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京徒然
Приєднався 12 жов 2021
京都のさりげない風景、伝統行事などの様子を気ままにアップしていきます。
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【11】大船鉾
応仁の乱より以前から巡行を行っていた長い歴史を持つ鉾。江戸時代には旧暦14日に巡行していたことから前祭の船鉾と区別するため「十四日船鉾」と呼ばれていました。1788(天明8)年の天明の大火で神功皇后の御神面以外が焼失。1804(文化元)年に懸装品を整えて以前より豪華な鉾として復興しましたが、幕末の禁門の変で屋形や木組、車輪などを焼失して休み鉾となってしまいました。そこからは居祭を続け、神功皇后の故事にちなんで前祭の船鉾を「出陣の船鉾」、後祭の船鉾を「凱旋の船鉾」と呼ぶようになりました。
2010(平成22)年に「四条町大船鉾保存会」が発足、2年後には142年ぶりに唐櫃による巡行復帰。そして2014(平成26)年に威風堂々たる大船鉾で巡行に復帰を果たしました。これをきっかけに祇園祭は約半世紀ぶりに前祭と後祭に分かれて山鉾巡行を行うことになりました。
#京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #大船鉾
2010(平成22)年に「四条町大船鉾保存会」が発足、2年後には142年ぶりに唐櫃による巡行復帰。そして2014(平成26)年に威風堂々たる大船鉾で巡行に復帰を果たしました。これをきっかけに祇園祭は約半世紀ぶりに前祭と後祭に分かれて山鉾巡行を行うことになりました。
#京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #大船鉾
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祇園祭 後祭・山鉾巡行 【10】鷹山
Переглядів 277 годин тому
応仁の乱より前から鷹狩りをテーマにした「鷹つかひ山」として巡行していた歴史ある山鉾のひとつ「鷹山」。1826(文政9)年の暴風雨で大破して以来なかなか復興叶わず、さらに幕末の「禁門の変」では残されていた部材の大部分が焼失するという憂き目に遭うなど苦難の道のりを歩んできました。 しかしながら、在原行平がモデルとされる「鷹匠」、行平の息子・遠瞻が樽を背負いながら粽を頬張る「樽負い」、行平の弟・業平がモデルの「犬飼い」の3体の御神体は焼失を免れ、しばらくは宵々山・宵山で懸装品の展示を行う居祭を続けてきましたが、2014(平成26)年の大船鉾復活に刺激を受け、翌年に鷹山保存会が発足。2019(令和元)年から唐櫃巡行に加わり、2022(令和4)年に196年ぶりの巡行復帰を果たしました。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #鷹山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【9】役行者山
Переглядів 77 годин тому
修験道をテーマにした山で、応仁の乱より以前から存在している飛鳥時代の呪術師・役小角、尊称「役行者」が大峰山と葛城山に橋をかけようとした故事にちなんだ山で、役行者・鬼の姿をした一言主神・女神の姿の葛城山の3体の御神体をお祀りしている。 ちなみに、3体の御神体をお祀りする舁山は役行者山だけ。また、山上に2本の傘を立てているのも役行者山だけ。共に練り歩く聖護院の山伏の吹く法螺貝も魅力の一つ。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #役行者山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【8】八幡山
Переглядів 117 годин тому
「八幡山」というように、御神体は戦いの神といわれる応神天皇。山の上には純金箔作りの祠があり、その中に運慶が彫ったとされる応神天皇の騎馬像が収められています。朱塗りの鳥居の笠木の上で向かい合う一対の鳩は左甚五郎の作だと伝えられています。八幡山も応仁の乱より前から祇園会に参加している伝統ある山です。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #八幡山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【7】浄妙山
Переглядів 207 годин тому
治承・寿永の乱、つまり源平合戦の頃の逸話を題材にしているのが浄妙山です。平氏打倒を掲げて挙兵した以仁王の軍と平氏軍が宇治川で激突した「橋合戦」において、一番乗りを狙っていた三井寺の僧兵・筒井浄妙の頭上を、「悪しゅう候、御免あれ」と飛び越えた一来法師が先陣をとったというシーンを再現しています。そのため、かつては「悪しゅう候山」とも呼ばれていたそうです。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #浄妙山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【6】南観音山
