日本史オンライン講座
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嫌われる徳政令 私利私欲による徳政が社会の信頼を破壊 【研究者と学ぶ日本史  徳政令5】
応仁の乱の頃に京都の町が変質し、幕府・債務者・債権者が私利私欲で徳政を乱用します。人々の信頼関係は崩れ、徳政令は社会を混乱させるもとして嫌われるようになっていきます。早島祐介著「徳政令」を秦野祐介先生が解説します。
#解説は秦野裕介立命館大学研究員 #早島大祐 #徳政令 #日本史オンライン講座 #研究者と学ぶ日本史
徳政令1 ua-cam.com/video/2y3FyH1r0pk/v-deo.html
徳政令2 ua-cam.com/video/hAshLizm55I/v-deo.html
徳政令3 ua-cam.com/video/2qu4UmTCiDU/v-deo.html
徳政令4 ua-cam.com/video/a1OiRvCVh9Y/v-deo.html
徳政令5 ua-cam.com/video/jvjw1n_hc2w/v-deo.html
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室町幕府の収入 桁違いの日明貿易 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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室町幕府の財源は、守護役・日明貿易・酒屋土倉役・御成りと移り変わります。 研究者と学ぶ日本史 徳政と室町幕府 ua-cam.com/video/a1OiRvCVh9Y/v-deo.html 嫌われる徳政令 ua-cam.com/video/jvjw1n_hc2w/v-deo.html #日本史オンライン講座朝のライブ #日本史オンライン講座動画の紹介 #室町幕府
足利尊氏 観応の擾乱・正平の一統から後光厳皇統擁立へ 【社会人のための高校日本史2024】
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足利尊氏・足利直義は仲の良い兄弟でしたが、幕府と公家の関係をめぐって対立し、観応の擾乱が始まります。足利尊氏は正平の一統を行いますが、南朝の逆転攻勢を受け、北朝再建のために後光厳天皇を擁立しました。 #足利尊氏 #観応の擾乱 #正平の一統 #足利義詮 #足利直義 #後光厳天皇 #社会人のための高校日本史 再生リスト ua-cam.com/play/PLDKSLct0CMQCZDuSIHQSkH-vsSqGvLay5.html 両統迭立 ua-cam.com/video/B5HtvFAOOkE/v-deo.html 後醍醐天皇 ua-cam.com/video/rY6GvRsZtB0/v-deo.html 足利尊氏 ua-cam.com/video/ZtN8kMhS0O8/v-deo.html
東洋大日本国国憲按 植木枝盛が考えた皇位継承順位 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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継体天皇、後鳥羽上皇、後光厳天皇など皇位継承は様々の転換点を経ています。明治時代、憲法制定にあたり、自由民権運動の理論家植木枝盛の憲法草案は、皇位継承順位をどのように規定していたのかを紹介します。 日本史ミニ知識 ua-cam.com/video/K8sucSulGwQ/v-deo.html 嫡系と正統 ua-cam.com/video/kptyDeuVqGE/v-deo.html 東洋大日本国国憲按 ua-cam.com/video/0IaHlAaLyNA/v-deo.html
天智と天武 乙巳の変の主導者は誰か、皇極天皇の役割【コミックで学ぶ日本史】
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大化の改新(乙巳の変)の蘇我入鹿殺害事件の首謀者は誰か、本能寺の変光秀謀反の理由と並んで諸説爛漫のテーマです。なかでも、皇極天皇の役割が興味深い。コミック天智と天武は、コミックらしい奇想天外な設定で展開します。フィクションもさることながら、新書などを読んでも皇極天皇は謎に包まれています。 研究者と学ぶ日本史にも、皇極天皇(斉明天皇)をテーマにした動画があります。 白村江の戦い(倭の五王から斉明天皇まで) ua-cam.com/video/H5SGFskKztY/v-deo.htmlsi=zdj-68gUJrlZgZCv #コミックで学ぶ日本史 #社会人のための高校日本史 明智光秀 センゴク一統記  ua-cam.com/video/I-lObz33T1k/v-deo.html 今川義元 桶狭間戦記    ua-cam.com/video/olt3DgFD7c4/v-deo.html ...
武田信玄 信長に義元を倒させるのだ【コミックで学ぶ日本史】
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横山光輝のコミック武田信玄(原作は新田次郎)。桶狭間の戦いの直前、信玄は密命を発する。そちは今川陣中にあって、織田軍を手引きするのだ。 #コミックで学ぶ日本史 #日本史ミニ知識 #武田信玄 #山本勘助 明智光秀 センゴク一統記  ua-cam.com/video/I-lObz33T1k/v-deo.html 今川義元 桶狭間戦記    ua-cam.com/video/olt3DgFD7c4/v-deo.html  上杉謙信 天と地と     ua-cam.com/video/kGZNL5aMHdY/v-deo.html 斎藤道三 猛き黄金の国   ua-cam.com/video/d35Q_6w4yyQ/v-deo.html 織田信長 信長       ua-cam.com/video/IqFqPbgM3Ao/v-deo.html 風雲児たち         ua-cam.com/...
明智光秀謀反の理由、光秀は異次元の変革者【コミックで学ぶ日本史】
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宮下英樹のセンゴク一統記。このコミックの白眉は明智光秀の描き方。通常、織田信長が変革者、明智光秀は保守派として描かれますが、一統記の光秀は細川藤孝が畏れる変革者として描かれています。 #コミックで学ぶ日本史 渡邊大門先生の動画 光秀謀反の理由の諸説 ua-cam.com/video/02KSBvdxjyE/v-deo.html 黒幕説の検証     ua-cam.com/video/ovbmAnNWOPc/v-deo.html 四国政策転換説    ua-cam.com/video/21YkQHO8SOo/v-deo.html
