-549に雷撃され沈没するまでに、駆逐艦と共同でドイツ潜水艦U-220、U-801、U-1059、U-66を撃沈する戦果を挙げています。映像は就役後、米国陸軍のP-47を輸送しアイルランドのベルファストへ入港したCVE-21 ”ブロック・アイランド”です。 The Bogue class was an escort carrier built between 1942 and 1944, with a total of 45 ...
ソ連海軍嚮導駆逐艦 タシュケント / Destroyer Leader "Tashkent"
Переглядів 4414 днів тому
タシュケントは、駆逐艦隊を指揮する大型嚮導駆逐艦として1939年10月に就役しています。技術導入の一環としてイタリアのオート社リヴォルノ造船所に発注され、同型艦3隻はソ連で建造される予定でした(後にリソース等の問題から中止)。独ソ戦緒戦でオデッサやセヴァストーポリの戦いで活躍しましたが、セヴァストーポリからノヴォロシースク港へ撤収後の1942年7月2日、同港でドイツ空軍の空襲を受け沈没しています。映像はイタリアで完成後に試験を行う”タシュケント”です。 ”Tashkent” was commissioned in October 1939 as a large destroyer leader to command a destroyer fleet. As part of the introduction of technology, it was ordered from the...
イタリア陸軍 パン製造所 1935 / Italian Army Bakery 1935
Переглядів 8414 днів тому
第二次エチオピア戦争(1935年-1936年)時、後方でパンを製造するイタリア軍補給部隊です。英国やフランスの介入もなく、エチオピア軍の装備も劣悪だったため補給は順調に行われていました。 An Italian supply unit producing bread in the rear during the Second Ethiopian War (1935-1936). Supplies were smooth as there was no British or French intervention and the Ethiopian army was poorly equipped.
ソ連空軍戦闘機 ポリカルポフ I-16 / Polikarpov I-16
Переглядів 7821 день тому
ポリカルポフ I-16は、世界最初の実用的な引込脚(ワイヤー引上式)を採用した戦闘機でソ連空軍近代化の先駆けとも言える機体でした。短い機体が特徴的ですが、これはポリカルポフの持論、「戦闘機などの高速機は胴体を短くすることによって高速を得る」から来ているもので影響を受けた後のミグ設計局は、氏のこの持論から失敗を繰り返しています。諸説はありますが1933年11月から1942年までに、各型合計8644機(戦闘機型6,848機と練習機型3,444機の説もある)が作られ独ソ戦中期の1943年まで一線に留まりました。 The Polikarpov I-16 was the world's first fighter with practical retractable landing gear (wire-pulled), and was a pioneer in the modernizati...
イタリア海軍潜水艦 モロスィーニ(マルチェロ級 PART.2)/ Marcello-class submarine "Francesco Morosini"
Переглядів 3421 день тому
マルチェロ級は大西洋での作戦に従事するために建造された大型潜水艦です。"モロスィーニ"は、その1艦で1938年11月に就役しました。1940年10月から大西洋に進出し1942年8月にビスケー湾で消息不明になるまで、1941年7月14日に英国貨物船 Rupert de Larrinaga(5,358トン)、1941年7月15日に英国貨物船 Lady Somers(8,194トン)、1942年3月16日にオランダタンカー Oscilla(6,341トン)、1942年3月23日に英国タンカー Peder Bogen(9,741トン)、1942年6月30日にオランダ貨物船 Tysa(5,327トン)を撃沈する大戦果を挙げています。映像は1938年7月25日にモンファルコーネのCRDA社にて進水する"モロスィーニ"です。 ※サムネイルは同型艦 The Marcello class was a ...
1921年 シーアネスの日本海軍練習艦隊(装甲巡洋艦 八雲&出雲)/ Japanese Navy Training Squadron in Sheerness 1921
Переглядів 7021 день тому
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英国空軍戦闘機 ホーカー タイフーン MK.IA / Hawker Typhoon MK IA
Переглядів 4521 день тому
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1920年 サンフランシスコの日本海軍練習艦隊(装甲巡洋艦 八雲)/ Japanese Navy Training Squadron in San Francisco 1920
Переглядів 5828 днів тому
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スペイン陸軍軽戦車 T-26(1933年モデル) / Spanish Army Light Tank T-26
Переглядів 67Місяць тому
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米国陸軍機上用レーダー SCR-720(AI Mark X)/ Aircraft interception radar SCR-720
Переглядів 55Місяць тому
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フランス海軍軽巡洋艦 グロワール(ラ・ガリソニエール級)/ French cruiser Gloire(La Galissonnière class)
Переглядів 51Місяць тому
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英国空軍爆撃機 ショート スターリング / Short Stirling
Переглядів 50Місяць тому
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英国海軍艦隊 1939 / Royal Navy Fleet 1939
Переглядів 63Місяць тому
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イタリア空軍戦闘機 フィアット G.50 フレッチア & CR.42 ファルコ 1943 PART.3
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ドイツ陸軍 80cm列車砲 グスタフ 1945年 / 80-cm-Kanone (E) Schwerer Gustav 1945
Переглядів 862 місяці тому
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英国海軍航空母艦 HMS フォーミダブル(イラストリアス級3番艦)PART.2 / HMS Formidable(Illustrious-class)
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ドイツ陸軍の食事 東部戦線 1942 / German Army Catering Services 1942
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英国海軍潜水艦搭載水上偵察機 パーナル ペト(N255)/ Submarine-carried reconnaissance aircraft Parnall "Peto"
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日本海軍軽巡洋艦 龍田(天龍型2番艦)1932 / Japanese cruiser "Tatsuta"(Tenryū class Second ship)1932
Переглядів 752 місяці тому
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日本陸軍 十五糎臼砲 / 150 mm Mortar
Переглядів 1372 місяці тому
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КОМЕНТАРІ

