五木はもうダムの中かな、。
五木の一部がダムに沈むだけなので 五木村全体というわけではないですよ 地元だったので知って欲しくて
@@紫音土肥 30年前に五木の子守り唄祭りに行きました、懐かしいです1分とわかり又行きたくなりました、今73歳必ず行きたく思います。
母の故郷 とても辛い時 聞きたくなる 5:26
民謡に「正調」などと言うものはあり得ないということがよくわかります。 無論、基本となる自然発生的な旋律や拍子はあったでしょうが、あとは歌う本人の心情、心意気でしょう。 歌の文句も違っていて当たり前。 それにしても、まだいたいけな子守が親元を離れて歌っていたことを想いながら聞くと胸が熱くなります。
昔は芸能人が山に登ったもんだけどね。古くは加東大介、西城秀樹は嘘みたいだけど昭和は本当に良かった‼️
この建物は記念館なんでしょうか?ua-cam.com/video/r16_GLtalZM/v-deo.html 半ば辺りに妹を思う銅像が出てきますよ。
多分子守娘がおぶっているのは妹ではなくて、奉公先の幼児でしょう。
堂坂ヨシ子さんの歌だね。堂坂さんの歌う五木の子守唄をどう捉えるか議論もあったけれど、私はこれが本物の五木の子守唄だと思う。
1961年に服部龍太郎が書いた「日本民謡・拾い歩き」の中で、服部氏が五木村を訪ねて堂坂さんの唄を聴いて「正調五木の子守唄」と名付けて「これこそ本物の五木の子守唄だ」と感動した経緯が書かれている。 しかし、他の民謡研究者の中には堂坂さんのように歌う伝承者が他には居ないことを指摘して「あれは堂坂さんが勝手に捏造した歌で本当の伝承歌では無い」と誹謗中傷する人も居た。 しかし、それからしばらくして、ある民俗学者が昭和初期に人吉中学校の音楽教師だった人が採譜した楽譜を発見し、その楽譜には堂坂さんの歌う歌が「五木地方の子守唄」、流布版の五木の子守唄が「五木・相良の子守唄」という別の歌として採譜されていて、堂坂さんの歌は捏造でも何でもなく、伝承の子守唄である事が明らかになった。 堂坂さんが亡くなった今、もう正調五木の子守唄を歌う人は居ないのかも知れないが、録音された堂坂さんの歌はこうして繰り返し聴く事ができるのはありがたい。
堂坂ヨシ子さんの家は元々五木の中心地の五木東小学校の正門前にありまして学用品とか雑貨と本を扱っておられました。私もよくお世話になりました。五木の子守唄はごく一部でしか歌われていなかったみたいです。私の両親は五木生まれの五木育ちですが子供の頃は聞いた事がなかったみたいです。ラジオとかテレビで有名になってから一般的になったように思います。五木村は元々家々が山の中に点在してるような所ですからあっちこっちバラバラになってたものを纏めて編集したもので古関裕而先生の功績が大きいと思います。正調五木の子守唄については良く分かりません。 ただ五木村で生まれ、大人になり、五木の土地で暮らしている人の歌は鬼気迫るものがあります。
服部龍太郎氏が流布版の五木の子守唄に疑問を持ち、堂坂さんの唄を聴いて「これぞ本物の五木の子守唄」と感動した背景には、流布版の五木の子守唄が三拍子なので「日本民謡が三拍子なのはおかしい」と疑問を持っていたということかあったようです。 ただその後のある人の調査では三拍子の子守唄は日本各地から30曲ほど見つかっているそうです。
九州の秘境と言えば宮崎の椎葉が有名ですが、熊本の五家荘、特に久連子の秘境さはヤバいです。
今 黒い羽根の鶏が少なくなってきた。保存しないと。
個人的には市になって欲しくなかったなー
心に沁み入りました。
1分11秒の何
とても綺麗です~♪
凄く賑やかで楽しいお祭りです
とても綺麗な長串山のツツジ公園です
