AQUA academy
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グアムに沈む東海丸に大砲と爆雷発射装置が艤装された
世界一のスピード記録を作った東海丸たち。
欧米が驚くほどの性能で日本の商戦業界を救った。
さらにアメリカが欲しがるシルクという優れた外貨獲得商品を持っていたことで、活況を呈することになったのだが、東海丸にはそのシルクの価値を落とさないようにしっかり密閉され、空調も効かせたシルクルームというシルク専用倉庫を4つ装備し、火災時に重要なシルクルームを守るために専用消火設備も準備していた。
横浜に浮かぶ氷川丸も東海丸と同じ1930年竣工であり、シルクルームも装備しているのだが客船として活躍していたので、東海丸ほどのシルクの輸出力はなく、また西海岸のシアトルが目的地であるため、その先大陸横断鉄道に載せ替えないとシカゴまで運ぶことができないという工程があるために圧倒的に東海丸を有する大阪商船の活躍が目立っていたのだ。
そんな南洋へ物資や兵員を送り込むために格好の機能を備える東海丸は特設貨物船として海軍に徴用され、大戦初期には商船そのままで運用されていたのだが、徐々に底力を出してくるアメリカに対して最低限の武装、大砲や爆雷発射装置などの艤装を加えられることになる。
1943年1月17日、おそらく書類上だけだと思われるが平洋丸と船団を組んだこととして横須賀を出港する東海丸。
積荷は建築資材・糧食そして爆雷を積み込んだと記録されている。
幾つの爆雷が積み込まれたかの具体的な記録はないが、サイパンまでの航行中やサイパンからグアムへの移動中に敵と関わった記録もないので、爆雷も使用したとは思えないのだが、現在確認できる4つだけを横須賀で積み込んだとも思えない。
おそらくサイパンに運ぶために積み込んだもので、グアムまでの道中もしものために4つだけを残したと考えるのが普通ではないだろうか。
またはグアムに入港後に魚雷攻撃で一度沈没し、幸いサンゴ礁の浅瀬に着底したため引き上げることができたのだが、この1月以降エンジンは2度と発動していないだろう。
積荷も大砲も東海丸から卸されているわけだから爆雷も同じだったのかもしれない。
その後5月にはグアムでの修理を諦めて横須賀に曳航して帰ろうという作戦も立てられて、東京丸が救助にも訪れるが再び魚雷攻撃を受けて、東京丸は無事に横須賀に帰港することはできたのだが、東海丸はどうすることもできずにアプラハーバーに設置されたE浮標に係留された。
その時に使用して東京丸が残した太いワイヤーは今見ても、当時の船員たちの慌てた作業ぶりを思い浮かべることができる。
そして運命の8月27日。
東海丸の4番と5番船倉の左舷に魚雷が命中。
左舷後部から沈み始める。
午後3時、水深35mの海底に着底した時、東海丸はまだ船首と船橋の一部を水面上に残していたのだが、その時の衝撃で船内の何箇所かに歪みが生じた。
今のように完全に沈み、左舷を水底に横たえたのは午後6時3分のことであった。
東海丸のすぐ西側の水底に小山が盛り上がった地形をしているため、大砲のあった船首が水深16mで、爆雷発射装置がある船尾は水深30mであるために動画の明るさに大きな差が出ている。
魚雷の攻撃痕は今回紹介できていないが、高速貨物船だった東海丸が艤装されて、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃で沈むことになってしまった姿を紹介する動画となっているのでぜひご覧ください。
#東海丸
#グアムの沈船
#レックダイビング
#アクアアカデミー
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Відео

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筑波海軍航空隊(旧司令部庁舎)
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西の原爆ドーム、東の立川工場変電所
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グアムで体験ダイビング[9.25.2024]
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グアムで体験ダイビング[9.19.2024]
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房総半島先端に残る震洋出撃基地跡
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2024年度グアム修学旅行でダイビング実習
Переглядів 1792 місяці тому
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トラック大空襲の後浮いていたのは宗谷だけだった
Переглядів 1,2 тис.2 місяці тому
初代の南極観測船として知られている宗谷。 しかし大東亜戦争中のトラックが大空襲を受けたとき、宗谷もトラックに在泊中で爆撃を受けたことはあまり知られていない。 ソビエトのために作られた砕氷船だったが日本の貨物船「地領丸」として運用される。その後大日本帝国海軍が買い上げる形で「宗谷」となった船である。 1940年からサイパン・ポナペ・トラックなどで測量 務や護衛 務についていた宗谷だが、開戦するとラバウルに配備されラバウルを基点に活躍していた。 しかし戦況が悪化してきた1943年に入るとパプアニューギニアで雷撃を受ける宗谷だったが、幸運なことに魚雷が不発。 1944年2月にはトラックの大空襲に巻き込まれ、回避行動中に浅瀬に座礁。 総員退去となった宗谷だったが翌日見てみると、潮が満ちたことで離礁していた宗谷はトラックの海で唯一浮いていた船だった。 大急ぎで宗谷に戻った乗員たちは若干の修...
グアムで体験ダイビング[9.17.2024]
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今日の体験ダイビングは女子大生。 一人はダイバーに認定されていて、一人は初めてのダイビング。 多くの場合、ダイバーは初めてダイビングする人に付き合うという形になるだろう。 同じように泳げるとは思わないので、あまり移動せずに魚やサンゴ礁を眺めているダイビングに自分も付き合うというイメージだろうと思う。 しかし動かないで水中にいるのならヘルメットをかぶって水中に歩いて入るというツアーもあるのである。 自分もそんなツアーを行なっていた経験があるが、圧倒的に抵抗感がない。 体験ダイビングに思うように慣れない人は、隣で行なっているヘルメットのツアーに変更してもらって、水中でダイビングしている仲間とヘルメットとで同じ水中にいる時間を共有してもらえればいい思い出になるのではないかと考えていた。 わざわざ重たいタンクを背負って浅瀬を歩いて移動してまで水中に入って行くというダイビング。 より簡単に入る...
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グアムに修学旅行に来る学校で学科講習
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Island Hopper UA155
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グアムで体験ダイビング[9.5.2024]
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グアムで体験ダイビング[8.30.2024]
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グアムで体験ダイビング[8.20.2024]
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КОМЕНТАРІ

