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四国ねっとTV
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四国の色々な事や場所について、動画記録として残す事と合わせて情報発信しようとするチャンネルです。
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坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅦ・後編(韮ケ峠(梼原町)~韮ケ峠(梼原町)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。
この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。
【其の7・後編】では、茶や谷(梼原町)から韮ケ峠(梼原町)まで辿って行きます。
この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。
【其の7・後編】では、茶や谷(梼原町)から韮ケ峠(梼原町)まで辿って行きます。
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坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅦ・前編(宮野々(梼原町)~茶や谷(梼原町)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
Переглядів 9194 місяці тому
文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。 この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。 【其の7前編】では、宮野々(梼原町)から茶や谷(梼原町)まで辿って行きます。
坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅥ(神在居(梼原町)~宮野々(梼原町)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
Переглядів 1,4 тис.4 місяці тому
文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。 この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。 【其の6】では、神在居(梼原町)から宮野々(梼原町)まで辿って行きます。
坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅤ(船戸(津野町)~神在居(梼原町)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
Переглядів 1,6 тис.4 місяці тому
文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。 この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。 【其のⅤ】では、船戸(津野町)から神在居(梼原町)まで辿って行きます。
坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅣ(貝ノ川(津野町・旧葉山村)~船戸(津野町・旧東津野村)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
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文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。 この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。 【其のⅣ】では、貝ノ川(津野町・旧葉山村)から船戸(津野町・旧東津野村)まで辿って行きます。
坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅢ(朽木峠入口(佐川町)~貝ノ川(津野町・旧葉山村)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
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文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。 【其のⅢ】では、朽木峠入口(佐川町)~貝ノ川(津野町・旧葉山村)まで辿って行きます。
坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅡ猿田(日高村)~朽木峠入口(佐川町)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
Переглядів 2,5 тис.6 місяців тому
文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。 【其のⅡ】では、猿田洞(日高村)から朽木峠入口(佐川町)まで辿って行きます。
天下の奇祭!「大杯飲み干し大会」【第67回土佐赤岡どろめまつり】Sake Big Drinking Contest
Переглядів 9146 місяців тому
男は一升 女は五合の日本酒を一気に飲み干す「大杯飲み干し大会」という天下の奇祭が高知県香南市赤岡にあります。今年で67回目を数えるこの大会に男女20名が参加しました。並々と注がれたお酒を、果たして何秒で飲み干すのか…!とくとご覧ください。 ただし…決して真似はしないでください!
坂本龍馬 脱藩の道を辿る【其のⅠ桂浜・柴巻・和霊神社~日高村(猿田洞)】Ryoma Sakamoto follows the path of leaving the domain
Переглядів 2,4 тис.6 місяців тому
文久二年、坂本龍馬は同志澤村惣之丞と共に土佐(高知)を出奔し、梼原町の韮ケ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩した。そして更に伊予の国・長浜から長州(山口県)へと到達します。 この動画は、土佐(高知)から韮ケ峠までの脱藩の道を辿る動画です。 【其のⅠ】では、高知市から日高村(猿田洞)まで辿って行きます。
幕末・土佐・偉人【中岡慎太郎・ジョン万次郎の生家】【Visit the birthplace of Shintaro Nakaoka and John Manjiro】
Переглядів 4,6 тис.8 місяців тому
幕末のヒーロー中岡慎太郎とジョン万次郎の生家を訪ねます。 室戸岬や足摺岬・叶崎海岸など風光明媚な風景も楽しめます。また「しめ殺しの木」と言われるアコウの木などもご紹介!お楽しみください。
幕末・土佐・偉人【土佐勤王党・武市半平太 岡田以蔵 清岡道之助に迫る】
Переглядів 7 тис.8 місяців тому
幕末…土佐では、開国・公武合体論を掲げる土佐藩と、尊王攘夷論を掲げる土佐勤王党の対立があった。その中で、土佐勤王の志士・武市半平太、岡田以蔵、清岡道之助らは、悲運の道を辿った。今回はこの三人の勤王の志士に迫ってみました。
幕末・土佐・偉人【幕末の舞台となった高知城と日曜市を観る】【 See the Sunday market and Kochi Castle 】
Переглядів 3,1 тис.9 місяців тому
幕末…浦賀へ来航した黒船によって、日本は264年の眠りから覚めた。 それは土佐にあっても「激動の時代」を迎える事となった。 日本は変わらなければならない!日本を変えなければならない! そうした機運の中で、時に人が争い… 時には人を暗殺し… 時に人が切腹をする…そんな殺伐とした土佐国でしたが… 一方で多くの偉人をも輩出した。 激動の時代… それは土佐人の血が騒ぐ… そんな時代背景だったのかも知れません…。今回は幕末、そして明治維新の舞台であった土佐藩・高知城に行ってみました。
幕末・土佐・偉人【龍馬が生まれたまち 才谷集落 井口村刃傷事件・坂本家墓所】【 Bakumatsu/Tosa/Great Men 】
Переглядів 4,2 тис.9 місяців тому
