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『こころの好縁会』 大興寺 無相会
Приєднався 4 чер 2020
臨済宗妙心寺派雲龍山大興寺
daikou-ji.jp/
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【大興寺 無相会 対談020】 姜 尚中 先生(東京大学名誉教授)・玄侑 宗久 先生(芥川賞受賞 福聚寺住職) ~ 「人間、この厄介な生き物 - 現代、この厄介な時代」
2024年10月14日
大興寺 無相会 公開講座 こころの好縁会 対談
・東京大学名誉教授
姜 尚中 先生
・芥川賞受賞
福聚寺住職 玄侑 宗久 先生
大興寺 無相会 公開講座 こころの好縁会 対談
・東京大学名誉教授
姜 尚中 先生
・芥川賞受賞
福聚寺住職 玄侑 宗久 先生
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【大興寺 無相会 019】 玄侑 宗久 先生(芥川賞受賞 福聚寺住職)~ 「結果自然(じねん)になる」
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2024年10月14日 大興寺 無相会 公開講座 こころの好縁会 ・芥川賞受賞 福聚寺住職 玄侑 宗久 先生
【大興寺 無相会 018】 姜 尚中 先生(東京大学名誉教授)~ 「因果はめぐる」
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2024年10月14日 大興寺 無相会 公開講座 こころの好縁会 ・東京大学名誉教授 姜 尚中 先生
【大興寺 無相会・鼎談 012】 姜尚中先生(東京大学名誉教授)・玄侑宗久先生(福聚寺住職)・小出宣昭氏(中日新聞社顧問・主筆)~日本の行方、私の生き方 - グローバリズムとナショナリズムの狭間で
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2022年11月3日 大興寺 無相会 公開講座 こころの好縁会・鼎談 ・東京大学名誉教授 姜 尚中 先生 ・芥川賞受賞 福聚寺住職玄侑 宗久 先生 ・中日新聞社 顧問・主筆 小出 宣昭 氏 岐阜グランドホテル ロイヤルシアター 共催:中日新聞社 協賛:天嶽院
【大興寺 無相会 011】玄侑宗久先生(芥川賞作家・福聚寺住職) 〜 ヒトと自然 〜
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2022年11月3日 大興寺無相会 公開講座 こころの好縁会 〜 ヒトと自然 〜 岐阜グランドホテル ロイヤルシアター 共催:中日新聞社 協賛:天嶽院
【大興寺 無相会 010】姜尚中先生(東京大学名誉教授) それでも生きて行く 〜 悲劇は喜劇よりも偉大なり
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2022年11月3日 大興寺無相会 公開講座 こころの好縁会 姜尚中先生 それでも生きて行く 〜 悲劇は喜劇よりも偉大なり 岐阜グランドホテル ロイヤルシアター 共催:中日新聞社 協賛:天嶽院
【大興寺 無相会・鼎談 007】 中西進先生(高志の国文学館館長)・玄侑宗久先生(福聚寺住職)・小出宣昭氏(中日新聞社顧問・主筆)~ あらまほしき日本人 ~
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2021年7月11日 大興寺 無相会 公開講座 こころの好縁会・鼎談 ・文化勲章受章高志の国文学館館長 中西 進 先生 ・芥川賞受賞 福聚寺住職玄侑 宗久 先生 ・中日新聞社 顧問・主筆 小出 宣昭 氏 岐阜グランドホテル ロイヤルシアター 共催:中日新聞社・大興寺 特別協賛:十六銀行
【大興寺 無相会 006】玄侑宗久先生(芥川賞作家・福聚寺住職)~ 日本の仏教と感染症あれこれ ~
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2021年7月11日 大興寺無相会 公開講座 こころの好縁会 ~ 日本の仏教と感染症あれこれ ~ 岐阜グランドホテル ロイヤルシアター 共催:中日新聞社・大興寺 特別協賛:十六銀行
【大興寺 無相会 005】中西進先生(高志の国文学館館長)~ 万葉集の謎あれこれ ~
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【大興寺 無相会 005】中西進先生(高志の国文学館館長)~ 万葉集の謎あれこれ ~
【大興寺 無相会 004】横田南嶺老師(臨済宗円覚寺派管長)~ 仏法は障子の引き手、峰の松 ~
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【大興寺 無相会 004】横田南嶺老師(臨済宗円覚寺派管長)~ 仏法は障子の引き手、峰の松 ~
【大興寺 無相会 003】横田南嶺老師(臨済宗円覚寺派管長)~ほほえみの種をまこう~
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【大興寺 無相会 003】横田南嶺老師(臨済宗円覚寺派管長)~ほほえみの種をまこう~
姜尚中さん私が知らなかったことをたくさん教えて下さり本当にありがとうございました😊
エッ 東大名誉教授?誰が?まさか?