  • @ARI-zr9xl
    @ARI-zr9xl День тому

    カラフルな表示灯は、気になりますね。 運用実態なんて当時の乗組員しか、知らない謎ですよね。 とはいえ、気になりますね。 手元に平安丸があれば、銘板を解読したり、配線をたどって、確認出来るのですが、配線図とか、船舶装備関係の当時のカタログとかあれば、たどり着くかも知れませんが。 この船を作った方々は、年齢的にもう、この世にいないですよね。 とはいえ、もやもやするので、調べてみます。 わかったら、報告します。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 16 годин тому

      ぜひ分かりましたら教えてください! だいぶカバーの色が褪せてしまってますが、赤・黄・緑のような異常・注意・正常を表す表示板ではないかと想像していますが、自分の記憶では平安丸の階段の上に設置されている表示灯だったはずで、なぜそんな場所にと思った覚えがあります。

  • @ふるふるだよふるふるちゃん

    意外と綺麗な形で残っているんですね

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 дні тому

      ダイビングすると水の綺麗さが気になる人も多いですが、水が綺麗だとレックの保存状態は厳しくなってしまいます。 東海丸は世界的にも保存状態が最高だと思います。

  • @TraderManJP
    @TraderManJP 4 дні тому

    素晴らしい大作!

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 дні тому

      ありがとうございます。 もう一本、エンジンルーム内部などの動画も用意していますが、自分で見てもこの一本目が一番のように思います。 撮影した達成感だけではダメですね(笑)

  • @ふるふるだよふるふるちゃん

    すごい映像ですね

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 9 днів тому

      ありがとうございます。 今回の動画は何回か撮影した船橋の部分を編集したものですので、正直1回のダイビングでこの動画全てをお見せすることは難しいのですが、前方から見た東海丸の船橋の美しさなどを是非見ていただきたいと思ったものです。

  • @カメ-w7s
    @カメ-w7s 10 днів тому

    素晴らしい動画でした😊

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 10 днів тому

      ありがとうございます。 沈船に潜りながらの自分の興味は、貨物船や客船として活躍していた頃の時代を思い浮かべることが大きいです。 飛行機がない時代に時間をかけて船で旅をする。 現在でも船旅が注目されますが、船旅はやはり特別なもので、そんな優雅な人々の100年近い前の姿を想像するのはとてもワクワクしてしまいます。

  • @おしおやすのり-m2p
    @おしおやすのり-m2p 17 днів тому

    ずいぶん綺麗に撮れています。 途中で聞こえたのはDECOアラームですか? ありがとうございました。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 16 днів тому

      今まで見てきた水中に沈んでいる航空機で一番の衝撃でした。 まさに当時のままの姿だと思います。 最初から減圧ダイビングとして計画して潜るので、アラームはなってしまってると思いますが、1時間近くの減圧をしてから浮上しています。

  • @yoshitaka6786
    @yoshitaka6786 22 дні тому

    接写しすぎて全体像が全くわからない

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 22 дні тому

      機体に沿って撮影しているので、そんなこともないと思うのですが・・・。 水中撮影は逆に離れて撮影すると細部が全く見えなくなってしまって資料として使えなくなってしまうので、こんなもんでご容赦ください。

  • @thermalkbo
    @thermalkbo 24 дні тому

    マニアックな情報をありがとうございます。私は三座水偵が好きで1/6スケールのラジコン模型を自作して実際に水上から飛ばしました。製作時の資料は丸メカニックでそれ以上の情報がこの動画から得られます。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 23 дні тому

      嬉しいコメントありがとうございます。 自分がその場所にいるので誰よりも詳しい話を見つけることができるつもりで入るのですが、グアム島の水上機基地の情報はほとんど入って来ないのです。 もしかして存在していない?とまで思えるほどです。 次週にグアムで最新で見つかった零式水偵の動画も続けますので、ぜひご覧ください。

