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滋賀県文化財保護課
Приєднався 27 жов 2021
滋賀県文化財保護課のYouTubeチャンネルです。県内の文化財に関する動画をアップしていきます。
新しい琵琶湖文化館 建設予定地イベント
大津市浜大津において、令和9年(2027年)12月の開館を目指している、新しい琵琶湖文化館。着工を控えた令和6年(2024)10月5日に、建設予定地を会場とするイベントを開催し、たくさんの方にご参加・ご協力いただきました。
www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/e-shinbun/event/338910.html
www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/e-shinbun/event/338910.html
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Відео
Hikone Castle Complex -Testimony to the Daimyo Governance of Tokugawa Japan-
Переглядів 2716 місяців тому
This video is to appreciate the value of Hikone Castle Complex as the World Heritage Site. Hope you enjoy it! (outline) Hikone Castle Complex, constructed in early 17th century, was one of local governing centres that contributed to the stabled order throughout Tokugawa Japan for close to three centuries. It almost remains intactness the best among all of the 180 castle complexes, and bears an ...
彦根城-江戸期日本の大名統治の物証-
Переглядів 1,7 тис.6 місяців тому
彦根城の“世界遺産としての価値”をより多くの方々に知っていただくために「映像資料」を作成しました。
探訪「和田惟政と和田氏の和田城」(甲賀市)
Переглядів 4399 місяців тому
和田氏は室町幕府の奉公衆(将軍直属の軍事力を担った武士団)です。永禄8年(1565)、将軍足利義輝が三好三人衆らによって殺害されたとき、和田城主であった和田惟政は、後に将軍となる足利義昭を和田(公方屋敷跡)にかくまい救出した功臣として知られています。 また、天正10年(1582)の本能寺の変の際、徳川家康は堺から領国三河まで決死の脱出行を行いました。その行程は「神君伊賀越え」として伝説化していますが、実は和田氏の協力を得たとの記録があることから、甲賀郡の信楽から和田、油日を経るルートも有力視されています。
探訪「史跡永原御殿跡と周辺の社寺巡り」(野洲市)
Переглядів 2439 місяців тому
慶長6年(1601)、徳川家康は関ヶ原の戦後処理を終えて京から江戸に下向する途中、野洲郡永原に宿泊します。永原は交通の要衝であり、かつ家康が豊臣秀吉から近江で与えられた在京賄料(京・大坂滞在中の費用をあてる領地)の中心地であったためです。 上洛時の宿泊が主な目的で造られた御殿は、大坂夏の陣・冬の陣も含めて家康(6回)、秀忠(4回)、家光(2回)が宿泊した後、宝永2年(1705)に焼却され、跡地は永原村の「御殿守」が管理しました。 平成29年度以降の発掘調査では、大工頭中井家に伝わったる「指図(さしず、建築図面)」に描かれた建物跡が良好な状態で見つかり、令和2年3月に史跡指定を受けました。
彦根城世界遺産登録推進シンポジウム「東京シンポジウムⅡ・世界史の中の江戸時代-江戸時代、大名と城は如何に独創的であったのか-」
Переглядів 89910 місяців тому