Переглядів 97 годин тому
南観音山の御本尊である楊柳観音は、鎌倉時代に恵信僧都源信が彫られたものだといわれています。1788年に発生した天明の大火に遭い、頭と胸の部分だけを残して焼失してしまいますが無事復元されています。脇侍の善財童子も江戸時代の作だと伝わります。 南観音山だけで行われる行事「あばれ観音」では、宵山の日の深夜、御神体の楊柳観音像を神輿にくくりつけ、揺らしながら町内を3周練り歩きます。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #南観音山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【5】鈴鹿山
Переглядів 87 годин тому
応仁の乱以前から残る山で、鈴鹿山で行き交う人々を苦しめていた悪鬼を退治したといわれる瀬織津姫神が御神体。 「山鉾一の美女」といわれる御神体は能装束を身に纏っており、プロの能楽師が着付けを行っている。能楽師と面をつけ、大きな長刀を持っているのも特徴。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #鈴鹿山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【4】鯉山
Переглядів 157 годин тому
中国の黄河にある龍門を登った鯉は龍に姿を変えるという故事「登龍門」にちなんだ木彫の鯉の御神体は、高名な左甚五郎の作だと伝えられています。 鯉山を飾る懸装品である前懸、胴懸、水引、見送は1580年〜1620年頃にベルギーのブリュッセルで作られたタペストリーで、ギリシャの詩人ホロメスの叙事詩「イーリアス」の名場面を描いたもの。国の重要文化財に指定されています。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #鯉山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【3】黒主山
Переглядів 247 годин тому
1789(寛政元)年に作られた御神体は六歌仙の一人・大友黒主の像で、謡曲「志賀」にて大友黒主が木に寄りかかりながら桜を仰ぎ見ているシーンが再現されている。山上に飾られている桜がひときわ目を引く美しい山。 ちなみに、この桜の造花は翌年のちまきに添えられるもので、これを玄関に飾ると悪事除け、泥棒除けになるといわれている。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #黒主山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【2】北観音山
Переглядів 367 годин тому
後祭の二番手で巡行を行う「くじ取らず」の北観音山。1353(文和2)年に作られた曳山で、御神体は鎌倉時代に日光から伝わったといわれる楊柳観音と韋駄天の2体。江戸時代に製作された「猩々緋地に雲龍霊龍文様」と「金地観音唐草文様」の2種類の天水引を所有していて、毎年どちらの天水引を使うかは吉符入の頃に決められる。 #京都 #祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #北観音山
祇園祭 後祭・山鉾巡行 【1】橋弁慶山
Переглядів 177 годин тому
橋弁慶山は「くじ取らず」の山で、毎年後祭の先頭を切って進む。御神体は牛若丸と弁慶で、五条大橋で刃を交える様子が再現されている。どちらの御神体も1563(永禄6)年に大仏師・康運の手によって作られたもので、弁慶が着ていた「黒韋威肩白胴丸」は室町時代の作で重要文化財に指定されており、実物は京都国立博物館に預けられている。 前懸が富岡鉄斎の「椿石霊鳥図」、胴懸が円山応挙の「賀茂祭礼行列図」で、見どころの多い山の一つ。 #京都 #祇園祭 #山鉾巡行 #後祭 #橋弁慶山
リズムのテンポはこっちの方が良い。
新撰組は動じてなかったな。
Hail the meiji emperor!
お…俺たちが賊軍だっていうのか!?
本当に良い音。 ずっと残して。
你好日本人❤❤❤
昨年は鷹山のお囃子は私も行っていました。良い音色の祇園囃子ですね。 👍動画です。
初めまして。関連動画に出ました。大豊神社は南禅寺の近くでしょうか? 初めて見る、お祭りです。女神輿渡御が有るのですね。参考になりました。👍動画です。
コメントありがとうございます。大豊神社は南禅寺から北へ約1kmのところに鎮座されています。「哲学の道」沿いにある、と言えばイメージしやすいでしょうか。狛犬ではなく「狛ネズミ」で有名な神社です。本神輿、女神輿と子供神輿が氏子地域を巡行するお祭りです。一年おきですが、稚児行列も行われますね。
あ。。。あれは…錦の御旗だ!
一天万乗の一天万乗の帝に手向かいする奴をトコトンヤレトンヤレナ
おーっ!維新勤王隊!ブラボー!