    • @thermalkbo
      @thermalkbo 23 дні тому

      ラジコン模型の初飛行時の映像です。ua-cam.com/video/24Xd4T1sWmg/v-deo.html

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 23 дні тому

      @@thermalkbo 動画拝見しました。 初期型の零式水偵のように見えました。 あれだけ実物のように動くということは、ラダーもフロートのものと同期して動くようにしていらっしゃるのでしょうか。 ぜひ近くで拝見したいです。

  • @鈴木浩之-z9e
    @鈴木浩之-z9e 24 дні тому

    映画『永遠の0』の聖地ですね。そこ行ったついでに予科練平和記念館も行きましたよ。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 23 дні тому

      自分もそうしました。 予科練平和記念館も最近の映画に使われたんですね!たまたま映画を観ました。

  • @ふるふるだよふるふるちゃん

    歴史だ

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 23 дні тому

      なんとかその時の様子を目の当たりに再現してみたいと思っています。

  • @中原久雄-v8n
    @中原久雄-v8n 28 днів тому

    12.7ミリ弾がこなに威力があったんですね

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 27 днів тому

      自分もそれを思いました。 でも攻撃したと思われる戦闘機はF6FかP51だということで、やはり装備されていたのは12.7mmなんですよね。 日本でも20mmじゃないほうが有利だったのかもしれません。 零戦操縦員によっては20mmを外して翼内機銃を全て13mmにした方が多かったとも聞きます。

  • @中原久雄-v8n
    @中原久雄-v8n 28 днів тому

    落書きやめろ

  • @kenzen3648
    @kenzen3648 28 днів тому

    海の中で朽葉させないで 故郷の日本に帰って来てほしいね!

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 28 днів тому

      潜るダイバーのマナーにもよるのですが、意外に水中での保存状態は悪くないです。 ダイバーの教育が必要だとは思います。

  • @ふるふるだよふるふるちゃん

    貴重

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 Місяць тому

      ありがとうございます。 零式水偵は南の島どこでも残されているようです。 この後もう2機の零式水偵の動画もご覧ください。

  • @411-nb4kw
    @411-nb4kw Місяць тому

    引き上げたい

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 Місяць тому

      現在のチュークにはわかっているだけで10機以上の貴重な機体を見ることができます。

  • @銭無平次-o8m
    @銭無平次-o8m 2 місяці тому

    武勲赫赫たる艦、などとよく言うがそれだけではないすばらしい船だったのですね。アップありがとうございました。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      嬉しいコメントありがとうございます。 南極観測船としてだけが有名になっていると思いますが、本当に休み間も無く活躍した丈夫な船だと思います。

  • @ayumu8901
    @ayumu8901 2 місяці тому

    平安丸のエンジンテレグラフはSTAND BYを指示しているように見えるのでエンジンはアイドリング状態だったか攻撃を回避する為に起動中だったのかなと。 カラフルなランプは発電機を並列運転する際に回転数や周波数等の同期を取ったり確認するための物に似てる気がしました。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      テレグラフの表示板は黒く濁ってしまってますが、真下を指しているように見えるので停止していたと思ってました。 当時の状況は大空襲初日の船体後部への直撃弾で推進機を破損してしまいますが、電力確保などでエンジンが動いていたとも思うのですが、翌日に中央部への攻撃で大火災を起こし、総員退去となってしまってます。 氷川丸の機関室を確認してみて同じような表示ランプがなく、氷川丸の方にも聞いてみたのですが興味がないらしく全くわからないという返答。 自分が推測したのは何かしらの冷却水の温度管理にあったものかと考えましたが、回転数ですか! 色々考えるのは楽しいです。 現在日本郵船の歴史博物館が営業休止中ですが、再開したら尋ねてみようと思っています。 あそこなら回答が得られると思います。

    • @ayumu8901
      @ayumu8901 2 місяці тому

      @@aquaacademy5068 推進機の破損なら停止中で別に発電機が動いていたと思います。自分の勘違いでした申し訳ありません。 平安丸と氷川丸の比較は当時を想像出来てとても楽しく拝見できました。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      @@ayumu8901 なるほど発電機が作動していたわけですね。大型の主発電機も予備発電機も備わっていますからね。 動画に挙げている平安丸の発電機と思っているもの。実はエンジンオイルポンプの可能性もあります。 設置位置で区別がつくはずですが、平安丸で撮影した位置がはっきり覚えていないのです。ただエンジンオイルポンプがあるはずの位置には行っていないと思うので、おそらく発電機であるとは思っています。 楽しいご意見ありがとうございます。

  • @零戦太郎-h7v
    @零戦太郎-h7v 2 місяці тому

    岩本徹三が奮戦した竹島。 兵どもが夢の跡・・ですね。 当時の映像見ると空母みたいな島で陸軍機が降りると滑走路脇の機を破壊したそうです。 言い訳が「ノモンハンで訓練したので、この島は狭い。」

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      岩本徹三さんが竹島飛行場にいたことがあるんですね。 南洋の要衝の中でも最も重要な飛行基地だっと思いますので、他にも名前を残している名パイロットも滞在したと思います。 そんな当時の様子を想像しながら島を歩くのは楽しかったです。 しかし気温や天気や海の景色は今も変わらないかと思うと、なんだか不思議な気持ちにもなります。

