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JOMONおかむらTV
Japan
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JOMONおかむらTVvol 10 ノーカット拡大版「これが真相⁈三丸“六本柱”を再考する」
vol9「これが真相⁈三丸“六本柱”を再考する」縄文時代最大級の集落跡「三内丸山遺跡」のノーカット拡大版です。三内丸山遺跡のシンボル的存在の大型掘立柱建物、通称❝六本柱❞復元のため協議メンバーの一員だった岡村道雄が、vol9の制作のため語ったコメントをノーカットで編集しました。vol9で伝えきれなかった“六本柱”にまつわる考察や復元のためのいきさつ、そして裏話などを盛り込み、縄文人の生活に寄り添った❝六本柱❞の役割・存在意義、本来の姿柄について岡村流で深く掘り下げます。
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JOMONおかむらTVvol 9「これが真相⁈三丸“六本柱”を再考する」
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縄文時代最大級の集落跡「三内丸山遺跡」のシンボル的存在の大型掘立柱建物、通称❝六本柱❞。約30年前、この大規模な遺構の復元のために、多くの研究者が議論を戦わせました。その協議メンバーの一人として、現在ある六本柱の復元に至る経緯をつぶさに見てきた岡村道雄が、見上げるほどの高楼になったいきさつなどを裏話を交えながら振り返ります。 そして、現❝六本柱❞の目的・用途に疑問を持ってきた岡村が、自らの長年にわたる縄文研究をもとに、縄文人の生活に寄り添った❝六本柱❞の役割・存在意義、岡村流❝六本柱❞説を熱く語ります。
JOMONおかむらTVvol 8「JOMON都市計画」
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“杉並の縄文人”こと縄文研究者の岡村道雄が縄文人の“ムラ”作りについて、縄文の基本理念や手法について解説します。 三内丸山遺跡をはじめ全国の縄文遺跡の発掘調査に携わってきた岡村が語る縄文人が安寧の生活を追及して計画した集落の施設配置の考え方は、皆さんが抱いてきた縄文の“ムラ”のイメージを払拭するかもしれません。
JOMONおかむらTVvol 7「竪穴住居のうそ?本当!」
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“杉並の縄文人”こと縄文研究者の岡村道雄が縄文人の住まい「竪穴住居」についてくわしく解説します。 皆さんは教科書にある「カヤぶき」で建てられたの竪穴住居の写真、そして「カヤぶき」竪穴住居とともに暮らす縄文人のイラストを見て、縄文時代を学習しませんでしたか。全国の縄文遺跡に復元されてきた竪穴住居は、果たして縄文人が生活した当時の様式を正しく再現しているのでしょうか⁈ 全国の縄文遺跡の発掘調査に携わってきた岡村が語る「竪穴住居のうそ?本当!」竪穴住居の最も現実的な姿・様式、そしてその必然性の論理は、皆さんがこれまで漠然と抱いてきた竪穴住居のイメージや知識を払拭するかもしれません。
JOMONおかむらTVvol 6「縄文ジェンダー」
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「杉並の縄文人」こと岡村道雄が長い研究の中で接した遺跡や遺物から得た知見を基に、「縄文時代のジェンダー」、性別による社会的・文化的な役割の違いを推論します。そして「1万年の平和社会」「循環・持続的社会」の成り立ちを読み解きます。
JOMONおかむらTVvol 5「縄文人って背が高かったんだ⁈」
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「杉並の縄文人」こと縄文研究家の岡村道雄が遺跡から発掘された縄文人の人骨などを基に、縄文人の「寿命」「体格」「顔つき」そして「成人になるための通過儀礼」など、これまでに明らかになってきた「縄文人の姿」を解説します。
JOMONおかむらTVvol 4 「縄文の漆②漆は“うるわし”」
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「杉並の縄文人」こと縄文研究家の岡村道雄が、「縄文の漆」を2回にわたって紹介する。2回目の今回は、縄文の漆の独自性とその変遷、その中に介在した女性の存在・活躍、そして縄文人の心象を読み解きます。 後半は、なぜ縄文の漆は衰退していったのか、縄文に始まり日本人の暮らしに長らく受け継がれてきた漆の文化を私たち現代人はどう後世にバトンタッチしていけばよいのか、岡村が提言します。