携帯会社の料金をテーマにしたゲーム理論 では実際に活用される例として、携帯会社の料金体系がなぜほぼ同じなのかをゲーム理論をもとに考えていきましょう。 大手携帯会社3社のA・B・Cが存在し、この3社とも携帯電話の利用料金が月額6,000円だとします。しかしA社のみ月額5,000円とした場合、どのようなことが起こるでしょうか。 利用者はできるだけ安くサービスを利用したいので、B・C社からA社への乗り換えをする人が増えます。しかしそうはさせまいと、B・C社も相次いで月額使用料を5,000円とするでしょう。その結果、利益アップのためにシェアを広げようと値下げしたA社でしたが、3社とも値下げしたことで業界全体の利益は少なくなってしまいます。3社とも横並びの料金設定はそのためです。 ゲーム理論によって他社の行動とその結果の事態を予測することで、自社の利益ひいては業界全体の利益を守ることができます。(参考資料:マイナビニュース)
囚人のジレンマとは 盗みを働いたとして、2人の囚人(AとB)が逮捕されました。2人は別々の部屋で行われる取り調べにおいて、自白か黙秘かを迫られることになります。 ここでは2人に、以下の4つの選択が提示されます。 1 両者が黙秘した場合(A、Bとも懲役1年) 2 両者が自白した場合(A、Bとも懲役4年) 3 Aが黙秘し、Bが自白した場合(Aは懲役5年、B は懲役3カ月) 4 Aが自白し、Bが黙秘した場合(Aは懲役3カ月、Bは懲役5年) 2人にとっての最善の選択は「1」です。しかし別室の相手も同じように黙秘してくれるとは限りません。相手の状況が読めないなか、Aは自身にとって都合のよい「自白」を選びます。同じ思考でBも「自白」を選んでしまい、2人にとって最善の「2人とも黙秘」は選択されないというのがこの囚人のジレンマです。(参考資料:マイナビニュース)
ゲーム理論の定義 ゲーム理論においては、日常に起きるすべての事柄は「ゲーム」です。職場での上司や部下との人間関係、取引先との商談、家族内でのトラブル、世界規模では地球環境問題などあらゆる事柄をゲームと捉え、解決の糸口を探します。 ゲーム理論で必要となるのは、そのゲームの構造や潜在する問題点を把握し、そこから起こりうる未来を予測する力です。自分だけの利益を求めるのではなく、他者の行動を予測し、両者にとって最善の方法を選ぶことが目標となります。(参考資料:マイナビニュース)
【日本のネズミも集団で生活しています】ねずみは集団で生活しています。 縄張り(テリトリー) ねずみの集団は縄ばりを持ち、自分たちの地域内には他の集団を侵入させません。 ひとつの集団は、最優位にたつオスねずみ1頭、メスねずみ多数、その子ねずみたちで構成されています。 行動圏(ホームレンジ) ねずみは縄ばりの周囲に行動圏を持ちます。 行動圏は主としてエサを求めて歩く範囲です。(参考資料:nezumikujo) ねずみは寒さに弱い動物で、暖かい場所を好みます。人家に入り込んでくるのも、餌を探すと同時に、快適な住処を求めてのことなのです。ねずみは家の中に安全な場所を見つけ、集めてきた布や紙などを巣材として巣作りをします。 