幕末の偉人・坂本龍馬の生誕地・龍馬の生まれたまち記念館・南国市の才谷集落・井口村刃傷事件現場・坂本家墓所などなど坂本龍馬のゆかりの地など紹介します。
~山峡の集落を歩く~ 愛媛県旧大保木村東之川【 石垣群 そして夢の跡 】
Переглядів 7 тис.10 місяців тому
~山峡の集落を歩く~ 愛媛県旧大保木村東之川【 石垣群 そして#夢の跡 】~Walking through a village in a mountain gorge~ Higashinokawa, former Ohuki Village, Ehime Prefecture [Ishigaki group and traces of dreams] 愛媛県西条市の旧大保木村東之川集落、三度目の探訪です。 残る石垣群は圧巻…。そして住民の夢の跡が残ります。
~山峡の集落を歩く~ 愛媛県旧大保木村東之川【 集落跡・おたるの滝 】
Переглядів 8 тис.11 місяців тому
愛媛県西条市の旧大保木村東之川集落を訪ねました。 石垣が残る集落跡には廃屋があり、おたるの滝が落ちていました。
西条祭り2023【 第3部 玉津~加茂川・川入り 】【Saijo Festival 2023 Part 3 Tamatsu - Kamogawa/Kawairi】
Переглядів 10 тис.Рік тому
西条祭り2023【 第3部 玉津~加茂川・川入り 】【Saijo Festival 2023 Part 3 Tamatsu - Kamogawa/Kawairi】
西条祭り2023【 第2部 御殿前~玉津 】【Saijo Festival 2023 Part 2 Gotenmae - Tamatsu】
Переглядів 16 тис.Рік тому
西条祭り2023【 第2部 御殿前~玉津 】【Saijo Festival 2023 Part 2 Gotenmae - Tamatsu】
西条祭り2023【 第1部 お旅所~御殿前 】【Saijo Festival 2023 Part One Otabidokoro - Gotenmae】
Переглядів 26 тис.Рік тому
西条祭り2023【 第1部 お旅所~御殿前 】【Saijo Festival 2023 Part One Otabidokoro - Gotenmae】
高知県室戸市佐喜浜【 佐喜浜俄(にわか) 】【Sakihama, Muroto City, Kochi Prefecture Sakihama Niwaka】
Переглядів 2,5 тис.Рік тому
高知県室戸市佐喜浜【 佐喜浜俄(にわか) 】【Sakihama, Muroto City, Kochi Prefecture Sakihama Niwaka】
~山峡の集落を歩く~ 愛媛県旧石鎚村【 村民ゼロとなりにけり 】【~Walk through the mountain village~ 】
Переглядів 93 тис.Рік тому
~山峡の集落を歩く~ 愛媛県旧石鎚村【 村民ゼロとなりにけり 】【~Walk through the mountain village~ 】
~山峡の集落を歩く~ 愛媛県西条市【 西条市・西条祭り・四国八十八か所・大保木小学校・大保木・三碧狭 】
Переглядів 17 тис.Рік тому
~山峡の集落を歩く~ 愛媛県西条市【 西条市・西条祭り・四国八十八か所・大保木小学校・大保木・三碧狭 】
~山峡の集落を歩く~ 徳島県三好市【 名頃 かかし・二重かづら橋 】【~Walk through the mountain village~】
Переглядів 12 тис.Рік тому
~山峡の集落を歩く~ 徳島県三好市【 名頃 かかし・二重かづら橋 】【~Walk through the mountain village~】
~山峡の集落を歩く~ 徳島県三好市【 東祖谷・菅生集落 小彩家住宅 】【~Walk through the mountain village~】
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~山峡の集落を歩く~ 徳島県三好市【 東祖谷・菅生集落 小彩家住宅 】【~Walk through the mountain village~】
~山峡の集落を歩く~ 徳島県三好市【 東祖谷・木村家住宅 久保集落 】【~Walk through the mountain village~】