  • @titanium2373
    @titanium2373 2 дні тому

    How can I get in communication with you directly

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel День тому

      Sorry. I can't contact you directly at the moment. Sorry for my poor English.

    • @titanium2373
      @titanium2373 День тому

      @@Michinokuya-Channel 二〇三高地からの情報や物がいくつかあります。あなたに送りたいです。私は昨年中国を訪問したのですが、日本にいて日本の歴史に興味がある人の助けが必要です。

  • @titanium2373
    @titanium2373 3 дні тому

    Its very interesting gun camera footage from the beginning of the jet age

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 3 дні тому

    若い頃に靖国神社の展示館でチハを見た時に(子供時代に陸自の公開でシャーマンを見たので)思ったよりも大きく違和感を感じました。 長らく違和感を引きずっていましたが数年前に旧陸軍が重戦車用の70mm砲を制式化した事を知り氷解しました。 まず、どうして70mmをチハの主砲に採用しなかったかからです(冬の満州では凍りついた村落の土塀が57mmでは貫通出来ず力不足だったとの事) 旧陸軍では装填動作を一人で行える限界が57mmで70mm以上は装填手が必要と判り砲の大口径に踏み切れなかったのではと思ったからです。 本動画の三式は砲塔径を大きくしたから可能になりましたが、最初から大口径装備だったなら史実よりも早く対戦車力のアップは可能だったと思います。 貧しく予算が限られた日本の悲しさを改めて感じました。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel 3 дні тому

      70mm砲ということは九四式七糎戦車砲でしょうか。当時、陸軍は「戦車には100発以上の砲弾を積まなくては運用に困難が伴う」として九四式七糎戦車砲では無理があり、九七式五糎七戦車砲を採用しています。基本的に砲撃相手はトーチカ陣地等でしたので徹甲弾は有ったものの対戦車は殆ど考えなくて良かったのです。三式砲戦車 ホニIIIや三式中戦車 チヌが三式七糎半戦車砲を搭載したのは、M4戦車に対抗するためとしての戦車砲の開発が間に合わないためで、これは九〇式野砲の砲架以上を殆どそのまま搭載しています。多少広義な言い方になりますが、一式四十七粍戦車砲を搭載した九七式中戦車改辺りまでは世界の趨勢に劣るモノではなかったのです。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 3 дні тому