ねずみは基本的に夜行性の動物です。昼間のうちはあまり動き回りません。もっとも活発になるのは、日没直後と明け方直前の2回です。そのため、ねずみの被害は夜間に発生することが多いでしょう。この習性を踏まえると、夜間には食べ物を放置せずにしまいこむなどの対策が適していると言えます。 クマネズミは屋根裏に入り込むことが多いので、夜間にパタパタと歩き回る音が聞こえるはずです。もし、昼間に音がするなら、ねずみではない動物(ハクビシンやアライグマなど)の可能性があります。(参考資料:ねずみ駆除マイスター)
玄侑禅僧の、ハダカ・デバ・ネズミの情報は、日本国民にはどれほどの生きる思いやりとして伝わるのでしょか?どこまで、玄侑禅僧が「日本国民に対しての寄り添い」がある情報発信ができるかどうかだと思います。 「単なる玄侑禅僧の知識」の表明ではなくて。仏教では「生老病死」という「人間の生への流れ」を教えていますが、玄侑禅僧は、「老」を長くしたいと、「若さ」を求めているのかな?と思うくらいです。 このネズミはアフリカ(エチオピア、ケニア、ジプチ、ソマリア)の環境の中で育っている生命体なので、環境も違います。少なくとも僕には、どこに参考になる話があるのかな?とおもいました。国民との共感力、「痛み」がないと、私たちの生活にあまり関係のない、このような突飛な話しになるのではないかと思います。 確かに人類は昔、毛むくじゃらでしたし、今の人類は脱毛状態になっていますが。私たちは服を着て身体を守っています。宇宙に行けば、地球環境を服の中に保持することになるので、ヘルメットをかぶり重装備で、保温して身体を守っています。 「親社会性」という話をもう少し、分かりやすく具体的に説明してほしかったです。人間もみなさん役割を持って仕事をし、生きています。 日本に住むネズミには社会性がないのでしょうか?それとも、人間に社会性がないと....?玄侑禅僧が過去の動画で述べたように、「自力」で最後まで生きるのでしょうか?「自力」こそ個性に近いのではないでしょうか。(23:25)
みんなが何かをよくしようとしてあらたな時代をゆったけど何から何をあらたな時代と言いだしたのかわすれたんだろうな。だから時代にふりまわされるだけになってる。
時がたつほどふるさはあたらしくなるから。個性をたいせつにしてもしなくても戦争するよな。しないと答えでないからな。たいせつにしすぎないをつかわないようにつかった言葉がおたがいさま様だからな。排除しあうしかない多様じゃなく他者を許す心のスペースをくれるおたがいさま様なら戦争をなくなるかもな。
戦争しないと平和がわからないから。
ハダカデバネズミは初めて識りました!オモシロイですね職分をわきまえるネズミ!人間もかくありたく思います。
姜先生と息子さんの関わりそして息子さんのオーソリティーは姜先生だったのでしょうか?オーソリティーナニスルモノゾなのでしょうか?
夏目漱石と藤村操の関わりそして藤村操にとって夏目漱石はオーソリティーであったのでしょうか?
これから 東アジア危ないですよ! ドンパチ起こりますよ! 皆んな竹中小泉大勢力に騙されていますから!