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~山峡の集落を歩く~ 徳島県三好市【 東祖谷・木村家住宅 久保集落 】【~Walk through the mountain village~】
古街の町並みを歩く 高知県・佐川町上町【 Walk the streets of the old town Uemachi, Sagawa Town, Kochi Prefecture】
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古街の町並みを歩く 高知県・佐川町上町【 Walk the streets of the old town Uemachi, Sagawa Town, Kochi Prefecture】
祖父が芋穴小学校の教員をしてました。
続さん 元気ですか名頃の風景を懐かしく拝見してます
ひろめ市場の近くに長宗我部というお店があってびっくりしましたw
中岡慎太郎の生家へ行けば、過去に龍馬も演じ大河ドラマで中岡慎太郎を演じた上川隆也さんお手植えの木も見て下さい。😊 土佐幕末志士が縁で、北川村に戻ってきましたと植樹していきました。 因みに記念館の館長さんはとても愉快な方です。(笑) 家だけでなくて、ここまで来たら彼が亡くなる前に遺髪として妻に送った遺髪墓も参って欲しかった。😔 兼さんはここでひとりで彼を待ちわびて、峠を越える後ろ姿に祈ったと言います。 龍馬の遺品も墓も何も無い土佐ですが、唯一龍馬と共にいた彼の遺髪が、妻の隣で眠ります。 毎年命日には墓前祭も行われています。 記念館の側の脇の道を、山手に登れば小さい門があってその左側奥にありますよ。 中浜万次郎の物語は、私の時代中学の英語の教科書で習いました。昭和の時代NHKの総合夕方のドラマ枠で、彼の物語を連続ドラマで見た記憶もあります。当時は知名度も薄くて、ほとんど覚えてる人はいないでしょう。😅 龍馬伝後には、ミュージカルの舞台にもなりました。(笑)彼等が流された鳥島には、実は多くの日本人が流されていて、土佐の人間は万次郎達だけではなかった他の土佐人もいたんですよ。 大阪とかいろんな地域の人も流され辿り着き、次に来るかもしれない人の為にと、島で生活した時の道具を残して立ち去ったと聞くこともありました。 アホウドリが生息していたことは、彼らにとってラッキーでしたね。😅 アメリカに渡ってその勤勉さで語学堪能となり、祖国への想いが募った頃…お金を稼ぐためにゴールドラッシュで湧く地に移り金を貯めてそれで船を買い一路日本へ、でも鎖国ゆえに素直に入国とはいかず…、一度上海そして苦労して鹿児島に入り長崎江戸と、各地で数日間の取り調べなどを受けながら祖国に帰り着いたのが、随分と遅くなった理由でもあります。 最近では朝ドラ「らんまん」の中にも、少しだけ登場しましたね。😊 帰国後は幕府の為に働いたりと、なかなか波乱万丈な人生でした。 人の人生とは、なかなか面白いものです。目に見えない何かに導かれて、とんでもない方向へと向かうこともある。 どこもそうだが、地元の人が地元の歴史人の事を一番知らない。それが残念でなりません。 でも過去…私もそのひとりでしたけどね。(笑) たった150年〜160年前のお話です。今で言えば、祖父母かその親の世代のつい最近ですよ。(笑)
丁度大河ドラマ「龍馬伝」の前の年…、その年の大河ドラマの舞台を旅していて、新潟県の寺泊という小さな港町に行った時、駅に置かれた最後の一冊の観光案内の中に、土佐勤王党そして武市半平太と岡田以蔵の名前を目にしました。何故寺泊で? 実は以蔵が初めて手にかけた相手の故郷だったのです。 こんな小さな町からも、都を目指し未来を変えようとした若者がいた。 幕末は、長く続いた武士の世を幕府に対する不満を、変えなければと思う志の人々が沢山いたのです。 山口県防府市のとある小高い山の中にも、土佐勤王党37番目の方のお墓があります。 名前はなくて、ただ国の名前が記されてるだけ。 この方は、中岡慎太郎と仲が良くて、防府にあった国を変えよう世を変えようとした人々が集まり、学問や武芸を学んだ学問所でも、慎太郎達と一緒でした。 土佐を脱藩して後、龍馬も大洲の港から防府近くの港に辿り着き、そして慎太郎らもやってきます。 防府天満宮のそばには、彼等が集い密かに話し合いをした隠れ部屋とも言われる建物が残されています。 