    • @零戦太郎-h7v
      @零戦太郎-h7v 2 місяці тому

      @@aquaacademy5068 さん、トラック諸島壊滅した後、ラバウルからトラック防衛の為、ラバウルから後退してトラック防空に奮戦してます。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      @@零戦太郎-h7v トラック大空襲の後だったんですか! 教えていただきありがとうございます。 あんなに多くの機体が運用されていたのに、自分がいるグアム島・チュークにはしっかり見ることができる零戦があまり残っていないので、零戦について思うことが多くなく、岩本さんをきっかけに少し考えてみたいと思います。

    • @零戦太郎-h7v
      @零戦太郎-h7v 2 місяці тому

      @@aquaacademy5068 さん、Amazonで零戦撃墜王をお勧めします。 岩本徹三の奮戦記です。 トラック防空の詳細が描かれているので資料としても良い作品です。 当時の竹島の簡略地図も描かれています。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      @@零戦太郎-h7v ありがとうございます。 ぜひ次回の日本で購入して読ませていただきます。 トラック上空の出来事はあまり情報がないと思っていましたので楽しみです!

  • @零戦太郎-h7v
    @零戦太郎-h7v 2 місяці тому

    チューク諸島政府と交渉して靖国に保存して欲しいですね。 これだけしっかり残ってる機は昨今では珍しいです。 砂に戻る前に何とか出来ればと思います。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      保存というご意見は多くいただいているのですが、この機体だけではなく、まだまだ世界の海中には多くの機体が眠っています。 実際にチュークでも最近超注目され人気の機体が発見されているのです。 まだ自分も含めて見ていませんし、発見者の方たちが見ただけにとどまっているようですが、いつか機会があれば見に行ってみたい機体です。 つまり全ての機体を引き揚げて保存することはとても無理なお話だと思いますし、保存される機体がほぼ全て修復と復元を施されてしまうのが残念でならないのです。 水中にある姿は、まさに搭乗員の方々が懸命に戦って生き残ろうとした様子を物語っています。 どなたが搭乗していたかを解明することはとても難しいですが、搭乗員の皆さんの最後の姿をそのまま残すことができたらと考えます。 確かにそのうちにサンゴに覆われてしまうなど、このまま永遠に残ることはないでしょう。でもピカピカに磨かれてしまっての保存は、その機種の形を後世に伝えることでしょうが、搭乗員の方についての記憶は何も伝えることができないのではないかと思うのです。 生意気申しますが、今の姿のままなるべく長く当時の様子を見せてくれたらいいかなと考えています。

  • @hiroao1492
    @hiroao1492 2 місяці тому

    ビデオ編集慣れてますね。見やすい。わかりやすい。!!

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 2 місяці тому

      ありがとうございます。 海からの動画以外に、空港脇の建物からと機内からの映像が撮れてラッキーでした。

  • @ファン-b4w
    @ファン-b4w 3 місяці тому

    早く回収して、復元して欲しい。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      水中に沈んでいる機体にサンゴが生えてしまうことは困りますが、意外に水中の保管具合は悪くなく、もちろんどこかに引き揚げて保管してもらえたらそれに越したことはないとは思うのですが、復元には反対したいです。 銃撃痕や機体の損傷具合、動翼の状態などが保管されることで当時の様子を推測できますが、ピカピカのスベスベの機体にされてしまうと、それら全てができなくなってしまいます。 万世に保管されている零式水偵は素晴らしい状態で、コックピット後方に残っている旋回機銃レールに付けられている機銃取付部分がオリジナルではなく、当時現地で作成した代用品であることがわかったりします。

  • @how5649
    @how5649 3 місяці тому

    終戦まで南洋諸島への飛行艇専用空港が横浜市磯子にありました。 海軍と民間の共用でここから大型飛行艇が南洋諸島にむけて飛んでいました。ネットで往時の写真も検索できます。 横浜市磯子区の八幡橋で、今では記念プレートと道路を挟んだ向かいに神社があるだけです。 この神社の中に台座の上に浮遊機雷と東郷平八郎の碑などがあります。

  • @さだべーやん
    @さだべーやん 3 місяці тому

    離陸時の飛行機はスピード不足で不安定な飛び方で低空で逃げる術も無いので非常に撃墜しやすいらしい。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      離陸中に敵戦闘機から襲われるということに少しだけ疑問がありまして、敵機襲来に際してなぜ攻撃機が発進するのか。 敵戦闘機を掻い潜りながら敵機動部隊を目指したのか。 いずれにしてもこの状況は、やはり1944年2月17日の出来事ではなかったのかと思っています。

  • @ARI-zr9xl
    @ARI-zr9xl 3 місяці тому

    カラフルな?ランプがたくさんついているのは何でしょかね?気になりますね。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      今日本に帰国中なので来週には横浜の氷川丸に行って確認してみたいと思っています。 また何かわかりましたらコメントさせていただきます。