    大戦終結後、福岡県雁ノ巣に集積された日本陸軍戦車群です。本土決戦のために配備されていた独立戦車第四旅団の戦車が主だと思われますが、三式砲戦車 ホニIII、一式中戦車 チヘ、三式中戦車 チヌ他が確認出来ます。防衛省資料を見ると、ここには映っていませんが、他に一式十糎自走砲 ホニIIや軽戦車も配備されていたようです。(参考諸元は概要欄)

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 4 дні тому

    「丸」か「世界の艦船」のどちらかでしたが、日本海軍の短見により補助駆逐艦としての水雷艇の数が揃わず活躍出来なかったとありました。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 4 дні тому

    ルドゥタブル級は1931年から1939年にかけて31隻が竣工した航洋型潜水艦です。急速潜航に要する時間が45~50秒とやや長い以外は、比較的性能も良く信頼性も高い潜水艦でした。「スファックス」は、そのルドゥタブル級の1艦で、サン=ナゼール(フランス中西部沿岸)のACLにて1936年9月に就役しています。第二次世界大戦勃発後は哨戒や船団護衛に従事し、フランス降伏後はヴィシー政権下のフランス海軍に所属していましたが、1940年12月19日に、モロッコ南西部のタルファヤ沖にてドイツ海軍潜水艦 U-37の誤射を受け沈没しました。余談ですが、「スファックス」は無線方位測定機(RDF)を搭載した数少ないフランス海軍潜水艦の一つです。(関連動画・参考諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 5 днів тому

    スピカ級は、1920年代に建造されたCurtatone級駆逐艦や水雷艇の代替の為に計画された水雷艇です。小型で居住性も悪く、対空・対潜能力は低かったもののワシントン海軍軍縮条約の適用外(当初は基準排水量が600トン以下の予定)だったため、1936年~1938年に合計32隻(内2隻はスウェーデンへ輸出)が就役しました。「ルポ」は、その1艦で1938年2月に就役しています。第二次世界大戦開戦後は地中海での哨戒・兵員輸送に従事していましたが、トリポリへの輸送船団護衛中の1942年12月2日に英国海軍駆逐艦隊と交戦し沈没しました。映像は1937年11月7日、リエカ(現クロアチア西部)の造船所にて進水する「ルポ」です。(関連動画・参考諸元は概要欄)

  • @従五位上
    @従五位上 8 днів тому

    MiGは15.17がカッコいいね

  • @黑き史
    @黑き史 8 днів тому

    ガンカメラによって撃墜判定されるのは米軍に於いて第二次世界大戦半ばには(ある程度)普及し始めたと思われるのですが...(←すみません。私自身分からないのです) それでも双方の記録を対査すると味方の撃墜報告と敵方の損失報告に乖離が見られるのは不思議では有りますね。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel 8 днів тому

      小隊単位での空戦では原則小隊長が撃墜担当で、余裕がでた場合、他の小隊機が攻撃に廻ります。但し、これは空くまで理想で、功名心の高い部下が小隊長機に構わず攻撃に廻ってしまう場合も多々ありました。要は時間をずらして同一の敵機に射撃を行い、これが元で戦果の重複も起こりやすかったようですし、煙を噴いて離脱する敵機が撃墜認定される場合も。ガンカメラも万能では無かったのです。まあ、いってしまえば、米軍、日本陸海軍に拘わらず誤認や誇大戦果で実際の5倍10倍に膨れあがることも多かったのですが・・・。この辺りは、大日本絵画の「○○のエース」シリーズが検証してくれていることも多いのでお勧めです。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 8 днів тому

    殆ど、F86のガンカメラによる撮影だと思われます。比較的低空を苦手としていたMig15ですが幾つかの映像から見ても、F86に追い込まれ低空で撃墜されるシーンがあります。勝負を決めたのはパイロットの質(米空軍には第二次世界大戦に参加していたパイロットが多く居た)と、戦術、火器管制装置やGスーツ等の装備でした。しかし、損失比率は大きい方で4:1、少ない方で2:1と言われていて、中国人民解放軍義勇軍(ロシア人パイロットも含む)や北朝鮮空軍パイロット(北朝鮮のマークを付けたMig15は1953年3月頃)もそれなりに勇戦したようです。