一般には入れないのですが、移築されて再建されたそこには、龍馬や慎太郎等当時の有名どころの名前が記されています。 勝海舟と行動していた頃、馬関戦争を止めなければと神戸より大分そして長崎へと旅した二人の足跡の場所も、大分では佐賀関の寺に宿泊…阿蘇地方の峠越え…そして熊本城の側で宿泊した場所。この往復をしたとの肥後街道豊後街道での場所も今も偲ぶことができます。 清岡さんらが集ったという野根山街道…、私も行きましたが田野からだと車でもけっこうな距離。 昔の人は、強い信念に突き動かされると物凄い原動力で突き進んだのだと感心します。 以蔵の墓は、大河ドラマの放送前に、草に埋もれるようなものを発見して家族の元に置かれたと聞きました。 彼を産んだ母親の墓はそこにはありません。 時代でしょうね。 彼の払拭できないイメージの為、この世に産み落としたとした責任を問われたのでしようか…、大河より数年後心優しい人が、身分が低すぎて草履も履けなかったとした以蔵のために、白いスニーカーをそっとそばに置いて帰ったことがあった。その後ケースに入れられて、暫くはそこに説明をつけて置かれていました。 私は彼等土佐者の足跡を訪ねて旅をするのですが、故郷土佐の事を大河ドラマの頃までさほど気にもとめなかったことが悔しく思えました。😐 以蔵達が入れられていたとした山田橋たもとの獄舎の一部が、今も高知市のくんてきさんとして染みを込めて呼ばれる神社の一角に移築されています。 そこには誰が入っていたかはわかりませんが、土佐勤王党の者たちも関わった獄舎の一部です。 なかなかしっかりとした造りで、やはりけっこう狭そう… もし、彼らを偲びたいのならば、そちらの方も訪ねてみてはいかがでしょう。獄舎は外側からしか見ることはできませんが、偲ぶことはできると思いますよ。
過去動画検索中です。😊 大栃物部の民です。 久保小学校は、多分うちの父親も卒業生。中学がなかったんで、私の世代の子供達は小学校卒となると、大栃中学に入ってきました。 大栃には周辺の山間部の集落からの子供のために、まかないなどもしてくれる寮の管理者がいる。小中学生の為の寮が当時ありました。 今はもう随分昔に無くなりましたが、久保影のまだ奥地にあった集落の女の子2人とも男子1人が、中学の時に同級生となりました。 この学校…廃校になってからは、いつからかわかりませんが、うちの父方の親戚のおばさんが管理をされてました。 その人の家は多分うろ覚えですが、学校に下る道の上にあったかと… ベージュの校舎と言ってるけど、私が見た頃は薄いピンク色だった。 大栃小学校も中学も、私の世代はまだ木造校舎だったので、久保小学校の内部の風景は懐かしいですね。😊 因みに私の戸籍上の本籍地は久保影の父親の実家になってますが、実際はそこで生まれたのでも暮らしたこともなくて、なんだか変な気分です。(笑)😅 大栃小学校の建て直しの時には、夏休みにも木造校舎からの荷物の運び出しに駆り出されました。中学の時はまだ建て直す前だったんですけどね。 我々子供が嬉しかったことがあります。(笑) 台風とか…特に当時はまだ雪がけっこう降ったりしたので、そうゆう時は交通が大変だとして、町から通う先生や寮に入らなくてもいい距離感のバスやスクールバスで通学できた子らのため。 朝のテレビ番組の中で今日は大雪の為〇〇小学校中学校は臨時休校ですとしたお知らせが入ることが実は楽しみだったんですよ。(笑) 林間学校で物部の川へキャンプしに行った時にも、岡ノ内の近くの川だったか? 既に姿を消した学校があると聞いて、そこに勤めたことがあったと先生の話で、そこに伝わっていた怪談話を聞いて肝試し大会をやったことも…😅 無機質なコンクリートの建物もいいですが、私には木造校舎でしか味わえなかった思い出があり、こうゆう姿を見るとノスタルジーに浸れます。😊 因みに出てきた集合写真は、多分大栃中学校へ入る時の制服を着て参加した。卒業式の集合写真だと思いますよ。 私服の子らも参加したのでしょう。 久保小学校に多い時で百人超えの生徒!? あの規模の教室で、ぎゅうぎゅう詰めじゃなかったかと想像してしまいました。(笑)