    • @ARI-zr9xl
      @ARI-zr9xl 3 місяці тому

      @@aquaacademy5068 実は、私は二週間ほど前に、氷川丸を見学しているのですが、船橋に、シグナルボード?みたいなのがありまして、緑と赤のランプがついている表示器がありました。船の各所にいる人がスイッチを操作すると表示が切り替わるみたいですが。準備が出来ているか確認をとる装置かなと。 映像の装置は円形に並んでいて謎ですね。だいたい左半分が赤で(一部上のほうは紫に見えますが経年変化?)右半分は緑に見えますね。(ランプカバーが外れている箇所もある緑だった?)一部下は、白色のランプカバーなんですかね? 円形に表示する理由が気になりますね。推測ですがエンジンか何かの回転角度の状態?を表示していたのでしょうか?ただ、ランプの個数的には、ザックリなような、表示する意味があるのかな?とエンジンテレグラフにしても、こんなランプだけしかない物は、変な感じですね。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      @@ARI-zr9xl 面白いご意見ありがとうございます。 自分も氷川丸のエンジンルームには長く籠る方なんですが、あの円形のランプを見た記憶がないんですよ。 円形ではない並べ方で同じ目的を果たすランプがあったように思ってます。 ランプがあった場所は大体覚えているので、その周辺を調べてみてそれでも見当たらない場合はちょっと質問させてもらおうと思っています。

  • @montblancmaru
    @montblancmaru 3 місяці тому

    ブリッジや無線室等の動画も見てみたい。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      ブリッジ両舷脇に飛び出した部分のデッキの板が残っていて、氷川丸と比べて同じ景色ではあるのですが、残念ながらブリッジや船長室あたりの内部は床など抜けてしまっていてその面影は見ることができなくなっているんですよ・・・。

  • @henryglaywork
    @henryglaywork 3 місяці тому

    トラック諸島を攻撃したのはアメリカ海軍の艦載機なのでB24やB29による攻撃では無いと思います。 B24型の偵察機は飛来したそうですが、そもそもトラック諸島の戦いは1944年2月の出来事で、B29の運用開始が1944年5月らしいです。 恐らく正確に命中させたのは大型爆撃機では無く米艦載機による急降下爆撃だと思います。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      そうもかもしれません。 自分もB-29はないだろうと思いましたが、確認せずにその記述があったもので採用してしまいました。 今後は確認して載せるようにします。

  • @のん-g2n9i
    @のん-g2n9i 3 місяці тому

    戦時中の南洋基地は書物と、当時の従軍カメラマンの映像からその断片を拾うだけです。 山本司令長官が戦死する前にラバウルに立ち寄り、基地司令部前に整列した搭乗員を激励する映像が残っています。 サイパン、テニアン、グアム以外大概の建物はそんな物(木造)だと思っていましたが、今回の頑丈な司令部跡の映像を 観て、遠い南洋諸島まで大量に軍需品他建設資材を運ぶ事が出来る海軍の凄さを改めて実感しました。 百聞一見です。 グアム島で海没した九九艦爆搭乗員は誰であったか、どこかにその手がかりが残っていないだろうかと考え、私が持っている蔵書の中で 九九艦爆搭乗員の手記「ラバウル艦爆隊始末記」松浪清著 光人社刊、ほか渡辺洋二著作本十数冊、 「空母瑞鶴の生涯」豊田穣著 集英社等、昭和19年6月の艦爆戦闘記録を念頭に再読してみましたが何もグアム島での記載は ありませんでした。 ただ、豊田穣著「空母瑞鶴の生涯」では本文12章マリアナ沖海戦の記述では19年6月11日12日、スプールアンスが率いる第五八機動部隊が サイパン・テニアン・ロタ・グアム島を二日にわたって各島を急襲し120機を撃破したと書いています。 他、瑞鶴艦爆隊の記載も書いていますがグアムについては皆無でした。 歴史を掘り下げる事の難しさを改めて実感しました。 作家豊田穣は兵学68期、空母飛鷹の艦爆搭乗員でしたが18年4月7日ソロモン方面い号作戦において乗機を撃墜され捕虜生還。 平成6年1月30日没

  • @ハチヨタ
    @ハチヨタ 3 місяці тому

    この二式大艇の墜落原因は、重量オーバーと発動機の不調が原因でポーポイズを起こして沈没したと言う手記を読んだ事があります。戦闘機隊の搭乗員を内地に帰す為に無理に多数を詰め込んだが、墜落した二式大艇に乗り込んだ便乗者が、手荷物を捨てずに多数持ち込んで下士官の機長の静止を無視した。離陸に成功した二式大艇の機長はベテランの特務士官だったので便乗者は身体ひとつで乗り込んだので無事に離水できた様に記載してあったと記憶しております。マリアナ沖海戦の生き残り達だった様な。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      さらに詳しい解説をありがとうございます。 ポーポイズを起こしたのではないかというところまでは推測できたのですが、その原因が重量オーバーだったのですか。 やはり色々なご意見をいただくことで、より詳細な当時の状況がわかってくるように思います。 またお気づきのことがございましたら、ぜひご意見お願いします。 トラックの二式大艇については誤りがありましたので、新たに見に行って確認した修正動画を上げさせていただいています。 サイパンに続いてるチュークの二式大艇については間違っていて申し訳ございません。