(19:27)「玄侑宗久チャンネル・運があまりにも悪い」の中に、動物の話しが出てきます。また玄侑禅僧の「自由観」を語っています。この動画サイトで述べている「自由観」とは少し変化しているかな?と思います。
(44:25)技術について、「玄侑宗久チャンネル・足るを知る」が面白いです。心の技術を説明しています。「玄侑宗久チャンネル・自分には何かが欠落しているのではないか」
人間を殺して良い理由は、人間の個人同士の間では認められていません。しかし「国家」が認めれば、人間の命を殺すことができると思います。そして逆説的ですが、国家のために命をささげることを、国家は自国民に犠牲を認めるのです。国民に死ぬことを許容するのです。それは相手国の国民の命を奪う行為でもあります。そして英雄となり、軍人恩給のカタチとして、国家は家族に手当を支給するのです。(12:40)🙏 「玄侑禅僧の自由観」(48:44)からは、そういう国家のあり方を認めているのでしょうか?(17:00)「リベンジ」の考え方を結果自然と認めていますか?真珠湾攻撃も、原爆も、本当は認めないのが玄侑禅僧の立ち位置ではないですか? 以前玄侑宗久チャンネルで、「人を殺すのも、縁」(玄侑宗久チャンネル 出来心)ということをおっしゃっています。仏教は人を殺して、それを認めるのでしょうか?
ご両親もご立派な方々。足元にも及ばずお恥ずかしいです。呼吸法してお話聴いているうちに不安も無くなり良く眠れます。😊観音経いつも唱えています。
お二人の先生の対談を嬉しく拝聴させて頂きました。ありがとうございました。 自由という言葉に今まで何となく不自由を感じながら生きてきたように思います『自由』の仏教の捉え方を聴かせて頂いて、持っていた違和感が腑に落ちる感じが致しました。『相手を慮って、自分に由る。』 こころが喜んでいます。 有り難うございました💓
アイデンティティを消し去る教育が本当に教育の本質でしょうか?玄侑禅僧こそ、「強い個性」を僕は感じます。(3:38)(5:18) (3:23)鳥が編隊を組んで飛ぶのは、個性有り無しに関係なく、上昇気流を捉えることで体を持ち上げる力を発生し、エネルギーを節約できるためではないでしょうか?個性ではなく、「自己保存能力」と「流体力学」と思います。
国家の義務は、国民の生活経済(特に食と住)をまず守ってほしいと思います。それが大前提としてあります。また働く被雇用労働者を守ってほしいです。そして国民の健康を守ってほしいです。戦争はこれらすべてを破壊してしまうと思います。ですから、「戦争をしないことも国家の義務」です。
アルコール類は別として、日本人は、プライベートな相手から出されたものは、感謝していただきますね。相手もコーヒー?緑茶?とか聞く場合があります。選択の余地を残してくれることもありますね。また喫茶店やレストランでは、メニューを見て選択し注文します。対価としてお金を払うので、飲みたいものを注文します。個性ですね。 軍隊や、仏教修行寺、刑務所などは、こうした個性はないと思います。介護施設では、選択できないけれど、栄養バランスを考えて、日替わりで食事が提供されますし、前もって言えば、肉が嫌いな方は、魚とかに変更することが可能な施設があります。服装も自由です。(47:30)
2部を2週間後にお聞きして、暴力的な人間を、どうしたら良いのかをお話ししてた。お聞きして感情のコントロールが大切です。怒りは💢一瞬です、その時コントロールを出来る人を増やす事だと思います。コネクションプラティクスを学びました。世界で拡めている人達の一人です。友人達が代表者です。日本の代表はきくちゆみ、森田げん、のざわあやこさんたちです。😊
(18:00)参考資料:玄侑宗久チャンネル 同期する命 もし人間に「恐怖」を与えるとしたら、「核兵器」ではなく、気候変動による「災害」かも知れません。「災害」は間違いなく起こります。ただいつかはわからないだけです。核兵器使用は人間の意志で止めることができますが、天変地異は人間の意志では止めることができません。天変地異は、ゲームではありません。基本的に、いつ起こるかは予測できません。明日の雨を予測できても、明日地震が起こることを予測できない。ある程度の確からしさは、予測できるけれど、いつ、どこで、とは予測できない。つまりゲームにならない。「祈るしかない。」科学は観測するけれども、対処方法は知らない。雨も地震も止められない。隕石衝突もその一つ。
軍隊は、非個性的ですね。指揮命令系統によって、兵隊は動きます。それぞれの個性は出せないです。軍事パレードを見ると、よくわかります。服も一緒、歩き方も一緒です。等間隔になって行進します。修行している雲水の生活、刑務所で暮らしている人々も、規律をもって、個性なく生活しています。考える余地はないと思います。共通していることは、集団的で、統制された人間集団であることです。