嫡系と正統 平城・陽成・冷泉・花山の共通点は何か【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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冷泉天皇・花山天皇には狂気説話があります。平城・陽成・冷泉・花山と批判的に見られることがある天皇の共通点は何か。系図に嫡系と正統を書き込み、平城・陽成・冷泉・花山そして三条天皇の系図上の共通点を考えます。本動画は編集版です。ライブ配信版はライブの方にあります。 皇位継承の闇 狂気説話は誰が作ったのか 平城天皇 ua-cam.com/video/7X94xSOLOAU/v-deo.html 陽成天皇 ua-cam.com/video/mQZNp0Q89Mk/v-deo.html 冷泉天皇 ua-cam.com/video/AEHFs5rqHnQ/v-deo.html 花山天皇 ua-cam.com/video/Gjzw1PGWS_Q/v-deo.html #日本史オンライン講座朝のライブ #日本史オンライン講座動画の紹介 #花山天皇
三条天皇の生涯 藤原道長との共存はできなかったのか 【社会人のための高校日本史2024】
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冷泉皇統が嫡系でしたが、冷泉皇統は三条天皇で終わり、円融皇統の一条天皇の子孫が皇位を継承して正統になります。三条天皇と藤原道長の関係を改善するキーは妍子の出産でしたが、禎子内親王の誕生によって、藤原道長は円融皇統に傾いていきました。しかし、その禎子内親王が摂関政治の幕を引く役割を担うことになります。この動画は編集版です。チャット付のライブ配信はライブの方にあります。 倉本一宏著「三条天皇」を秦野先生が解説した動画を紹介します。三条天皇に関して、最も詳しい動画です。 三条天皇1 ua-cam.com/video/TEQvgfvppBU/v-deo.html 三条天皇2 ua-cam.com/video/dwoKt7YSAfo/v-deo.html 三条天皇3 ua-cam.com/video/hQ5-9Bef_Cs/v-deo.html 三条天皇4 ua-cam.com/video/k...
上杉謙信「天と地と」【コミックで学ぶ日本史】
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信長 バブル期の自信に満ちた日本を時代背景に変革者織田信長を描く【日本史のコミック】
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今川義元 守護大名から、幕府から自立した戦国大名に進化【コミックで学ぶ日本史】
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風雲児たち みなもと太郎の傑作歴史コミック 【日本史オンライン講座】
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日本史オンライン講座ライブ配信予定表 【日本史オンライ講座朝のライブ】
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斎藤道三 猛き黄金の国 本宮ひろ志著 【コミックで学ぶ日本史】
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信長の忍び 北畠具教 【コミックで学ぶ日本史03】
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241103B コミックで学ぶ日本史02 雅なる平安貴族
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紫式部日記 小迎裕美子 【コミックで学ぶ日本史01】
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三条天皇 嫡系だが正統に成れなかった三条天皇と四人の后たち 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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三条天皇と藤原道長 妍子の皇子で誕生すれば協調できるが 【光る君へ見てからライブ43】
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天皇御謀叛 後醍醐天皇が祈祷したのは倒幕か、皇子誕生か【日本史オンライン講座朝のライブ】
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本岡勇一講演会 ひょうごお城百選と相生のお城 11/16相生市文化会館
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両統迭立 大覚寺統の嫡流になりたかった後醍醐天皇 【 朝のライブ 日本史オンライン講座】
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美馬弘先生の動画「公家の食文化」 傑作動画アーカイブ 【朝のライブ】
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徳政と室町幕府 幕府の民事介入と分一徳政令の制定 【研究者と学ぶ日本史  徳政令4】
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復活させた初期の動画 シャクシャイン戦争、夷酋列像と松前藩 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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三条天皇 藤原道長に宣戦布告 天皇は外戚を選べるのか 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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紫式部日記 漢文ができる平安女子の行く末 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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徳政一揆の背景 室町時代、徳政一揆が地方に波及したのは首都と地方の格差 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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元寇(蒙古襲来) クビライの国書、竹崎季長絵詞 【日本史オンライン講座 朝のライブ】
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КОМЕНТАРІ