  • @高田健一-l7l
    @高田健一-l7l 3 місяці тому

    米軍のガンカメラに戦爆の写真が写っている。 どのゼロ戦も爆弾を捨てないでいる。これでは逃げ切れるはずがない。 日本軍は高指向性レーダーというものを理解できてなかったと思う。 い号作戦の頃から艦爆は戦闘機の待ち伏せでやられていたのである。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      日本人は不利な状況になっても「そんなはずはない・・・」と執拗に同じ行動を続けるところがあるように思います。 アメリカのレーダー性能も同じように考えていたか、他に作戦が思い当たらずヤケクソなのか。 自分が出撃するとすれば無茶はやらないと思いますが、部下が行くのは痛くも痒くもないのか・・・でしょうか。

  • @のん-g2n9i
    @のん-g2n9i 3 місяці тому

    UPされる都度興味深く視聴させて頂いてます。 いつもの事ながら海藻、珊瑚に覆われた沈船、航空機のパーツを的確に指摘される洞察力に感嘆します。 さすがにAQUAさん、ありがとうございます。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      いつもご覧いただきありがとうございます。 6月に3週間滞在したチュークで見せてもらった船と飛行機。普段見ているグアムのものとは違って新鮮に見ることができるのですが、その数が多くて羨ましいです。 ただ多すぎて一つのレックを極めることが難しいので、船については今回諦めて飛行機に集中して見てきました。 まだ船がもう1隻、飛行機が5機ありますので、そちらもぜひご覧ください。 それでチュークの動画はネタ切れになってしまうのですが・・・。

    • @のん-g2n9i
      @のん-g2n9i 3 місяці тому

      当時は雄々しかった船や航空機も今や海藻や珊瑚に埋もれ風化するばかりです。 こうした戦争の虚しさを記録されるAQUAさんのお仕事はある意味では、虚しく水漬く屍となられた英霊の皆さん達へのご供養にもつながるものだと感じています。 これからもそのご活躍をお祈りしています。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      @@のん-g2n9i 本当に嬉しいコメントをありがとうございます。 できましたら一つ一つの航空機に搭乗されていた方を特定していきたいと思ってはいるのですが、手がかりが微妙でして、まずはグアムに沈んでいる九九艦爆の搭乗員を特定してご家族にご報告できたらとは思っています。 何か手がかりが見つかりましたらまた報告させていただきます。

  • @小日向白朗-z6v
    @小日向白朗-z6v 3 місяці тому

    DB601の日本版、陸軍と海軍との違いがあるよ!ちょっと忘れてしまったが、どこか違うんだよね!だから陸軍製と海軍製の互換性はないんだよね。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      陸軍と海軍で違いがあるのですか! 困ったもんですねえ そして互換性はないと・・・ ご指摘ありがとうございます

    • @小日向白朗-z6v
      @小日向白朗-z6v 3 місяці тому

      @@aquaacademy5068 海軍と陸軍は別々にライセンス権を結んだということですよ。これを聴いたヒトラー総統は、笑っていたそうです。川崎のハ40の発展型のハ140の生産が間に合わず首なし機体が増加。当初、対処するため愛知のアツタ21がたの発展型のあつた32がたはどうかと検討したらしいが、ここからは「歴史群像シリーズ・三式戦飛燕・五式戦」P148引用します。「陸軍系列と海軍系列の製造会社がそれぞれライセンス権を購入していることから、「ハ40」と「アツタ21型」は陸海軍の対立による無駄の象徴のように評価されることが多いが、それに加えてそれぞれの発展型である「ハ140」と「アツタ32型」には全く互換性がなく口金に至るまで全て異なり陸海軍でエンジンを生産しながら部品の共用すらできず不合理きわまりないと批判されることもある。しかしこうした批判はどのような事実に基づいているのであろうか?その答は極めて単純で「ハ140」と「アツタ32型」との互換性のなさが、何故語られるかと云えば、実際に両社の互換性が当時の陸海軍の間で検証されたからである。「ハ140」と「アツタ32型」どう違い、どのような問題があって共用できないのかを当時の陸海軍が研究した結果が伝わり、両者の間に互換性がなかったという事実のみがとりあげられていると云うのが正確なところである」 余談: 飛燕の水令エンジンから五式戦の空冷エンジンの換装は、ドイツのフォッケウルフ「FW190」の空冷エンジンから水冷エンジンへの換装を参考にしましたと。その真逆を行ったんですね。

