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Yamada Shinya
Приєднався 10 чер 2012
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【ドラゴンズ応援】あのサウスポーが帰ってくる!
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ただの応援風景です。 ビシエドを応援しているところですが、特にいい場面というわけではありません。
中村紀洋&立浪和義 殊勲のアベックタイムリー ~2007年開幕戦~
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中日ドラゴンズが53年ぶり日本一に輝いた2007年の開幕戦(vsヤクルト)。 この春、育成から支配下登録された中村紀洋がいきなり開幕スタメン。2-3のビハインドから同点タイムリー。 更にその後2アウト1・2塁で代打の切り札、立浪和義が殊勲の勝ち越しタイムリー。 お立ち台は中村紀と立浪。立浪はファンに向けて「日本一になって泣きましょう!」と呼びかけ。 そしてこの年、本当に日本一になった。 強かったドラゴンズです。
【中日ドラゴンズの歴史】外国人列伝
Переглядів 18 тис.3 роки тому
2000年頃に作成されたドキュメンタリーです。2000年以降の外国人選手は出てきません。 ドン・ニューカム(昭和37年) ゲーリー・レーシッチ(昭和61~63年) ウイリー・デービス(昭和52年) ジム・マーシャル(昭和38~40年) ケン・モッカ(昭和57~60年) アロンゾ・パウエル(平成4~9年) レオ・ゴメス(平成9~12年)
燃えよドラゴンズ 星野の打倒巨人 ~よみがえる熱球 プロ野球70年 第8集~
Переглядів 274 тис.3 роки тому
ドキュメント スポーツ大陸(2004年 NHK) よみがえる熱球 プロ野球70年 第8集 打倒巨人に闘志を燃やした星野仙一を中心に、巨人のV10を阻止して20年ぶりにリーグ優勝した1974年(昭和49年)の中日ドラゴンズの1年を追ったドキュメンタリー。 番組全体としてはドラゴンズを中心とした構成ながら、前年(昭和48年)阪神が巨人のV9阻止・リーグ優勝をギリギリのところで逃したことへの星野の当時の気持ち、川上哲治はその年で引退しようと思っていたこと、そもそも星野が打倒巨人に闘志を燃やすこととなったのは昭和43年ドラフトで巨人が星野指名を決めていたのに直前でやめたことなどの興味深い逸話も。 インタビューは星野仙一、谷沢健一、木俣達彦、高木守道、鈴木孝政など当時のドラゴンズ主力選手や与那嶺監督のほか、巨人軍川上哲治氏、王貞治氏も登場。
【星野仙一ドキュメンタリー】勝利への采配 ~ベンチの中日・星野監督~
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中日監督(第1期)就 2年目(1988年)の星野仙一のドキュメンタリー。 随所に本人のインタビューを交えながら、選手使用方法、ベンチでの監督の姿など、リーグ優勝へ至るまでを追う。 エピソードとして出てくる選手は彦野利勝、中村武志、落合博満、二村薫、中尾孝義、郭源治。 コーチ陣は、池田英利、木俣達彦、榊原良行。 そのほか、俳優山田裕貴の父で当時ドラゴンズの若手選手だった山田和利の姿も。 また、随所に出てくる当時の応援歌やナゴヤ球場ライトスタンドの応援風景も懐かしい
【中日ドラゴンズの歴史】不死鳥 谷沢健一
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新人で開幕戦スタメン、しかも初打席で初ヒットを打った超人、谷沢健一。 その後、アキレス腱通で再起不能とまで言われた中、壮絶な努力を重ね、まさに不死鳥のように蘇った。
【ドラゴンズ日本一2007】ニュース「スポパラ」
Переглядів 66 тис.3 роки тому
2007年、ドラゴンズが伝説の山井~岩瀬のパーフェクトリレーで日本一を勝ち取った日のニュース「スポパラ」。
【中日ドラゴンズの歴史】星野竜2年目の舞 1988年