  • @MIZUHOKAWASIMA
    @MIZUHOKAWASIMA 3 години тому

    Great UA-cam⛑Thank you Very Much💐Muchísimas Gracias⛑ 『日本史オンライン講座』〈主催〉松本恵司 様、貴重な講義を視聴させて頂き、誠にありがとうございました。映像も音質も素晴らしい内容でした。 以下のような〈参照図書〉も用意しました。 A.黒田俊雄『中公文庫 日本の歴史8』中央公論新社 B.佐藤進一『中公文庫 日本の歴史9』中央公論新社 C.近藤成一〈編〉『日本の時代史9モンゴルの襲来』吉川弘文館 D.村井章介〈編〉『日本の時代史10南北朝の動乱』吉川弘文館 E.日本歴史学会〈編〉『日本史研究者辞典』吉川弘文館

  • @櫛淵遥
    @櫛淵遥 8 годин тому

    天武天皇は、天智天皇の皇女を四人も妃にしてますよね。実弟で、実兄の皇女四人も妃にするのは、かなり珍しいというか、異常事態ですよね。 天武天皇は、天智天皇の異父兄ではないかという説があります。

  • @高内侍
    @高内侍 День тому

    いつもありがとうございます。両統迭立時に西園寺家が急に登場することに違和感を感じていました。松本先生の日本史の講義を連続して聴き、九条家と交代した過程がわかり納得できました。西園寺家の女性が皇統に関わる時代です。子を産まなかってので系図には出てきませんが永福門院西園寺しょう子が好きです。

  • @gyokarui7497
    @gyokarui7497 День тому

    下坂氏による騎馬武者像考証は間違い。レントゲン検査で四方手にある家紋は後筆。義詮による賛といった尊氏否定の論拠、高である論拠が否定されたので最近また(箱根竹ノ下合戦での)足利尊氏説が。御剣2本ってのも尊氏ですしね。そして尊氏は本当に大雑把だったのか?室津軍議、書状の多さ(遺文)、将軍政所創設などなど。尊氏は幕府創設前からとっくに政治面でも積極的に見えます。

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 20 годин тому

      これから私も新説について勉強します。

  • @高内侍
    @高内侍 День тому

    毎朝楽しみにしています。朝学習のようで習慣にしていけたらと思います。😊

  • @後藤又兵衛-l8g
    @後藤又兵衛-l8g День тому

    光秀謀反の理由は、詮ずるところ平手正秀と同じだった気がしますねー

  • @あかとんぼ-y2h
    @あかとんぼ-y2h 2 дні тому

    今一番知りたいことです。事実に基づいた正しいご解釈ありがとうございます。憲法に従い、国民が望む天皇の御子へ皇位継承され、悠久的安定的に天皇家が続いていくことを願っています。一時的に権力を持った偏った思想の人だけで、密室で、国民が望まない天皇を勝手に決められようとしていることが不安です。皇室の歴史と憲法から外れずに声を上げていけるよう、学びを深めたいです。天皇が二人同時に存在していた時があったとか、伊勢の神鏡が火災で破損しているなど、歴史があまりのも長いので、もっといろいろありそうですね。

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 2 дні тому

      憲法に従い、国民が望む天皇の御子へ皇位継承され、悠久的安定的に天皇家が続いていくことを願っています。同感です。天皇家の方々に過剰な負担がかからないよう、そして、国民から支持されるような皇位継承が行われることを望んでいます。

  • @sS000
    @sS000 2 дні тому

    皇后(中宮)、皇太后、太皇太后は定員 3名 はクリアしていたのでしょうか。

  • @吉田昇-q3f
    @吉田昇-q3f 2 дні тому

    松本先生へ お疲れ様です。 上杉謙信を主人公にしている漫画作品は東村アキコ氏の「雪花の虎」(ゆきはなのとら)という漫画作品があります。  2015年から2020年まで小学館のビッグコミックスピリッツで連載されてました。 単行本も小学館から全10巻出てます。  話の内容は上杉謙信が女性である。という設定以外は誕生から永禄4年(1561)の第四次川中島合戦まで史実に近い設定の作品になってます。  興味があればインターネットカフェや図書館や書店で探して読んでみて下さい。

  • @六無斎チャンネル
    @六無斎チャンネル 2 дні тому

    私にとっては田沼意次・一橋治済という重要人物を40年前に教えてくれた漫画です。風雲児たち・幕末編は未完で終わってます。 単行本では高杉晋作のイギリス公使館焼き討ち前で終わってますが、原作の方は文久2年末の横井小楠の襲撃事件で終わっています。続きが読みたかったです。

  • @nihonshikouza
    @nihonshikouza 2 дні тому

    訂正 江戸時代の正統は、東山天皇から閑院宮家を経由して光格天皇に繋がります。

  • @岡島二人
    @岡島二人 2 дні тому

    雪斎と栴岳承芳が尾張を通過した際には名護屋には今川氏がいたのではないでしょうか?