JOMONおかむらTVvol 3「縄文の漆①ウルシの木はどこから来た」
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「杉並の縄文人」こと縄文研究家の岡村道雄が、「縄文の漆」を2回にわたって紹介する。1回目の今回は、日本のウルシの木のルーツを植物学者の鈴木三男 東北大学名誉教授の見解を交えて解き明かします。 後半は、遺跡から発掘された漆に関わる遺物から、縄文の漆芸、漆製品の様態・様式について細かく解説します。
JOMONおかむらTV vol 1「杉並の縄文人登場」
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縄文の研究者、考古学者として知られる岡村道雄が、自らの生い立ちの一端を紹介しながら縄文への熱い想いを語ります。後半は、2021年に“北海道・北東北の縄文遺跡群”が「なぜ、世界文化遺産に登録されたのか?」について長年の調査研究の経験から解説します。
JOMONおかむらTV vol 2「日本列島へ 私たちの祖先はいつ・どこから」
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私たちの祖先はどこで誕生し、どこをたどって、いつ、どのようにして日本列島にやって来たのか? 縄文研究の第一人者の岡村道雄が、考古学者の立場から詳しく解説します。
土屋根の竪穴住居は、どこか懐かしさを感じさせますね。 土蜘蛛もそうですけど、平地民はうさぎ、海人族はカエル、山の民は鹿と表していた様ですね。
み柱ですね。神殿ではないですね。ハリー山科さんが説明してました。諏訪大社の柱と同じような感じです。
本を書いてる、フタマツです。今回の話は、私も悩んでいたテーマが多く、本に書けなくて困っているものです。私の考えですが。命を主題に考えています。地上の生き物は、命のやり取りで、自分の命をつないでいます。一つの命は、無数の命の集合体なのではないのか? それでは、私の命は、どうなれば良いのか、今は自然に帰れば良いと考えますが、それは許されないようです。 インドでは、川にながす。ネパールでは、鳥葬が、沖縄には、風葬が、自然に帰る道がある。縄文時代墓が作られるようになるのは何時から、墓のない遺跡はあるのか?ないのか? 縄文の人々は、命をどう考えたのか。
勉強になりましたφ(..)メモメモありがとうございます♡
世界一の水銀鉱山Almaden a d Idrijiから、やって来る水銀を監視する塔です‼️ 中央棟芯と、元々の監視塔位置と、アルマデン水銀鉱山は、一直線上に成らんでいます、さらに、世界一の金鉱山Grassberg mineから三内丸山の中央棟芯まで、水銀星直径の近似値です。 金と、水銀を混ぜてアマルガムにしてから加熱すると、水銀蒸気が、不純物も持ち去るから、純金が、手元に残ります。これがアヌンナキ由来の金精練技術なのです👽️ 遠いから関係無い(笑)という考えでは、謎は解けません。、水銀星直径を、柱ピッチで割り算したら。解答は出てきます🎵
6本柱を見たとき津波タワーか水害避難タワーでは?って思った。1mもの太さの柱を2mも埋めてこんな重量感のものが必要な理由は強い力が加わっても大丈夫で柱の間隔から大人数乗っても問題ないものをつくろうとしたのではないか。三内丸山遺跡は海抜20mだけど縄文期の海岸は三内丸山遺跡の近くにあったと考えられている。陸奥湾は過去に何回かの津波が押し寄せたことがわかっているので、縄文期にもあった可能性がある。三内丸山遺跡も水につかった可能性はないでしょうか?津波の痕跡の地層が遺跡内か周辺で見つからないか今後の調査に期待です。6本柱の向きや掘立住居が数多く見つかっているのも水の対策に感じます。
縄文文化に関する貴重なご講演ありがとうございます。 30年ちかく昔、出張で青森に行った際に見学しました。 現代のような重機が無かった時代にどのようにあの巨木遺構を建てたのか古代の技術に感銘を受け、今も不思議に思います。 その後、出雲大社でやはり巨木遺構(9本)が発見され、古代縄文の技術が神話の時代まで日本海側で継承されていたのだと直観いたしました。 NHKでも三内丸山の技術と出雲大社の関連性を想定しているようです。 日本の総力をあげて、これからの研究に期待いたします。 ua-cam.com/video/UIvg3PaArUE/v-deo.htmlsi=knNQNpa0N8MXlr2n
六本柱は朱塗りの立派なものでした。
北秋田地域おこし協力隊中野区の新縄文人になりたい中野です。 UA-cam動画で学ばせていただいております。 また色々ご教授ください。
青森駅じょもじょもの縄文ジオラマ屋根付き六本木柱は確認されましたか?