玄侑禅僧がおっしゃる「自由」は分かりにくいです。「鈴木大拙さんの自由」の話を出されていますが、「玄侑禅僧の自由」は鈴木大拙さんのおっしゃる意見とは違うようですね。😊 日本では自分の現実生活の中で自由に考えたり、行動したりする自由を持つ(時間・お金)人は少ないと思います。一部のエリート階級、インテリゲンツァ、資本を持つ人達、あるいは玄侑禅僧のように世襲制による職能によって、自由な時間と自由なお金・年金がある人に限られた「自由」と思います。 何も持たない庶民は税金にも、また被雇用者として労働で長く苦しみ、自由なお金は少ないですし、従って高齢になっても自由な時間はないです。年金だけで生活できない庶民が多いのではないでしょうか?結果自然と死ぬまで働く状況があると思います。😫 自由の定義よりも、こうした現実的な自由をどう思われますか?これが、「結果自然」として寄り添い、理解しますか?痛みはありますか?
😢
伝道の書は、すごく仏教的な空(くう)という言葉があって、面白いなと思います。空海さんは、伝道の書の存在を知っているかな?
人間が日常的に言語を使うようになってから、おかしくなってきたのではないか?また「所有」と「言語の発達」は密接に関係しているのではないか?(7:00) 最近ふと、「念仏する」ということを考えるのですが、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」は、現代の人間が使う日常言語の理解からすれば、よくわからない抽象的な言語です。繰り返しの「音」としての機能性を考えると、合理的な言語化を避けているようにも見えます。繰り返すことで、良く眠れることがあるとも思います。そうしたこれらの言語が今でも脈々と残っていることに不思議さを感じます。人間以外の動物は、人間のような合理的な言語を持たないでいるように感じます。もちろん彼らには彼らなりの言語?サインを持ち合わせていると思いますが、少なくとも、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱える動物を見たことはない。 また人間と動物との共通言語をほとんど持ち合わせていないと思います。人間同士の間でも、共通言語というものが、日常レベルの中でありません。国家あるいは民族の枠組みのなかで、固有の言語が話されている状態です。聖書にもありますように、神さまは言語を分散させたというバベルの塔の話は有名です。
私が三十代に入った頃、和田稠(わだしげし 1916~2006 真宗大谷派僧侶)先生のお話をよく聴かせていただいていました。個人的な悩みを自分ではどうすることもできず、先生が九州に来られると聞くと、会場に足を運んでいました。 そんなある日、先生の法話が終わった後、控室にうかがった時のことです。いつもはこちらからお尋ねをすることが多かったのですが、その時は先生から「君は苦しみ悩みがあって、それをなくしたいと思ってここへ来とるんだろう」と問われました。そのとおりだったのですが、あまりにも唐突だったこともあり、私は何も言えずにいました。さらに先生は「あのなあ、苦悩する者を人間というんや」と言われ、私は(だから、その苦悩を取り除くことを求めて、ここに聞きに来てるんだ)と思いながらも、先生の言われようとされていることが飲み込めず困惑し、ずっと沈黙していました。そんな私を見て、先生はダメを押すようにこう言われたのです。「じゃあ、もういっぺん聞くが、君は隣で泣いとる人がおっても、苦しんでいる人がおっても、自分だけは悩みもせず苦しみもせず、そんなロボットみたいな人間になりたいんか」と。 驚きのあまり、私は言葉が出ませんでした。自分が意識して求めていたことが、この身が本当に求めていることとは全く違っていたんだ、という驚き。何かが自分の中でひっくり返ったような、もっと言えば自分そのものがひっくり返されたような不思議な感覚でした。 私たちは、日頃、聴聞(ちょうもん=法話・説教等を聴くこと)をする時に、「ためになるお話を聞きたい」「今日の話は参考になった」というように、仏法を利用するような聞き方をしていることがあります。さらに、念仏することで、迷いをなくしていこう、悩みを解決しようという思いで聞いているのではないでしょうか。 (参考資料:法話 生活の中で 念仏するのでなく 念仏の上に 生活がいとなまれる 和田 稠 同朋選書16『信の回復』) 保々眞量(ほぼしんりょう) 1964年生まれ。熊本県在住。熊本教区光行寺候補衆徒。
おはようございます。動画配信ありがとうございます。 昔小学校の低学年の頃に、理科の実験で「カエルの解剖」があったのですが、カラダの構造を知る実験だったと思います。僕は泣かなかったのですが、一人の同級生(女性)は泣いていましたね。彼女のナミダを思い出しました。彼女は、カエルの命と自分の命を同じレベルで見ていたのかなと思います。 そのナミダは、人間に「所有」されたカエルの命に対する不条理さではないかと思います。もしカエルが「不条理」という言葉を理解していたら、人間に抵抗しただろうか?