  • @paleorosso
    @paleorosso 3 дні тому

    ご存じないかもしれませんが最初の『風雲児たち』が完結してから『風雲児たち・幕末編』の連載が始まる前に、坂本竜馬を主人公にした『雲竜奔馬(うんりゅうほんば)』という作品があります。当初は実質的にこちらが「幕末編」だったのですが、掲載誌が休刊になってしまったために5巻で強引に終わってしまいました。こういった事情のため、『風雲児たち・幕末編』の一部には『雲竜奔馬(うんりゅうほんば)』と似通ったような表現がチラホラ見かけたりします。

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 3 дні тому

      そうだったんですね。ありがとうございます。

  • @Gekitakubaibai
    @Gekitakubaibai 4 дні тому

    肖像画のようなサムネ いいな

  • @櫛淵遥
    @櫛淵遥 4 дні тому

    禎子内親王の生涯の特集がみてみたいです。

  • @櫛淵遥
    @櫛淵遥 5 днів тому

    三条天皇の無念は、禎子内親王が産んだ後三条天皇と藤原能信が晴らした感じですね。

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 5 днів тому

      禎子内親王は三条王家の悲運を見ており、さらに、頼通が自分を中宮から皇后に回したことで頼通に反発したようです。

  • @高内侍
    @高内侍 7 днів тому

    再度ありがとうございます。以前拝見しました。文化的な内容もいいです。

  • @櫛淵遥
    @櫛淵遥 7 днів тому

    中宮姸子に、禎子内親王しか生まれなかったのは、きっと、神仏が、道長よ!なんでもかんでもお前のおもうようにはいかないぞ❗️なんでもかんでも思い通りにしたいのならば、禎子内親王を、女性天皇にしてみろ‼️禎子内親王は、お前の可愛い孫だろうが❣️かつての推古天皇、持統天皇、斉明天皇のように、禎子内親王を即位させて、道長が摂政関白を司ればよいではないか‼️と、神仏は、道長に意見しそうですね 苦笑 中宮姸子に、親王が生まれたら、また、情勢は変わったのでしょうけど。 そしたら、後一条天皇の次に、禎子内親王が天皇になっていたかも知れませんね?中継ぎ天皇として❗️ 平安時代の政治家も、藤原さんばかりでよく理解できません 苦笑 光る君へをみていましたが、一条天皇の中宮定子に、父や兄が、皇子を産め❗️と一条天皇をまえにいるにもかかわらずに、中宮定子に対して、言及していましたね。皇子を産め❗️なんていわれても、中宮定子は、答えられないままだったし、一条天皇も不機嫌そうでしたね。

  • @tsukioka9643
    @tsukioka9643 8 днів тому

    32:00 誡太子書、結構長いです。書き下し文で3000字を超えます。(原稿用紙16枚ほどですね) ちなみに原文では「万世一系」ではなく「皇胤一統」となっています。 全文読んだのですが、そもそもこれは「次代の天皇へ向けて書いたもの」であるという認識が大事ですね。と同時に、 順徳天皇の禁秘抄と同じような感じの宝物かな、とも思いました。あっちはもっと儀式的で形式的ですが。 誡太子書は、南北朝時代、というより「戦乱の時代」を既に予感しているようで、その点もなかなかに趣深いです。引用する際は、時代背景が超重要ですね。 ウィキソースで辻善之助の書き下し文を読んでみたのですが、美文で本当に気持ちよかったです。

  • @AshikagaYoshihisa-lq8yx
    @AshikagaYoshihisa-lq8yx 8 днів тому

    本日もありがとうございました それにしても徳政関連のことは難しいですね 質問していても自分で一瞬何を言ってるのかわからなくなることがあります 分一徳政・徳政禁制が実際にはどのように運用されていたのかは謎ですねえ

  • @Hf0909
    @Hf0909 9 днів тому

    すけこでしょ。

  • @nihonshikouza
    @nihonshikouza 9 днів тому

    ライブ配信は編集で余計な部分をカットすることができません。8分まで飛ばして、ご覧ください。

  • @万俵もみじ
    @万俵もみじ 9 днів тому

    そもそも論ですいません。「主上ご謀反」というのは、天皇であっても世の中を混乱させるようなことをしたり、皇位継承に混乱を起こすような行為は謀反とみなされるという考えでいいんでしょうか?