ハリー山科さんが柱は小屋ではなくて、御柱だそうです
盆踊りの真ん中にやぐらを建てますよね。あれを宗教的と見るか、民俗学的な物と見るか。 祭りの舞台装置だという意見を支持します。
お話への納得感があります。
6本柱の正体について、個人的な意見は、食糧倉庫+お祭り用の設備(神社)なきがします。ロシアのムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の組曲の中に、『バーバーヤガの小屋』という曲があるんですが、これは、柱の上に小屋をつくって、食糧庫にしていたロシア風建物のこと。 たぶん三内丸山と文化がつながっているんじゃないかな?
縄文尺度。初めてお聞きしました。 ひょっとしたら直角三角形も知っていた。
こういう感じから、日本も含めた世界の神話も相似な内容が伝播したという認識を持ってしまうんだな。
日本は日本民族の国であってユ☆☆起源は捏造です。 ユダヤが中東からギリシャの羊飼いの地域から派生したのが「3500年前(アダムとイブがここ)」、 モーセの出エジプト記が「3100年前」 イスラエル建国が「3000年前(旧約聖書が書かれたのはこの後)」 ユダヤ民族は割と最近の民族です。 日本が列島になったのが「10万年前」 縄文時代に農耕や魚介類の狩猟採集と結構文化的な生活をしていたのが「3万年前」 日本の方がはるか前から日本にいますし神社も縄文時代からありますよ。 最初関東以北に住んでいたのが徐々に増えて徒歩で南下して日本全土に広がったので、 出雲や四国に到達したのが1億6千年前の縄文後期というだけの話で、 その後神武天皇日本統一、弥生人到来、奈良京都で古墳時代です。 ちなみに中国やエジプトや中東(アラブ等)やインドは日本より古いはずです。 海外の古代遺跡は海外の人が築いたもので日本の縄文人ではありませんし、 室町に来たイエズスのスパイや明治時代のコミンテ☆ンのスパイや、 戦後の背乗り(日本人を☆して入れ替わるチェンジリング)や 托卵(背乗りが日本人を騙して結婚して北朝鮮の工作員の子供を産み日本の戸籍ゲット)は、 警察では無い方の公安が24時間365日監視対象で犬猫人なども八つ裂きにする様な人は日本国民ではありません。 日本の縄文時代からある神社は基本自然崇拝で、 地球も自然も全ての生き物の為にあるので人だけが搾取してはならず、 動植物との調和が基本です。 又血も死も穢れでさわれず哺乳類の肉も食べません。 近親相姦も禁止です。 日本書記と古事記は権力者が書かせた奈良時代の書物なので。
縄文人に鷲鼻は出ないですよ、 今日本にいる背乗り托卵では無い日本民族が縄文系の末裔です。 日本は日本民族の国であってユ☆☆起源は捏造です。 ユダヤが中東からギリシャの羊飼いの地域から派生したのが「3500年前(アダムとイブがここ)」、 モーセの出エジプト記が「3100年前」 イスラエル建国が「3000年前(旧約聖書が書かれたのはこの後)」 ユダヤ民族は割と最近の民族です。 日本が列島になったのが「10万年前」 縄文時代に農耕や魚介類の狩猟採集と結構文化的な生活をしていたのが「3万年前」 日本の方がはるか前から日本にいますし神社も縄文時代からありますよ。 最初関東以北に住んでいたのが徐々に増えて徒歩で南下して日本全土に広がったので、 出雲や四国に到達したのが1億6千年前の縄文後期というだけの話で、 その後神武天皇日本統一、弥生人到来、奈良京都で古墳時代です。 ちなみに中国やエジプトや中東(アラブ等)やインドは日本より古いはずです。 海外の古代遺跡は海外の人が築いたもので日本の縄文人ではありませんし、 室町に来たイエズスのスパイや明治時代のコミンテ☆ンのスパイや、 戦後の背乗り(日本人を☆して入れ替わるチェンジリング)や 托卵(背乗りが日本人を騙して結婚して北朝鮮の工作員の子供を産み日本の戸籍ゲット)は、 警察では無い方の公安が24時間365日監視対象で犬猫人なども八つ裂きにする様な人は日本国民ではありません。 日本の縄文時代からある神社は基本自然崇拝で、 地球も自然も全ての生き物の為にあるので人だけが搾取してはならず、 動植物との調和が基本です。 又血も死も穢れでさわれず哺乳類の肉も食べません。 近親相姦も禁止です。 日本書記と古事記は権力者が書かせた奈良時代の書物なので。
C国産とは品種が違う。