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 9 днів тому

    シルバーサイズはかなりの戦果=日本の被害を上げた艦だったと記憶します。 悔しいものです。 確か神戸の海事記念館(博物館だったか?)に資料が取り纏められています。

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 9 днів тому

    あの大型機が悠然と旋回する様は何とも言えません。 時代が違えば是非見に行きたいものです。

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 9 днів тому

    間違えているかも知れませんがイリヤムローメツと呼ばれた機体でしょうか? 一連のソ連重爆は帝国陸軍の悩みの種になったと聞きますが、海軍の空母戦力が整ってきても、あくまで海軍の主敵は米海軍で陸軍と共同で沿海州から攻撃する構想は聞いた事がありません。

  • @titanium2373
    @titanium2373 10 днів тому

    Thank you for the upload. Extremely rare footage. I am very interested in this topic and this is one of the only videos I have ever seen of it firing. It's quite difficult to find video footage from this war.

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 11 днів тому

    イタリアの戦時急造計画の一環で復活した600トン型近海用中型潜水艦。比較的成功作で、所謂「プラチナ」クラスと言われた潜水艦です(艦名が全て鉱石や金属名の為)。1941年後半から1942年中盤までに13隻が竣工しています。(諸元・略歴は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 13 днів тому

    1943年10月24日、マヌス島沖で米海軍潜水艦”シルバーサイズ ”に撃沈される浄宝縷丸です。浄宝縷丸はオ006船団に付属し、ラバウルからパラオに向かう最中に”シルバーサイズ ”の攻撃を受けています。日本側詳報では「米潜水艦から魚雷攻撃を受け1本が命中。航行不能に成り、最終的に乗員退艦後、護衛の駆潜艇 第24号の砲撃により処分された」と成っていますが、実際はその後も映像のように浮いており、”シルバーサイズ ”の砲雷撃で撃沈されたようです。想像するに輸送船団が壊滅状態に成ったため、護衛の駆潜艇第22号・24号は敵潜水艦の再攻撃を警戒し乗員救出後、浄宝縷丸沈没を確認せず、早々に撤収したと思われます。(諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 14 днів тому

    ツポレフ ANT-20(概要欄URL)の2号機で改良型です。外見で分かりますが翼部エンジンが強化されたため、胴体上部の2つのエンジンが無くなり計画本来の姿となっています。2号機は1938年に初飛行し、こちらはモスクワ ~ ハリコフ間等の定期便として就航しました。しかし、1942年12月14日、タシケント付近で不時着し大破、廃棄されています。その後、新たに18機前後の生産が指示されますが戦争等の理由のため実行されていません。他に最大12tの爆弾を積める爆撃機型の計画もあったと言われます。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 14 днів тому

    1934年5月19日 に初飛行した当時世界最大の航空機で、ソ連航空技術の宣伝の為に製造されています。当初は6発機の予定でしたが馬力が足りず、機体上部に2発増設し合計8発機となりました。一応、タイトルでは”ソ連空軍貨客機”としていますが、基本的に実際の運用は空軍、運用指示はソビエト共産党が行い、目的は僻地での党宣伝活動用で、空軍搭乗員以外は党の宣伝員が搭乗、放送設備・撮影設備・映写設備・印刷設備が搭載されていました。また、長期滞在のために寝台や簡素ながら食堂や通信設備もありました(バーがあったという話もありますが多少誇張のようです)。生産機数はANT-20が1機、改良型のANT-20bisが1機の合計2機で、双方とも事故で失われています。(諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 15 днів тому

    オランダ領東インド空軍が米国より購入したマーティン B-10の輸出仕様 モデル166 です。蘭印が受け取った機体は139WH-3および139WH-3Aと呼ばれ、前者はエンジンにライト R-1820-G5(900HP)を搭載、後者は同R-1820-G-105A(1,000HP)を搭載していて、139WH-3が40機、139WH-3Aが42機の合計82機が引き渡されました(他に40機程度の購入有り)。このうち9機は1942年オランダ領東インドを占領した日本軍により鹵獲され、タイ国空軍へ引き渡されています。米国内では配備後短期間で旧式化したため1939年には退役していますが蘭印では太平洋戦域の戦いが始まる1941年12月に到っても第一線任務に就いていました。 (参考諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 18 днів тому