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 9 днів тому

      体制の最高責任者である天皇が、体制(持明院統・大覚寺統・鎌倉幕府の合意)を転覆させようとした(文字通りの謀反)と言う意味です。天皇(体制のトップ)の役割は、体制を守ることですから。

    • @万俵もみじ
      @万俵もみじ 9 днів тому

      @@nihonshikouza 納得しました。ありがとうございました。いつもわかりやすい解説をいただき、ありがとうございます。

  • @sS000
    @sS000 11 днів тому

    一条院の出家の時、髭を剃った件。権記(倉本一宏訳)寛広8年6月19日、 「剃り奉った人は事情を知らず、先ず御髪を剃り奉り、次に御髭を剃った。ただ髪を除いて髭を遺した人相は、外道(邪教)の様子に似ていた。「そこで故実では、出家の人は先に髭を剃るのである」と云うことだ。 つまり、髪と髭の両方を剃るのは問題ないのですが、その順番が問題だということらしいです。

  • @高内侍
    @高内侍 11 днів тому

    わからないので教えてください。相生文化会館中ホールと扶桑電通なぎさホールは同一のホールですか?

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 10 днів тому

      同じです。正式に全部書くと、「相生文化会館扶桑電通なぎさホール」です。そのなかの1階に、大ホールと中ホールがあります。

    • @高内侍
      @高内侍 10 днів тому

      ありがとうございます😊

  • @nihonshikouza
    @nihonshikouza 11 днів тому

    11/16(土)13時30分開始です。無料、予約不要。皆様のご来場をお待ちしています。

  • @tsukioka9643
    @tsukioka9643 11 днів тому

    藤原顕信は、小右記によると、伊周の子である道雅と仲良かったみたいなんで、その点も考慮して道長が蔵人頭辞退したのかもしれないですね まさか出家するとは道長も思ってなかったでしょうけど