以前父方の実家のある久保影地区にコメントした大栃の民です。😅とわいえ…現在は実家を離れて遠くにひとり住んでんですが、又々偶然この動画が出てきて、私が住んでいた大栃は、田舎とは言え子供の頃は田舎の都会だったのかなと…(笑) 楮佐古にも同級生がいました。神池にも…そして他にも…、ですが大栃にいたのに私は山奥の田舎…あまり行ってないなと思いました。 いつか訪ねてみたいものです。😊 神池は中学の遠足で歩いていった記憶があるのだが、神社の目の前に男池女池があった気がして、でも見ていたら物凄く頭の中の記憶とズレがあって、どうしてなのかとこんがらがってます。(笑) 神社の側の畑の中に、小さな小学校かな?何か廃屋が残されていて、そこに壊れたオルガンかな?そんなものがあったことも覚えているのですが、今はもうないのかな? 神社の裏手…高板山だったか山に登る道があって、ここは昔…屋島の合戦で負けることを予期した平家方が、屋島から四国山脈をつたい…徳島の祖谷谷から追っ手を逃れてここまで来て、高板山の山中に宝を隠したとした伝説があります。 安徳天皇を筆頭に、清盛の息子たちそして約300名が屋島より四国山地に逃れて、段々と数を減らしながら神池にも滞在したと… 遠足で登ることになった人達にはある条件が出されて、決して生モノをお弁当などに入れて持ち込まないこと。 食べるものの中にあれば、天罰が下ると… そして登った仲間たちは、あっという間に戻ってきたので理由を聞くと、途中で雲行きが怪しくなり、雷が鳴り始めたとして降りてきたと…、でもね…外界はとても良い天気だったんですよ。😅 神様がいるといった山らしくて、何が起こったのか…引率の先生も慌てて降りてきてましたね。😅 あっ、高板山はもう少し神池より先の山だったかな?物部は物部…香北との境になるか…? でもこの生モノの話は神池の山で聞いた話。 仲間たちが登った山の名前は別だったかもしれないが、高板山という山には安徳天皇が隠れ住んだ時期があったとして、高板…こう…の…いた 皇のいた山…これが隠語となり高板山となったそうですよ。😊そしてまだまだ過酷な追手を逃れた生活を送りながら逃避行の末…、高知県の越知町にある横倉山で最期を迎えた安徳天皇23歳。 横倉山にはひとりで行きましたが、なかなか立派な墓と言われるモノが後の人達により造られていて、実際その場所からはそれを示すようなものも出ていたと、ここは西日本にある他の安徳天皇の墓と言われる推定地と共に、日本で5本の指に入る宮内庁が管轄する墓ともなっています。😊 私がまだちょくちょく帰っていた頃から言っても、あまりにも変わってしまった大栃町内の姿にも唖然ですが、変わらずそこにあるその周辺集落のこうした動画を見せてもらうと、懐かしさと共に故郷への想いがよぎります。😊 いつも素敵な記録的動画をありがとうございます。🙋
ご視聴ありがとうございます。 そうですね。物部の山に住む人にとって大栃は都会で「大栃の町で迷った」という話はよく聞きます。(笑)
@TV-nv6pm 歩けばけっこう横道裏道迷路ですからね。(笑)昔そんな歩いて探索した道を地図にして壁に貼っていたら、母親があんたこんな道あったっけ?って…😁 子供の頃はそんな道も好きでした。 今は建物も取り壊されてしまい、逃走経路にも使えませんが、道は残り続ける。(笑)まだ私の知らない横道裏道もあるかもです。✌️
高板山は神池から上に上がった山です。高板山の安徳天皇の伝説では、安徳天皇は幼くして物部で亡くなりそのお墓が高板山に在るのですが、現在は林道が崩壊して行くことが出居ません。また、祖谷の伝説では祖谷で亡くなり火葬にしたという場所もあります。物部の高板山の伝説については20年もの間調べた人がおります。
@@TV-nv6pm やはり神池でしたか…😊 安徳天皇の伝説や逸話は、四国山脈に沿って各地に残されてますね。祖谷の地にも何度も足を運び古を忍びました。又、下関の赤間神宮の安徳天皇陵や熊本県の墓にも行きましたが、造りが立派なのと…その地に残るお話しが伝説すぎて、高知県の越知町の横倉山の天皇陵には、是非行ってもらいたい気分です。😊 長い階段を登りその先にある経文が出てきたという墓とされる場所は、下から見上げて近づくと、山の中だけに感動します。宮内庁の参考地とされているものは、残念ながら高板山にはありませんが物部はいろんな伝説や文化歴史もあって、貴重な里だと思ってます。😊 うちは小松姓ではないが、小松さんは平氏方の者だと聞いてます。まっ、うちも平氏ですけど… 随分昔の話安徳天皇が物部で着ていたとした着物が見つかったと、物部の広報冊子に載ったことがありました。その信憑性はわかりませんが… 高板山の不思議な話は色々あるんで、興味はありますね。 道が駄目で辿り着けないとか…、早く復旧して欲しいですね。😊
先祖の墓があるため良く行きました。当時は海水浴場も賑わってました。人形の館も健在でした。