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1988年(昭和63年)の優勝は、不調だった落合博満のシーズン終盤での活躍、仁村兄弟、ルーキー立浪和義、アメリカから帰国の山本昌、そして優勝決定試合で試合中すでにマウンドで涙していた郭源治が印象的。
【中日ドラゴンズの歴史】野武士野球で優勝 1982年
Переглядів 50 тис.3 роки тому
1982年(昭和57年)の中日ドラゴンズ優勝は、近藤監督の「近藤マジック」、「野武士野球」などのキーワードで語られる。 優勝決定の対大洋戦(横浜スタジアム)では、小松が投げ、田尾と長崎(大洋)の首位打者争いも。
【中日ドラゴンズの歴史】悲願の優勝 1974年
Переглядів 57 тис.3 роки тому
1974年(昭和49年)、中日ドラゴンズは巨人のV10を阻止し、20年ぶり悲願のリーグ優勝を果たした。 名古屋中が優勝に酔いしれた年だった。
【中日ドラゴンズの歴史】ホームグラウンド ~中日球場~ナゴヤ球場~ナゴヤドーム
Переглядів 52 тис.3 роки тому
【中日ドラゴンズの歴史】ホームグラウンド ~中日球場~ナゴヤ球場~ナゴヤドーム
【竜心会によるドラゴンズ応援】中村紀洋(汎用テーマ) in 東京ドーム
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【竜心会によるドラゴンズ応援】中村紀洋(汎用テーマ) in 東京ドーム
【竜心会によるドラゴンズ応援】タイロン前奏&チャンステーマ「打って打って打ちまくれ!」 in 東京ドーム
Переглядів 77 тис.3 роки тому
【竜心会によるドラゴンズ応援】タイロン前奏&チャンステーマ「打って打って打ちまくれ!」 in 東京ドーム
【竜心会によるドラゴンズ応援】スタメン発表・1-9・燃えドラ in 東京ドーム
Переглядів 95 тис.3 роки тому
【竜心会によるドラゴンズ応援】スタメン発表・1-9・燃えドラ in 東京ドーム
ミスタードラゴンズ立浪和義 劇的サヨナラ & 涙のヒーローインタビュー(2006年優勝目前)
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ミスタードラゴンズ立浪和義 劇的サヨナラ & 涙のヒーローインタビュー(2006年優勝目前)
今は優勝後の観客乱入ほぼなくなりましたね
星野ってホントにちっちゃい男
どのチームも歯がたたなっかたV10阻止した中日が出来たのが すごいなぁと思った
巨人の最大のライバルチームはやはり中日である
昭和49年その時は小学校2年生の頃きっかけはテレビを見て中日ファンになった
この試合は見に行った目の前の胴上げは生で見られたのは初めて一生忘れられない
川上巨人の幕切れ
この1974年(~1977年まで)大洋のフランチャイズのオレンジ、ビジターのグリーンのユニフォームは衝撃だった。
この頃のメンバーつっよ、
このオフに徳光和夫アナが坊主頭になりました。巨人が優勝しなかったら坊主頭になるってズームイン朝で言いましたからね。
なんで源治のサヨナラ2ランから飛ばしとるんや。タワケw
90年代のホームビデオ感
板東英二曰く「星野は顔だけ見ればプロレスやってる」らしい
3:19 なんでや!阪神関係ないやろ!(伝われ)
試合終盤のここ!って場面の立浪は打ってるイメージしかない
ロッテ→リーグ1位は1974年が最後? 中日→リーグ1位からの日本一は1954年が最後?
あの頃は、観客がグラウンドになだれ込んでいましたね。😊
当時14歳位 当時まだニュースにも興味も無く、でも今見ると久米さんキレッキレだな。全開だよ。よくグレーの背広着てたのは覚えている。 この軽妙さは安住でも羽鳥でも出来ないよ。
19に見えないのだが…
江藤慎一さん凄いバッターらしいでしたですね。ご冥福をお祈りします。
27:17 ホームランを打った大島康徳にドラファンおじさんがちん入してのハイタッチ。 昭和のナゴヤ球場ではフツーの光景でした。
このオープニング、本当に素晴らしすぎる。 2:23
コンプラなぞ糞食らえの鉄拳監督が再び現れて常勝軍団を作ればギャーギャー騒ぐ連中も鳴りを顰めるだろう。
讀賣倒せー!オー!!!