  • @ieyasuyosimune
    @ieyasuyosimune 12 днів тому

    三条帝の母、藤原超子は、父兼家がまだ蔵人頭で公卿に列する前に女御宣下を受けています。

  • @MIZUHOKAWASIMA
    @MIZUHOKAWASIMA 13 днів тому

    Great UA-cam⛑Thank you Very Much🏯Muchísimas Gracias⛑ 『日本史オンライン講座』〈主催〉松本恵司 様、貴重な講義を視聴させて頂き、誠にありがとうございました。映像も音質も素晴らしい内容でした💐 私と日本史との御縁は、中学校在学中に読んだ山岡荘八さんの『織田信長』です。 自費で歴史小説を買うようなお金もありませんでしたが、たまたま御縁に恵まれてラッキーでした。 『国史大辞典』 山岡荘八・やまおかそうはち、一九〇七 - 七八 昭和時代の小説家。本名山内庄蔵、結婚後藤野姓。明治四十年(一九〇七)一月十一日に新潟県北魚沼郡小出町で山内太郎七・せいの長男として生まれる。逓信官吏養成所に学ぶ。印刷製本業三誠社を創立したが昭和初期の不景気のあおりをうけて倒産、昭和八年(一九三三)『大衆倶楽部』を創刊、編集長となったが二年で挫折、文筆で立つ決意をかため、昭和十三年藤野荘三名で『約束』を書き第二十三回サンデー毎日大衆文芸に選ばれた。長谷川伸に師事し、太平洋戦争中は従軍作家として中国や南方諸地域をまわり『御盾』(昭和十八―二十年)など時局的小説を発表、『海底戦記』などの従軍記で第二回野間文芸奨励賞を受賞、第二次世界大戦後一時公職追放となったが執筆活動は継続し、大河小説『徳川家康』(同二十五―四十二年)をまとめた。これにより第二回吉川英治文学賞を受賞。ほかに『新太平記』『異本太閤記』『小説太平洋戦争』『春の坂道』などの長編がある。昭和五十三年九月三十日没。七十一歳。墓は神奈川県川崎市多摩区南生田八丁目の春秋苑にある。作品は『山岡荘八全集』全四十六巻(同五十六―五十九年)に収められている。 (尾崎 秀樹) 『日本近代文学大事典』 山岡 荘八・やまおか そうはち・藤野庄蔵 明治40・1・11~昭和53・9・30、1907~1978 小説家。新潟県北魚沼郡小出町生れ。家は農業を営んでいた。山内太郎七、せいの長男で庄蔵といったが、結婚後藤野姓となった。高等小学校中退後上京、逓信官吏養成所に学んだ。一七歳で印刷製本業三誠社を創立し、プロレタリア文学関係の雑誌などをあつかったが、昭和初期の不景気のあおりをうけて経営不振におちいり、会社を譲渡し、昭和八年一〇月「大衆俱楽部」(万里閣)を創刊、その編集長になった。山岡荘八の筆名を用いるのは同誌に発表した『佐渡の紅葉山人』(昭9・8)からである。しかし「大衆俱楽部」の経営も二年後には挫折し、文筆でたつ決意をかため、昭和一一年ごろから講談社系の諸雑誌に短編を発表するようになる。そして昭和一三年一〇月には藤野荘三の筆名で応募した時代小説『約束』で第二三回サンデー毎日大衆文芸に選ばれた。昭和一五年にはかねて傾倒していた長谷川伸の新鷹会に加わり、従軍作家として中国や南方諸地域をまわり、『御盾』(「キング」昭18・1~20・4)など時局的な小説を発表した。一七年には『海底戦記』『潜艦同乗記』などの従軍記によって第二回野間文芸奨励賞を受けている。これらの作品は一七年二月から大本営海軍部報道班員としてマレー方面へ派遣された彼が、潜水艦に同乗し、生活をともにして書いた記録だった。二二年には公職追放となったが、執筆活動は継続し、二五年から大作『徳川家康』にとりかかり、一七年を費やしてこの大河小説をまとめる。二五年一〇月には追放解除となり、現代ものから歴史、時代小説にいたる幅ひろい領域で活躍をしめした。おもな作品には『千葉周作』(「日本」昭27・9~28・12)『水戸黄門』『八幡船』『桃源の鬼』(「キング」昭27・11~28・10)『織田信長』『坂本龍馬』『新太平記』『異本太閤記』『小説太平洋戦争』『小説明治天皇』『春の坂道』などがある。とくに書下ろしの『春の坂道』全三巻(昭46・1、3、7 日本放送出版協会)はNHKの大河ドラマの原作として話題をよんだ。 (尾崎秀樹 1984記) 代表作 御盾・みたて 長編小説。「キング」昭和一八・一~二〇・四。挿絵村上松次郎。 「兵学校の巻」「猛訓練の巻」「黎明の巻」の三部に分かれ、第四部の「大東亜戦前夜の巻」は敗戦により実現しなかった。その内容はのちに『小説太平洋戦争』にひきつがれる。江田島海軍兵学校の生徒や教官の姿をとおして、兵学校教育のありかたを描き、その卒業生たちがそれぞれの艦に乗組んで猛訓練にしたがい、時代の風雲の中で成長してゆく過程をとらえている。ワシントン会議やロンドン会議などによって主力艦や補助艦の保有量を制限された日本の海軍が、いかにその受難期を乗越えていったか、量の不足を質で補うために御盾の精神に徹すること、およびいわゆる月々火水木金々のきびしい訓練にしたがう姿などを、登場人物の中に具体的にしめした作品で、時局小説の一典型といえる。 徳川家康・とくがわいえやす 長編小説。「北海道新聞」などいわゆる三社連合系の数紙に、昭和二五・三・二九~四二・四・一五連載。挿絵木下二介。「出生乱離の巻」から「立命往生の巻」まで全二六巻、講談社刊。岡崎城主松平広忠の子として生れた竹千代(のちの家康)が、戦国動乱の渦中にもまれながらも成長し、天下を掌中におさめるまでを幅ひろくとらえた歴史絵図。駿河の今川家、尾張の織田家という二大勢力にはさまれた弱小国三河の運命は、文字どおり荊棘の道であったが、作者はそれを戦後の日本のおかれた位置に対比させ、新興勢力織田氏をソビエトに、京文化にあこがれをもつ今川氏をアメリカになぞらえて筆をすすめたといわれる。これはおそらく作者自身の反省と、戦後社会の混迷にたいする批判をこめた作品だったと思われる。家康はときには今川家の人質となり、また織田、豊臣にしたがって忍従の生活をおくるが、その間にもぬかりなく天下一統の布石を打ち、慎重に身を処してゆく。信長、秀吉をはじめ名だたる戦国武将たちの行動が交錯し、時代が混沌から統合へ向かうありさまは、さまざまな挿話とも合わさって興味深く展開される。はじめの部分には、やや伝奇的な色彩が感じられるが、後半に入ると教訓的側面が強まり、おりからの経営書ブームとも合致して、家康ブームを出現し、経営「虎の巻」として、ひろく読まれた。「家臣はみ宝、家臣はわが師、家臣はわが影じゃ」と説く家康の処世哲学が経営者のこころをつかみ、サラリーマンの処世術にも多少の影響をあたえたことは想像されるが、その基礎には作者のてなれた創作技巧が秘められていたことも見落とせない。昭和三三年五月、第一一回中部日本文化賞、四二年六月、第二回長谷川伸賞、四三年三月、第二回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞している。 (尾崎秀樹 1984記) 全集 『山岡荘八歴史文庫』全100巻(1986~88 講談社) 『山岡荘八全集』全46巻(1981~84 講談社)

  • @MIZUHOKAWASIMA
    @MIZUHOKAWASIMA 13 днів тому

    Great UA-cam⛑Thank you Very Much⛑Muchísimas Gracias⛑ 『日本史オンライン講座』〈主催〉松本恵司 様、貴重な講義を視聴させて頂き、誠にありがとうございました。映像も音質も素晴らしい内容でした💐 武田信広は謎多き猛将だったようですし、松前の姓は〈松平家〉の松、〈前田家〉の前をもとにしたというお話もあったようです。 甲斐国の武田家は武田信玄が偉大な英雄であるため、誰もが知っていますが、足利幕府と政略結婚を結んでいた若狭国の武田家も有力な武家勢力だったと考えています。