維新後、武市半平太の有無は土佐〜高知の参政影響力に大きな差を生んだろうね。
初めまして、道之助の子は邦之助1人だけなのでしょうか?私の父親の家に道之助の家紋が有る家から出てきたので私がひ孫の孫なのですが、父親とあまり会わず私が6代目になるぐらいしか伝えられてませんw諭吉の娘と結婚してたみたいですけど。
ご視聴ありがとうございます。清岡道之助の子孫の方ですか。道之助の子供は邦之助の他は書かれていませんね。 邦之助は生き延びて、維新後は慶應義塾に入り、後年、福澤諭吉の三女と結婚したということです。
@@TV-nv6pm やはりそうでしたか、父は(なのすけ)と読んでたので那の那と呼び間違えたんだと思いますw 携帯電話すら持たない人物なので連絡が面倒いのですが、今度会話した時に道之助お祖父様と福澤俊お祖母様の事を色々聞いて来ようと思います。
北川小跡は現在は未来コンビニになっていますね。跡地を放置ではなく、人が集まる場所に変えていく取り組みが素晴らしいです。
はじめまして、愛媛に住んでます、綺麗な画像、サイド、バックの画像も良いですね☺️これからも楽しみにしてます🎵
人形の家は私の父より大分歳上の人ですが昨日会いました🎉
私の実家は美馬市木屋平樫原で、昨年父親が亡くなり誰も手入れしない祖父母のの家の草刈りに明日から行きます。
それはご苦労さまです。まだ暑く、またハチの巣などありますのでお気をつけて下さい。
13:10御本人達の意を無視して命奪っときながら敗戦国になった途端に戦争犯罪人あつかい? 最低すぎるな人の気持を蔑ろにし過ぎ
以前の方とは別人のナレーションです。以前の方の落ち着いた、🍵雰囲気を醸し出すナレーターの方が、懐かしくおもいおこされます😂❤
平成20年に亡くなった母が卒業した小学校です。私は昭和45年から昭和46年木屋平にある三ッ木幼稚園小学校に通いました。今は大阪の池田市に住んでいます。
こういう場所を無くさないで活かす方法が無いですかね、🎉
平成20年に亡くなった母が卒業した中学校です。母の実家はここからもっと山の上に上がった北又地区です。
ご視聴ありがとうございました。お母さんの母校でしたか…。
定期的に草刈りなどの手入れがされていて綺麗ですね! でもじきに元の山に戻ります。 私もこんな山里で育ちました。団塊の世代!そろそろ終わります。
動画の作り込みが、丁寧です。😂耳に心地いいので大好きです。😂❤きちんと基本ができテイルので、聞きいってしまいます🎵ありがとうごさいます。😮
子供の頃 必死に杉を植え 草刈りし 今は放置林!切ないねー悲しいねー。 日本中の過疎村 そして廃村・・・でも豊かな日本!なのかな?団塊の世代も終わりに近ずいた。
文化的な生活に慣れてしまつた私は想像を絶する この地には絶対に住めない気がします。
それは、この地に生まれて町に出た人も同じです。 この地に住んでいた人々は人間本来の生きる力を持っていましたが、現代人は人間本来が持っていた力の大半を失ってしまいました。便利という事柄と引き換えに…。人間はどこへ向かっているのか・・・考えさせられる山間地域です。
道中の直線屋根の車庫主の甥に当たりますが懐かしいですね。 人が住んでいる所は昔に比べると所々、改修されていますね。 ご先祖様は九鬼の出なので、紹介されている所は、住みやすそうに見えます。
昔のにぎわいが感じられます、
閉校前の菅生小学校最後の運動会に参加さしてもらいました。全校生徒5名でした。香川県民
ナレーションを聞いていて、おちあい佳子さん、を、思い出して、います😂
ナレーションのクオリティが非常に高く気持ちがいいです。😂
大石さんの、ナレーションが実にいいですね😂が学生の頃、ラジオから聞こえて来た、落ち合い佳子さんオ、彷彿させます😮😂心がなごみます
ご視聴ありがとうございます。 大石さんは動画作りの応援者で、ナレーションは名前は出していませんが別の人です。
日本のヤマドリは5亜種いると聞いていたので、全身赤くないヤマドリが見れて嬉しいです。ありがとうございます。
基本ができている😂聞いていて、心地いいので大好きです。❤落ち着いた、語り口たいへん素敵です。
人がいなくなると、また自然に帰り、全てが川を下り、海に辿り着きまた雲となり、山に降り注ぐ、これを幾億年も繰り返す、無常のことわり、色即是空!!!。
ナレーションがいい!c国やk国の怪しい、日本語を聞かなイでいいので落ち着きます😂❤😮
こういう記録は永遠に残すべき遺産となることですね!ありがとうございます、戦後日本人の崇高さはどこへ行ってしまったのでしょうか?