日本は日本民族の国であってユ☆☆起源は捏造です。 ユダヤが中東からギリシャの羊飼いの地域から派生したのが「3500年前(アダムとイブがここ)」、 モーセの出エジプト記が「3100年前」 イスラエル建国が「3000年前(旧約聖書が書かれたのはこの後)」 ユダヤ民族は割と最近の民族です。 日本が列島になったのが「10万年前」 縄文時代に農耕や魚介類の狩猟採集と結構文化的な生活をしていたのが「3万年前」 日本の方がはるか前から日本にいますし神社も縄文時代からありますよ。 最初関東以北に住んでいたのが徐々に増えて徒歩で南下して日本全土に広がったので、 出雲や四国に到達したのが1億6千年前の縄文後期というだけの話で、 その後神武天皇日本統一、弥生人到来、奈良京都で古墳時代です。 ちなみに中国やエジプトや中東(アラブ等)やインドは日本より古いはずです。 海外の古代遺跡は海外の人が築いたもので日本の縄文人ではありませんし、 室町に来たイエズスのスパイや明治時代のコミンテ☆ンのスパイや、 戦後の背乗り(日本人を☆して入れ替わるチェンジリング)や 托卵(背乗りが日本人を騙して結婚して北朝鮮の工作員の子供を産み日本の戸籍ゲット)は、 警察では無い方の公安が24時間365日監視対象で犬猫人なども八つ裂きにする様な人は日本国民ではありません。 日本の縄文時代からある神社は基本自然崇拝で、 地球も自然も全ての生き物の為にあるので人だけが搾取してはならず、 動植物との調和が基本です。 又血も死も穢れでさわれず哺乳類の肉も食べません。 近親相姦も禁止です。 日本書記と古事記は権力者が書かせた奈良時代の書物なので。
漆塗りは普通に中国にもありますが、 中国にもあったら大抵は中国からですよ。 奈良時代には技術が無かった朝鮮半島にも日本から漆塗りを輸出しています。
眼からウロコです!
あの高さまで真っすぐな栗の木ってあったんですか?
縄文人が深く環境に関わっていたことが解かった今日以前に、茅葺と決めていたのですね。 茅葺には茅場が必要で野焼きや森林の広範囲の伐採等高度な環境管理が必要ななのに。 昔の学者は安直すぎたかも。
四分割ですか
安産祈願土偶ですか😂
ふーてんの縄文寅さん
縄文時代は、女系の村社会ですね。
柱が残っていたのは、凄い事ですね!!私も、あの上に屋根付きの神殿のような建築物がないとかえって不自然だろうと考ええます!😊
三内丸山遺跡の監視塔。これは、Monsanto,Portugal 巨石遺跡からの航路を、ここの大きな中央棟に引くと意味が判明します。その航路の真下に監視塔は配置されています。MonsantoとGreat Zimbabwe は共に奴隷収容所(刑務所みたいな造り、大きな囲いで逃げられない)此処に入れられたら二度と逃亡出来ない仕組み。かなり監視塔が有るが、城は無い。更に三内丸山遺跡からナスカまでは、奴隷モジュール;@7756km✖2,倍長で構成されています。ナスカポイントを芯として円弧を描くと、東北から北海道エリアの縄文遺跡群を、程良くカバーされている事実に気付きます
掘っ立て柱は神殿ではないでしょうか。これが出雲の高層神殿に発達していくのではないせしょうか。
非常に合点がいきました。ありがとうございます。
生まれも育ちも相沢忠洋先生の故郷の群馬です。幼い頃、祖父に連れられて笠懸の記念館で朱塗りの土器を観ていたことを思い出しました。祖父は「アイザワチュウヨウ」って呼んでました。あの中に漆はあったのかな。50年も昔の話です(笑
土屋根との意見に同意です。現代だって台風被害がどんな惨事をもたらすかを考えると当時の民家レベルの屋根ではちょっと 凍結深度は地域ごと標高ごとでも違うので深さはそれぞれでしょうが食料の冬期間の保存を考えると寒冷地になればなるほど凍らない空間が求められるわけで深さもその分余計に必要だったと思います。凍結しなくとも冬あたたかく夏すずしい深さがそれぞれの時代や地域で違うでしょうし、自分で復元してみたくてたまりません😊
古代人は漆という植物をどのように発見し得たのか?一説では蜂が巣作りをする際にハチの巣の根元を漆の樹液を塗って固定している場面を見た古代人がヒントを得たとされています。しかし、ハチが巣から離れた場所の漆の樹液を採取している場面を見たところで、それが巣に使われているかどうやって古代人は知ったのでしょうか?あるいは巣作りをしているハチを追いかけたところで、道路もなかった山の中を見失わずに漆の自生している場所まで追跡することは現実的には不可能であることは明らかです。私は日本の古代人たちはハチを始めとした昆虫たちと意思疎通ができていたのではないか?厳しい森の中の生活で植物栽培時に必要な昆虫による受粉や漆のような植物利用の知恵を昆虫たちから学んでいたのではないか?あるいはそもそも日本の古代人たちは昆虫たちと会話ができていたのではないか?と考えています。大脳の研究によって日本人は現在でも昆虫の鳴き声を音ではなく言語として理解していると言われています。その秘密は上古代以前から使われていた日本語にあるのではないか?と考えています。
2024,2,11、以前おじゃましてました、あらためてこちらに来ました。巷では縄文ブームに沸いてます。
そうだったんですね。納得です。ありがとうございます✨🙇👍
穴が深い場合、焚火をした時に出る一酸化炭素への対応をどの様にしたのかが気になります。 匂いが無いのでいつの間にか一家全滅なんて事もあり得るでしょうから何かしらの対策が有ったのではないでしょうか?