  • @amatake5757
    @amatake5757 14 днів тому

    初めてコメントさせていただきます。 論争に関するこれまでの研究や近況を分かりやすく纏めたこちらの動画は、大変勉強になりました。 唐古・鍵遺跡や纏向遺跡、それらに関する資料館を訪れた事があるのですが、弥生時代の全期間を通じて稲作や青銅器の鋳造が営まれ、圧倒的な土器の出土量を誇る唐古・鍵という大規模環濠集落を収斂する形で発展を遂げ、四方から人や物が集まる交通の結節点に規則性を持った建物が営まれた纏向遺跡は、後の飛鳥京や藤原京へと繋がる国の首都という感覚を当時持ちました。 そのため、この動画で語られている内容が、自分の中にスッと入ってきました。

  • @hidehumi1218
    @hidehumi1218 14 днів тому

    支配者層の浪費のお話がありましたが、現代社会でもそれ相応の地位や立場になれば結構出費がかさむと思います。過去の講義でも、摂関になると出費がかさむので殿下渡領があると伺いました。 浅野長矩が勅使饗応役を務めた際に吉良への付け届けを出し渋ったために刃傷沙汰からの討ち入りとなったというエピソードの真偽はともかく、江戸幕府のお役目は相当な出費が必要で、お役目をもらわないように接待をしていたという話もあったと聞いています。 新九郎奔るでも新九郎が家督相続のお披露目の費用捻出に苦労するエピソードがありました。新九郎ですら大騒ぎですから、室町殿の正室となれば何かにつけて相当な費用がかかったのではないでしょうか。新九郎にカネがないのも父親が幕府や本家への奉公で金を使ってしまったからのようですね。 偉い人たちの散財も室町幕府の政治システムの一環であったのかもしれません。現代でも政治とカネの問題は今回の選挙戦での重要なテーマですが、人の業のようなものならそう簡単なものでもなさそうですね。上杉鷹山は確かに偉いと思いますが、この度の選挙を契機にそうした政治が行われるよう期待しています。

  • @AshikagaYoshihisa-lq8yx
    @AshikagaYoshihisa-lq8yx 14 днів тому

    今回もありがとうございました 応安の半済令をあえて強調したのですが これって、その後の政治の方向性を決める極めて重要な法令だったにもかかわらず 様々な歴史解説本をみても、やけに軽視されてると感じたからです 天皇家・摂関家領は半済を禁止することで、彼らに恩を売る形で公武統一政権がやりやすくなる 寺社では、山門使節制度の創設が可能となることで最大勢力の延暦寺との緊張関係が緩和される そして、荘園を保護してあげたのだから「応分の負担」はしてくださいよ、と守護役を負わせることができる 一石二鳥にも三鳥にもなり得る法令だったのではないか、と歴史好きな素人がほざいてみました

  • @ballsea1754
    @ballsea1754 15 днів тому

    厩戸皇子の母方が蘇我氏の血を引いて血統的に弱いと説明されてますが、推古天皇も同じですよね?

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 14 днів тому

      推古天皇は蘇我氏系の天皇です。男性の天皇のなかに、母が皇女の人と、皇女でない人がいます。用明天皇がどちらにあたるかが問題になるという説があります。

  • @杉浦崇斗
    @杉浦崇斗 16 днів тому

    視聴

  • @杉浦崇斗
    @杉浦崇斗 16 днів тому

    視聴

  • @Tada-Na
    @Tada-Na 16 днів тому

    私は松本先生と同世代で、日本の暗黒史関係?の本など読む機会が多かったクチですが、 山本様のお話は、親戚のおじさんから昔話を聞かせてもらうように耳に心地よく、 実はファンになっていてmp3プレイヤーで繰り返し聞いています。失礼な言とも思いますがお許しください。