    米国海軍の高速輸送艦(APD)は上陸支援や対潜、レーダーピケット任務等を目的とした汎用艦艇で、旧式駆逐艦からの改装(マンリー級)と新造護衛駆逐艦の船体からの派生(チャールズ・ローレンス級とクロスレイ級)で合計126隻が就役しています。APD-56 "ロイ"は、1943年9月に就役したバックリー級護衛駆逐艦艦 DE-160 からの改装(チャールズ・ローレンス級)で1944年11月に再就役しました。その後、沖縄戦で偵察や対潜、防空任務に就いた後に大戦終結を迎え、1947年に予備役となり1966年に解体されています。(関連動画・参考諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 19 днів тому

    ボーグ級はC3型貨物船の船体を使用し、1942年から1944年まで合計45隻(内、34隻が英国へ貸与)が建造された護衛空母です。基準排水量で約7,800トンと航空母艦としては小型で、比較的低速でしたが、船団護衛や航空機運搬に活躍しました。CVE-21 ”ブロック・アイランド”は、そのボーグ級の1艦で1943年3月に就役し、1944年5月29日にドイツ海軍潜水艦U-549に雷撃され沈没するまでに、駆逐艦と共同でドイツ潜水艦U-220、U-801、U-1059、U-66を撃沈する戦果を挙げています。映像は就役後、米国陸軍のP-47を輸送しアイルランドのベルファストへ入港したCVE-21 ”ブロック・アイランド”です。(参考諸元・関連動画は概要欄)

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 20 днів тому

    何時如何なる時でも食は重要ですね。

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 20 днів тому

    武装は兎も角スピード性能では島風も及ばなかったと聞きます。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 20 днів тому

    タシュケントは、駆逐艦隊を指揮する大型嚮導駆逐艦として1939年10月に就役しています。技術導入の一環としてイタリアのオート社リヴォルノ造船所に発注され、同型艦3隻はソ連で建造される予定でした(後にリソース等の問題から中止)。独ソ戦緒戦でオデッサやセヴァストーポリの戦いで活躍しましたが、セヴァストーポリからノヴォロシースク港へ撤収後の1942年7月2日、同港でドイツ空軍の空襲を受け沈没しています。映像はイタリアで完成後に試験を行う”タシュケント”です。(諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 20 днів тому

    第二次エチオピア戦争(1935年-1936年)時、後方でパンを製造するイタリア軍補給部隊です。英国やフランスの介入もなく、エチオピア軍の装備も劣悪だったため補給は順調に行われていました。

  • @西村尚人-k6m
    @西村尚人-k6m 21 день тому

    結構手作り感がある工程なのですね…

  • @猫大好き-c9g
    @猫大好き-c9g 22 дні тому

    サムネの写真は有名ですが水平飛行している機体は誰の機体で、凸撃している機体は誰の機体何でしょうか?

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel 22 дні тому

      降下している九九艦爆は第一次攻撃隊の瑞鶴艦爆隊の佐藤兵曹長機もしくは坂本明大尉機(多分、前者が正解)、雷撃後待避中の九七艦攻は不明のようです。

  • @黑き史
    @黑き史 23 дні тому

    映像では軽快に飛行しているけど、急激な旋回をすると「水平スピン」に陥りそうな機体ですね。 飛行機とは関係無い話ですが...此の頃(「独ソ戦」突入前)の赤軍制服は─トラウザーズと長靴は格好良いのだけど─ちょっと「野暮ったい」感じですね。 「独ソ戦」に突入以降、士気高揚のために「帝政ロシア軍」時代の制服に寄せて「肩章」がド派手になったようですが。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel 22 дні тому

      翼の上反角がほぼゼロなのと、胴体が極端に短い割に直径が大きいエンジンですので素人目に見ても安定はしなかったでしょうね。胴体を少し延長して、主翼の途中から少し上反角を設ければもうちょっと安定したかなーと思う(素人目)のですが・・・