秋が深まるなかでのおふたりのしっとりとした対談たのしめました。ありがとうございます。
唯織、マナ織にヒントがある。
T4軍事作戦政策の要柱が、精神病院福祉行政サービス業務制度。 精神病院=強制絶滅収容所。
中村 哲(なかむら てつ、1946年9月15日 - 2019年12月4日)は、日本の医師(脳神経内科)。勲等は旭日小綬章。アフガニスタンではカカ・ムラト(کاکا مراد、「ナカムラのおじさん」)、カカムラッドとも呼ばれる。 ペシャワール会現地代表、ピース・ジャパン・メディカル・サービス総院長、九州大学高等研究院特別主幹教授などを歴任した。 福岡県福岡市出身。ペシャワール会現地代表やピース・ジャパン・メディカル・サービスの総院長として、パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事してきた。アフガニスタンでは高く評価されており、同国から国家勲章や議会下院表彰などが授与されており、さらに同国の名誉市民権が贈られている。日本国政府からも旭日双光章などが授与されている。また、母校である九州大学では高等研究院にて特別主幹教授に就任した。2019年、アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラーバードにて、武装勢力(パキスタン・タリバン運動=略称TTP)に銃撃され死去した。死去に伴い、旭日小綬章や内閣総理大臣感謝状などが授与された。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))
中村哲(なかむらてつ):アフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、日本国憲法第9条(不戦条項)の堅持を主張した。また佐高信に対しても「アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」とも語っている。 2008年にはペシャワール会の職員伊藤和也がターリバーンに拉致され、殺害された(アフガニスタン日本人拉致事件)。この際中村は「伊藤くんを殺したのはアフガン人ではありません。人間ではありません。今やアフガニスタンを蝕む暴力であります」と述べている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))
「日本仏教の神髄」は、座禅かもしれません。日本人社会の伝統的な「姿勢の良さ」と「空間の静けさ」は、日本人の特徴かもしれません。もちろん僕たち日本人も欧米文化の影響を明治時代以降受けているのですが、そのことは非常におもしろいことだと思います。(参考資料:動画「正座の効用」 玄侑宗久チャンネル)
スタンホペアというランの花を通して、この花が本当に進化していると呼べるかな?と少し思います。確かに植物には、ランに限らず、私たち人間には気づかない感覚器官、コミュニケーションのようなものがあるように思います。この花の場合、受粉の仕方が特有で限定的なことをもって、それを「ランという特殊な属の変化」ではなく、それを「進化」と判断をするのは、僕には分からないです。またこの花は、受け身という形を取りながら、受粉する昆虫たちを「選別」しているようにも見えます。この花は1週間前後で枯れてしまうようです。「植物の進化とは、短命」ということでもあるのでしょうか?(17:55)「人間ホモサピエンスの進化」とは、現代においては、労働時間が短くなり、自由な時間が増え、寿命がのびたということでしょうか。しかしまだこれを、進化と呼べるかどうかですね。日常生活のなかで、人と人とがコミュニケーションをすることで蓄積、発展した「公共性のようなもの」が社会的な人間の進化なのかもしれません。しかし一方で戦争状態は続いていますし、「力による強いものが結果生き残る選別の進化」も人間の進化なのかどうか?です。