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 14 днів тому

      私もUA-camをカーラジオで聞いています。

  • @sS000
    @sS000 17 днів тому

    彰子を入内させるとき、道長は内覧でなく関白になっていれば、彰子を皇后にできたのですね。

    • @nihonshikouza
      @nihonshikouza 14 днів тому

      道長は彰子を中宮にしています。

  • @hidehumi1218
    @hidehumi1218 20 днів тому

    寺社が金利を取るということが不自然にも思えますが、地方の武士の子弟で所領を継げない者が出家して本山で修行するなどでネットワークを築いていたこと(斎藤道三の例もあります)を考えると、不作のときは余裕のある地方の系列のお寺同士でコメ等を融通しあっていたのではないでしょうか。もちろん親族のネットワークもあったと思いますが、そうした親族も特定のお寺の檀家だったりするのかと思います。 御仏のご慈悲で相互扶助していたとしても、寺の組織が大きければきちんと帳簿を付けて、翌年の収穫などで返していたと思います。 借りた恩に対して相応の礼をしなければ仏の道に背くことにもなります?から、立場が逆転すれば貸し付けもしただろうし、その際にそれ相応の礼のやり取りがあったのではないでしょうか。 本来の金銭のやり取りに加えて名産物の贈答、茶道・連歌の奥義の伝授とか写本の依頼、唐物や茶器の贈答だったのでしょうが、そうしたやりとりが銭のやり取りだけのドライな関係にも移行したと考えると納得できます。 神社の御初穂料の話が出ましたが、お初穂料の返礼品で家伝の目薬をつくったことが黒田家興隆のきっかけになったことを思い出しました。黒田家はその後土豪になり、さらに小寺家家老と成りあがっていきました。きっと金貸しもしたのではないでしょうか。 多少話がずれてしまいますが、京の戦乱で逃げてきた人たちに対してお寺がお炊き出しをするのも檀家との付き合い方の一つだと聞いたことがあります。精神的に参っている檀家の人たちも甘い団子を食べることで御仏の有難さを実感したでしょう。そのうち平時でもファーストフード感覚で食べたいというリクエストが相次ぎ寺社の周辺で売り出して現在まで続いているのだそうです。 大河ドラマの「西郷どん」の時代になっても、借金する際にはお金だけ渡されるのではなく、三方(三宝)に扇を乗せて、いったい何のお祝いなのかという渡し方をしていたことを思い出しました。 お金や利子というと、何か汚いものだという印象を免れませんが、あくまでも相互扶助の中から発生したものなのではないか?と、改めて思いました。

  • @ぴえん-j7z
    @ぴえん-j7z 20 днів тому

    教えている高校の生徒達の意見を聞いてみたいね、本当に納得してるのか内心バカにしてるのか🤔

  • @浜野宏
    @浜野宏 21 день тому

    借上、土倉、

  • @morita11960
    @morita11960 22 дні тому

    縄文時代奈良は過疎地、弥生時代に邪馬台国を構成するのは人口的に無理。 奈良が発展したのは神武東征以後

  • @hidehumi1218
    @hidehumi1218 22 дні тому

    毎回中身の濃い講義をありがとうございました。 昨日の講義の中で、頼母子講や無尽がどうなったのかというお話がありましたのでコメントさせていただきます。 無尽については無尽会社というものがあり、戦後に相互銀行になっています。 日本無尽という会社も戦後に日本相互銀行になり、さらに都市銀行の太陽銀行になりました。その後、吸収合併されることを繰り返して現在は三井住友銀行になっています。 大多数の相互銀行はご存じの通り現在の第二地銀になっていますが、コンコルディアFGのように(第一?)地銀と経営統合しているものもあります。 規模の大きな無尽は銀行に飲み込まれ、比較的規模が小さい互助組織は信用金庫や信用組合、あるいは農協として残っていたり、商工中金のような形態で存在しているようですね。

  • @morita11960
    @morita11960 22 дні тому

    300年も一生懸命発掘しといて未だに証拠が見つからないのは九州も畿内もまちがってるから。 他でしょ。

  • @AshikagaYoshihisa-lq8yx
    @AshikagaYoshihisa-lq8yx 22 дні тому

    本日もありがとうございました で、土倉に債務がないはずの食うや食わずの弱小農民がなぜ土一揆に参加したのか、というと略奪目的が大きかったんでしょううねえ 彼らは応仁の乱で活躍する足軽と重なりますね

  • @高内侍
    @高内侍 22 дні тому

    いつもありがとうございます。思いもよらず世界史の学び直しができました。高二以来おもしろかったです。

  • @平井保昌
    @平井保昌 22 дні тому

    スマホのアプリで「京都遺産」で応仁の乱の史跡巡りでデジタルスタンプラーリーで位置関係が解ります 後醍醐関連では南山城村の「恋路は橋」が若い人に人気 中江藤樹記念館でホツマツタエが読めます(現在休館中)、そして近くの継体天皇の胞衣塚に行ったりします

  • @平井保昌
    @平井保昌 23 дні тому

    飛鳥井家の家業は蹴鞠、屋敷跡には白峯神宮(飛鳥井町) 蹴鞠も行われますしサッカー選手の信仰も厚い 私の家の近くには東福門院、明正天皇、後西天皇の所縁のお寺があります 幡枝離宮も後水尾上皇

  • @tsukioka9643
    @tsukioka9643 23 дні тому

    1:44:15 自分は最後までいました笑 普段からラジオ代わりに聞いてます。気になったシーンで画面も見る感じですね。作業用にちょうどいいのです。 ちなみに 41:10 あたりでお話されている駒ケ岳の噴火では、山体崩壊の影響により、内浦湾の対岸(つまり現在の伊達市や室蘭市や洞爺湖などの方です)に大津波が押し寄せています。 有珠では7.5mもの津波が襲ったというのですから、驚きです。(2021年の気象庁の報告にあります) 噴火による降灰だけではなく、この大津波による人命や生産への影響も考慮するべきですね。 シャクシャインの戦いに至る過程で、最大の原因はこれだったのではないかと思いました。