  • @従五位上
    @従五位上 23 дні тому

    仇名はハエの方が似合ってる

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 23 дні тому

    ポリカルポフ I-16は、世界最初の実用的な引込脚(ワイヤー引上式)を採用した戦闘機でソ連空軍近代化の先駆けとも言える機体でした。短い機体が特徴的ですが、これはポリカルポフの持論、「戦闘機などの高速機は胴体を短くすることによって高速を得る」から来ているもので影響を受けた後のミグ設計局は、氏のこの持論から失敗を繰り返しています。諸説はありますが1933年11月から1942年までに、各型合計8644機(戦闘機型6,848機と練習機型3,444機の説もある)が作られ独ソ戦中期の1943年まで一線に留まりました。(型式・参考諸元は概要欄)

  • @従五位上
    @従五位上 23 дні тому

    イタリアは欧州の国々の中では結構な海軍力を持ってそうだね

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel 23 дні тому

      第二次世界大戦以前は世界5位の海軍国でした。

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 23 дні тому

    イタリア潜水艦がドイツに比べて活躍しなかった原因に艦の性能と聞いた事がありますが、それほど低性能に感じなく疑問があります。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel 23 дні тому

      カタログスペック上は悪くは無いのですが、ドイツの航洋型Uボートより劣ったようです。その為、ドイツではUボートのイタリアへの供与と引き替えにイタリア海軍の大型潜水艦の輸送潜水艦への改造を提案、受理され日本勢力圏から稀少資源を運ぶために従事しています。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 24 дні тому

    マルチェロ級は大西洋での作戦に従事するために建造された大型潜水艦です。"モロスィーニ"は、その1艦で1938年11月に就役しました。1940年10月から大西洋に進出し1942年8月にビスケー湾で消息不明になるまで、1941年7月14日に英国貨物船 Rupert de Larrinaga(5,358トン)、1941年7月15日に英国貨物船 Lady Somers(8,194トン)、1942年3月16日にオランダタンカー Oscilla(6,341トン)、1942年3月23日に英国タンカー Peder Bogen(9,741トン)、1942年6月30日にオランダ貨物船 Tysa(5,327トン)を撃沈する大戦果を挙げています。映像は1938年7月25日にモンファルコーネのCRDA社にて進水する"モロスィーニ"です。(関連動画・諸元は概要欄)

  • @猫の手kkk
    @猫の手kkk 25 днів тому

    欠陥機でしょう。 エンジンを起動してコックピットに煙が流れ出した瞬間に脱出しないと焼死したり、マーケットガーデン作戦ではダイブした途端に空中分解した機体がもくしされていたり。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 26 днів тому

    1921年、英国ケント州のシーアネス(イングランド南東部)に到着した、斎藤半六司令官(映像の0:25-の人物/兵学校17期/最終階級は中将/1869-1952)率いる日本海軍練習艦隊の装甲巡洋艦 八雲(河合退蔵 大佐)と出雲(植村信男 大佐)です。(関連動画・諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 27 днів тому

    ホーカー タイフーンは、同社のハリケーン(概要欄URL)に変わる迎撃戦闘機として1940年2月に初飛行しています。1941年9月より運用が開始されましたが、上昇力の悪さや機体の構造上の欠陥、エンジンの排熱・排気の問題から完全な実働体勢に到ったのは1942年後半からで、その頃には迎撃戦闘機としての重要性が薄れたため戦闘爆撃機として使われました。生産はグロスター社によって行われ、1941年-1945年に合計3,317機が造られています。映像は最初期型のMK.IAで、翼内にブローニング 7.7 mm 機関銃12挺を装備していました。(関連動画・参考諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel 28 днів тому

    八雲は、1900年6月に就役した装甲巡洋艦でドイツのバルカン・シュテッティン社の造船所(現ポーランドのシュチェチン)で建造されています。日露戦争や第一次世界大戦で活躍後、練習艦として活動しました。第二次世界大戦時も健在でしたが老朽艦だったため、殆ど内海に停泊し練習艦として使われ、戦後は復員輸送船として活躍しています。映像は、1920年に練習艦としてカリフォルニア州サンフランシスコに入港する八雲で、0:17~に映っている色黒で笑顔の日本海軍士官は宇佐川知義(当時は大佐/兵学校26期/最終階級 少将/1877-1950) 艦長です。