中日が勝つと涙が出てくる😂
ドラゴンズ優勝時、巨人は日本シリーズ出場の可能性が残されていたため、宮崎でキャンプをはっていました。
韓国人だが子供の頃イビョンギュの影響で中日を応援していたけど、53年という数字がどれぐらい長いものか検討もつかなかった。こんなに強いチームなのに53年も優勝できなかったの?と思っていた。(韓国ではリーグ優勝という概念が薄く、日本シリーズ優勝だけが優勝だと思っていた)
最も胴上げシーンが、絵になる男!星野監督!超最高ですね。😊😊
中日監督は権藤さんに指名してほしかった。
このような記述を不謹慎と思う方もおられると思いますが、私は逆に星野仙一氏は巨人に入団しなかったことにより、大成というか記憶に残る選手、監督になったのではないかと最近感じるようになりました。星野の現役全盛期はまさにV9の時代であり、堀内、高橋一三らがおり、その中で本当に一軍のマウンドに定着できたかどうか疑問に思うところがある。もしもジャイアンツのユンホームを着ていれば、意外と短命か野手にコンバートされていたのではないかと感じるところもあります。
流石池田コーチ、「打たれてもいいから思い切って投げてこい!」 責任は投手コーチのオレがとる!って感じで新人にも容赦しない星野監督の壁になってたんだな。
18:30
いいぞ
読売戦で読売倒せはマスト
めちゃくちゃ吠えて闘争心剥き出しって感じだけど 実は超技巧派のピッチャーなんだよな
星野監督は、見た感じ血圧が高そう。
阪神キラー松本幸行,巨人キラー星野仙一
リアルで見ていて見に行っていてそのあと野球を見なくなっていて去年久しぶりに野球見出したんですがドラゴンズがすごく弱くなっていてびっくりしました。どん底ですが再び日本一になる時まで全力応援
すごい!
与那嶺要監督,星野仙一,高木守道
6:00新幹線を降りる高橋一三さん怖い。高橋一三さん、倉田誠さんは、義兄弟、奥さん同士が姉妹
2007の中日の中でも一番打線強いでしょう このチャンステーマで巨人はやられてたな
パレードの日は長嶋茂雄現役引退試合でレギュラーの選手だけ参加し、近藤貞夫コーチ、補欠の選手と主将大島康徳だけ長嶋茂雄さんのダブルヘッダー試合しました。でも、時がたって星野、高木、谷沢、木俣、鈴木孝政などの選手は長嶋茂雄引退試合に参加しなかったのはとても後悔したそうです。パレードで大勢の人に握手されて後日に手が痛すぎて、日本シリーズではその影響でロッテにやられました。
ナゴヤドームができてから2年後の優勝。星野さんの奥さまが白血病で亡くなり、パパの胴上げを見てから死にたかったと言っていたそうです。まわりの人の涙を誘いました。
中日ファンとしては巨人の10連覇を阻止したことが嬉しかったです。翌日の報知新聞の1面は長嶋引退のニュース。幻滅しました。中日優勝のニュースは2面のすみの方に。
82年の優勝は引分の数が巨人を上回り勝利数の多い巨人に勝ちました。読売ナベツネよりイチャモンがつきました。数字のあやですね。田尾の敬遠の球空振りはあわれでした。黒江コーチが田尾を説得する事態になりました。申告敬遠のない時代ですから。
昔の強かった時の中日やな
小松投手の星野監督からの監督賞!現金50万円だったらしい
やっぱり心の旗がないとドラゴンズの応援席とはいえない
若い頃の星野監督見てて誰かに似てるんだよなーって思ってたんだが…、同じく若い頃のハリソン・フォード(特にハン・ソロ)だ!