ハチドリはハエを食べませんよ。蜂みたいに蜜を吸うんです。
だるま四行論(しぎょうろん)(39:18) 報冤行(ほうおんぎょう) 実践の第一段階で、色々の恨み辛みの起こってくる本に返ってやり直すという意味。報とは一つの作用に対する反作用・循環を意味し、冤は兎に網をかぶせる、生命の躍動を抑え、そこから生じる所の恨みを意味している。枝葉末節に走る程煩悩や問題が頻出してくるとして、そういうものに捉われず、思い切ってそういうものを振り捨て、人間としての根本問題に返ることを報冤行という。 随縁行(ずいえんぎょう) 実践の第二段階で、卑近に自らの周囲にある縁に従(随)って行ずるという意味。なるべく空理空論にならぬよう、身近な所から手掛かりをつけて行う実践を随縁行という。 無所求行(むしょぐぎょう) 実践の第三段階。求める所を無くす行いであり、即ち生活感情から生じていく所の様々な煩悩や貪欲を新たに振り切って、ひたすら無心になって行じていくことを無所求行という。 称法行(しょぼうぎょう) 実践の第四段階。法のまにまに行ずる、即ち道理や心理と合致して、矛盾や差別無く、自らが法の権化の如く修養し、実践出来ることを称法行という。 (参考資料:ウィキペディア フリー百科事典)
「中間的な目標を持つことが、いけない」について。中間的な目標も「ひとつのご縁」ではないでしょうか。ショウヘイオオタニ選手について言えば、エンゼルス時代のご縁を大切にしているから、現在ドジャース選手として活躍できているのではないでしょうか?ただ玄侑禅僧が言いたかったことは、想像ですが、「意識が自分の心につながりそうなときは、サムシンググレイトな存在を信じることでそこにつながらなくなる。」ということを言いたかったのかもしれません。(35:00)
ラン科 スタンホペア属 (17:55) 原産はメキシコ、ブラジルにかけての中南米を中心に約55種類が知られている。 常緑の着生ランで樹上に着生する。 比較的大きな花を咲かせますが、この花が変わっていて、 花茎を下に伸ばし下垂して咲きます。 このため穴大きく開けた植木鉢やバスケット(かご)などを使って栽培しなければならないのです。普通の鉢で育てられる種類もある。 花は1週間前後で枯れてしまうので洋ランにしては短く、 香りも臭いのに強い。 葉は大きめの葉を1枚卵型のバルブから出す。 開花期は主に夏。 花が咲く姿や形が他のランとは変わっているのが特徴的。(参考資料:Konoha Boy)
マダガスカル島は南米ではなく、アフリカ東部の島です。(20:49)
【「相手のことを理解しているというのは、傲慢じゃないの?」「理解しなくても、仲良くなれる」】について。お互いに育った環境や文化が違えば、相手を理解しようとする「姿勢」は人にとっては、普通のことです。もちろんすべてを理解できませんが、大切なコミュニケーションです。 「(中間的な)目標をもつことがいけない」:ちょっとよくわかりませんが、目標を設定するときに、大きな目標の前に、小さな目標を設定することはありますよ。現実の社会の中では。ショウヘイオオタニ選手も、最初は弱い?エンゼルス球団でプレーをして、今度は強いチーム・ロサンゼルスドジャースに移り、ワールドシリーズで優勝したいという目標を持って、現在に至っています。【集中力と分散】について:どちらも大切ですね。今回の玄侑禅僧のお話は、話しがあっちこっちに「分散」するので、聴く側は「集中」して聴きました。ありがとうございました。😅