2024年1月28日に東京の建築会館ホールで実施したシンポジウム「東京シンポジウムⅡ・世界史の中の江戸時代-江戸時代、大名と城は如何に独創的であったのか-」の記録動画です。 0:00:00 開会挨拶 0:09:50 基調講演「彦根城の顕著な普遍的価値の所在」稲葉信子氏(筑波大学名誉教授) 0:33:16 講演「徳川期日本における大名による統治と城郭」母利美和氏(京都女子大学教授) 1:06:28 講演「近世東アジアにおける統治とその拠点」杉山清彦氏(東京大学教授) 1:40:11 講演「近世ヨーロッパにおける統治とその拠点」古谷大輔氏(大阪大学教授) 2:22:22 パネルディスカッション パネリスト:母利美和氏、杉山清彦氏、古谷大輔氏 コメンテーター:稲葉信子氏 コーディネーター:宗田好史氏(関西国際大学教授・京都府立大学名誉教授)
探訪「京極氏のふるさと・柏原を訪ねて」(米原市)
Переглядів 83410 місяців тому
江濃国境にほど近い柏原は、中近世を通じて東山道(中山道)の主要宿駅として繁栄しました。とりわけ中世においては、近江北部に絶大な影響力をもった京極氏が柏原庄を拠点としたことから、同氏ゆかりの有力寺院を中心として、当地には数多くの文化財が伝存しています。
探訪「中世の自治都市・堅田を訪ねて」(大津市)
Переглядів 94010 місяців тому
堅田は琵琶湖の湖上交通を掌握するうえで重要な場所にあり、中世においては延暦寺や下鴨社の権力を背景に湖上支配の地位を獲得し、高度な自治を実現していました。現在も随所に堀割や船入の痕跡が残り、満月寺浮御堂や新田義貞の愛妻であった匂当内侍のものと伝わる墓など、多くの見どころがあります。
国宝延暦寺根本中堂および重要文化財根本中堂廻廊保存修理工事
Переглядів 1,6 тис.Рік тому
現在、滋賀県が保存修理を行っている延暦寺根本中堂と 廊の工事の様子を紹介します。 工事中ですが参拝は可能で、また、ステージが設けられているので建物を間近で見ることができます。 ぜひ延暦寺根本中堂を訪れ、修理の様子をご覧ください。 0:00 オープニング 0:53 過去の工事 1:40 根本中堂の柱の根継ぎ修理 3:27 根本中堂の内陣の塗装工事 ・彩色調査 ・緑青塗り ・胡粉塗り ・拭き漆 5:04 根本中堂の外壁の塗装工事 ・丹塗り ・ちゃん塗り 5:43 廊の屋根の栩葺き 6:43 彫刻剝落止め 6:55 根本中堂の床板修理 7:02 根本中堂の屋根の下地修理 7:11 エンディング
地域の歴史を知るために~発掘調査のすべて~
Переглядів 24 тис.Рік тому
遺跡の調査は何の役に立つの? 発掘調査はどうやって行うの? そんな疑問に、滋賀県の発掘調査の様子から説明します。 地域の歴史を知るための手がかりがそこにあります。
探訪「史跡清水山城館跡を訪ねて」(高島市)
Переглядів 645Рік тому
清水山城は、中世の高島郡に割拠した「高島七頭」の惣領家・高島氏の居城と考えられています。安曇川の広大な扇状地の扇央部付近にあたる、饗庭野丘陵の南東端付近に築かれました。高島平野を一望できる主郭を中心に、周辺の尾根上に郭が配置され、大規模な堀切や連続空堀群などで防御をかためています。 山腹にある地名「西屋敷」「東屋敷」「大門」「大手」のあたりには、土塁でかこまれた数多くの郭があり、一族や家臣の屋敷地と考えられています。また、山麓の地名「犬馬場」「御屋敷」には領主の居館があったと考えられています。 さらに、城の南西麓には、高島氏の氏神という大荒彦神社があり、その西側一帯の本堂谷遺跡には土塁や堀で区画された平坦地があります。「大宝寺」と呼ばれる寺院との関連が推測されています。
探訪「六角対浅井 肥田城跡を訪ねて」(彦根市)
Переглядів 440Рік тому
肥田城は大永年間(1521~1528)に高野瀬隆重が六角定頼の命により築いたといわれています。しかし、高野瀬秀隆の時、浅井長政の調略を受けて寝返ったので、六角義賢は永禄2年(1559)に城の周囲に土塁を築き、宇曽川・愛知川から水を引き入れ、肥田城を水攻めにしました。ところが、大雨によって土塁が決壊し、水攻めは失敗におわります。この後、六角義賢と浅井長政は野良田で戦い、浅井長政が勝利した結果、六角氏の勢力が弱まっていくきっかけとなりました。
長束正家 5万石
勉強になりました。板の防水性を高めるために、煙で燻したり、油を染み込ませたりすることは無かったのでしょうか。
申し訳ございませんが、照射密度(点群密度)を教えていただけませんか?あと測量手法(固定翼機か回転翼機かUAV?)
とても見る価値のある動画ですね。
世界遺産の意義とSDgsの関係が良く分かりました。立派な彦根城はそれに当たると思います。
先日、小雪の中、ガイドのアテンドをお願いし、彦根城を見学させていただきました。 ガイドの方から彦根城の価値が天守だけでなく城郭都市として城下町全体が保全されていることこそが価値あることとお伺いしました。 彦根城を中心とした彦根の町が世界遺産に登録され世界から注目を集める街となることを心から楽しみにしております。