五木はもうダムの中かな、。
五木の一部がダムに沈むだけなので 五木村全体というわけではないですよ 地元だったので知って欲しくて
@@紫音土肥 30年前に五木の子守り唄祭りに行きました、懐かしいです1分とわかり又行きたくなりました、今73歳必ず行きたく思います。
母の故郷 とても辛い時 聞きたくなる 5:26
民謡に「正調」などと言うものはあり得ないということがよくわかります。 無論、基本となる自然発生的な旋律や拍子はあったでしょうが、あとは歌う本人の心情、心意気でしょう。 歌の文句も違っていて当たり前。 それにしても、まだいたいけな子守が親元を離れて歌っていたことを想いながら聞くと胸が熱くなります。
昔は芸能人が山に登ったもんだけどね。古くは加東大介、西城秀樹は嘘みたいだけど昭和は本当に良かった‼️
この建物は記念館なんでしょうか?ua-cam.com/video/r16_GLtalZM/v-deo.html 半ば辺りに妹を思う銅像が出てきますよ。
多分子守娘がおぶっているのは妹ではなくて、奉公先の幼児でしょう。
堂坂ヨシ子さんの歌だね。堂坂さんの歌う五木の子守唄をどう捉えるか議論もあったけれど、私はこれが本物の五木の子守唄だと思う。
1961年に服部龍太郎が書いた「日本民謡・拾い歩き」の中で、服部氏が五木村を訪ねて堂坂さんの唄を聴いて「正調五木の子守唄」と名付けて「これこそ本物の五木の子守唄だ」と感動した経緯が書かれている。 しかし、他の民謡研究者の中には堂坂さんのように歌う伝承者が他には居ないことを指摘して「あれは堂坂さんが勝手に捏造した歌で本当の伝承歌では無い」と誹謗中傷する人も居た。 しかし、それからしばらくして、ある民俗学者が昭和初期に人吉中学校の音楽教師だった人が採譜した楽譜を発見し、その楽譜には堂坂さんの歌う歌が「五木地方の子守唄」、流布版の五木の子守唄が「五木・相良の子守唄」という別の歌として採譜されていて、堂坂さんの歌は捏造でも何でもなく、伝承の子守唄である事が明らかになった。 堂坂さんが亡くなった今、もう正調五木の子守唄を歌う人は居ないのかも知れないが、録音された堂坂さんの歌はこうして繰り返し聴く事ができるのはありがたい。
堂坂ヨシ子さんの家は元々五木の中心地の五木東小学校の正門前にありまして学用品とか雑貨と本を扱っておられました。私もよくお世話になりました。五木の子守唄はごく一部でしか歌われていなかったみたいです。私の両親は五木生まれの五木育ちですが子供の頃は聞いた事がなかったみたいです。ラジオとかテレビで有名になってから一般的になったように思います。五木村は元々家々が山の中に点在してるような所ですからあっちこっちバラバラになってたものを纏めて編集したもので古関裕而先生の功績が大きいと思います。正調五木の子守唄については良く分かりません。 ただ五木村で生まれ、大人になり、五木の土地で暮らしている人の歌は鬼気迫るものがあります。
服部龍太郎氏が流布版の五木の子守唄に疑問を持ち、堂坂さんの唄を聴いて「これぞ本物の五木の子守唄」と感動した背景には、流布版の五木の子守唄が三拍子なので「日本民謡が三拍子なのはおかしい」と疑問を持っていたということかあったようです。 ただその後のある人の調査では三拍子の子守唄は日本各地から30曲ほど見つかっているそうです。
九州の秘境と言えば宮崎の椎葉が有名ですが、熊本の五家荘、特に久連子の秘境さはヤバいです。
今 黒い羽根の鶏が少なくなってきた。保存しないと。
個人的には市になって欲しくなかったなー
心に沁み入りました。
1分11秒の何
とても綺麗です~♪
凄く賑やかで楽しいお祭りです
とても綺麗な長串山のツツジ公園です