「結果自然の実」には、「食べられる実」もあれば、強者の「食べられない実」暴力もあるのが現実です。「暴力という実」を明確に説明した、姜尚中氏の方が分かりやすかったと僕は思います。玄侑禅僧の「受け身」の姿勢も、なるほどと思います。しかし積極的な受け身とは何か? 現実的な社会のなかで、「玄侑禅僧がダルマを語る、虚無的な?世界」からは、残念ながら、具体的に立ち現われて見えてこないのです。結局道が自分すら見えない?道を決めないで、「目的のないさまよえる道」から「結果自然の実」も見えない、というそれが玄侑禅僧が説明する「結果自然」でしょうか。相変わらず分かりにくい説明です。弱者と強者がうごめく「世間」から離れた、玄侑禅僧自身の閉じこもり的な生への「余裕と苦しみ」、そして「無目的、無目標な空白という実、さまよえる虚無」を感じてしまうのです。実体のある世間に「寄り添う姿」が見えてこないのです。一人洞窟で座し、ダルマは何を待ったのでしょうか?遠い星からのメッセージを待つことで、僕たちの今がどう見えるのでしょうか?日常生活での作法はどうだったのでしょうか?玄侑禅僧は、道草をして、道端の花を見つめながら、「人として、禅僧として作家として何の実」に結果、成ろうとしているのでしょうか?ただ浮遊しているのでしょうか?😊「ダルマという世界」を語るけれど、今生きている僕たちの社会との接点が見えない。むしろ「今の玄侑禅僧のこころの虚無状態」を語っているように僕には感じます。世間は、ダルマを通して、玄侑禅僧自身が見た現実の「今」、「結果自然」を知りたいのではないでしょうか?僕たちは本当に一人で生きていく「孤独」を求めたのでしょうか?結果として「孤独」にもなっていますが、孤独を求めたわけではありません。違うと思います。そうではなく、皆さん、もがきながらも、日常生活のなかで、人とかかわり働き、コミュニケーションをしながら、つながり自由を求めて生きています。また「孤独」を肯定的にとらえて、自由と受けとめている方々もいるのではないでしょうか。「ショウヘイオオタニ」のニュースは、玄侑禅僧にはどう見えているのでしょうか?彼は孤独でしょうか?「イスラエルと中東の悲劇」はどう見えているのででしょうか?衆議院選挙の投票には行かれましたか?毎日のご飯は....?
正義を振り翳すのは男の方が多いですよね😂男社会を緩やかな社会にして行きたいですね😊
お話を聞いていて、湧いて来た事があります。赦しです、姜さんの中に出て来ない、私は女です結婚もして、離婚もしました。自分を何かする時は許す、過去事は赦しです。恨まない、挫けない、求めない、怯まないを心において生きて来るようにしてきました。連鎖を断ち切りたいのです。看取り士の研修を受けて内観して、生い立ちを恨んでいました。叔母に意地悪をされて、いじけていました。それを手放したらとても楽になりました。色々の方と会います、怯む事も無くなりました😊
病気したくない、健康でいたい、死ぬときは楽でありたい、これも、欲なのでしょうか、
「一輪のすみれの花を咲かせるために天地がいっぱいの働きがある、その同じ働きを得て、私も生きている。既に在る。」 青山老師の、縦横無尽に思想を飛び回る法話をお聞きして、魂の繋がりを実感し、自然と感謝の気持ちが溢れます。ありがとうございます。
本🛕真言宗👃床👲👲👲👲==🐶👃👃👃兄弟🎍🎍には👃因縁☁☁☁床👃作り↔より👃👃本🛕🏠🏠〜👃因縁🤐🏹🏹頭👃もん👃ダイ🗺🗺🗺🔵👃バ🌿🌿🌿より👃🌿🌿〜〜サカキ👃作り↔🚉🎯ヤク👎薬師👃本🛕床🏠違い🤐