  • @popakuaku3473
    @popakuaku3473 Місяць тому

    あれっ、パラシュートはバックパックだよ! 進んでいたんだ。伊軍機は性能も悪くないとのことだけど、なんせ数がそろわなんだのでじり貧だったそうだ。生産性がどこか職人のハンドメイドっぽく、今のクルマもそんな感じ。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel Місяць тому

      量産性に関しては日本も余り褒められたものでは無く、零戦の月産生産数が60機を越えたのは1941年12月以降、100機を越えたのは1942年8月以降となっており、それ以前は30機ですとか少量生産時期が長いです。端的な例ですが、ミッドウェー海戦では搭乗員の損失も少数でも痛かったのですが、70機以上に及ぶ零戦の損失も可成り痛かったようですね。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel Місяць тому

    T-26はヴィッカース 6t戦車を基礎として1930年より開発され、1931年より生産に入ったソ連の軽戦車です。1941年までに派生型を含め11,368輌が生産されていますが、その内281輌が1936年~1938年にスペイン内戦中の共和派軍(Republicans)へ供与されました。内戦での最も強力な戦車で、対する反乱軍(フランコ側)は、この戦車の鹵獲に関して懸賞金を出すほどだったと言われています。内戦後、残存車輌(150輌前後)はフランコ政権下のスペイン陸軍で1950年代まで運用されました。(諸元は概要欄)

  • @フロムフロム
    @フロムフロム Місяць тому

    レーダーと言うとアンテナとブラウン管が目立ちますがデータ表示の為の解析装置(この言い方が正しいかは判りませんが)も重要と思います。 デジタル以前のアナログにしても日本ではセルシンモーターを用いたと聞きますが浅学で原理や構造が判りません。 また英米や独伊はどの様なものを用いたのかご存知の方、ご教示頂ければ幸いです。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel Місяць тому

      表示方式は大戦終結時に到っても日本海軍の場合は八木・宇田アンテナでAスコープで波形合致による位置表示、米英の場合はパラボラを使った画面上に点を表示するPPI方式を実用化していました。PPIに関しては日本は1944年に漸く実験が始まった辺り。大凡ですが、よく言われる「欧米に比べて4~5年程度の遅れ」は的を射た言い方だと思われます。

  • @勝博坂根
    @勝博坂根 Місяць тому

    私は特科部隊です、203ミリ榴弾砲です、破壊力は凄まじいものです、28センチ榴弾砲を旅順要塞攻撃に最初に投入されないのか、疑問です、無謀な肉弾攻撃でどれだけの兵士が戦死されたのか?児玉源太郎大将が作戦指揮にあたり、重砲の投入し、旅順要塞をことごとく破壊しました、軍の骨幹は重砲に有ます

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel Місяць тому

      最初に二十八糎榴弾砲が投入されなかった理由は色々有ると思いますが、日本軍に対要塞戦の経験がほぼ無かった事や、二十八糎榴弾砲は元々日本沿岸を守備する要塞に配備された対艦攻撃用の火砲だった事、前半戦の目的が二〇三高地確保以外は事実上達成していたためだったと思われます。但し、当然ながら他にも多々理由があった事でしょう。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel Місяць тому

    SCR-720(英国名:AI Mark X)は、P-61夜間戦闘機(概要欄URL)や英国空軍のデ・ハビランド モスキート NF Mk.30 夜間戦闘機型等に搭載されたセンチメートル波のレーダーです。これ以前に同等の性能のSCR-520(108基生産)が採用されていますが、これはシステム重量が270kgと重すぎ双発戦闘機に搭載するのに無理があったため、より軽量化(187kg)されたSCR-720が1944年より生産されました。

  • @フロムフロム
    @フロムフロム Місяць тому

    ランカスターが揃うまでは重要な機体だったと思います。 それにしても英国の7.7mm好きには執念でもあるのかと思います。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel Місяць тому