麗しい漆
のちの古墳の原型であり、ピラミッドの原型だったりするかも?
ヨーロッパの王族など漆の漆黒に憧れ再現しようと努力したらしい。ピアノの黒は漆の影響が大きい。
復元の竪穴住居は茅葺しか見たことなかったけど雨水が中に入ってくるんじゃないかと思ってた。復元のは土手状の物をなんならコンクリートで作ってたりしたけど出土のものは無いよね。 土屋根なら納得できる。ただ、茅葺みたいに煙が抜けないからそりゃ眼病になると思う。 寝るときはどうしてたんだろう。炉があるから藁を敷き詰めることはできないし。ベッドを作ってたか?
初めまして♪ 社会系の大学教授だった父親から聞いていた内容と殆ど同じでした。 教授を退職してからも、父が絶えず勉強して居た事を知る事が出来ました。 竪穴式住居の土屋根は知らなかったかと思いますが〜 刺青をしている事は教わっていました。 父親は魔除け説を唱えていました。 勉強になりました、有り難う御座いました♪
土蜘蛛は縄文系だといわれてますね。
竪穴ってせいぜい30cm程度だよね。 その、堀った土で壁から天井まで覆って、プラマイゼロ!? 計算せんでも、おかしいって分かるよねw それとも厚さ数センチで全てを覆った、とでも? あと、住居の周囲に土手構造なんて、無いよ。発掘状況を見れば明白だよね。それが復元住居最大のインチキ。 それから縄文人が穴居人なんて、どこから出てきた話? 穴居人=土蜘蛛!? 何言ってんだか……
陸地化した東シナ海、南シナ海を歩いてきたて考えが欠如している。 今の地図で考えるからおかしなことになる。
縄文人の暮らしを見てきたように語る先生🤗可愛いですね‼️ お話しですと、女性は子育てや日常の作業が多くてその村に張り付いて代々住んでいたと思うので、よそから多様な遺伝子を持つ男性が来てくれないと血が濃くなり集落を維持できなかったと思います。 もしかしたら男性陣は常に入れ替わり、あまり故郷の村という意識は無かったかも知れません。だからこそ優れた道具とか装飾品とか加工法とか土器のデザインが広範囲へ広まっていったのではないか?と思います。
ふーてん😅
興味深く拝見しました。 掘立柱の建物は縄文の後期以降でしょうか。竪穴式住居とは使う木材の太さも長さも別格なので、多数の人手がないと建てられなかったろうと思います。 それに比べれば土屋根の竪穴式住居は割と少人数でも時間をかければ作れたのかなと思います。 最終氷期が終わって温暖な気候の下では土屋根の住居は蒸し暑そうに感じますが、工夫が得意な日本人で平安時代までその形で住んでいた人達がいたのなら、やはり快適だったのでしょう。 光が漏れる位の茅葺きだと台風時は雨風が吹き込みまくりになるだろう、水浸しを耐えていたのか??と不思議でしたが、土屋根に草が生えていれば無事にやり過ごせそうですね! より蒸し暑い西日本からだんだん掘立柱の建物に変わっていき、比較的涼しい北海道〜東北エリアは土屋根の竪穴式住居が残ったのではないでしょうか。高床式と土屋根では雪の積もる冬期の温かさが段違いでしょうね。
すごく面白い話でした 普段から漆器はお箸や椀などで使ってはいますが、改めて作り方を知るとものすごく手間のかかるものですよね 見たことも聞いたこともないものを、いちから生み出すのは凄いことだと思います 漆という特別なものにどんな価値や神聖さなどがあったのかなかったのか、想像がふくらみます
面白かったです。
納得
土屋根に納得しました。