メッチャ面白いですね! きっと私も同じようなこと言って仲良くなろうと楽しむと思います。動物との距離感と想いがとてもよく判ります。想いが通じてるのか、とても距離感が近いのは貴方の人徳が素晴らしい!友達でしょ?(笑)と思いました。
丁寧な編集と沢山の記録を残して下さりありがとうございます。 懐かしいなぁ... なかなか帰省出来ませんが、遠くからでもこうやって故郷に触れられる事が嬉しいです。 感謝です。ありがとうございます😊
ご視聴ありがとうございます。 また、丁寧なお言葉ありがとうございます。励みになります。
私は時々新宮へ帰省するのですが、母校寺内小学校周辺もほとんど人がいなくなりさみしくなりました😢 こうして映像で見ると 本当にいい所で暮らせた事ありがたく思います!
なんと関行男大尉のご母堂ゆかりの地がこんなところにあったとは。 合掌
探索もいいけど気をつけてください。クマがいますよ。通行止めの看板のむこうのどうろに一瞬写ります。みてください。
35:29ですね。再生速度を半分にしてやっとわかりました。 こんなところに普通にいるもんだなという感じで驚きです。 これにすぐに気がつかない人は気軽に登山道は歩けませんね。
おそらく猪ではないでしょうか? 愛媛県では数十年来熊の目撃例がなく絶滅したとされています。 四国で唯一熊が生息していると見られているのは徳島の剣山で、標高1000m以上の狭い地域に十数頭、月の輪熊の生息地があるとされ保護獸となっています。 豬でも危険には違いないのでご注意を。
私の父の実家と、向かいの諏訪神社、また、父が通っていた石鎚小中学校を映してくれてありがとう。私が20代の頃は、石鎚小中学校の建物はまだありました。ボロボロでしたが。
じゃがいも作ってたじいちゃん、ばあちゃんどうなったかな。もう十年以上経つ。😂😢😅
いろんな動画見てきたけど、おじさん面白いですね。
クルマの前面だけ映してね。
こうゆう映像を撮ってもらって大変嬉しいです。昔の子供の頃がよみがえって涙がでます。
四国ネット映像すばらしい。解説も温かく優しさを感じます。
亡き夫と軽でドライブ(実は2人共、歩き切らない身体のために)した長崎地方の田舎の風景を彷彿とさせていただき、感謝しております🙏 ありがとうございます🙇♀️
どこの山峡にでもありそうな景色。 ナビゲーションが無いと飽きてくるね!
素晴らしい動画です。 じっくり見させていただいて、何か子供時代の生まれ育った故郷を思い出していました。 ふるさとって心が安らぎます。 本当にありがとうございました。🥰🥰🥰
この動画にめぐり逢えて良かったです。有難うございました。チャンネル登録させて頂きました。
ご視聴ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
昔は此の道を通って高知県の魚梁瀬方面に車で時々通ってましたが 此の町も例に漏れず過疎化で学校🏫も廃校と成り😢 此の惨状を観たら 寂しい限りです😰
人のバランスと言っても、現代的な暮らしを優先するなら僻地が廃れていくのは必然なんだよね。それを嘆くなら住めと言う話。 もちろん俺もめっちゃ悲しいけど