      本機は、ハンドレページ ハリファックス、アブロ ランカスターと共に英国爆撃機3本柱でしたが、説明の通り早々に別用途に使われています。小口径多銃は英国爆撃機によく見られる装備方法で、時間単位での発射弾重量増加と、敵機を撃墜できなくても射撃軸線から外す目的で採用されています。

  • @フロムフロム
    @フロムフロム Місяць тому

    浅学で恥ずかしいのですが本動画を拝見するまで米国艦だと思い込んでいました。

  • @Haruo_Mukai
    @Haruo_Mukai Місяць тому

    今の若者の10倍は生き生きしていますね。

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel Місяць тому

    ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦は前型エミール・ベルタン級の拡大改良型で戦艦ダンケルク級に随伴し、通商破壊戦や、敵の通商破壊戦から味方船団を護衛するために計画された軽巡洋艦です。6隻が建造され、内3隻が1942年11月27日のドイツ軍進駐に伴いツーロン港で自沈しています。グロワールは生き残った3隻の内の1隻で1943年1月に自由フランス海軍に配属後、米国で改修を受けていますが映像はその時の状況です。このあと連合軍側としてアンツィオ上陸作戦等に参加、戦後の1955年2月1日予備役になり、1958年1月2日に解体されました。ちなみに変わった迷彩がされていますが、これはダズル迷彩塗装と言って、敵機の照準や敵艦の光学照準を欺く(速度・方向や艦の大きさ)ものでした。 (参考諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel Місяць тому

    英国空軍四発重爆撃機三本柱の一つです。当初、英国空軍自体は双発重爆撃機の方に熱心だったのですが世情を鑑み、3社(アブロ、ショート、ハンドレページ)に四発重爆撃機の開発を命じました。ショート社に関しては飛行艇専業ながら「四発機の開発経験が有る」と言う事からだったようです。時間短縮の為にサンダーランド飛行艇の翼構造を殆どそのまま採用し主脚も長大に、また爆弾倉もその構造から胴体と翼に分散されるなど他のライバル機と多少異なっています。2,371機(もしくは2,383機)が生産されましたが、ブリストル・ヘラクレス エンジンの高高度性能不足や、上記した爆弾搭載方法のせいで大型爆弾搭載の不備、離着陸時の飛行特性の悪さなどから1944年には爆撃任務から外れ、曳航機や輸送任務等で使われています。(参考諸元は概要欄)

  • @Michinokuya-Channel
    @Michinokuya-Channel Місяць тому

    タイトルの通り、第二次世界大戦開戦の年の英国海軍艦隊の様子です。戦艦「バーラム」(クイーン・エリザベス級3番艦)、「ウォースパイト」(クイーン・エリザベス級2番艦)、「マラヤ」(クイーン・エリザベス級5番艦)、「ロイヤル・サブリン」(リヴェンジ級戦艦)、「ロドニー」(ネルソン級2番艦)、航空母艦「アークロイヤル」等が映っていますが、未だ艦載機が全て複葉機なのは、太平洋とは異なり敵性国家が艦載航空兵力を持っていなかった1930年代当時のヨーロッパ独特の事情に寄ります。

  • @黑き史
    @黑き史 Місяць тому

    同時期に開発されたマッキMC200もそうでしたが、G50は「水平スピン」に悩まされたため活動は低調になってしまい、窮余の対策として旧式のCR.42が引っ張り出されたと云われてます。何となく胴体の形状から「水平スピン」に陥り易い感じですね。その後イタリアの各種主力戦闘機はドイツDBエンジンに換装に合わせて胴体形状をスッキリとスマートに延長したことで「水平スピン」を克服したようです。

    • @Michinokuya-Channel
      @Michinokuya-Channel Місяць тому

      MC200を初めて装備した部隊が、運動性が悪くなったとの理由からCR42を再配備したと言う例もあったようです。不意自転に関しては明らかに翼の問題でしたが殆ど改修されずにそのままでした。しかし、休戦間近の1943年初夏に到っても、第一線部隊にG50やCR42が残っていること自体驚きです。