  • @船井一也
    @船井一也 3 місяці тому

    ダイビング最高だね😂 みんなハマりそう😊 最高に楽しい想い出になるね😊 今度は何処の海かな😂

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 3 місяці тому

      ありがとうございます。 ダイビングの魅力を伝えられたらと思っています。 魚や綺麗なサンゴを見るダイビングだけでなく、沈んでいる船や飛行機を見る見る魅力も。

  • @そうま-q8b
    @そうま-q8b 4 місяці тому

    他の機体だったら着陸から着水に切り替える時脚格納できるかもしれませんが九九艦爆は常に脚出してるので着水は難しいでしょうね。脚が引っ掛かって転覆とか…

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      水中から引き揚げようとした以前に機体がちゃんと上を向いて沈んでいたという話があること、固定脚の左舷側は倒れているものの全く損傷がないがこと、機体後方部分の尾翼が両側とも破損紛失していることなどから、相当に慎重に機首を持ち上げて着水したことが想像できます。 搭乗員たちは必死に生き残ろうとしていたと思います。

    • @そうま-q8b
      @そうま-q8b 4 місяці тому

      @@aquaacademy5068 なるほど

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      @@そうま-q8b また新しい何かが見つかりましたら動画で修正報告させていただきます。

  • @ARI-zr9xl
    @ARI-zr9xl 4 місяці тому

    未使用感のある軍用トラックや摩耗していないタイヤが生々しい。

  • @2309-q7m
    @2309-q7m 4 місяці тому

    九州最南だし、そのうち超巨大台風で吹き飛ばされそうで、、、

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      翼がその重量に耐えられなくなってきているようで、サポーターというかギブスのようなもので補強されていることも残念な姿です。

  • @まゆゆいただき-q8f
    @まゆゆいただき-q8f 4 місяці тому

    最初宇宙人のUFOの操縦機械と思った😮

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      航空機についての人気は認識してましたが、沈船についてこんなに興味を持ってもらえるなんて夢のようです。 確かに80年経った今の様子はUFOの操縦機械のイメージだと思える映像かもしれません。

  • @佐藤翔太-c7j
    @佐藤翔太-c7j 4 місяці тому

    なるほど、一指揮離苦場香華機体の内部は広いですね

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      機体内部に入ることができてしまうことで、機体の痛みが進んでいくだろうし、恐らく当時はさまざまな残留品があったはずなのに今は何も残されていない。 確かに航空機の内部に入ることができるのは興味深いことではあるのですが。

  • @池田竜治
    @池田竜治 4 місяці тому

    地元加世田の者です、南薩鉄道を取り上げて頂きありがとうございます。 映像にもありました、4号機関車は米軍機に銃撃され機関助手の方がお亡くなりになり、今も弾痕が残っています。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      あの機関車が銃撃されていたんですか! そんな背景があったなんて知りませんでした。 弾痕まで残されているんですねえ。 もう一度確認に行ってみたいと思います。 ありがとうございました。

  • @user-qd5vj8zm4j
    @user-qd5vj8zm4j 4 місяці тому

    今から36前に勤務していた会社から資格習得ご褒美でグアム旅行に行きましたよ、その時にグアム脇のココス島でスキューバしましたよ、尚ポチッチャリの為に観光客のスーツはサイズ合わなくてインストラクターのアメリカ人の先生のスウェットスーツ借りて潜りましたが海から上がるときにしこたま海水飲みましたよ、体型の為に浮力ありすぎて目一杯ウエイト付けましたよ。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      36年前ですか! まだ日本人観光客がそれほど多くなっていない時のグアムですね。 それから台風でココス島は波が島を横断したりしたこともありましたが、日本人の一大観光地に成長しました。 今はコロナの影響で寂れた感は否めませんが、ぜひまたグアムにいらしてください。

    • @user-qd5vj8zm4j
      @user-qd5vj8zm4j 4 місяці тому

      @@aquaacademy5068 様へ 産まれて初めての飛行機に搭乗して行ったのが名古屋空港からグアムの往復です、今は消滅したコンチネンタルで行きは727帰りはDC10、ドッグレース場で新婚旅行の二人から現地の方と言われましたよ。 機会あればまた行きたいですね。

    • @user-qd5vj8zm4j
      @user-qd5vj8zm4j 4 місяці тому

      @@aquaacademy5068 様へ グアムのドッグレース場では日本の新婚さんに現地の人間と間違えられ、免税店の日本人スタッフにキッチンペーパーで汗拭いてもらいましたよ。 今は吸収合併で無くなつたコンチネンタル航空懐かしく思い出しますろよ、往復搭乗しましたよ。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      @@user-qd5vj8zm4j 古き良きグアムの様子ですね!

    • @user-qd5vj8zm4j
      @user-qd5vj8zm4j 4 місяці тому

      @@aquaacademy5068 様へ グアム本島のスペイン広場で小粒な真珠連なるネックレス買ったらTシャツお土産にもらい、ドッグレース場の最前列に居たら日本の新婚さんに現地の人ですかと言われました、ビーチサンダルとTシャツ、短パンの姿でしたから。 初めての外国はグアムだからまた行きたい気持ちありますよ。

  • @JIN-lz9zn
    @JIN-lz9zn 4 місяці тому

    素晴らしい映像をありがとうございます。 動翼が作動状態のままの姿を見ると、最後の瞬間まで搭乗員たちの尽力が伝わる思いです。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      本当にそう思います。 陸上に展示している航空機は実物として大変貴重なものですが、水中に沈んでいる航空機は、誰かがいじらない限りはその時のままの状態で残っていると思います。 自分は水中に潜ってその状態を見ることで、おっしゃる通りに当時の搭乗員の方々の思いや覚悟を感じ取れると思っています。 そしてその様子は全ての人が見ることができるものではないとも思いますので、みなさんにご覧いただくことでいろいろなご意見を伺えればと考えます。 その情報をまとめることで、より詳しい当時の様子を知ることができると信じています。 最終的にはどなたが搭乗されていたのかが分かればとも考えていますし、それができたらご家族の方々にもご報告ができるのではないでしょうか。

  • @ハチヨタ
    @ハチヨタ 4 місяці тому

    なるほど。全て引き上げて陸地で保存してほしいですね。日本のスポンサーを探して。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      胴体は確実に崩れてしまいそうなのでこのままにしておく方がいいのではないかと思います。

  • @ひろひろ-x9x
    @ひろひろ-x9x 4 місяці тому

    なぜ、野晒し? 金持ちもこういうのには興味がない。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      日本では戦争という言葉を聞いただけで、しかめっ面する人が多いですから、なかなかそこにお金を使うことに躊躇してしまうのかもしれませんね。

  • @伊藤雲黒斎
    @伊藤雲黒斎 4 місяці тому

    鹿児島湾で戦後10年くらいで(不正確)状態の良い紫電改が引き上げられましたが20万で買い取った業者がスクラップにしました。陸奥の主砲塔も戦後25年で引き上げられましたがスクラップに。砲身だけ残してあるけど。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      惜しいお話ですね。 何もしないのなら水中に残しておいてくれていれば、なんとかして見に行く方法もあったのかもしれません。 それにしても鹿児島湾でですか。 帰還しなかった6機のうちの1機である可能性もありますねえ。

  • @上からマリコ-m8v
    @上からマリコ-m8v 4 місяці тому

    もしも?液冷諦めて空冷で3式として採用されていたら?歴史変わったかな。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      運用されていた地域の影響もあると思いますが、必ずしも液冷が使えなかったわけではなかったとも思っています。 時期的に時すでに遅かったのではないでしょうか。

  • @そうま-q8b
    @そうま-q8b 4 місяці тому

    貴重な映像ありがとうございます!

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      沈船動画をご覧いただきありがとうございます!

  • @零戦太郎-h7v
    @零戦太郎-h7v 4 місяці тому

    誉エンジンは中島航空機製造です。三菱ではありません。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      その通りです。 申し訳ありません、間違いです。

  • @ChuukDiveTREASURES
    @ChuukDiveTREASURES 4 місяці тому

    3:28に写っているのは爆弾ですね。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      なるほど。 爆雷ですか?

    • @Keisuke-tp6xn
      @Keisuke-tp6xn 4 місяці тому

      @@aquaacademy5068航空爆弾です

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      @@Keisuke-tp6xn 樽状のものの前に映ってるやつですか! けつが四角い奴のことですね。 なるほど! ありがとうございます

    • @ARI-zr9xl
      @ARI-zr9xl 4 місяці тому

      未使用感のある軍用トラックや摩耗していないタイヤが生々しい。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      @@ARI-zr9xl そうなんですよ。 船そのものもそうですが、積荷も生活感があるというか、自分の知っているものがあると興味が増します。 トイレや風呂のような沈殿物が降り積もった中に、真白い陶器が出てくるとドキドキします。

  • @南部一郎
    @南部一郎 4 місяці тому

    素晴らしい映像をありがとうございます。 私の祖父は海軍の特務士官で戦時中乗艦がトラックに何度も寄港していた様子で当時祖父から祖母へあてた郵便物にトラックの情景を撮影した写真家何枚かあったようです。 日本にとっての真珠湾、大規模根拠地には未だ様々な遺物が残っているんですね。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      トラックは近いようでいて、なかなか一生に一度行けるかどうかの遠い場所だと思います。 自分もここに行くことができるとは夢にも思ってませんでしたが、現地の方たちの協力でトラックで予定していた場所全てに行くことができました。 そして最も感じたのは、80年前に日本だった当時の方が建物や人口も多く、電気まで通して生活していたのだということでした。 道路に側溝まで整備してましたが、現在最も人口が多い主要な島に側溝などが整備されてないはいません。 日本の南洋と呼ばれていた所だけではないでしょうが、日本人がいた場所の人々は日本人に悪い感情は決して持っていないだろうと思いました。 素晴らしい国民です。

  • @shdenkai
    @shdenkai 4 місяці тому

    五式戦は日本国外では戦闘してません。昭和20年を過ぎて採用されたので!それはないですしよう。元の飛燕の可能があるのと思います。

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      なるほど飛燕ですか! 同じ形なのでしょうか。

  • @美甘桜
    @美甘桜 4 місяці тому

    日本軍の病院?

    • @aquaacademy5068
      @aquaacademy5068 4 місяці тому

      現地のガイドは支庁病院ということで民間病院であると紹介してくれましたが、サイパンなどの海軍病院と同じ作りをしているように思います。 また当時の地図では隣同士にあったとなっているので、海軍病院かもしれません。